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「エドゥ!エドゥのせいで、カーラってば僕の顔見るたびに笑い堪えてるんだからね!」
「ああ、悪い悪い。けど、カーラの機嫌治ってただろ?」

半泣きで抗議するマルツィオに、エドゥはビールの入ったジョッキを傾けながら朗らかに笑う。
それでもマルツィオは納得がいかないらしい。

マルツィオの矛先がマルスへと向いた。

「マルスも、カーラ連れ出すならせめて僕に一言言ってよ。今日、僕はずっとカーラを捜してたんだからね?」
「あ、うん。ごめん」

謝りながらも、マルスは何処か上の空で頬を緩ませている。
エドゥはそんなマルスに、にやにやと笑みを向けた。

「で、デートは上手くいったのか?」
「あ、僕も聞きたい」

恋話に花を咲かせる女子高生のごとく、マルツィオが頬杖をつきながら身を乗り出す。

マルスは「へへー」と、更にだらしのない顔をして笑った。
その反応に、エドゥとマルツィオは視線を交わす。

マルスは今日の出来事を、二人に詳細に語り聞かせた。
といっても、マルスから出てくるのは、主に自分がカーラに何を話してカーラが相槌を打ってくれたなどと言う他愛のない、むしろ退屈でつまらない話だ。

途中でエドゥとマルツィオのジョッキとグラスが空になり、今日の飲酒の制限量に達しても、マルスの話は終わらない。

自分で話を振ったのだが、進展したなどという内容でもなく、世間話をしていたことを延々と語られ、エドゥは途中で飽きていた。
マルツィオは欠伸をして、眠気まなこを擦りながらも一応話を聞いている。

最終的に、エドゥは嬉しそうに包み隠さず全てを話すマルスの話を中断させることにした。

「で、マルスはカーラに本気なのか?」
「え?」

マルスが目を瞬かせる。
そして、「それはどうだろう」と、苦笑を浮かべた。

「カーラちゃんのことは気になるし、好きだよ。でも前にカーラちゃんも言ってたけど、俺も本気で人を好きになったことがないから、そういう感情なのかはまだよく分からないや」
「え、カーラが言ったのか?」

顔合わせの日に任務でいなかったエドゥが、意外そうに問い返す。
これにはマルツィオが頷いた。

「カーラと一緒にいて僕が勝手に感じたことなんだけど……カーラって綺麗とか美人だとか、そういう褒め言葉には凄く淡白な反応なんだよね」
「ふーん?」
「まあ、言われ慣れてるだろうからな」

エドゥはカーラの顔を思い出しながら頷いた。

「きっとカーラの外見目当てで寄ってくる人は沢山いたんだろうなぁ。でもその中に、カーラが見て欲しいところを真剣に見てくれる人は現れなかったのかも」

穏やかな面持ちで、空のグラスの淵を指で撫でるマルツィオ。
気のない返事で相槌を打つエドゥを余所に、マルスは顔を曇らせた。

「それって、皆凄く損をしたんじゃないかな……」
「ん?」
「だって、カーラは自分の意思を持ってるし、それを誰に対しても躊躇わずに言えるってのはすごいよ。凄く憧れる。言葉はちょっと冷たく感じるかもしれないけど、いざって時にマルツィオのことを庇ったり、俺の為に怒ってくれたりするし。優しい人は沢山いるけど、カーラの優しさはその何十倍も嬉しかった」

そう語るマルスの横顔を、エドゥは頬杖を付いた姿勢で見ていた。

マルスは完全に頬を緩ませている。
溢れ出るように漏れる幸せそうな頬笑みは、始めてみるマルスの顔だ。

エドゥの視線になど気付きもせず、マルスは再び今日の出来事を最初から語り始めた。

「完全に酔っぱらってるねぇ」と、マルツィオが呆れ顔でエドゥに囁く。
エドゥは頬杖を付いたまま苦笑を浮かべ、「ああ、ありゃ駄目だな」と頷いた。





翌日、カーラは訓練室に呼び出された。

当然のように、マルツィオはついてくる。
そして呼び出したのは、研究所の"能力研究班"責任者ドミニク・スターリンと一般兵部隊の教官ワレリー・ロマノフだ。

ロマノフは厳つい岩のような筋肉を纏った大男だが、スターリンは貧弱な薄い体に底の厚い眼鏡を掛けたインテリ風の男だった。
見るからに対極な二人だが、圧迫感を感じるロマノフのせいで、より一層スターリンは貧弱かつ存在感が希薄に感じる。

「まずは所属と名前を名乗れ!」

ロマノフの重低音の声がカーラの鼓膜を襲う。
カーラはムッとした。

(何よ、所属って。あたし、好きでこんな所に入ったわけじゃないわよ)

威圧的で、上下関係を押し付けてくるような態度が反抗心を煽る。

「アース・ピース所属……?カーラ・ファンタジア」

カーラが細い声音で答えると、ロマノフはカッと目を見開いた。

「聞こえん!やり直しだ!!」
「……」

耳に痛い音量だ。
隣に立つスターリンも、苦い愛想笑いが浮かんでいる。

彼は「まあまあ」と、ロマノフを宥めた。
目が細く、動物に例えるならばどことなくキツネを思わせる。

「そういうことは、また後日にでもお願いしますよ」

ロマノフは渋い顔をしながらも、スターリンの言葉に頷いた。

二人の上下関係が見えた気がして、カーラは少し意外に思う。
「まあ、どうでもいいけど」と、心の中で呟いていると、ロマノフは腕を組んだ姿勢でカーラを見下ろした。

「ファンタジア、貴様の能力クラスと階級を言え!」
「……下級クラス、第七階級プリンシパリティーズ」

カーラは暑苦しい顔のロマノフから顔を背け、やる気のない声と態度を全面に押し出して答えを返す。

ユーラシアのアース・ピースには23人の使徒がいる。
約半数の使徒は、国内各地の支部に配属されており、現在全員がここにはいるわけではないが、一定の周期で人員の配置が変更されている。

