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「や、万年馬鹿王子」
シトラは何事もなかったように、さわやかに微笑んだ。
今は何て言われたっていい、待ってたぜ、相棒!
「シトラ!来てくれると信じてたぜ!」
「どーせ、見捨てたとか思ってたんでしょ?」
「ぐっ……」
「あ、図星だね。かえろっかなー」
シトラは明後日の方向を向いて歩き出す。
「きゃ〜、シトラ様待って。ごめんなさい、許して!」
泣きながら訴えると、シトラは素敵に嫌な笑顔と共に振り返った。
「この貸しは大きいよ?」
「う゛……」
「いやなら、捕虜として死んだまぬけな王子として、歴史に名を残すことになるよね」
「ぐっ、足元見やがって……なんでもいいから助けやがれ!」
「うん、潔くて笑えるね」
シトラは何処か満足そうに、くすくすと笑みを浮かべる。
俺様としては笑えねぇ……。
とんでもねぇ奴に、貸しをつくっちまったぜ。
「はっ、そうだ。シトラ、俺様の剣を取り返してくれ!」
「あぁ、剣?だったら今、シャンルが……」
「ヴィン様〜!」
「シャンルちゃん!」
俺様の剣を両手に抱えて嬉しそうに走ってくるシャンルちゃんに、俺様は最高の笑顔を向ける。
「見つかっちゃいました〜、受け取ってくださーい」
シャンルちゃんは、愛らしい微笑みと共に抱えていた剣を放り投げる。
ちょっと待てぇ〜。
俺様、縛られてるんですけど。
飛んでくる剣を見て、俺様はシトラに助けを求めた。
シトラはあからさまな溜め息を漏らし、"にこり"ではなく"にっこり"と微笑んだ。
「ふー、世話が焼けるなぁ」
「ちょっと待て、なんだその最高にさわやかな笑顔は!なぜ杖を構える、つーか、言わなくても分かる気がするぞ!?まさかっ……」
シトラはさらににこりと微笑む。
シトラの不気味な微笑みの背後で、奴の腹の中を表すかのごとく、ごろごろと唸る空
「そのまさか」
ああ、やっぱりィー!?
茜空に一筋の光が走り、俺様に雷が降り注ぐ。
柱が黒炭となって崩れ落ちる。
一緒に黒煙をあげて倒れた俺様の手から、麻縄の紐が灰になって風に飛ばされていった。
ぷすぷすと煙を上げながら、俺様は足元に転がり落ちた剣を握り締める。
剣を杖代わりに、足がだんっと地面を踏みしめた。
言葉を無くしている……というか引いている敵達に、俺様は鞘のまま剣先を突き付け、シトラが倒した奴を踏み潰す。
可哀相に、シャンルちゃんがおろおろとしている。
村人たちが、助かるの?と言いたげな顔で俺様に注目していた。
そう……
「これも皆てめェ等のせいだ!ぜってェー、ぶっ殺す!?」
特殊効果とばかりに俺様の背後に雷を降らせるシトラの協力あって、呆然としていた食事中の連中は、あんぐりと口を開いたまま手に持っていた食べ物をぼとりと落とした。
鞘を抜き、俺様の足が大地を滑り踏みしめる。
その隣に不敵な笑みを浮かべたシトラが並んで杖を構えた。
「行くぞ、シトラ!」
「ぼちぼちね」
兵達は思い出したように顔色を変えて立ち上がる。
「たった二人で何ができる!」
「やっちまえ!」
俺様達の後ろで、シャンルちゃんがショックを受けた。
「シャンルだって、シャンルだって――戦えます!」
シャンルちゃんの影から黒い濁流のような闇が姿を現す。
闇はひどく不安定で、エルフの使う精霊魔法とは全く異なるものだった。
さすがの俺様も驚愕に目を見開く。
闇はまるで相手を威嚇するかのように、シャンルちゃんの後ろで面積を伸ばしていった。
「ちょっ……」
これ、もしかしてまた暴走してるんじゃ……!?
俺様は、シトラと共に顔を見合わせた。
闇がシャンルちゃんを飛び越え、兵達を飲み込んだ。
その後には、押し流されるように吹き飛ばされた兵達が、生気を失くした顔で横たわる。
「きゃー、成功しました!」
シャンルちゃんは嬉しそうに飛び跳ねていた。
あ、成功なのね。
俺様は、ほっと安堵の溜め息を漏らした。
シャンルちゃんが誇らしげな微笑みと共に、俺様を見上げてくる。
「ヴィン様、シャンルは魔王としてはまだまだ未熟で魔族を統率する力がありません。でも、新しい魔王は人間を襲わないことを約束します!」
何かを吹っ切ったように、シャンルちゃんは幼さの残る微笑みに愛らしい声を添えた。
「シャンル、立派な魔王になれるようにがんばります!だからシャンルは、人間も魔族も仲良しがいいです!これは、魔王としてのお願いです」
「……ああ、そうだね……そうだな」
俺様はぽんとシャンルちゃんの頭を撫でて、その反動でシャンルちゃんの前へと足を踏み出す。
「じゃあまず、この侵略を食い止めねぇとな」
「ほんと……女には甘いね」
「うるせぇ!」
シトラが肩を竦める。
俺様は笑みと共に、剣を構えて走り出した。
「怯むな、たった三人ではないか!?」
シャンルちゃんの攻撃を免れた奴らが剣を構え直し、襲い掛かってくる。
肩越しに振り返ると、シトラはくすりと笑い、白亜の杖を掲げた。
「水の精霊よ……」
呼び掛けに応じた水の精霊が、杖の玉に触れる。
杖の玉が青く輝いた。
シトラの手が、すっと音もなく俺様の進行方向を指し示す。
優雅に動く手の流れに沿って、精霊達が敵を見据えた。
精霊達は絡むように溶け合うと、水となって敵を呑み込んだ。
水の精霊に恐れをなして逃げ出そうとした男の隣に並び、俺様は剣を振り上げる。
金属音が響き渡り、敵の剣は弧を描いて空中に投げ出された。
俺様の背後から襲い掛かってきた別の兵から、半歩引いて体を逸らす。
この俺様に向けて図々しく振り下ろされた剣は仲間を切り裂き、そしてそいつも俺様の剣の餌食となる。
飛び散る血をかわし、手前の男に体当たりをかます。
その横の奴に振り返りざまに裏拳を決めると、男は頭から仰向けに倒れこんだ。
正面から果敢にも飛び込んでくる男の剣が空気を裂く。
上体を落としてかわした俺様の足が一歩、大きく踏み出し、刃は男の鎧ごと腹を切り裂いた。
俺様に倒れ掛かってくる体をすり抜け、走りながらブーツに仕込んだ投げナイフを抜き放つ。
さすが俺様、狙いに狂いはねぇぜ!
