ご機嫌のマルツィオはよく喋る。

「えっとね、ここはレクルーム。夜はバーになって、決められた量までだけど、マネーを払えばお酒も飲めるよ」

ちょうどカーラの部屋の正面に当たるが、しっかり防音されているようで、声が聞こえてきた例がない。
マルツィオの話では、飲める時間帯も決められているらしい。

「あ、マネーって言うのはこの中に入ってる電子マネーのことね」

マルツィオは自分の腕のブレスレットを指した。
カーラが腕に付けられている物と全く同じだ。

「任務をこなすと電子マネーが振り込まれるんだ。生活に必要最低限なものは定期的に支給されるし、食事とかも保障されてるんだけど、それ以外に個人で欲しい物とかを買うにはマネーが必要になるんだよ」
「……へえ。失敗ばっかりだったら大変ね」
「うん、そうなんだよねー。だから僕、いっつも金欠でさ」
「……え?」

カーラは思わず、照れたように笑っているマルツィオの顔を見上げた。

予想は出来たが、見た目通り無能らしい。
本人は全く気にした様子もないが……。

やはりというか、カーラの教育係に任命された時に誰かが笑ったのは、そういう意味だったのだ。

「……あんた、金欠なのにあたしにコレくれたわけ?」
「僕のお金は女の子の為にあるからね!」
「なんでそこだけ男らしいのよ……」

いっそ羨望の眼差しを向けたくなるくらいに潔く、マルツィオは澄んだ瞳で即答した。

「へへっ、その日傘ね、無名のデザイナーさんの一点物なんだってよ。カーラに似合いそうだなって思って。気に入ってくれた?」

女好きを隠しもしない男が、にこにこと無垢な笑顔で問い掛けてきた。

「……ま、まあ、悪くはないんじゃない」
(あ、ああ、あたしは、どうして普通に気に入ったって言えないの……)

こういう時に自分が嫌になる。
マルツィオが嬉しそうに、「よかった」と微笑むから尚更だ。

「そうそう!マネーの話で思い出したんだけど、元帥に教えるよう言われてたんだけどね、規定訓練っていうのがあるんだぁ」

軍人という以上、それはあるだろうと思っていたが……。
マルツィオは演技ではなく、今まさに思い出したように説明してくる。

やはり教育係としては頼りない。

散々マルツィオの誘いを断っておいてなんだが、そういうことは早く言ってほしかった。
今週は今日を含めて後三日しかない。

「それとね、貰える額は凄く少ないんだけど、訓練時間に応じてマネーが貰えるよ。ちなみに一週間に十二時間の訓練は義務だから。もし規定時間に達しなかったらペナルティーとしてマネーが引かれちゃうんだ」

聞けば聞くほどに面倒に思えてくる。
すでに相槌を打つ気力もない。

なにより、マルツィオの話を聞く限り、あまりやる気が出てこなかった。
今の所カーラには欲しい物もない為、マネーを稼ぐ張り合いもない。

昨日マルツィオが転がり落ちた階段を降りながら、隣で喋るマルツィオの話を、どうにでもなれという思いで聞き流すことにした。

「じゃあ、案内に戻るね。一階の北館はブリーフィングルームとか食堂とかがあって、南館は訓練施設だよ。地下もあるけど、地下は研究施設で僕達の立ち入りは禁止になってるんだー」

階段の下には地下へのエレベーターがあり、その前には銃を持った衛兵が威圧的に立っている。
エレベーターは絶え間なく動き、白衣姿の人間達が出入りしていた。

カーラの姿に気が付くと、やはり好奇の目でジロジロと見てくる。

「南の二階と三階は主に居住区になってるけど、三階は上官の部屋が多いからあんまり行かないかな。北館の二階は広間になってて月に一回パーティーやるんだよ」
「何それ、強制参加なの?」
「一応全員参加だけど、嫌なの?楽しいよー?」
「……」

面倒臭い……と、カーラは心の中で呟く。

「北館の三階は教会になってるよ。バルコニーから庭が見下ろせて凄く綺麗なんだぁ」

それは少し興味がある。
相槌を打ちながら、後で一人で行ってみようと、カーラは心の中で呟く。

長い廊下を歩き、先日自己紹介をしたブリーフィングルームの前を通り過ぎる。
中には誰もいないようで、部屋のドアは開け放たれたまま、閑散としていた。

だがカーラの視線はすぐに、エントランスの先に覗く外の景色に向けられる。

大きな観音開きの扉は大きく開き、外からは眩しそうな太陽の光が差し込んできていた。

さわさわと風が流れ込んでくる。
その風が、バラの花と潮の香りを運んできた。

扉を潜ると、差し込む太陽の日差しが目に沁みる。
数日ぶりに浴びる太陽の光と、外の空気。

カーラは暫し、城の外に広がる光景を見詰めたまま足を止めた。

連れてこられたとき、周囲の光景を見る心の余裕はなかった。
今は、外に広がる庭園を美しいと感じられる。

港へと続く、舗装された長い一本道。
噴水には虹が掛り、城を囲むように水路が張り巡らせてある。
手入れの行き届いた木々が迷路のように庭を飾り、まるで計算し尽くされたかのように花々が色彩を織り交ぜていた。

庭には小鳥が、港にはカモメが見える。

繊細な美の中に立たされ、まるで不思議の国に迷い込んだアリスのような気分だ。
入り口の傍で銃を抱えて立つ見張りの衛兵が、トランプの兵の格好さえしていてくれればの話だが……。

