「でも……クック首相が本当に使徒が創った人だったとしたら、今までそれに気付かなかったことを恥と感じるはずですよ?その上他国を頼りますかね」
「他国もそれを待っているだろう」

フランツの問いに答えを返したのは、ジョージだった。

誰もが昨日のことはなかったかのように振舞う。
ジョージもその一人だ。

「もし一人でもコピーであることが発覚すれば、政府全員に疑いの目が向けられることになる。内部の人間同士でも疑心暗鬼に陥り、当然国民も今まで異変に気付かなかった政府に疑いの目を向ける。現政府は崩壊し、臨時政府が国の指揮を執ることになるだろう」

ユリアは目を細め、椅子の背凭れに体重を掛けながら、クイズを出すように続けた。

「すぐに使徒排除が自分達の力では不可能なことを悟るだろうね。そこに言い寄ってくる者達がいる。分かるかい?」
「他国?あっ、それと……エデンかな?」
「そう、どちらも正解だ。崩壊寸前の国に手を貸すことにより、他国は優位な立場に立ち、手を貸す条件として自国に有利な条約等を結ばせることも可能になってくる」
「後々不利な条約に反発したところで、すでに使徒を抱える国家に抗う術がないことは自分達が一番良く知っている結果となっているだろうね」

アンジェは自信がなさそうに呟いた後、思い付いたように言葉を紡ぎながら首を傾げる。
ユリアは相変わらずくすくすと笑い、何処か楽しげだった。

そんなユリアとは対極に不満顔の焔が口を尖らせる。

「じゃあ、エデンを頼るしかねえじゃねぇか」
「でもテロ組織を頼るなんて、国家として最低ですよ。国際社会から爪弾きにされることは確実です」
「そもそも、エデンにアース・ピースを敵に回して勝てるほどの戦力があるのか?」
「どうでしょう。ただ、今回の件でエデン寄りの考えが増えることは確かですし、エデンに入る人も必ず出ると思います。例の銃弾型の電磁波発生装置、一組織での量産は難しいかもしれませんが、あれを国が量産すれば僕達にとってとんでもない脅威ですよ」

ヨハネスが眼鏡の下で目を吊り上げ、焔が眉を顰めていた。
フランツが焔に返す答えにライラが口を尖らせる。

「それってつまり、今回の件はどっちにしろエデンにとってプラスでしかないってこと?」
「うーん。まあ、エデンに騙されたって怒る人はもちろん出てくるだろーが、例え事実じゃなかったってことになっても、胸の内に使徒への疑いや畏怖は残るだろうな」

ライアンズは腕を組みながら、しみじみとため息を漏らす。

するとふいに、不愉快そうにフョードルが勢い良く席を立った。

「自分達で人の心を揺さぶり、その隙に付け入るなんて卑怯です!許せません!」

玉裁がそんなフョードルに冷めた眼差しを向け、肩を竦める。

「はんっ、馬鹿馬鹿しい」

席を立つなりポケットに手を突っ込み、部屋を出て行く玉裁。
途端に、今まさにドアを開けようとしていた柚が飛び上がった。

「うわっ!び、びび、びっくりした!開けるなら開けるって言えよ」
「どけ」

玉裁は一瞬柚に文句を言い返そうとしたが、フェルナンドの存在に気付くなり、素っ気なく告げてその横をすり抜けていく。
柚はその背を視線で追うと、後ろに立つフェルナンドを肘で小突いた。

「ほら、行っちゃったぞ。追わなくていいのか?」
「よ・け・い・な・お世話・だっ!失礼する」
「痛っ、痛い、腕痛いー!」

フェルナンドは忌々しげに柚を睨むと、玉裁とは反対の廊下にズカズカと足を向ける。
昨日とは逆に、フェルナンドに引き摺られて部屋を後にする柚は、痛いと文句を言いながらも残っている面々に「おやすみ」と手を振り、姿を消した。

柚は小走りにフェルナンドの後に続くとその隣に並び、フェルナンドの顔を覗きこむようにして文句を言っている。
扉に凭れてその様子を見ていたジョージが、「まだまだだな」とため息を漏らし、開け放たれたままのドアを閉ざした。

