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思わぬ変態に足元をすくわれ、敗北感を味わった翌日。
カーラは与えられた部屋の窓から外を見下ろし、ため息を漏らした。
(退屈だわ……)
二階の居住区には部屋が沢山ある。
一人一部屋を与えられてはいるものの、男女が別の建物に分けられているわけではない。
カーラの部屋のすぐ近くには、レクルーム兼バーがある。
昨夜には酔った感じの男達がカーラをバーに誘いに来たが、カーラは「行かない」の一言で誘いを一蹴した。
長々とため息が漏れる。
部屋の外に出れば、広い城の中をいくらでも散策出来るだろう。
充分な暇つぶしになる。
一階に大きな図書室もあったし、娯楽の施設もあると聞いている。
庭園も暇つぶしには事欠かない広さだ。
散策するだけで一日が終わりそうだ。
だが、部屋の外にはまだ出る勇気がなかった。
誰かと顔を合わせるのが憂鬱で仕方がない。
浴びせられる視線はストレスでしかない。
興味本位で掛けられる言葉に、思いやりや親しみを感じない。
(あ、でも部屋にも盗聴器とかカメラとか仕込んでありそう)
考え出せば、全てを疑ってしまう。
息苦しくて堪らない、何処にも逃げ場所がない。
まだ三日目だが、鬱憤ばかりが確実に募っている。
「カーラ、いる?」
部屋のドアをノックする音に少し遅れ、誰かが自分の名を呼んだ。
カーラはびくりと体を強張らせ、緊張を隠しながら部屋のドアを僅かに開けた。
だが、部屋のドアに備え付けられたチェーンは外さない。
青年を睨み、カーラは冷たく「何?」と問い掛けた。
「マルツィオです。お城の中、案内してこいって元帥に言われたんだー」
「……」
へらへらと笑う面長で垂れ目の青年。
カーラはじっとマルツィオを見据えた。
我ながら失礼だとは思うが、品定めをするようにじろじろとマルツィオを見るが、マルツィオの方は全く気にした様子もなく笑顔だ。
(確か、あたしに指導してやれとか言われてた人)
昨日も思ったが、改めて思う。
(馬鹿そう……)
いつ見ても、非常に不安を感じる程の頼りなさを全身から醸し出していた。
頭の中には花が咲いていそうだ。
「えーっと、とりあえずチェーン外してもらえない?」
「……」
バタンと部屋のドアを閉める。
断られたと思いショックを受けるマルツィオの声を聴きながら、カーラはドアのチェーンを外して再びドアを開けた。
再びドアを開けた瞬間のマルツィオのほっとしたような顔が、なんとも犬のような反応に思える。
「外したけど。それって命令?」
「それ?」
「案内のことよ」
「ああ、命令じゃないよ」
「じゃあ遠慮するわ」
「えー、そんなこと言わないでよー。せっかく美人とデート出来る口実なのに!」
マルツィオは閉めようとしたドアの間に手を挟み、大声で駄々をこねはじめる。
あまりにも自分に素直な叫びに、さすがのカーラも顔を引き攣らせるしかない。
「あ、あんた馬鹿じゃないの?いや、馬鹿よね」
「それほどでも〜」
「褒めてないから。とにかくあたし、外に出てじろじろ見られるのが嫌なの」
「カーラは美人だもん。皆がついつい見ちゃうのは仕方がないよ」
へらっという効果音が聞こえてきそうな呑気な顔で、マルツィオが笑う。
カーラは呆れた。
皆がじろじろ見るのは、別にカーラの顔を目当てで見ているわけではない。
大抵の男が胸で目を止める。
それが心底腹立たしいし、男に対する嫌悪感が溢れて堪らないのだ。
これからは、"使徒の女"というおまけまで付くようになってしまったが……。
「とにかく嫌なものは嫌っ!」
カーラはマルツィオの手を押しのけ、部屋のドアを閉ざし鍵をかける。
外では残念そうなマルツィオの声が聞こえてきたが、どうやら帰ったようだ。
カーラに罪悪感を与えるのは、彼の人徳かもしれない。
しかし翌日、懲りずにマルツィオは再びカーラの部屋を訪れた。
「はい、これ。僕からのプレゼント」
「何?なんであたしがあんたからプレゼントを貰うの?理由がないわ」