詠唱するシトラに切り掛かろうとする男の背にナイフが突き刺さり、男は呻いて地面に倒れ込んだ。
詠唱を終えたシトラが瞼を起す。
銀の睫毛の先から姿を現すエメラルドのような瞳が、いつも以上に無感情に空を見上げ、ゆっくりと大地に向けて広げられた両手の長い袖を、唸りと共に足元から吹き上げる風が揺らした。
風の精霊と共に、巨大な竜巻が戦場を掻き乱す。
敵の張った天幕が毟り取られるように空へと舞い上がり、烈風が敵を切り裂く。
人質を解放していたシャンルちゃんが、その威力に思わず首を竦めていた。
鼓膜を轟音が支配する。
視線を走らせた俺様の目に、逃げ惑う敵の中、護衛に守られながら青褪めているターキッシュの姿を見つけた。
「ターキッシュ!」
「!?」
俺様の声に、ターキッシュと二人の護衛が振り返る。
シトラの魔法で倒れ掛けた天幕の柱を駆け上り、柱の先を蹴った反動で風に乗るように空へと舞い上がった。
いつもより空が近い。
血が沸き踊る。
俺様の口端がつり上がった。
叩き付けるように振り下ろされた剣が、敵を裂く。
大地に付いた足がじゃりっと砂を踏み、考えるよりも先に剣を持ち慣れた手首が角度を変えた。
膝が伸び、腕を押し上げる。
切っ先は袈裟懸けにもう一人の護衛を切り裂き、一瞬にして護衛を失ったターキッシュの瞳が、まるでスローモーションのように見開かれていく。
いい顔してるぜ、大将!――俺様は唇を舐めた。
「しょ、将軍!?誰か将軍をお守りするんだ!」
「ひぃ!やってられるか、逃げろ!」
あっという間に味方が倒れていき、兵達は引け腰になっている。
俺様に向けられる村人達の視線が熱いぜ!
逃げ出す奴らまで現れ、ターキッシュが怒声を上げていた。
「貴様等!?」
「おっと、逃がすか!」
俺様の剣が、ターキッシュの剣を叩き付ける。
「ぐっ……!出来損ないではなかったのか!?」
「ああ、出来損ないさ。この平和ボケな国じゃあな」
「何ィ?」
「俺様が得意とするのは戦争なんだよ!」
互いの剣が、ギリギリと押し合った。
ターキッシュが一歩、後退さる。
俺様はその分一歩踏み出した。
さすがに、将軍だけあって雑魚とは違う。
ターキッシュは剣の角度を変え、俺様の剣を跳ね返した。
「我々に臆して、みすみすと捕虜になった出来損ないの王子など、私の敵ではない!」
揚々として攻撃に転じるターキッシュの剣先。
剣で受け止め、互いにはじき合う。
混じり合う金属音のみが、鼓膜を震撼させていた。
「その出来損ないにやられそうになってんのは、どこのどいつだ?」
俺様はターキッシュに剣を振り下ろす。
ターキッシュはそれを剣で受け、再びじりじりと押し合いに陥りそうになる。
俺様がすかさず、身を引いて剣をいなした。
押し合う対象を無くしたターキッシュの剣が、火花が散らしながら俺様の剣の上を滑る。
手首を返して柄と柄を絡めとると、容易くターキッシュの手から弾かれる剣が地面に音を立てて転がり落ちた。
「なっ……!?」
俺様に負けたのが信じられないのか、膝を付いたターキッシュが肩を戦慄かせた。
「手柄にもなりゃしねぇのに疲れる事できっか――ぐっ!?」
次の瞬間、ターキッシュが俺様の顔に粉の入った袋を投げつける。
俺様は飛びのいて膝を付く。
「てめー、卑怯だぞ!?つーか、話は最後まで聞けよ!」
目を押さえてターキッシュを睨み付けた。
「実戦に卑怯などあるか、隙を作ったものの負けだ」
すっかり余裕を取り戻し、ターキッシュは落ちた剣を拾い上げる。
慌てて飛び退いた俺様の腕をターキッシュの剣が掠めると、赤い血が飛び散った。
―NEXT―