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ユーラシア連盟、旧イギリス領のブリテン本島よりやや北、オークニー諸島のひとつに、旧ドイツ領より移転し改装が施された古城が佇んでいた。
古びた外観には風情があるが、城内に入るとさほど歴史を感じさせない。
煌々と人口の光が降り注ぎ、真新しい内壁と廊下を照らしだす。
地下へと通じるエレベーターが休む間もなく往復し、白衣や軍服姿の者達が電子機器を手に廊下を行きかう。
世界中を巻き込み、大きな戦争が続いた時代があった。
その最中、母体は過度のストレスを受け、アルビノや奇形方と呼ばれる子供が多く誕生するようになる。
それから数年後、自然などを操る力を持つ特殊な子供が稀に誕生するようになった。
世界は人智を超えた力を持つ人間を新人類とし、"使徒"と名付ける。
冷戦下にある各国政府は、使徒が次期主力戦力と睨み、使徒で構成した特殊能力部隊"アース・ピース"を新たに創設し、保護と言う名目の下に自己の管轄化に置いた。
ここはユーラシア連盟に所属するアース・ピースの基地本部、兼、研究施設である。
一階はブリーフィングルームを始め、共有の食堂や図書館などが立ち並ぶ。
エントランスを抜けた先にある階段を登り二階へと上がれば、使徒の居住区となっており、一瞬にして人影も疎らになる。
階段を登り切った先にある中央の一室は、昼にはレクルーム、夜にはバーとなっており、夜になると酒目当ての男達が集まってくるが、この場所には決して出会いなど存在しない。
なぜならば、使徒の女性出生率は圧倒的に低い。
ユーラシア連盟の使徒は各国の中でも最多で、現在二十八名が存在するが、その内女性の使徒は一名のみ。
ユーラシアの過去を振り返っても、唯一の存在だった。
「ねえねえ、カーラ。今日の新聞見た?」
「そんな暇ないわよ」
ユーラシア連盟唯一の女性使徒"カーラ・ファンタジア"は、腕に慣れた様子で赤ん坊を抱きかかえながら、青年の問い掛けに素っ気なくも慌ただしく返した。
良くいえばおっとりと、悪く言えば暢気そうな顔で微笑む目の前の青年マルツィオ・バローネは、冷たい態度など慣れた様子で話を続ける。
「アジアでもついに女の子が見つかったんだって」
「あら、そうなの?」
初めてカーラが興味を示した。
マルツィオはにこにこと笑みを浮かべたまま、新聞の一面に踊る写真を指さす。
「ほら、十六歳だって。可愛いね〜」
「あんたは、女なら誰にだってそう言うじゃない」
呆れたように片手で新聞を受け取り、写真に目を落とした。
新聞にはプラチナブロンドで緩やかな髪の、何処か幼い少女。
写真の中ではにこりともしていないが、少々気が弱そうに見える。
「あら凄い。この子スローンズなの?」
「もう一人見付かった男の子なんてケルビムだよ」
マルツィオは、まるで自分のことのように得意気だ。
立場上、他国に強い戦力が集まることは他人事ではないが、カーラからすればやはり二の次になってしまう。
なんせ三ヶ月の愛息子が朝からご機嫌斜めなのだ。
バーの前に差し掛かった時だ。
中ではやはり新聞の内容に盛り上がっている仲間の声が聞こえてきた。
「じゃあ、この子羊ちゃんが誰とくっつくか、賭けよーぜ」
「そりゃーやっぱ元帥じゃねぇ?セラフィムだし、うちと違って若いぜ」
「それじゃ捻りがないじゃん。俺は一緒に見付かったケルビムだと思うね」
「あら、パートナーを決めるのに一々捻りが必要なの?」
背後から這うように掛けられたカーラの声に、男達が「ひっ」と息を呑み、一斉に音を立てて固まった。
カーラはレクルームのドアの前で足を止めたまま、中の男達を冷やかな視線で見下ろす。
「ちょっとカーラぁ〜」
マルツィオが遠慮がちにカーラを宥めようとするが、それすらカーラは鼻で笑い飛ばした。
「あらあらどうしたの?皆顔色が悪いじゃない?お酒の飲み過ぎかしら……冷水で少し顔を洗ってらしたら?ついでに少しはそのからっぽの頭が冴えるといいわね。冴えたら自分達が今!どれだけ!このあたしを不愉快にするようなことを言ったかお分かり頂ければいいのだけれど」
