5
「これはどうしたんだ、一体!」
「別に」
青褪めて詰め寄ってくる研究員達に、カーラは不機嫌を露わに吐き捨てて返した。
余計な騒ぎを起こした男に、「ちっ」と舌打ちも忘れない。
すると、マルツィオがおろおろとした態度で前に出る。
「ごめんなさい、僕が……」
「またお前か!」
申し訳なさそうに項垂れるマルツィオに、研究員の鋭くも呆れた声が投げられた。
親しみや情など一切感じない、研究員達の眼差しはマルツィオを価値がない物を見るように冷たい。
自分に向けられた視線ではないというのに、カーラは一瞬呼吸を忘れた。
「足を引っ張ることしかしない!彼女はお前とは違うんだ、分かっているのか!」
「だからこんな奴に任せるのは反対だったんだ」
「ファーヴニルめ、ロクな人選をしない!」
文句を言う声が重なる。
まるで言葉の裏で役立たずは死ねと言っているかのような冷たい声音だった。
そしてそれは彼等の本心であり、それを隠すつもりもないのだろう。
カーラを眩暈のようなものが襲う。
視線をマルツィオへと移すと、マルツィオは反論もしない。
ただ「ごめんなさい」と言い、へらへらと覇気のない顔で笑っている。
(なに、これ。気持ち悪い)
カーラは思わず口元を押さえて、日傘を握り込んだ。
傘の先端から、ぽとりと水滴が落ちる。
ひどく気分が悪かった。
「ちょっと、濡れただけだから大事にしないで……」
弱々しく呟いたカーラに、研究員達は一斉に振り返る。
遠巻きに見ていた先程の二人が、目を瞬かせた。
視線が自分に集中し、カーラは気まずい思いで視線を床に落とした。
「もう済んだことだし、通して。着替えたいんです」
「そうだ、君は早く体を温めて!風邪でもひいたら大変だ!」
「着替えたら精密検査をしないと」
「早く手配を!」
(やだ、もう、本っ当――)
「馬鹿じゃないの」
「は?」
唇から洩れた言葉に、研究員達が目を丸くしてカーラの顔を覗き込む。
「よく聞こえなかったけど、聞き間違い?」と言いたげな顔だ。
カーラはわなわなと体を震わせ、顔を上げて困惑する大人達を忌々しく睨み返した。
「今何月だと思ってるの?あたし別に、氷の張った水の中に落ちたわけじゃないし、三歳の子供でもないのよ!」
感情が溢れ、声に乗る。
吹き抜けの館内に、カーラの鋭い声がよく響いた。
「やられた分はもう自分でやり返したわよ!この不細工な顔見れば分かるってもんでしょ?」
カーラはぐいっとマルツィオの胸倉をつかんで引き寄せると、腫れあがったマルツィオの頬を指差す。
面喰った面持ちであんぐりと口を開いている研究員達に、カーラは「ふんっ」と鼻息荒く吐き捨てた。
マルツィオの胸倉を突き放すようにして解放すると、一番驚いた顔をしているマルツィオがいた。
「とにかく、そんなに大切にして頂かなくて結構です。部屋に戻ります」
階段に足を掛けたカーラが、動かないマルツィオに「何してるの!」と振り返る。
マルツィオが驚いたように目を瞬かせた。
カーラは更に目を吊り上げ、鋭い一斉を飛ばす。
「何ぼさっとしてるの!さっさと戻るわよ!」
「え?あ、はいっ!」
反射的に姿勢を正したマルツィオが、慌ててカーラを追ってきた。
カーラは自分が階段を昇りきると、まだ昇りきらないマルツィオへと勢いよく振り返り、睨み付けた。
マルツィオがびくりと肩を揺らし、申し訳なさそうに指を絡ませながら俯く。
「カーラ、本当にごめんね……僕……」
「あんたの取柄は能天気なところでしょ!うじうじしてるとまたぶっ叩くわよ」
「え゛!?べ、別にそこは取柄じゃないと思うけど……」
カーラに睨まれ、マルツィオがたじろいだ。
すると、くすくすと笑う穏やかな声と共に、カーラの肩に柔らかなタオルが掛けられた。
カーラが驚いて振り返ると、線の細い顔立ちの青年が目を細めて微笑んでいる。
「マルツィオを庇ってくれて有難う」
「え?」
緩やかに波打つ水面のような髪の青年は、更に階段の下へと声を掛けた。
「マルス、ナーガ。ちょっとこっちに来て、タオルが余っていたら貸してあげてくれないかな?」
「あ、ああ。余分に持ってきたから使ってないのあるよ」
先程の二人の使徒が、弾かれたように階段を駆け上ってくる。
カーラにタオルを差し出すナーガと呼ばれた青年は、髪をきっちりと七対三に分け、縁の厚い眼鏡をかけて何処か野暮ったい。
何より密かにカーラを驚かせたのは、タオルを差し出した彼の手の指と指の間にははっきりとした水掻きのヒレがある。
(この人、奇形型だわ……)
心の中で呟きながら、カーラは「有難う」と素直にタオルを受け取った。
「お前は使ったのでいいよな。ほら、貸してやるから有難く使いな」
「うわっ、ラミアやめてよ。男の汗がしみ込んだタオルなんて触りたくもないよー」