「えー?いろいろあるよ。とにかくいいからいいから、開けてみて」
カーラは渋々細長い箱を開けた。
中には傘が入っていた。
薄いベージュ掛った白の布地をレースで縁取ってある。
紐の根本に付けられた薄紫のコサージュが、ちょこんと存在を主張していた。
コサージュから生えるストラップは蝶が大から小へと連なる形で、歩く振動で、恐らくコサージュの花に釣られて飛んできた蝶のように見えるのだろう。
「日傘?」
「うん。じろじろ見られるのが嫌なんでしょ?だったら庭を案内させてよ」
「庭?」
「きれいな花がいっぱい咲いてるんだ。人もほとんどいないし、ね?もし人に会っても、これがあれば顔を隠せるでしょ?」
「……」
カーラはじっと日傘を見詰めた。
突き返せばいい、突き返すべきだと思っている。
だが妙に気に入ってしまったのだ。
というか、この傘で外を歩いてみたい。
「貰ってくれる?」
マルツィオはまるでカーラが気に入ったことを見透かしたように、にこりと微笑み首を傾げる。
(まずい)
頭では分かっていた。
だが意志とは裏腹に、体は文句を言いたくなる唇を引き結び、カーラをこくりと頷かせた。
(か、懐柔されてる……)
相手が天然なのか計算なのかは知らないが、カーラは二度目の敗北感に項垂れた。
が、ここで項垂れていては埒が明かない。
カーラは顔を上げ、負け惜しみのようにマルツィオに詰め寄った。
「で、どうやって外に行くの?室内で傘を差して歩いたら笑いものよ」
「え?えーっと……」
完全に考えていなかったのだろう。
マルツィオの視線が泳ぎ、困った顔になる。
「まあ、窓から出ればいいわよね」
「え!この高さはちょっと無理だよ」
居住区になっている二階は、一階部に高さがある為大体三階程度の高さだ。
確かに普通の人間からすれば高いだろう。
だがカーラにとっては降りられる高さだ。
「風を使えば平気よ。あんたは何の能力なの?」
「えっと……水、だけど。でも僕高いところ無理、ムリムリムリ!絶対無理だよ、落ちたら怪我しちゃうよ、怪我したら痛いじゃないか!」
声を張り上げて逃げ腰になるマルツィオに、カーラは呆れた。
(何、こいつ……本当に軍人なの?)
「じゃあ別にいいわ。一人で散歩してくるから」
「え!?ええ!それじゃ駄目だよ、そんなのデートじゃないよ!」
「はぁ……あなたが頼まれたのは道案内であってデートじゃないでしょ?」
カーラは全身から絞り出すようにため息を漏らし、マルツィオに指を突き付けた。
マルツィオは泣きべそ顔で突き出されたカーラの手を握りしめる。
カーラはぎょっとする、涙に塗れた顔が懇願するように見上げてきた。
「道案内だけどデートみたいなものじゃん!デートしたい、デートしてよぉー、デートぉおおお!!」
次第にマルツィオの声が大きくなってくる。
「お菓子買って!」と駄々をこねる子供そのものだ、放っておいたら床を転がりそうな気がする。
今の所様子を見に来る人はいないが、この調子では確実に人が集まってくることは明白だ。
「わ、分かったから。ちょっと静かにして!」
カーラはマルツィオの手を振りほどき、げんなりとした面持ちでマルツィオを見下ろした。
投げ遣りな了承の返事ではあったものの、マルツィオはしっかり聞き取っていたらしい。
すでにマルツィオの顔は日が差し込んだように晴れ渡っている。
「じゃ、じゃあ、あたしはそこの窓から外に出て待ってるから。あんたは階段から来てちょうだい。五分くらいで着くでしょ?遅かったら、あたし一人で散歩するから」
「う、うん!じゃあ待っててね!」
言うが早に、マルツィオはカーラの部屋のドアも閉めずに部屋を飛び出していく。
呆れつつも部屋のドアを閉めようとすると、すぐ近くにある階段から何かが落下する音とマルツィオらしき悲鳴が聞こえてくる。
すぐに、階段の下から泣き喚く声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと……大丈夫なの?」
さすがに無視できず、カーラは部屋を出て階段の手摺りから下を覗いた。