カーラ・ファンタジア、御年29歳。
美人特有の取っ付き難い顔立ちと、物怖じしない性格におまけして口の悪さは周知の事実。
ユーラシア連盟、アース・ピースの仲間内では"メデューサ"や"棘だらけの女王様"と呼ばれていることは――本人も一応は知っている。
「あうー」
冷気を放つ腕の中で、赤ん坊がカーラの髪を引く。
まさに鶴の一声だ。
絶対零度と称されるカーラの眼差しが一瞬にして絆され、カーラは男達を睨んでいた視線と頬を緩めてを愛息子に「どうしたの?」と甘い声を掛けた。
男達も戦場のプロだ、一瞬の隙を逃しはしない。
ここぞとばかりに、転がるように部屋から逃げ出していく。
これ以上相手をするつもりも暇もないというのに、あのように逃げられると少々意地悪をしたくなるのは性分だ。
(まあこれでも少しは、丸くなったんだけどねー……)
一目散に逃げ出していく男達の背を見送るまでもなく、すでに視線は腕の中の赤ん坊のみへと向け、カーラは嬉しそうな息子へと微笑み返した。
今より遡ること9年前――
カーラは一室で初めて軍服に袖を通そうとしていた。
ブラウスを羽織り、ボタンをひとつひとつ閉じていく。
ボタンを一番上まで締めるか少し迷い、やはり締めて、少し憂鬱な気分になる。
襟と首の間に指を通し、窮屈さを逃がした。
ブラウスの下に潜った後ろ髪を外に出そうと、首と髪の間に手を通し、あまりの手応えのなさに一瞬戸惑う。
すぐに、長かった髪を襟足ぎりぎりまで切ってしまったのだということを思い出した。
体にぴったりとしたホットパンツに足を片方ずつ通し、ファスナーを上まで上げて二連のボタンを締めた。
ネクタイに手を伸ばし、触れる前に手を止め、止めた手でブーツを片方取る。
筒の中へと足を滑り込ませ、内側に付いているファスナーを引き上げると、仕上げに後ろで編み上げてある丸紐を程よく締め上げ、爪先で床を叩いた。
ネクタイを除けば、後は一枚。
明るい緑のワンピースはマキシ丈で、潜って着るというよりは前で重ねて合わせ、ボタンで閉じるタイプのものだった。
(毎朝面倒臭そうだわ)
左右のボタンと締めながら、カーラはため息を漏らす。
腰のベルトを締めて、最後に襟を立ててネクタイを通してから人を呼んだ。
ネクタイなど、一度もやったことがないのでやり方も知らない。
ネクタイを結び終えると、腕に階級を示す腕章を付けられる。
最後に、手首にブレスレット式の通信機が嵌められた。
これは一度嵌めると、特殊な鍵とパスワードを入力しなければ外せないと、付けた後に説明される。
カーラがアース・ピースの施設に収容されて二日目の朝。
今朝完成したばかりだという軍服は、丈夫な生地をふんだんに使用している為か少し重く、違和感を覚えてならない。
鏡に映る自分を不満気に見詰めていると、ドアがノックされた。
「準備は出来たかな?」
「はい、お待たせしました」
建前ではそう言ったものの、待たせたことを悪いとも思っていない。
カーラは足早に鏡の前を立ち去ると、ドアを開けて部屋を出た。
部屋の前で待っていたのは初老の男だ。
性別が違うのだから自分の軍服と違うことは当然だが、彼は丈の長い上着に勲章などの装飾が多い。
(敵)
カーラは、目の前の男を見て心の中で呟く。
「では行こうか、皆君を待っている」
ユーラシア連盟、アース・ピース元帥ファーヴニル・ランスロットは穏やかな笑みを浮かべて、ごくごく自然な紳士的動作でカーラに手を差し出した。
自分の父親よりもやや老けているが、これではまるでバージンロードを歩くようだ。
「結構です」と断る口調は、自分でも少々反省するくらいには冷たいものとなった。
ファーヴニルは少し悲しそうに笑い、カーラに背を向けて「こっちだ」と歩き始める。
罪悪感が残り、カーラをファーヴニルの背中から顔を背けた。
廊下には研究員や、基地内で働く者達をサポートするメイドがわざわざ仕事の手を止め、物珍しそうにこちらを窺っている。
ひそひそと交わされる声は不愉快な雑音だ。
(こいつ等も敵)
