日傘の蝶が風に玩ばれていた。
庭の迷路を歩きながら、ナーガラージャとマルスは、代わる代わる話題を持ち出しては会話に花を咲かせている。

正直カーラにとってはどうでもいいような内容の話題ばかりで、最初は一応相槌を打っていたが、もはや打つ気にもなれない。
カーラがうんざりしていることに気付いているらしく、二人は焦ったように饒舌だった。

一向に昔の話をする様子もなく、カーラもそこまで興味があると思われたくない為、聞くに聞けない。

そうこうしているうちに、いつの間にか三人は昼食まで済ませてしまった。

マルツィオはどうしているだろう。
今なら部屋に戻ってもマルツィオが来ないだろうから、部屋に戻って一人になろうかと思いながらバスケットの片付けを手伝っていると、思い出したようにマルスが声を上げた。

「そうだ!カーラちゃん、林檎の木を見に行かない?」

マルスの提案に、ナーガラージャが「それはいい!」と顔を輝かせ、城壁の方を指さした。

「あっちに背の高い木が見える?」
「ええ」
「今林檎の花が咲いてるんだ。もう少ししたら実が膨らみ始めるんだ」
「成長の過程を見てるのがなんだか楽しいんだよな」
「……ええ、わかる」

無意識に頷いたカーラに、二人が同じタイミングでカーラへと振り返る。
カーラは思わず、「何」と口を尖らせた。

「あ、いや、カーラもそうなのか?」

しまった……と、心の中で漏らす。

うっかり会話のきっかけを与えてしまった。
関わり合いを最低限に、むしろ拒否したいのに、どうにもこうにも上手くいかない。

カーラはため息を漏らした。

「ねえ、カーラちゃん。俺前から気になってたんだけど、パプリカって元々はどういう形してるの?」
「……は?」

眉を顰めてマルスを見上げるカーラに、ナーガラージャが苦笑を浮かべた。

「俺達調理された野菜とか果物を食べたことはあっても、調理される前の原型ってあんまり見たことがないんだ。だからどうなって出来るのかも知らないからさ」
「……ああ、そう、なの」

ここで生まれ育った彼等は、調理された状態でしか野菜や果物を知らない。
驚いてしまった時点で、これも一種のカルチャーショックなのだろう。

案内されて辿り着いた林檎の木を見上げると、白い花が沢山咲いていた。
白い5枚の花弁に淡く薄紅が掛る、綺麗な花だ。

風に混じる林檎の香りが爽やかで、うっとりと見上げていると、マルスとナーガラージャの会話が耳に入る。

「味の方はイマイチだよな」
「うん、それが残念」
「……何か、手入れはしてるんですか?」

カーラの問いに、二人は目を瞬かせて顔を見合わせた。

「手入れって?」
「どんな?」

少し呆れた面持ちになり、カーラは小さくため息を漏らす。

「あたしも林檎のことはよく知らないけど、花摘みとか摘果は栽培の基本ですよ」
「何、それ?」

二人の頭上に疑問符が浮かんでいる。
それが少し、カーラには愉快に思えた。

「今咲いている花全部に実がなったら栄養が行き渡らないから、不必要な花や実を摘んでしまうの」
「え!?なんだか可哀想だな」
「そ、そうかしら……」

マルスの思いがけない言葉に、カーラは思わずマルスの顔を見た。
「ああ、ごめん」と、マルスは笑う。

「俺、もしかして変なこと言っちゃった?」
「別に……」

そんなことを確認するように聞いてくることに違和感を覚えた。

「カーラちゃんよく知ってるね?」
「家ではよく育ててたから」
「え!何それ、凄い!林檎を?」
「そんな凄いことじゃ……もっと小さいものよ」
「どんなのを?」

会話のきっかけを掴んだマルスとナーガラージャが食いついてくる。

そもそも話を聞きに来たのに、何故かこちらが質問攻めだ。
なんだか意図的に話を逸らされている気がする。

カーラは面倒臭い表情を隠しもせずに補足した。

「主にハーブとか。最近は野菜とか果物にも手を出してたけど」
「園芸が趣味なの?」
「……ま、あ、そうなるのかしら?」

言われてみれば、あれは趣味だったのかもしれないと思った。

種や苗から育て、芽が出て茎を伸ばし、葉が開き花を咲かせる。
そして花を散らし、実を実らせると嬉しく、愛しくもあった。

すると、ナーガラージャのブレスレットが規則的な音を立てる。
ナーガラージャは小さく「ああ」と声を漏らしてマルスを見た。

「俺、そろそろ出る時間だ」

そういえば……と、カーラも思い出す。
ナーガラージャに午後から任務だと伝えたのは自分だ。

いずれ自分もその役目を負わされるだろうと思うと、興味――というよりも、心構えという意味で感心がある。

「任務って、神森と戦うの?」
「いやいや、夜には帰ってこられる簡単な巡回」
「神森と出くわすことなんてそうないなー」

マルスの言葉に、カーラは驚いた。

アース・ピースの役目はいろいろあるが、普通に生活をしていた頃は意図的に目を逸らしていたので、実際には詳しく知らない。
ただ"神森"という使徒による宗教組織が度々テロを行い、ニュースで取り上げられることは多い。

