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「ねえ、今のユハでしょ?まさかカーラ、ユハのファン?ユハに何か言われた?」
「は?歌はいいと思うけど、特にファンって程じゃないし、ただ自己紹介してくれただけよ」
焦った顔で見上げてくるマルツィオから、カーラは思わず目を逸らす。
心配そうなマルツィオの様子から、ユハはもしかしたらとんでもなく性格が悪いのだろうかと不安になる。
マルツィオはほっと胸を撫で下ろし、にっこりと笑った。
「よかったー、女の子は皆ユハが好きだもん。せっかく僕がデートの約束したのに、やっぱりユハと行きたいって断られたらどうしようって心配しちゃった」
「……あんたとデートの約束した覚えはないんだけど……」
半眼で呟きつつ、カーラはユハの顔を思い出す。
マルツィオが焦る通り、確かに華やかで目を奪われるタイプの男性だ。
何より声が甘く耳に残る。
「……ユハ=マッティねぇ」
「え?何?やっぱりユハがいいの?僕じゃダメ?」
ぼそりと呟くと、マルツィオが慌ててカーラの顔を覗き込む。
「顔が近い!別にそういうことじゃないわよ」
泣きだしそうな顔を近づけてくるマルツィオから身を引きながら、カーラは小さく息を吐いた。
「ただ使徒って言ったら、真っ先にイメージするのが彼だから……」
「うん、僕も外に居た頃はそうだったかな」
カーラの言いたいことが分からず、「それが?」と言いたげにマルツィオは首を傾げる。
(本当に、ここがアースピースなんだなって……改めて思い知らされただけよ)
「深い意味はないわ」と素っ気なく告げると、絶対にマルツィオは追及してくると思っていたが、予想に反してそれ以上の追及はしてこなかった。
「あ、でもね!ユハは面白いよ。いい人だし。僕は何度も誘ってやっとデートの約束を取り付けるのに、ユハは口説いてもいないのに女の子にモテモテなんだー。羨ましいよねぇー」
最後は少し拗ねたように、マルツィオは口を尖らせる。
「うん、女の子がユハ好きなの分かるよー」
「……」
「あ、ユハばっかり褒めてるけどね、他の皆ももちろんいい人だし頼りになる人ばっかりだよ。中には意地悪な人とか変わった人もいるけど、根は皆いい人だから、カーラもきっとすぐに皆と仲良くなれるよ」
「……」
これには頷かず、カーラはマルツィオから視線を逸らす。
(嫌だ、あたし……)
自分の中で、浮かれていた感情が冷めていく音が聞こえてくるようだ。
退屈さと可愛い日傘に釣られて、"戒め"を忘れていた。
要は、マルツィオはカーラを仲間と仲良くさせたいのだ。
案内の他に受けた命令なのか、マルツィオ個人のお節介なのかは知らないが、仲良くする気などないカーラからすれば余計なお世話でしかない。
今思えば、マルツィオのせいでつい廊下に出てしまった。
マルツィが大騒ぎをしたから、様子を見に来た面々と顔まで合わせて言葉を交わしてしまった。
(こいつのペースに乗せられてるなんて)
のほほんとした顔でにこにことしているマルツィオを見やり、カーラは小さくため息を漏らす。
「ところであんたは階段から落ちたんでしょ、大丈夫だったの?」
「え!心配してくれるの?優しいなぁ、ふふ、もう僕のこと心配してくれるのはカーラだけだよ」
顔に光が差し込み、キラキラと目を輝かせて感激するマルツィオ。
皆の反応を見る限り、マルツィオのドジはごくごく当たり前の光景なのだろう。
もはや日常過ぎて心配もしてもらえないマルツィオの様子に少し同情する。
「急かしたのはあたしだから、ちょっと責任を感じただけよ」
