「簡単なものだが、君に任務を頼みたい」

その日の夕方、ファーヴニルの執務室に呼び出されたカーラは、"任務"という言葉に体を強張らせた。

その言葉を聞いた瞬間、頭の中で任務の内容について想像してしまう。

カーラはまだ訓練に一度も参加していないし、誰も参加を促さない。
いくら使徒とはいえ、一般人同然のカーラをいきなり危険な任務に放り込むとは思えなかった。

ファーヴニルは、机の上のクリップボードとクリアファイルをカーラに差し出す。

「これは皆の明日のスケジュールだ。各個人に明日のスケジュールを伝え、任務がある者にはこの指令書と、ブリーフィングルームへの集合時間を伝えてきて欲しい。決して渡す相手や集合時間を間違えないように」
「はあ……」

カーラはリストが挟まれたクリップボードと、指令書の入ったクリアファイルを受け取った。

思いの外、単純な任務だ。
というより、任務というほどのことでもない。

戸惑っているカーラに、ファーヴニルが穏やかに続ける。

「これからは、毎日君にこの仕事を頼むことになる。仲間の顔を覚えるのにもちょうどいいだろう。頼んだよ」
「はい……」

なんだか少し腑に落ちない。
そう思いながらとぼとぼと執務室を出ると、外で待っていたマルツィオが「なんだって?」と問い掛けてくる。

与えられた任務の内容を告げると、マルツィオは当然のようにカーラの"任務"に同行した。

「まずはサモヴィーラの部屋が近いね」
「へえ……」

カーラは少し上の空だった。

これは本当に"任務"なのだろうか、ただのお使いというか雑用に思えてならない。
それとも、もう少ししたら他の者達のように普通の任務が与えられるのか。

「サモヴィーラはね、絵が上手なんだぁ」
「ありがとう、マルツィオ」

穏やかな声が廊下を歩く二人の背中に掛る。
マルツィオの話を上の空で聞いていたカーラは、その声に吸い寄せられるようにごく自然に振り返った。

柔らかそうに波打つ髪はキラキラと輝く水面のように思えた。
昨日最初にタオルを貸してくれた青年が、穏やかに微笑みを浮かべている。

「昨日は、タオルを有難うございました」

カーラの言葉にサモヴィーラは、「二人とも風邪をひかなくてよかった」と目を細めた。

重そうな画集を数冊抱えるサモヴィーラは、立ち止ったカーラとマルツィオを追い越し、突き当りの部屋のドアの前でおっとりと首を傾げて見せた。

ユハも独特の雰囲気を持っていたが、サモヴィーラはまた違った雰囲気を持っている。
彼がいると、まるで彼の時間の流れに呑み込まれるようだ。

「それで、私に何か御用だったかな?」

そんなことを思っていたカーラは、少し慌てた。
思い出したように指令書を取り出してサモヴィーラに差し出す。

「元帥から、明日の指令書を預かってきたので」
「指令書?ああ、そうなんだ。有難う」
「第二ブリーフィングルームに、6時20分までに集合するようにとのことです」

すると、サモヴィーラが小さくくすりと笑った。
カーラはサモヴィーラが何故笑ったのか分からず、眉を顰めてサモヴィーラの顔を見上げる。

「ごめん、気を悪くしないで。ただちょっと、外から来た人らしいなと思って」
「え?」
「私は研究所生まれだからね。外から人が来るといつも思うんだ」

サモヴィーラは何処か楽しそうに告げた。
だが、カーラにはさっぱりだ。

「それじゃあ、0620に第二ブリーフィングルーム、了解したよ。ありがとう、カーラ」

そう告げると、サモヴィーラは部屋の中に消えていく。

カーラは訳が分からず、眉間に皺を寄せたままマルツィオの顔を見た。
マルツィオがにこりと笑う。

「時間の言い方だよ。僕も最初は6時とか言ってたけど、軍人さんは言い方が違うんだよね」
「さっきの……6時20分を0620みたいに?」
「うん。研究所生まれの人は元々そういう言い方で教えられてるから、サモヴィーラは最初凄く驚いたらしいよ」
「つまり……カルチャーショックってやつ?」
「そうそう、それ。カーラもきっと、これからいっぱいそういう体験すると思うなぁ。僕もそうだったし、今でもまだたまーにそういうことあるよ」
「……へえ」

素っ気なく告げ、カーラはリストに視線を落とした。

当然のようにここの生活を受け入れ、馴染んでいるマルツィオ。
いずれは自分も流されてそうなってしまうのだろうか……ひどく抵抗があった。

(っていうか、なって堪るものですか!)

