俺様は、チラリと盗み見るようにシャンルちゃんを見た。

……まぁ、可愛いからいっか。
俺様は、本能と欲望に忠実だった。

「でもよ、あんたこれからどうするつもりなんだ?」
「わらわか?わらわはどうにも出来ぬわな。なんせ、この体はシャンルのもの……わらわがどうこうしてよいものではない、であろう?」

ごもっともだ。
クルスは穏やかな眼差しで瞼を閉ざした。

「さて、わらわはそろそろシャンルと変わろうかのう」
「そうしてくれ」

俺様は辟易としながら即答する。
こんなババアは嫌だ。

「うむ、ではシャンルを頼む。それと」

クルスは俺様を見て、ふっと微笑む。
これはクルスの笑み……優しい母の笑みだ。

「感謝しておるぞ、ヴィン=デボンレックス」
「……」

俺様は不覚ながらも返す言葉が思いつかず、クルスの顔を見た。
目が合った瞬間、彼女の目蓋がしっかりと閉ざされる。

数秒の沈黙の後、瞼が完全に開ききったとき、俺様ははっきりと人格の交代を感じた。

クルスの時のような大人っぽさは一瞬で拭われ、きりりとしていた眼力が和らぎ、放つオーラがやわらかいものに変わる。
これが本来の体の持ち主、シャンルちゃんだ。

彼女は唖然として見ていた俺様に気付かず、眠そうに目蓋を擦る。
シャンルちゃんは俺様に気付くと、にっこりと無邪気に微笑んだ。

「おはようございます、ヴィン様」
「おはよう、シャンルちゃん……」
「はい!」

元気いっぱいで、どことなくおっとりとした微笑み。

俺様は少し疲れを覚えて椅子に凭れると、ティーカップに紅茶を注いだ。
その様子をシャンルちゃんが横から覗き込み、俺様を見る。

魔王にとって敵のはずの俺に対して、あまりにも無警戒なシャンルちゃん。
まさか、今まで散々殺してきた魔物の親玉の面倒を見るなんて……夢にも思わなかったぜ。

俺様は疑問を投げ掛けた。

「シャンルちゃんは、人間怖くないの?」

俺様はぼそりと呟き、俺様を見ているシャンルちゃんの顔を見やる。

「う〜ん……怖くはないです、人間は弱いですから。ただ……」
「?」
「嫌いです。人間は、魔物を無差別に殺すんです」
「……」

いきなり嫌いだとカミングアウトされ、言葉に詰ってしまう。

その嫌いの中に俺様も入ってるのか?
たまたま一番に魔王城を訪ねた俺達についてくることになって、本当はシャンルちゃん……嫌だったんだろうか?

俺様は、魔族でもシャンルちゃんは嫌いじゃないんだぜ?

そう伝えようかと迷っていると、シャンルちゃんは窓の外へと無邪気な笑みを向けていた。

「ヴィン様?外を見てきていいですか?シャンル、今までお城から出たことがなかったんです」
「一度も?」
「はい」
「そっか、じゃあ案内しよう」

俺様がゆっくりと立ち上がる。
すると、シャンルちゃんが嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

「ほんとですか?お願いします!」

シャンルちゃんは俺様の袖を掴んで楽しそうに走り出した。

シャンルちゃんに引っ張られて躓きそうになりながら、宿の廊下をバタバタと走る。
すれ違った客が「元気な兄妹」と微笑ましく笑っている声が聞こえてきた。

なんか、ペースがくずれている気がする。
この少女が魔王だと、誰が信じるだろう……俺様だっていまいち実感が湧かない。

宿を出ると、シャンルちゃんは広大な空を見上げて立ち止まった。

村はずれにある宿の正面には小川が流れ、澄んだ透明の水がさわさわと静かに流れていく。
その奥には明るい森の木々が枝を広げ、新緑を惜しみなく日光を浴びている。

「わぁ、きれいですね。キラキラしてます!」

シャンルちゃんは川を指差し、宝石のようなアメジストの瞳を一層輝かせた。

太陽の光を反射する小川、みずみずしく輝く新緑、青い空から降り注ぐ太陽の光
シャンルちゃんは、そのひとつひとつに感動しているらしい。

金の運河のようにたわわな長い髪に触れたくなったのか、風が掬い上げる。
川が光を浴びて輝きを反射するように、シャンルちゃんの髪は綺麗に舞い、桃色に染まる頬を明るく照らす光