カーラは素っ気なく告げ、髪が長かった頃の癖で後ろ髪を掻き上げる。
苛立った時についやってしまう癖なのだが、そこで髪を切ったことを思い出し、また苛立ちが込み上げた。
「ってわけで、あたしはもう部屋に戻るわ」
「え?ちょっと、カーラ?デートは?」
「もう嫌。あんたは医務室にでも行っとけば?」
「じゃあね」と言い放ち、カーラは部屋のドアを閉ざす。
戸が閉まる音に少し遅れ、マルツィオの嘆きが聞こえてきた。
(何が仲良くよ……あたしは使徒を産む為にいるんでしょ)
カーラはドアに背を預け、大きくため息を漏らした。
前髪を掻き毟るように握り込む。
胸の内から一気に込み上げてくる感情に顔が歪んだ。
(あたしがどんなに嫌だって言ったって……それだけは変えられないって分かってるもの)
いつも時間を掛けて手入れをしていた長い髪を切った。
不本意ながらも軍人となる以上、侮られたくはなかったからだ。
いつもスタイルの維持に気を使っていたが、どうでもよくなった。
そう遠くない未来に、自分のお腹は大きく膨れるのだろう。
いつもカーラのことを褒められたと、母は嬉しそうに笑っていた。
好きな人と一緒に幸せになりなさいと、花嫁姿が楽しみだと、小さい頃から母は語った。
軍人として戦うことも、自分が好きでもない相手の子供を身籠ることも、ゾッとする……。
精神状態はギリギリ、発狂していない自分が不思議なくらいだ。
母の願いに反し、不本意な人生を送ることを受け入れるしかないことは分かっている。
分かっているが、分かってはいるのだが、やはり心が引き裂かれるように苦しい。
でももう、ずっと前から気付いていたのだ。
(可愛げの欠片もないあたしの全てを愛してくれる男なんていないのよ、お母さん)
ここには現状を受け入れてへらへらと笑っている、名前ばかりの"仲間"しかいない。
自分がそんな彼等を愛さないように、彼等もこんな自分を愛さないだろう。
ただ体だけの関係になることは、最初から分かりきっている。
(……上辺だけの愛なんていらない)
マルツィオの誘いに乗ってしまったのは、自分の心の弱さだ。
最大の敵は、人恋しさを訴えてくる、自分の中の"使徒"の部分。
ドアから離れ、部屋の奥へと足を踏み出す。
開けたままの窓から吹き込む優しい風が、レースのカーテンを揺らしていた。
(しっかりしなきゃ。周りは敵よ)
窓を閉ざし、カーラはガラスに映し出される弱い自分を睨み付けた。
その翌日。
またマルツィオはカーラの部屋を訪れた。
カーラがすんなりと部屋のドアを開けると、不安そうな顔をしていたマルツィオが、今度は驚いた顔になる。
マルツィオはすぐに、カーラのご機嫌を窺うように遠慮がちに顔を覗き込んできた。
「おはよう、カーラ。今日こそ僕とデートをしてほしいなーなんて思ってるんだけど」
「分かってるわよ」
「え?」
予想外の返事に、マルツィオが首を傾げる。
そんなマルツィオの隣をすり抜けたカーラは足を止め、肩が揺れる程のため息を漏らした。
「あんたはあたしの案内をするのが仕事で、その仕事を果たさなきゃ何度でも来るんでしょ?」
「え?えーっと……うーん?」
開き直ったように部屋の外に堂々と立つカーラの背中を見やり、マルツィオは頬を掻く。
カーラは機嫌が悪そうだ。
だが、カーラの手には昨日贈った日傘がしっかりと握られていた。
(気に入って、くれたんだよね?)
カーラは肩越しにマルツィオへと振り返り、目が合うと、「ふんっ」とそっぽを向いてしまう。
「それじゃあ、何処から行こうか!」
「それくらい考えてきなさいよね」と文句を言うカーラに、マルツィオは頬を緩めて笑った。
―NEXT―