「あーあ、この声はまたマルツィオか?」
別の部屋から出てきた青年も、カーラ同様に下を見下ろすが、慣れた様子だ。
恐らく寝ていたのだろう、ガシガシと頭を掻き、大きく欠伸を漏らす。
そこまではよかったのだが、カーラは青年の姿に目を見開き息を呑んだ。
カーラに気付いた青年も、ぎょっとした面持ちで後ずさる。
「げっ、女!?はっ!」
まずカーラの存在に驚き、次に自分の格好を見下ろし、パンツ一丁の体を丸めた。
「わ、わわ、悪い!男所帯だったからついいつもの調子で!」
わたわたと言い訳を連ねながら、弾かれたように部屋へと駆け戻っていく。
カーラはその姿を半眼で見送った。
すると、背後からは笑い声とため息がほぼ同時に聞こえてくる。
カーラはもはやうんざりした気分で振り返った。
「いやー、その内誰かが絶対やると思ってたんだけど、エドゥが早速やってくれたよ」
「ユハ、笑い事ではない!」
整った甘い顔立ちを笑みに歪めるユハと呼ばれた青年は、目が覚める程に鮮やかな赤い髪をしていた。
昨日、一人で笑っていた人物だ。
そしてもう一人、声を荒げるのは自分と同じかそれよりも若いのかもしれない。
東洋人の肌の色に髪色、三白眼の小さな瞳に、背もあまり高くはなかった。
こちらは昨日、ピエタリという男を放り投げた少年だ。
「エドゥ、あなたがその調子でどうするんですか」
「だから悪かったって、反省してる!俺、さっき外から戻って寝たばっかりなんだよ。話は聞いてたけど忘れてたんだって!勘弁してくれ」
「そんなことは言い訳になりません!」
東洋系の少年は、男・エドゥが逃げ込んだ部屋に強い口調で文句を言い放つ。
部屋の中からは情けない声が返ってくるばかりだ。
少年は「だからあなたは〜」「いつもあなたには〜」等、散々文句を連ねた後、エドゥの隣の部屋へと戻っていった。
すると、一頻り笑っていたユハが思い出したようにカーラに声を掛けてきた。
「災難だね。大丈夫?えーっと、カーラ」
ユハが、軽く首を傾げる。
カーラはこくりと頷き、小さく息を吐いた。
「別に、ちょっと呆れただけです」
自分でも思った以上に冷たい声が出る。
(勢いで部屋から出ちゃったじゃない……帰ろう。もう散歩の気分でもないわ)
カーラが踵を返すと、ユハがその背に再び声を掛けた。
「ああ、とりあえず自己紹介だけさせてよ」
ユハはややのんびりとした口調で、カーラに笑いかける。
まるで計算しつくされたように綺麗な微笑みに感じた。
「俺はユハ=マッティ・ビッケンバーグ」
「あなたのことは一応……」
「あ、そう?」
遠慮がちに告げたカーラに、ユハは短く返した。
喜んでいる風でも、鼻にかけている様子もない。
むしろ素っ気ない。
この国で、ユハ=マッティ・ビッケンバーグを知らない者は恐らく少ない。
正確にはその澄んだ"歌声"を、だ。
十年程前に遡るが、天使の歌声を持つ少年は瞬く間にメディアに取り上げられ、その名と歌声を知らない者はいない程になった。
後に彼は使徒であることが判明して収容されたが、それまでユーラシアでは政府の方針もあり、国民には使徒についてあまり詳しくは知らされていなかった。
その為、国民も使徒に関心がなかったのだ。
有名人である彼が使徒として注目されたことで初めて、ユーラシアの国民も使徒に関心を持つようになった。
当初は関心といっても、どちらかといえば負の感情の方が大きかったのだが、今では彼が使徒の広告塔だ。
「それじゃあね」
本当に名前だけ名乗ると、ユハは義務は果たしたとばかりにひらりと手を振り、去っていく。
皆が呆気なく去って行ってくれたことに、カーラはほっとした。
すると、背後から忘れていた声が非難がましく掛けられる。
「皆酷いよ!僕が痛がってるのに、誰も心配もしないでカーラときゃっきゃうふふしてて!ずるい!僕も混ざりたい!」
「全然そんな雰囲気じゃなかったと思うけど……」
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