「シトラよ」

名を呼ばれ、はっと現実に引き戻される。

「シャンルが泣き止んだ。代わるぞ」
「え、ちょっ、この僕に子供の面倒見ろって?冗談……またか!」

目が廻りそうだ。
瞬きと共に、クルスが消えてシャンルに戻ってしまう。

「あ……シトラ様」

僕が返事を返さなかったせいか、沈黙が流れた。
シャンルは何処か気まずそうだったが、小さく口を開く。

「シトラ様は……人間同士が殺しあってて、なんとも思わないんですか?」
「愚問だね、僕は人間がそういう種族だと思っているさ」

シャンルの表情が曇る。
それは僕の答え方が冷たかったからだろうか、それとも答えの内容が不服だったのか。

「魔族も、そうです……誰もシャンルを魔王と認めてくれないんです」
「人間の血が流れているから?」

シャンルの肩が僅かにビクリと揺れる。
そして、シャンルは俯いたまま小さく頷いた。

そんなものだろうね……ましてや、魔族は実力主義だって聞くし。
例え魔王の血を引いていても、人間の血を引いているだけで軽んじるだろうさ。

「外の世界はいつも太陽の光が差し込んでいて……きっと、楽しいんだろうなってずっと思ってました」

そりゃあ、がっかりしただろうね。

「人間や魔族の世界だけじゃない、何処の世界も優しさばかりじゃないよ」
「エルフの世界も、そうなんですか……?」
「エルフは閉鎖的で、頭が固くて古臭い考えの連中ばかりさ。そのせいで、残虐な風習が根強い」
「え……?」

シャンルはきょとんとした顔で僕を見上げる。
皮肉めいた笑みが口元に浮んだ。

ほとんどのエルフは、それが素晴しく栄誉なことだと思ってるから嫌になる。

"さよなら、シトラ"

耳元に残る……
すでにこの世には存在しない、幼馴染の優しい幻聴が聞こえた気がする。

僕は目を細めた。

無意識に指が胸元の石に触れている。
僕は自嘲染みた笑みを浮かべていた。

シャンルの唇が引き結ばれる。
俯いた眼差しが、大地を睨み付けた。

「仲良く出来ない世界なんて……嫌いです」

なにをいってるんだこの子は。
僕は思わず目を丸くした。

「ヴィンは君に優しくなかった?」
「ヴィン様は、やさしかったです……けど」

シャンルが顔を上げる。
僕は視線を流し、人の住む建物のある方へと視線を向けた。

黒い煙が上がっている。
僕があまり好きではない、焼ける匂いがした。

「血筋のみが王の資格じゃないさ……どんな国もいずれは倒れる。結局、王に必要なのは才覚だ。君がどんなに"血"に引け目を感じようと、本当に"王"になるべき才覚の持ち主なら、いずれ道は拓かれる」

気紛れな風の精霊が、僕の首に腕を回して耳元でくすくすと朗らかな笑い声を漏らす。
僕はそっと、感触のないその腕に触れ返し、目を細めた。

「そして"王"は、世界の道を拓く選択肢を握っているんだよ、シャンル=オシキャット」

太陽の光が木々の間から差し込む。
雲の合間から天使の梯子がシャンルに降り注ぐ。

さわさわと木の葉が揺れる。
森に住まう精霊達が、木の上から僕等を見下していた。

僕はくすくすと笑みを漏らす。

「さて、僕はしょうがないからヴィンの様子でも見てこようかな。君はここにいればいいよ……ああ、別に魔族の森に帰ってもいいんだよ?僕は止めないから」
「むぅ、いじわるです!ヴィン様を助けに行くんですよね、行きましょうシトラ様!」