建物の外を歩いていたガルーダは、光が漏れてくる会議室を見上げる。
微かに耳に届いた柚の声に顔を上げ、「元気だな」と呟きを漏らした。

その呟きを掻き消す風を背中に集めると、風は翼となる。
透明な風の翼はガルーダの体の一部であるかのように、空に向けて羽を広げた。

風が唸り声を上げ、羽ばたきと共に地上からガルーダの体を夜空に押し上げる。

ゆっくりと、穏やかに……。
闇に染まる森の上空を低く飛んだ。

中央施設から離れた森の奥には、物寂しく古びた木造の病棟があった。

窓ガラスを通して、ぽつぽつと廊下の小さな明かりが灯っている光景が見えてくる。
それがまた、過去に迷い込んだかのように不気味な雰囲気を醸し出していた。

窓枠には鉄格子が嵌め込まれ、まるで刑務所のようだ。
それもそのはず、この病棟は独房とは別に精神に異常をきたした者や、問題のある使徒を隔離する為の病棟施設だった。

入り口の周囲に立つ見張りの衛兵が、羽音と共に空から落下してきた人影に身構える。
夜の闇に溶け込みそうな人影に向け、衛兵達は目を凝らしつつ記憶の中から思い当たる人物の名前を引き出した。

「ガルーダか?」
「遅くにごめん。さっき戻って報告とか忙しくてさ」

ガルーダは首を鳴らしながら、肩を叩く。
褐色の肌を飾る見事な白髪が、月明かりに青白く照らし出される。

一瞬でも身構えた衛兵達が、ガルーダだと確認した途端に肩から力を抜いて構えを解いた。

「イカロスの見舞いか?どうせ見舞ったって、イカロスは寝てるんだから分からないだろ?お前さんだって疲れてるだろうに、ご苦労なこった」

毎日代わる代わる見舞いに訪れる使徒達とは、すっかり顔馴染みになってしまっている。
鍵の掛かった扉を開けると、ガルーダは無邪気に笑いながら扉を抜けた。

「はは、ありがと」
「早くしろよ、消灯は過ぎてるんだからな」

背中に声が掛かる。
振り返らずにひらひらと手を振りながら、リノリウムの廊下をガルーダは一人歩いた。

一室の前で、ドアに手を掛ける。
曇りガラスが嵌め込まれたドアの窓には、ベッドの影が見て取れた。

「やっ、イカロス」

ドアノブを回し、明るい声と共に部屋へと踏み込む。

「いやー、議事堂に缶詰で大変だった。イカロスは何があったか知ってる?もう誰かに聞いたかな?」

ベッドで静かに眠る青年。
亜麻色の髪に合う若葉色の瞳は、昨日も今日も、そして恐らく明日も、閉ざされたままだった。

イカロスが眠る枕元には、彼の誕生日から四ケ月経った今も、贈られたまま一度も開けられたことのないプレゼントの箱が寂しくぽつりと置かれたままだった。

廊下の水道からぽつりぽつりと水が垂れる音が、微かにこの部屋にまで聞こえてくる。
ベッドの傍には花や千羽鶴などが飾られており、殺風景な部屋では決してないのだが、どうしてもこの部屋をもの寂しく感じさせる。

「アスラ、弱音も吐かずに一人で頑張ってるよ。ま、元々弱音なんて口にしない奴だけどさ。やっぱ、俺はこういう時全然あいつの役に立ってやれてないな」

ベッドの淵に浅く腰掛け、ガルーダは小さな苦笑を浮かべた。
それは覇気のない、寂しい表情に移り変わっていく。

静まり返る部屋の中には、衣擦れの音すらない。
水道から落ちた水の雫が跳ねて飛び散る様を、観る者は誰もいない。

「……こういう時、あいつに必要なのはやっぱり、イカロスだよ」

滴る水の音に言葉が砕ける。
ふいに寂しげな笑みが浮かんだ。

「いつまで寝てんの?もうとっくに朝だよ」

変化のない顔を覗き込み、笑みの消え去った顔がぽつりと語った。

イカロスの枕元に置かれた小さな箱に掛けられた緑のリボンが、冷房の風に微かに震える。
永遠に解かれることのない、それはまるでパンドラの箱のようだ。

「いい加減起きろよ……」

蛇口からまた一粒……。
落ちた雫が音を立て、夜の静寂に寂しく響き渡った。










窓の外に雀の鳴く声が聞こえてくる。
その日も朝から暑かった。

それは、連繋訓練が始まって三日目のこと。

なんとか共同生活を送ってきたが、何かをしようとするたびに互いの主張がぶつかり、思うように物事が進んでくれない。
そんなことが重なり、フェルナンドは日に日に自分がストレスが募っていくような気がしていた。