君の方が輝いているよと、くどき文句をこぼしそうになる俺様……。

「ここは明るいですね。あれが太陽なんですね、ヴィン様!」
「そうだよ、見たことない?」
「はい。魔族の森はいつも曇っていて、滅多に太陽が顔を出さないんです」

はしゃぐシャンルちゃんを見ているうちに、俺様はなんかおかしくなってくすくすと笑みをこぼした。

「シャンルちゃんはかわいいな」
「え、ほんとですか?」

俺様は笑いながらこくりと頷く。
シャンルちゃんは嬉しそうに、はにかんだ笑みを浮かべた。

「うれしいですぅ」

首もとの鈴が、シャンルちゃんの動きにあわせて愛らしい音を立てる。
思わず抱きしめたくなるのを堪え、俺様はシャンルちゃんから視線を逸らした。

その時、広場の方から慌てて駆けてきた男がシャンルちゃんにぶつかり、シャンルちゃんがよろめく。
俺様は慌ててシャンルちゃんを転ばないように受け止めると、男の腕を掴んだ。

「おい、シャンルちゃんに謝れ!」

男は悲鳴を上げて俺様を振り払おうとする。
その様子は、何かから逃げるように怯えていて、思わず眉を顰めた。

ここは魔族の住む森に近い。
もしかして、魔物でも襲ってきたか?

「はなせ、殺される!」
「理由は知らねぇが、女の子にぶつかってまで自分だけ逃げようってのが納得いかねぇ。シャンルちゃんに謝れって言ってんだよ」
「あの、ヴィン様、シャンル大丈夫です。それより何かあったんでしょうか?」

シャンルちゃんが心配そうに男を見ていると、男は俺様を振り払って逃げ出す。

「どわっ!てめぇ、なにしや――」
「ヴィン様!」

逃げていく男を追おうとした俺様の腕をシャンルちゃんが掴んだ。

広場からは悲鳴が溢れ、赤い炎と黒い煙が村を焼き尽くしていく。
剣を手にした男達が、逃げ惑う村人達を追い掛け、燃え盛る家から金品を抱えて出てくる。

「盗賊か?」

俺様は剣を握り眉を顰めた。
俺様の後ろで、シャンルちゃんが震えた手でマントを握る。

「これは……なんですか?なんで、人間が人間を殺すんですか?どうして?魔物を殺すだけでは飽き足りないんですか?」

シャンルちゃんは俺を見上げ、詰め寄った。
答えに詰まる俺様から手を離し、シャンルちゃんは数歩後ずさると頭を抱え込む。

「シャンルちゃん!?」

まずい、暴走する!

俺様は必死でシャンルちゃんを揺さぶった。

乱れた髪の間から、シャンルちゃんの怯えた瞳と目が合った瞬間、シャンルちゃんの体から光が溢れる。
俺様は意味が無いことを分かっていたが、咄嗟に手で庇う。

幸い爆発は起きず、シャンルちゃんの目付きが鋭くなった。

「また……変わっちまったのか?」
「そうじゃ、シャンルは今泣いておる。少し落ち着かせねば……」

クルスがシャンルの体をきゅっと抱きしめる。

「こっちにもいたぞ!」

俺たちに気付いた奴らが、こっちめがけて走ってきやがる。
数が多いぜ、シャンルちゃんを守りながらってのはちょっとつれーな……。

「ちっ、にげっぞ」

無駄な体力使うのはごめんだ!
俺様はクルスの手を引いて走り出すが、宿の裏から回り込んだ数人に挟まれ、俺様はたたらを踏んだ。

「ちっ!シトラの奴どこにいやがんだ!」

俺様は剣を抜いて構えつつ、舌打ちを放つ。

「あんた魔法は使えねーのか?」
「使えるわけがなかろう?」

まるで他人事のように、クルスはしれっとした面持ちで即答する。
俺様は半眼でクルスを睨んだ。

「あんた、一応魔族だろ?」
「何を言うか、わらわは人間じゃ」
「はぁ!?」

人間!?じゃあ、シャンルちゃんは人間と魔王の娘ってことか?
だから魔力の制御ができねーのか。

俺様はやっと理解した。

「それより、呑気に話してはおれんぞ?」

腕を組み、クルスは冷笑を浮かべる。
気付けば川を背に俺様たちは囲まれていた。





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