隣の部屋のナーガラージャに滞りなく指令書を渡し、次にユハの部屋のドアをノックする。
が、返事はない。

留守だろうかと首を傾げるカーラに、部屋のドアを閉めようとしていたナーガラージャが首を横に振った。

「ユハならいるよ。どうせまた本でも読んで集中してるんだろう」
「インターフォンに気付かない程に?」
「うん」

カーラに疑問に、ナーガラージャとマルツィオが声を揃えて頷く。

「困ったわね……」
「後で俺が渡しておこうか?」

ナーガラージャが申し出る。
カーラは少し迷ったが、首を横に振った。

任務と言われた以上、この程度も一人で出来ないのかと思われたくはない。
何より、他人に甘えるつもりはない。

「大丈夫です、有難う」
「そう。じゃあ頑張って」

部屋に消えていくナーガラージャを見送り、カーラは心の中で複雑な思いを抱く。

(なんだか、打ち解けてしまった感が……非常にまずい傾向だわ)

とりあえずユハの部屋を後回しにし、順に部屋を巡る。

ユハの隣は空室だった。
そしてその隣がカーラの部屋であり、そのまた隣も空室だ。

「カーラは両隣に人がいなくて寂しくない?」
「清々するわね」

即答するカーラに、マルツィオは「カーラはしっかりしてるね」と苦笑を浮かべる。
「あんたよりはね」と返しながら、カーラは自分の部屋と空室の前を通り過ぎた。

空室の先は、北館へと通じる廊下のみだ。
レクルームと下へ続く階段の間の廊下を通り、今度は反対の通路に出る。
ここでようやく、折り返し地点だった。

「この階は後六人ね……」

まだ三階にも居住区がある為、先は長い。

「端の部屋はマルスの部屋だよ」
「ああ、あのテンションの高い人……」

カーラはマルツィオに促され、リストからマルスという名前を探し出した。
なかなか見付からず、そういえば正確にはマーウォルスという名前だったことを思いだした。

(マーウォルスって、確かローマ神話の神様よね。ってことは、研究所で生まれた人なのね。ナーガって人もそうなんだ……)

少し話した印象では、サモヴィーラやマルス、ナーガラージャ達は、外から来た者との違いを見付ける方が難しいように思えた。
サモヴィーラに関してはカルチャーショックによる発見を楽しんでいる様子だったが、驚くほどの違いでもない。

(って!何を考えてるのよ。あたしは他人に興味なんてないんだからね)

考え事を自己否定し、カーラはマルスの部屋のインターフォンを押す。
すると、覇気のない返事と足音がのんびりと近付いてくる。

ドアはあっさりと開かれ、「何?」と面倒臭そうに顔を出したマルスが、カーラの顔をみた瞬間にぎょっとした面持ちであたふたとドアを閉ざした。

「ごめん、ちょっと待って!部屋片付けるから!」
「いえ。すぐに済む用だから、お部屋の外で十分なんだけど?」
「え、そうなの?」

半場呆れながら告げると、しょんぼりとしたマルスがとぼとぼと部屋から出てくる。
マルスは部屋から出ると、カーラの後ろにマルツィオも居たことに気付き、何を期待していたのかますますため息を漏らして項垂れる。