「行こう?」

マルツィオの声に、日傘の存在を思い出す。

カーラは気を取り直し、ストラップを外して日傘を広げた。
風が蝶のストラップを揺らすが、差してしまうと自分で見られないことが少し残念だ。

「わあ、やっぱりカーラに似合うね!よかった!」

隣ではにこにことマルツィオが笑っているから、少し気恥ずかしい。

「とりあえず、お城の周り一周しようか」

マルツィオが手を差し出す。
カーラはその手を無視して、マルツィオの隣をすり抜けた。

少し残念そうな顔で立ち止まるマルツィオを他所に、カーラは噴水の前まで行くと、マルツィオを急かす。

外に出ると、やはり気分が違う。
ましてや綺麗な庭やお城に対する憧れがあり、自分が浮かれているのが分かる。

自分に落ち着けと言い聞かせるものの、好奇心が勝っていた。
せめてマルツィオに気付かれまいとするが、自信はない。

すると突如、マルツィオが悲鳴を上げてカーラの背中にぶつかってきた。
よろめき驚くカーラの前に素早く回り込んでくるマルツィオに、カーラは戸惑う。

「!?な、何?」
「は、はは、蜂だよー!!」
「……は?」

カーラは耳を疑った。
振り返ると、ごくごく普通の蜂が飛んでいる。

カーラは大きくため息を漏らした。

「びっくりさせないでよ、ただの蜂じゃない」

呆れて返すカーラに、「だって刺されたら痛いよ!」と情けない声を上げて返すマルツィオ。

「死にはしないわよ。っていうかあんた……あたしを盾にしたわね……」

自分よりも背が高い男が、自分の後ろに隠れて小さくなり、ぶるぶると震えている。
カーラは苛立ちを感じた。

「あんたね!信じられない、たかが蜂でしょ?しかも女の後ろに隠れるって――」
「うわぁあ!こっち来た!!」
「え?あ、ちょっ!?」

逃げようとしたマルツィオの足が石畳に躓き、倒れ込んだマルツィオの手がカーラにぶつかる。
カーラの体が傾き、咄嗟に踏み止まろうとした足は噴水の淵に阻まれ、カーラは転がった。

小さな悲鳴と共に、カーラは噴水の中に尻餅をつく。

水飛沫があがった。
背後から降り注ぐ噴水の水がシャワーのように降り注ぎ、水が服の中へと侵入してくる。
揺れる水面が、自分の顔をおぼろげに映し出していた。
髪からぽたぽたと水滴が零れ落ちる。

何が起きたのか分からず、カーラは暫し呆然と噴水の中に座り込んだ。

ゆっくりと顔を上げると、青褪めたマルツィオがと慌てふためいている。

「あわわわ、ご、ごめん、カーラ!ごめんね!」
「マ……マ、マルツィオォォオオ!?」

頭の中で、何かが音を立てて切れた。
堰を切ったように魔人のごとき形相で怒声を上げたカーラの手から逃れ、マルツィオは半泣きで次の行動に出た。

「ごめんなさい、ごめんなさい!ごめんなさーい!!俺も入るから許してー!」
「はァ?ちょっ!?」

勢いよくマルツィオが水の中に飛び込んでくる。
カーラが落ちた時よりも大きな水柱により、カーラを再び水飛沫が襲う。

「な……にッ、すんのよ!大馬鹿!?」
「あいたぁああー!?」

バチンと鈍い音を立て、平手打ちをされたマルツィオが勢い良く水の中に倒れ込む。

水の中から慌てて顔を出したマルツィオは、真っ赤に腫れた頬を抑えながらげほげほと水を吐く。
鼻水を垂らしながら「痛い」と涙目で呟くマルツィオに、カーラは「ふんっ」と不機嫌に鼻を鳴らした。

気が付けば、マルツィオの方がびしょ濡れだ。
マルツィオを叩いた自分の手がひりひりするが、少しだけ気が済んだ。

「ったく……」

噴水から出ると、ただでさえ重い服が水分を吸って非常に重い。
カーラはワンピースの裾を絞りながら、苛立ちに暮れた。

幸いブーツの中にまでは水が入らなかったが、服が体に張り付いて気持ちが悪い。
そして、エントランスに立つ衛兵達の視線が痛い。

(最悪、最悪っ、最ッ低ー!この馬鹿!)

カーラは大股で城の中へと入った。

マルツィオが、慌ててその背中を追ってくる。
ブーツの中に水が入ったのだろう、マルツィオが走るとカポカポと水の音がした。

階段のところまで来ると、訓練室の方からタオルで汗を拭いながら二人の青年が歩いてくる。
軍服からして使徒とすぐに分かるが、カーラは今、非常に機嫌が悪かった。

カーラに気付くと、一人がにこにこしながらカーラの方へと歩み寄ってくる。

「あっれー?カーラちゃんじゃん。ずぶ濡れでどうしたの?水浴びなら水着でしなく――」
「……あ゛ァ?」

声を掛けてきた男に、不機嫌を露わに睨み返す。
男は笑顔のまま、音を立てて凍り付いた。

「マ、マルス!マルスがメデューサに睨まれたかのごとく固まった!!」

もう一人の男が、硬直する仲間に駆け寄り悲鳴を上げる。
余談ではあるが、その後カーラは一部の者達の間で、密にメデューサという不名誉なあだ名を付けられることとなるのだった。

騒ぎ声に、カーラに気付いていなかった研究員達が振り返る。
そこで初めてカーラとマルツィオがずぶ濡れであることに気付き、研究員達が青褪めた。





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