川の幅は大体二、三メートル、俺様だったらなんとか越えられるが、人を抱えて跳ぶのはきつい。
弓を持っている奴もいるから、泳いでなんて危険過ぎるし、濡れるのは嫌だ。

「おい、あんたここ越えられるか?」
「無理じゃ」
「っ〜、いい返事だなァ!」

俺様はクルスを抱えあげる。

「なっ!」
「飛べぇぇえ!!」

川に向け、俺様は全力でシャンルちゃんの体を放り投げた。
クルスは悲鳴を上げ、川に落下する。

「あ、やべっ」

俺様は片目をつぶって呟く。
思った以上に距離が伸びなかったな……流されちまったか?

が、落下地点から少し流れたところから手が生えてきて、クルスがぜぇぜぇいいながら浮かび上がる。

「貴様ァ!?」

クルスは対岸の陸に上がると、水を滴らせながら俺様を睨みつけてきた。
その形相に、その場の全員が後ずさる。

「いいから行け!シトラが森の中にいるはずだ」
「くっ、覚えておれ!」

クルスは捨て台詞を残し、森の中に消える。
どうせ恨むなら、元凶を作った連中を恨んでくれ。

「逃げたぞ、追え!」

怯えていた奴らが慌てて叫んだ。
その時、馬に跨り一人の男が現れる。

「何事だ?」
「ターキッシュ将軍!」

男達は頭を下げて道を開ける。
俺は耳を疑い、思わず馬上の男を見上げていた。

ターキッシュ将軍だと?
そいつは、隣国の将軍の名前だぞ?

そいつの顔を見て、俺様の顔色が変わる。
まちがいねぇ、こいつは隣国の将軍ターキッシュ=アンゴラだ。

「ん、お前はこの村の者ではないな?どこかで見た気がするが……」
「……俺様もあんたのこと見たことあるぜ?」

俺様は皮肉めいた笑みを浮かべて、剣の柄にはめ込まれた装飾を突き出す。
中央に輝くサイベリアン王国の紋章を目にした途端、ターキッシュの表情が強張り、辺りがざわついた。

「俺様はサイベリアン王国第二王子ヴィン=デボンレックス。外交会議で何度か顔は合わせてたはずだよな?」
「あぁ、あのヴィン王子か。可哀相に、出来のよい兄弟をもつおかげで己の出来の悪さが目立っていたな」

ムカッ!?
話したことは無かったが、前々からなんか気に入らなかったんだよな、この野郎ッ。

「で、貴様は何故ここにいるのだ?」
「そりゃ、こっちのセリフだ!!戦争でも始める気か?」

それ以外考えられねーけどな……。

「その通りだ。我が国は貴様等の王がくたばり、王権争いが起き、国政の乱れるこの隙を待っていたのだ」
「なるほどな……俺様をどーするつもりだ?」

予想よりも早かったが、いずれこうなると思ったぜ。
俺様が驚かなかったのが意外だったらしく、ターキッシュ=アンゴラは少し驚いた顔をして続けた。

「国民の前で処刑してやる、兄弟もろともな」

だから……
だからあの平和主義なアイツ等に、国なんて任せられねぇってんだ――…

さて、どうしたものか。

シャンルちゃんの安全は確保したものの、この様子だと村人が人質にされちまう。
敵の数も分からないまま、この状況で戦うのは得策じゃないな。
せめて、敵の数と人質を把握しねぇと……。

なにより、ここで戦っちゃあ、俺様の武勇伝を語り継ぐ奴がいなくなっちまうぜ。

俺様は剣を投げ捨てる。
ため息と共に瞼を伏せ、俺様は両手をあげた。





僕は暖かい日差しの中、鳥の声を聞きながら考え事をしていた。

ヴィンにああ言ったものの……
冷静に考えると、魔王の交代で世界の均衡崩壊が防げるとは思えなくなってきた。

そこに、怒りを含んだかのような荒い足音が耳に届く。

「やっと見つけたぞ、さっさと降りてこんか!」

このしゃべり方はあの女だな。
面倒だから寝たふりをしよう……僕はそう心に誓う。

すると、木の枝が揺れた気がした。
僕は嫌な予感がして恐る恐る瞼を開ける。

予感は的中した。
木にしがみ付いたクルスが手をわきわきとさせながら不気味に目を輝かせ、触れそうな距離にまで迫っている。

「起きたな?さあ動け、さもないと触るぞ?」
「う、うわっ!!」

僕は間抜けにも木から落ち、強かに尻餅を打つ。
な、なんたる不覚!これじゃ、まるでヴィンじゃないか!