「元帥に頼まれて明日のスケジュールを伝えに来たんですが」
「え、スケジュール?わざわざ?」
「わざわざ?」

カーラは思わず問い返す。

「いつもはどうしてるんですか?」
「緊急の時はブレスレット型の端末に呼び出しが掛るけど、普通は部屋のモニターに直接送られてくるよ」
「……壊れたのかしら?」

ぼそりと呟いて考え込むカーラに、マルスも「さあ」と首を傾げる。
だがよく思い返せば、ファーヴニルは「これからは」と言っていた。

「でも、俺としてはこっちの方が嬉しいなぁ」

鼻の下を伸ばしただらしない顔で、マルスが告げる。

「だって毎日カーラちゃんが会いに来てくれるってことでしょ。癒しだよ」
「……」
「ご、ごご、ごめん!睨まないで!!けどマルツィオ、お前さんなら分かるだろ?俺の気持ち!」

カーラに睨まれ、マルスが数歩後退った。
その後ろで、マルツィオがしみじみと頷く。

「うんうん、僕もそう思うよ!癒しは必要だよね」
「そうそう。俺達は常に命掛けてるわけだし、それくらいの楽しみは欲しいよな」
「……」

(あたしの性格じゃ、到底癒しなんかなれないけどね)

カーラは複雑な気分で押し黙った。

マルスに休暇であることを伝えると、次はマルツィオの部屋だった。
マルツィオには伝えるまでもなく――さらにその隣はデーゲンハルトの部屋だと紹介されたが、デーゲンハルトという男は実に素っ気なく不愛想な男だった。

順々に部屋を巡り、自分とマルツィオの部屋を除いた6番目に訪れた部屋で、部屋から顔を出した青年に、お互いが一瞬ぎょっとした。

「あ、この間の……」
「パンツの人……」

一瞬、二人の間に沈黙が流れる。
充分な間を置いて、青年は額を抑えたままぎこちない笑みと共に首を横に振った。

「ちょっと待った。一昨日のことまだ怒ってる?」
「いいえ?」
「じゃ、じゃあさ、その呼び方は勘弁してくれ。ナタクにまたどやされる。ほら、俺今ちゃんと服着てるし」

自分の軍服を引っ張って服の存在を主張する青年に対し、カーラは一応頷いたものの、少し困ったように彼の顔を見た。
すると青年の方も思い当たったように、自分を指さす。

「もしかして俺の名前、知らない?」
「ええ」
「あー、そうだよな。俺も自己紹介した記憶がないっつーか、それどころじゃなかったしなー」
「そのようでしたね」

淡々と返すカーラに、青年は苦笑を浮かべた。

「じゃあ改めて。俺はエドゥ・ベール。よろしくな」
「カーラ・ファンタジアです」
「で、ナタクってーのは隣の部屋の奴な」

気さくな調子で隣の部屋のドアを指すエドゥは、何かに気付いたようにカーラの後ろへと向けて軽く手を振る。
その動作に気付いたマルツィオも後ろへと振り返り、「あ、ナタク」と呟いた。

「今ナタクの話してたんだよー」
「俺、てっきり部屋にいるのかと思った」
「図書室に行っていましたが、それが何か?」

デーゲンハルトに続き、ナタクという少年もまた不愛想だ。

「いや、何ってわけじゃないけど」
「あ、待って。頼まれて指令書を持ってきたの」

カーラはリストの中からエドゥとナタクの名前を見付け出し、他の使徒とも繰り返した会話を繰り返し、エドゥとナタクに指令書を差し出す。
最後に時間を告げると、エドゥは特に憂鬱な素振りも見せずに「りょーかい」と返した。

だが、ナタクは何処か不満そうだ。
指令書に目を通しながら、エドゥが口を開く。

「けど、なんか変わったこと始めたなー。カーラも手間だろうに」
「親交を深めさせたいのでしょう。貴様が積極的にコミュニケーションを図ろうとしないからな」
「は、はあ?」

ナタクに睨まれ、カーラは思わず上擦った声を上げた。

「事実だろう。ここに来て何日経つか自分で把握しているのか?」
「ちょっとナタクー……」

マルツィオが「余計なこと言わないで」と言いたげな顔で間に割って入ると、ナタクの矛先がマルツィオに向く。

「お前もだ。部屋から連れ出す程度の任務に何日掛った」
「ちょっ……!」

青褪めたマルツィオが、肩越しに恐る恐るカーラを見やる。
カーラはひくりと顔を引き攣らせた。





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