ユーラシアが保有する使徒の数は他国に比べ最も多いが、上級クラスが二名のみ。
他国とて上級クラスの使徒はそうそう多くはないが、ユーラシアはこの結果をよしとしていない。

「ではこれより、貴様に階級が上の者の戦闘を見せてやる。こっちだ、付いてこい」

連れてこられた隣の訓練室では、エドゥとナーガラージャ、そしてゲーゲンハルトとマルスが居た。

エドゥとナーガラージャはストレッチをしている真っ最中だったが、エドゥはカーラ達が入ってくると軽く手を上げる。
ゲーゲンハルトはちらりと視線を向けてくるが、それだけだ。

(この人、何考えてるか分からないのよね……)

彼の言葉は短く、必要なことしか喋らない。
誰に対してもそんな態度のようなので、元々無口なのだろうとは思うが、表情も乏しい為、ゲーゲンハルトという人物の感情が全く読めない。

「何故マーウォルスまでいるんだ」

ロマノフが近付いてくるマルスを睨む。
マルスは得意気ながらも姿勢を正し、ロマノフに敬礼を向けた。

「自主訓練に来たであります!」
「ほう?だったら第三訓練室が空いているぞ」
「いえ、俺も一緒に見学したいなー……なんて」

言い辛そうに告げるマルスの横で、ストレッチを終えてエドゥと共に寄って来たナーガラージャが、カーラに小声で囁く。

「今日の訓練内容を聞いてマルスの奴、自分も模擬戦に参加してカーラにいいとこ見せるんだって張り切ってついてきたんだ」
「へー……」

カーラは横目でマルスを見やった。

当のマルスは、ロマノフ相手にたじたじになっている。
そして相変わらず無表情に佇むゲーゲンハルトが、完全に空気のような存在になっていた。

「まあいい。ファンタジア、知っているとは思うが、奴は上級クラス第一階級セラフィム。そしてナーガラージャは中級クラス第六階級ポテンティアスだ。そしてエドゥが火、ナーガラージャが水の力を使う」

諦めたロマノフは、エドゥとナーガラージャについて説明をし、二人に向き直った。

マルツィオが得意気に、「俺も水だよー」と小声で囁いてくる。
後れを取ったマルスが、「俺風ね!」とマルツィオよりも大きい声で言うと、ロマノフが青筋を立ててマルスに振り返る。

「マルツィオ、無駄口を叩くな。マーウォルス、邪魔をするならば出ていけ」
「ごめんなさーい」
「黙ってまーす」

この二人は似ているな……と、カーラは半眼になりながら心の中で呟く。

「これから、エドゥとナーガラージャには模擬戦――ではなく、力比べをしてもらう」
「ええ!?模擬戦じゃないんですか!」
「マーウォルス、黙れ」
「はい……」

ロマノフに睨まれ、マルスがしゅんと項垂れる。
心底残念がっているマルスを、カーラは呆れ半分で見た。

「なんだ、力比べか」

エドゥは少し物足りなそうに呟きながら、肩を回している。
ナーガラージャは逆に、少しほっとした様子だ。

二人は訓練室の中央に移動し、互いに充分な距離を置いて向かい合う。

「相対する能力による力比べだ、よく見ておけ。ただし、見学とはいえぼさっと突っ立っていると巻き込まれることもある。今回はゲーゲンハルトに守りを頼んだ、何かあったら奴の指示に従うように」

そう紹介されたゲーゲンハルトは、誰とも目を合わせない。
お願いしますとでも言うべきなのかもしれないが、声を掛けることも躊躇われる雰囲気だ。

それとは対極に、マルスが勢い良く手を上げる。

「俺も俺も、何かあったらカーラのこと守るよ!」

張り切るマルスと、何を考えているか分からないゲーゲンハルト。
結局二人の出番はなかったが、エドゥとナーガラージャの力比べはカーラを充分に戦慄させるものだった。

開始の合図と同時に、ナーガラージャの周囲が蠢く。
最初は目の錯覚にも思えたが、蠢くそれは次第に水の塊となってナーガラージャの周囲を浮遊し始めた。

ナーガラージャには緊張が窺えた。
エドゥが動き出すのを、全身で警戒している。

逆にエドゥは完全な自然体で、ナーガラージャの準備が整うのを待っていた。

「いーかー?」

言葉に出して返事は返さず、ナーガラージャがごくりと唾を呑みこみながら、ひとつ頷く。
大きく深呼吸をすると、ナーガラージャは覚悟を決めたように、軽く足を開いて立つ。

その背には壁があった。
そして、エドゥの背中にも壁がある。

ナーガラージャはあまり余裕を感じない顔でふっと笑う。

「嫌な役だな」

ぼそりと呟いた言葉は、誰の耳にも届かない。





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