もともと悪かったカーラのご機嫌をより悪化させていた。
ユーラシア連盟に、女性使徒が加わったのは初。
"使徒の女"が珍しいことはカーラ自身よく分かっているが、珍獣を見るような視線はストレスが溜まる。
角を曲がれば、階段と吹き抜けの天井に一瞥を投げた。
天井には古めかしくも美しい天使の絵が描かれており、思わず目を奪われる。
ファーヴニルはそんなカーラには気付かず、赤いカーペットが敷かれた廊下へと曲がった。
その後に続くと、正面にはエントランスの大きな扉が見えてくる。
ドアは開け放たれたままで、太陽の光が差し込んでくるその先には大きな庭園が広がっていた。
だが、エントランスへと続く両端にいくつか部屋が見え、手前の部屋のドアから数個、頭がこちらを覗いている。
カーラ達に気付くと、頭は慌てて部屋の中へと引っ込んでいった。
(嫌だわ……)
今の彼等は恐らく"使徒"だろう。
イライラ――と、降り積もっていく苛立ち。
「すまないな、皆新しい仲間に興味があるんだ。ここが第一ブリーフィングルーム、その後ろが第二だ。任務の通達は主にどちらかで行われる。追々説明はあると思うが、覚えておきなさい」
ファーヴニルは先程頭が引っ込んだ第一ブリーフィングルームの前で足を止め、苦笑と共に告げた。
部屋に入る前に、すでにざわめきのように重なる声が聞こえてきていた。
「俺達、さっきちらっと見たぜ」
「マジ?美人ってホントか?」
「つーか胸だよ、胸。思わずそっちに目を奪われて顔見るの忘れた」
「なんだよ、ソレ!」
笑い声が聞こえてくる。
不快としか表現のしようのない笑い声だった。
隣に立つファーヴニルが非常に気まずそうに、斜め後ろに立つカーラを一瞥してくる。
(何処行っても、馬鹿ばっかり)
ひどく荒んだ感情が込み上げてきた。
ファーヴニルは中に聞こえるよう、何度か大きく咳払いをする。
同情はしないが、気を使うタイプだなぁと他人事のように思う。
中の声が止まると、気を取り直した面持ちでファーヴニルが部屋のドアを開けた。
外で待っているように言われ、先に室内に入ったファーヴニルがいくつか話をすると、逆に質問責めに遭っている。
まるで転校する学生の気分だ。
ため息でも漏らしたいところだが、カーラは完全に無表情を装う。
(弱さなんて見せるもんですか)
この場所ではカーラ以外、全て敵だ。
「カーラ、入って」
中からファーヴニルに促され、カーラは小さく息を吐いた。
ドアを潜り、足を踏み出す。
まだ足になじまないブーツで木の床を踏むと、ワンピースの裾が翻る。
短い髪が歩くたびにふわふわと綿毛のように揺れ、ファーヴニルの隣で足を止めて体の向きを変えた。
何処からともなく調子の良い口笛が返ってくる。
(不愉快)
まるで珍獣扱いだ。
彼等はカーラを対等に思っているのかも怪しい。
完全に舐められている。
人間達が使徒を異質な目で見ることと同じだ。
女であるカーラは、同じ使徒達からすら異質な目で見られている。
集中する視線を浴びても怯むものかと、視線をないものと無視する。
モカベージュの柔らかい色合いの髪を引き締めるような、カーラの媚びないぺリドットの瞳は緊張しているというよりも不機嫌そうに見えただろう。
「カーラ・ファンタジアです」
ファーヴニルに自己紹介を促され、カーラは淡々と名乗った。
隣のファーヴニルが、何かを言いたそうにちらちらとこちらに視線を向けてきたが、カーラは綺麗に無視した。
椅子に座る使徒達からは、隣の者と二三、言葉を交わす囁きが膨れてくる。
冷やかしと浮かれた目だ。
感じが悪いだの、気が強そうだのと聞こえてくるが、その点に関しては異存はない。
むしろそう思われて構わないと思っている。
カーラの方からの歩み寄りを諦めたファーヴニルが、その場の空気を取り繕うように、「では、彼女への質問は?」と問い掛けた。
暫しざわめきが膨れる。
一人が仲間達にせっつかれ、ようやく「好みのタイプは」と浮かれた質問を投げかけてきた。
ファーヴニルが注意をするが、逆にブーイングが飛んでくる始末だ。
ざっと見渡す限り、ファーヴニルは使徒達の中でも圧倒的に老けていた。