「なにすんのさ!」
「おう、そうじゃった、おぬしは女嫌いであったな。これは悪いことをした」
「さっき思いっきり触るとか脅してきたのは誰だよ!?」

僕は尻餅をついたまま、木の上のクルスを怒鳴りつけた。
クルスは涼しい顔で木から飛び降りると、僕に詰め寄ってくる。

「それよりじゃ!」
「近寄るな!」

僕は杖でクルスの顔を押し返し、十分距離をとってから睨み据えた。

「で、何か用?」
「おぬし等は中身がわらわだと思って……」

クルスは額に怒りマークを浮かべたが、距離を守って話し始める。
何を焦っているんだか……僕とヴィンの喧嘩の仲裁に来た、って雰囲気じゃないね。

「おぬしの相棒が危ないんじゃ!」
「ふーん。で?」
「かー!冷たい、冷めておる!おぬしらそれでも恋人か!?」
「ちょっと待て、失敬な!誰が恋人だ!」

どーゆう誤解さ!
まさか、この女!僕を女と思ってるんじゃないだろうね?

僕は、女に間違われるのがこの世で一番に嫌いだっ!

「冗談じゃ」
「あーあーそーですか!大体種族が違うのに愛し合うなんて君らぐらいじゃないの?」

僕は嫌味のつもりで言ったんだけど、クルスは一瞬きょとんとした面持ちを浮かべ、すぐにそれは苦笑へと姿を変えた。

「やはりおぬしは気付いておったのだな」
「……まぁ、魔力制御の出来ない魔族なんて聞いたことないからね」

そうこられると、なんだか僕が悪い事をしたかのような罪悪感を覚えてしまう。
なのに、クルスは後悔など微塵もないと言うように、懐かしむように目を細めた。

「おぬし等は、何故共におるのじゃ?」
「僕は人間の王に用があっただけ。世界のバランスが崩れるっていう不吉な予言があったせいで、僕は外の様子を見にこさせられてるのさ」
「ほう?エルフは王自らが動くのか?」
「いや、歳寄りがごちゃごちゃ揉めだしてね。面倒だから僕が行くって言っちゃったんだよね……つい」

うっかりにも程があるよ。
まあ、エルフの森に篭っているより断然、気分がいいけどね。

「原因は、君達だね?」
「……わらわ達?」
「そう、魔王が魔族を統括出来ないせいで世界の安定が歪んでいる」

世界が負の感情に満ちれば、世界の均衡はますます崩れてしまう。
人間も負の波動を受けている影響で、負に傾いていた。

「この状況で人間が戦争なんて始めたら、精霊達の多くが死に耐えてしまうかもしれない。全て君達のせいだ。先代も君との間に子供を儲けたことで反発を生んだ。そして半分人間の血が流れたシャンルじゃ、魔族を統括できない。大体こんなところだろう、違うかい?」

負の影響を真っ先に受けるのは、この世で最も繊細な生き物である精霊だ。
エルフは精霊をこの世に繋ぎとめようとして、巫女を人柱に捧げる儀式を始めるだろう。

それだけは……
またあんな想いをするのは嫌なんだ。

人間の王に忠告に向かう途中、僕はヴィンと出会った。
彼はいずれ王になる、そう思ってくだらない魔王退治なんてものに同行したんだけど……寄り道が多過ぎるよ、ヴィン。

「……その通りじゃ」

声が、僕の好きな森の音に溶け込むように柔らかに響く。

「確かに、わらわ達が愛し合ったことで皆に迷惑をかけた」
「だね」
「じゃが、わらわは幸せだったのじゃ。あの人を愛して、シャンルもいっぱい愛したぞ。皆には申し訳ないと思うが、この全ての想いに後悔はない」

それは足りないものを埋めるくらい、と続きが聞こえてくるような気がした。

僕は、綺麗なものが好きだ。
それは物だったり、景色だったり……。

僕は、幸せそうに笑うクルスに見惚れていたというべきか。
悔しいし、認めたくはないけど……今、僕の目の前にいる"生"を全うした人間の女の顔は、内面からとても美しく輝いていた。





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