マルツィオの肩を抱き、マルスが自分の首に掛けてあったタオルでマルツィオの顔を拭く。
心底嫌そうに顔を歪めるマルツィオが、今までの中で一番正直な顔をしているように思えた。
カーラは思わず……それは呼吸をするように無意識に、くすりと笑みを漏らしていた。
はっとしたカーラは、思わず口元を押さえた。
誰にも見られていなければいいのだがと思いつつ、最初にタオルを貸してくれた青年へと振り返った。
「あなたも、タオル有難う御座います」
「私の名前はサモヴィーラだよ」
「はいはい!俺はマーウォルス。でも皆マルスって呼ぶし、俺もそう呼んでほしいな。ところで俺この間バーに誘ったんだけど、覚えててくれてるかな?」
「……えっと」
「あ、やっぱり覚えてない。いーよいーよ、今覚えてくれれば」
カーラの反応にしょんぼりとしたかと思えば、ハスキーボイスで明るく言い放つマルス。
喜怒哀楽が激しく、ころころと変わるその表情は感情に素直な印象を受ける。
恐らくはムードメーカーであり、いじられ役なのだろう。
「俺はナーガラージャ。長いから皆にナーガって呼ばれることが多いかな。マルスに迷惑かけられたら俺に言って」
「なんだよ、それー!」
案の定弄られているが、二人からは気心が知れた間柄と言い表すよりも、まるで兄弟のような雰囲気を感じた。
そんな二人とは少し違った、透明感とおっとりして落ち着いた雰囲気のサモヴィーラは、二人を軽く宥めてカーラの背を押した。
「とりあえず、シャワーを浴びて体を温めないとね、引き留めてはいけないよ」
「ああ、そうだね。じゃあ、俺はタオルでも貰ってこようか」
「着替えの手配もな。じゃあ、俺は体が温まるドリンクでも頼んで来よう」
「私は元帥に報告してくるよ。下の彼等よりも先に報告しておかないと、元帥を驚かせてしまいそうだからね」
息の合った様子で、マルスとナーガは階段を下りていく。
サモヴィーラは、まだ下に集まったままの研究員達を一瞥し、三階へと通じる階段の方へと向かう。
二人きりに戻ると、カーラは大きく息を吐いた。
「言っとくけど、あたしこれくらいで風邪なんてひかないから」
「え?うん」
「これであんただけ風邪ひいたら承知しないからね」
マルツィオが少し、困った顔をする。
「カ、カーラ?」
「何よ」
不機嫌を露わに顔を向ける。
髪からぽとりと水滴が垂れた。
「さっき……なんで庇ってくれたの?」
「はぁ?庇ってないわよ」
「だって、僕のせいで落ちたのに……」
マルツィオが俯く。
(ああ、一応落ち込んでるのね)
彼に、反省や後悔などというものは無縁なのだろうと思っていた。
カーラはあからさまなため息を漏らし、手に持つ日傘に視線を落とす。
使い始めたばかりなのに、この日傘も災難だ――少し濡れてしまっている。
「確かにあんたのせいだけど、もうやり返したわ。だから外野に口を出す権利はないのよ」
「う、え?あ、うん……」
「なあにその顔。不満?納得いかないなら反対も叩いてあげましょうか?」
「い、いい!遠慮しますっ!」
慌てて逃げ腰になるマルツィオを鼻で笑い飛ばす。
本当に情けない男だと思う。
「寒くなってきたから、あたしはもう行くからね。ああ、あんたは顔もちゃんと冷やしときなさいよ、みっともないから」
「う、うん。あ、あのね!」
「っー、何よ」
行こうとしたカーラの背に、マルツィオが再び声を掛けた。
苛立ったように振り返るカーラに、マルツィオはまた、緩んだ顔で微笑む。
「心配してくれてありがとね」
「しっ、してないわよ!あたしが変な誤解を受けたくないだけ!勘違いしないで!」
大股で部屋に飛び込み、勢い良くドアを閉めた。
途端にくしゃみがひとつ漏れる。
肌に張り付くブラウスが冷たくなっていた。
(本当、こんな目に遭わされてなんであんな奴庇ったのかしら……)
ふと、握り締めていた日傘に気付いて、手から力を抜いた。
(そうよ、これを貰ったお礼よ。これで借りはなしよ)
そして翌日、周囲に少し変化があった。
「おっはよー、カーラちゃん」
「今日も美人だね」
廊下ですれ違った仲間が、カーラに気安く声を掛けていく。
それも昨日会った者達だけではない、まだ名前も聞いていないような人達までもがだ。
(おかしい、こんなはずじゃあなかったのに……)
今日もいつも通り、隣にマルツィオがいる。
カーラはそんなマルツィオを、横目で恨めしく睨んだ。
(こいつと関わると、ロクなことがない!)
そんなカーラの気も知らず、マルツィオは相変わらずしまりのない顔でへらへらと笑っていた。
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