若者とのコミュニケーションに苦戦しているようにも思えた。
それにしても、ブーイングにたじろぐファーヴニルが少し哀れになってくるくらい、一部の男達はカーラに対し好奇心旺盛だ。
カーラはゆっくりとした瞬きの後、興醒めした面持ちで質問してきた男を見下ろした。
「さあ」
嫌な空気を察して、ファーヴニルが不安そうにこちらを見る。
「今まで付き合った男で本気になれた例がないもの、好みのタイプなんて私が知りたいわね」
和やかな空気が引き攣りを見せた。
カーラからの歩み寄りなど微塵も感じさせない。
むしろ、挑発的な態度に一同が絶句している。
男嫌いというわけではないが、別にそう思われても構わないと思っている。
カーラが、男にあまりいい思い出を持っていないのも事実だ。
(嫌われたわね。これくらい可愛げのない女だって教えとけば、浮かれた馬鹿も下手に声掛けてこないでしょう)
心の中で勝ち誇るカーラを他所に、使徒達の視線は一人の男に集中し始めていた。
荒い呼吸が次第に大きくなり、男は鼻と胸元を抑えて椅子から立ち上がる。
男はそのままよろめく様に一歩、カーラへと足を踏み出した。
熱に魘されたような恍惚とした眼差しが荒い呼吸と共にカーラへと向けられ、男の鼻からつー……と赤い筋が流れ落ちる。
「はあ、はあ……い、いい」
「は?」
カーラのポーカーフェイスが崩れた。
顔が引き攣り、やや蒼褪める。
「へへっ、超いい……はあはあ……君はなんて理想的なんだ。そのっ、その冷たい目でもっと俺に侮蔑の眼差しをください!」
(へ、変態だわ、変態がいる!?)
ぞっと背筋をうそ寒いものが走る抜けた。
カーラは今まで生きてきた人生の中で、最も引いた。
男はカーラに近付くと床に崩れるように伏せ、カーラの足に手を伸ばしてくる。
カーラが思わずその手を踏みつけると、男は恍惚とした顔で喘ぎ声を上げて身悶えた。
「はあはあ……ああ、いいっ!もっと、もっと踏んで!俺を罵って!」
カーラは総毛立つ。
少し泣きたくなった。
「お、おい!誰かピエタリ止めろ!!」
「やだよ、なんかキモイ!?」
御年56歳のファーヴニルも、若者の奇行に引いている。
むしろ、初めて見た理解の範疇を超えた光景に困惑している。
「俺を君の、いえ、あなた様のペット、いえっ、俺のような豚がおこがましい!ど、奴隷にしてくださ――ぐふっ!?」
バキッと響く鈍い殴打音と共に、男が呻き声を上げて白目を剥く。
男を止めたのは、三白眼に濃紺の髪、アジア系の顔立ちをした小柄な少年だった。
少年は気を失っている男を無感情に見下ろし、襟首を掴んで引き摺ると、部屋の外に放り投げてドアを勢い良く閉める。
そのままカーラに目も暮れず元の席に戻ると、不機嫌そうにドカリと椅子に座り直した。
何が起きたのか……目を見開いて見ていても理解を超えた出来事に誰もがぽかんとしている中、顔は見えないが派手な赤毛の男が声を殺して笑っている。
少年は横目でそちらを一瞥し、ファーヴニルに「続けてください」と、生真面目そうな口調で声を掛けた。
「え、ああ、えーっと……質問は、もういいかな。カーラ、今紹介したところで君がいきなり全員の名前と顔を覚えるのも大変だろうし、各個人の紹介は君達に任せる。それではマルツィオ」
「はいはーい!」
このままでは不味いと察したファーヴニルが、ごほんと咳払いをして一人の青年を呼ぶ。
後ろの席の方で、元気そうに手を上げて立ち上がる青年はひょろりとしたなんとも頼りない印象の人物だった。
「彼はマルツィオ・バローネ。カーラ、暫くは彼が君の教育係だ。困ったことや分からないことがあったら彼に聞きなさい」
「マルツィオだよ。よろしくね、カーラ」
後ろからぶんぶんと手を振ってくる。
(ば、馬鹿そう……)
カーラはたじろいだ。
すると、誰かが心底馬鹿にした風にため息を漏らす音が聞こえた。
それがカーラに向けたものではなく、マルツィオに向けられたものだということはすぐに分かった。
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