シャンルは頬を膨らませ、気を取り直したように走り出した。

僕、助けに行くなんて一言も言ってないけど?
ため息をついて、ゆっくりとした歩調でその後を追う。

「あー、そっちは……」
「きゃー!」
「って、言ってるそばからお約束な」

シャンルは傾斜から見事に足を踏み外し、僕の視界から消えた。
慌てるでもなく覗き込むと、シャンルは崖にしがみ付きながら半泣きで上を見上げている。

「なにしてるのさ、仮にも魔王の娘だろ?」

僕は膝をついてしゃがんだ。
手を差し出すでもなく、遠慮なく呆れた眼差しを向ける。

「娘だけど、今はシャンルが魔王です!」

シャンルはむっとして頬を膨らませた。

「だったら尚のこと……呆れるね」

僕はシャンルに手を差し出す。

「シトラ様?」

シャンルが、驚いたように僕を見上げてくる。
まったく……

「はやく掴まりなよ」
「だって……シトラ様はシャンルが触った気分が……」
「いいから早くしてよね、僕の気が変わる前にさ」

僕は手を伸ばしたまま、そっぽを向いた。

「は、はい!」

見なくても嬉しそうに笑っているのが分かる。
本当――何やってるんだか、僕は。

シャンルの手が僕の手に触れた。

一瞬ゾクッとした寒気が走り、ふつふつと湿疹が浮き上がってくる。
うっ……眩暈が――…。

僕以上に、シャンルが青褪めた。

「きゃーシトラ様!?大丈夫ですか!」
「あっ、こら暴れるな!」
「はいっ!」

シャンルがおろおろとして返事をする。

が、次の瞬間
一気に吐き気が込み上げてくる。

「ウ゛っ!?やっぱ放せ!!」
「どっちですかァー!?」

シャンルのごもっともな叫びが森に響いた。










俺様は広場に縛られ、半日をぼーっとして過ごした。

日は傾き、夕焼け小焼けの赤とんぼ。

――じゃなくてだ!!
遅い、シトラとクルスはどーしやがった!

はっ!まさか見捨てて逃げたんじゃ!?

いや、シトラに限ってそんなことは――おおいにありうる。
十分ありうる。

俺様はだんだん不安になってきた。

そんな中、俺様の近くでめそめそ泣いてやがる村の奴らの声が、苛立ちに油を注ぐ。
怪我をした男や女子供の集団の顔は、絶望に染まっていた。

おいおい、ここにこの俺様がいるんだぜ?
もうちょっと嬉しそうな顔をしやがれってんだ――と言っても、柱に縛られてちゃ、格好も付かない。

もっとこう、俺様が格好良く見えるイベントは起きないものか……。
例えば、悪い連中が村人にちょっかいをだして、俺は自分の身を挺してそれを庇う!

「やめろ、私には何をしても構わない!その代わり、村人には手を出すな!」……とか。
すると村の若い娘は皆、「きゃーヴィン様素敵ー!!」となる、うんうん。

妄想ににやける俺様の前に、軍靴が割り込んだ。

「何ニヤけてやがる。おら、飯だぞ、王子さま」

下っ端の兵がにやにやと笑いながら俺様にパンを投げつけてきやがった。
兵達が酒を飲みながらげらげらと笑い声をあげる。

「ちょっと待てよ……どういうつもりだ?」

俺様の脳の神経がぷちぷちと音を立てた。
この俺様に落ちたパンを食えってぇーのか!?

「飯を貰えるだけでもありがたく思え、他の奴らにはないんだからな」

男はパンを踏みつけ、俺様の髪を掴む。

人が大人しくしてたらいい気になりやがって、このじゃがいも顔がァー!?
マジ殺す!ぶっ殺す!!

もー、シトラなんざ待ってねぇぞ!こんな縄、気合で引き千切ってやる。
うぉおお!なんか、出来そうな気がしてきたぜ!

……と、俺様の気合がマックスに達した時だった。

男の周りを不自然に風が纏わり付く。
目を瞬かせた俺様は、男に抱き付く風の中に風の精霊の姿を見つけた。

「なんだこれ、助けて!うわぁぁああ!!」
「うわっ、来るな!?」

男の全身に裂傷が走る。
捉えられていた村人達までもが悲鳴をあげた。

仲間に見捨てられた男が地面に倒れると、女の様に細い足が倒れた男を踏みつける。

「パンには小麦の精霊の恩恵が宿ってるんだ。人はともかく、無抵抗なパンを踏んだら許さないよ」

「ふんっ」と鼻を鳴らし、シトラの手が長い銀の髪を払う。

シトラー!
男なのが惜しいくらい、美しいぜ!!

突然現れ、むちゃくちゃなことを言っている美しいエルフに、誰もが目を奪われ、言葉を失くしていた。





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