「そうなの?じゃあ、任務って普段はどんなのなんですか?」
「主に巡回とか、要人の護衛だな」
「巡回ってのは、立ち入り禁止エリアにテロリストが集まってないかとか、人口が密集する場所に行って使徒の気配がないかを探るんだ」
「そうやって、あたしは発見されちゃったわけね……」

無意識に呟くと、二人が苦笑いを浮かべる。
三人に気まずい沈黙が流れた。

カーラとて、彼等が悪いとは思っていないし責める気もない。
いつかは見つかるかもしれないと思っていたし、自分の使徒としての力が微弱なことを理解している為、このまま気付かれずに終わるかもしれないとも思っていた。
全ては運だ。

「時間、いいんですか?」

カーラはナーガラージャの顔を見て、自分のブレスレットを指で叩く。
はっとした面持ちで「そろそろ行ってくる」と呟き、ナーガラージャは港へと足早に向かっていった。

「いってらっしゃい」や「気を付けて」くらい、言ってあげればよかっただろうか……と、カーラは思う。

(でもそれって慣れ合ってるみたいじゃない?)

だがそれとこれは別な気もする。
そんなことを一々気にして結局何も言わない、そして後で悶々と考える自分が面倒臭い。

そんなことを考え込んでいてふと気付いたが、二人きりになると、マルスは予想以上に静かだった。
会話という会話もないし、必死に話題を探している様は伺えるが、カーラの反応が薄い為、話題が長続きしない。

(普通の女の子なら、もっと会話を弾ませてあげられるんでしょうけどね)

空回っているマルスを見ず、カーラは思う。

純粋に、自分の外見ではなく中身に好意を持ってくれたことを嬉しく思う。
だがそんな相手だからこそ、自分の何処までも可愛げのない性格に失望されることを恐れている。

「そろそろ、戻りましょうか」
「え?ええ!?あ、うん……」

マルスのショックを受けた顔が、しゅんと項垂れた。

まだ失望されていないのだと、少し安堵する自分が滑稽だ。

自分という人間は、自分でも呆れるほどに好意にはとことん弱い。
マルツィオの言う通り押しに弱いし、薄情だ。

迷路を抜けて石畳の敷かれた一本道まで出ると、南には城が、北には港がある。

汽笛の音がして、カーラは港へと振り返った。
恐らくはナーガラージャを乗せた船が出港したのだろう。

波の音が聞こえてくる。
それ以外はとても静かで、高い城壁のせいか船の姿も見えない。

そもそも何故、彼等と散歩に出たのかと思い出すまでもなく、理由はずっとカーラの胸の内にもやもやとした引っ掛かりを残していた。

マルツィオにはとことん呆れた。
ペラペラと余計なことを喋るし、結局は任務で自分の相手をしているというのに、それを隠そうとする。
隠される方が腹立たしい。

彼等も同じだ。

カーラは港を見詰めたまま足を止め、傘の持ち手を両手でぎゅっと握りこんだ。

「……話したくないなら、どうして口実にしたんですか?」
「え?」
「昔のこと」

マルスが息を呑む。
後ろでおろおろとする気配を感じたが、カーラは振り返らなかった。

「ちゃ、ちゃんと話すよ?」
「でも、話したくないんでしょう?あたし、それを無理やり聞いてもいい気分じゃないわ」

振り返るカーラに睨まれ、マルスが口籠った。

「ごめん……」

俯くマルスに、カーラは苛立ちを覚える。
言い訳をされても腹が立つが、言い訳すらないのはもっと腹が立つ。

自分だけが何も知らないのは嫌だ。
知って、理解して、享受しておかなければ、自分を守る為の虚勢はあっさり壊れてしまう。

じっと睨みつけるカーラに、マルスはおずおずと口を開いた。

「だ、だって、まさかあの話題がカーラちゃんの興味を惹くとは思わなくて。俺は話せると思ったんだ。でもいざ話そうと思うと凄く不安になっちゃって」

ばつが悪そうにするマルスに、カーラは全身で大きくため息を漏らした。

彼の言いたいことがさっぱり理解出来ない。
なんにせよ、自分で言いだしたことすら守れない彼に対して、失望していることは確かだ。

カーラはマルスの横をすり抜け、距離を置いて足を止めた。

「別にもういいわ。話したくないことを無理には聞きません。ただし、どうして話したくないのかだけは教えてほしいわ」

最後は少し不貞腐れた様子で、カーラの声が途切れる。

日傘のストラップが風に揺れた。
マルスを見ようとしない瞳が、まるで風を見るように寂しげに映る。

マルスは思わず顔を上げた。

「あたしに知られるとまずいことだから話したくないの?それとも、あたしが聞いたらどうにかなるような弱い女に見えるから話したくないの?」

マルスは瞳を見開いた。
一瞬、呼吸を忘れる。

(俺、傷付けたんだ!)

弾かれたようにカーラの前に回り込み、マルスは身を屈めてカーラの顔を覗き込んだ。
カーラが驚いた顔をする。

「違う、どっちも違う!」

驚いた顔のカーラが、ゆっくりと瞬きをした。

「俺、カーラちゃん達みたいな"普通の人達"と違うから!何がきっかけで普通の人に嫌われるか分からないから、少し冷静になったらあの話をするのが怖くなったんだ」
「ちょ、ちょっと……普通の人って、何?」

カーラは眉を顰めてマルスに問い返す。
マルスは俯いて顔を歪めた。





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