「ここ数日で考えたんだが、人には人の生活というものがある」
「まあ、そうだな」

柚は、部屋で迎えた朝食の時間に突然そんなことを言い出したフェルナンドに目を向ける。

「自分のやりたいことを主張しあうばかりでは、この訓練の意味がないと考えた。そこで公平になるよう互いに譲り合うべきだと僕は思う」
「言いたいことは分かるけど、具体的に?」
「どちらかが、やりたいことをひとつ提案する。すると相手もひとつ自分のやりたいことをする権利が生まれる。もちろん公平に、お互い持つ時間は同じにすることが前提だ――というやり方はどうだろう?」
「うーん……まあ、当たり前というか、今までなんでそこに至らなかったのかが問題だな」

少しの間考え込み、柚はあまり興味が惹かれないといった面持ちながらも小さく頷き返した。

「ま、別にいいけど。けどそれだけじゃなんか面白くないから、こうしよう」
「何故そこに面白さを求める」

皿にフォークを刺しそうな勢いで、フェルナンドが疑問を口にする。
柚は首を今度は反対側に傾けながら、視線を天井に向けた。

「うーんと、一日に一回だけのチャンスで、相手を出し抜けたら相手に自分の時間を一時間譲るってのはどう?」
「……は?」
「より真剣に相手を観察することになるじゃないか。それって、それだけ相手の動向を理解することに繋がるわけで、一石二鳥だと思うな。うん、我ながらいい考えだ」
「いや……けど」
「はい、ごちそうさま。フェルナンド、もう食べないの?」
「……もういい」

一気に食欲も失せる。
何を言ったところで無駄に思え、フェルナンドは項垂れるようしながら、皿の上にフォークを置いた。

こうも苦戦しているのは自分達だけなのだろうかと、焦りもする。

自分が神経質過ぎるという自覚はあるのだが、我が道を突き進むタイプの柚との生活は心身ともに疲れた。
なんせ、インドア派の自分とアウトドア派の柚というだけでも、行動が噛み合わないのだ。

フェルナンドは「はぁ……」と、さも憂鬱気な長いため息を漏らした。

昼を過ぎても涼しくなるわけでもなく、暑さは増すばかりだ。

さらに鬱陶しく、基地施設の中に五部屋備えられた訓練室では、ガシャガシャと歪な鎖の音が響く。

「音を立てるな、呼吸を合わせろ、馬鹿者!」

ジョージの疲れと呆れを含んだ声がよく通り、室内に響いていた。

今日の課題は互いの手に手錠をかけた状態で、鎖の音を立てないように走ることだった。
柚とフェルナンドはすぐにジョージに合格を言い渡されたが、がむしゃらに走る気質の焔とライアンズでは息が合わず、すでに五十週ほど訓練室の中を走り続けている。

相手に文句を言いながら走る焔とライアンズの光景を見飽きた柚とフェルナンドは、それぞれ別方向を向いて時間を潰していた。

「駄目だ駄目だ、もう一周!」
「だー、もう無理!ちょっと休憩させてください」

ライアンズがよろよろと床に倒れ込む。

「だらしがない、最近さぼってるな?」

教官であるジョージが許可を出せば、ジョージの指導を受ける必要はなくなる。
とはいえ規定訓練は義務の為、自主的に行う必要はあるが、律儀に守る者はほとんどいない。

「そういうところばかりずる賢くなりおって」
「うん。平均的に頭も良くなればいいのにな」

ため息を漏らすジョージの隣で、しみじみとした面持ちの柚が頷きながら口を挟む。
ライアンズが柚の頭をガシリと鷲掴みにした。

「言いたいこと言いやがって。ちょーっと、今回は一発で合格したからって調子にのんなよ?」
「ふんっ、こんな初歩中の初歩で躓いて足引っ張ってる奴に言われてもな」
「宮、落ちこぼれ専用コースで威張るな……虚しくなる」

得意気に反論する柚の隣でフェルナンドがため息を漏らす。
ライアンズの顔がぴくりと引き攣り、首の筋肉を軋ませながらフェルナンドへと振り返る。

「あァ?なんか言ったか?」
「頭も悪ければ耳も悪いとみえる」
「そこのお兄さん方はまた喧嘩ですかー?」

柚が睨み合うライアンズとフェルナンドの間で、無表情に問い掛けた。
気が合っているとしか思えないタイミングでそっぽを向く二人に、柚はため息を漏らす。

(なんで私が気を使わなきゃなんないんだよ。なんて大人気ない連中だ)

柚はため息を漏らしながら、床に寝転んでいた体を起こす焔にペットボトルを渡した。

冷暖房に完備された施設内で生活を送っているとはいえ、少し動けばすぐに体は熱くなる。
中でも冷房の弱い訓練室では、冷房が効いていないかのように汗を流す者が焔とライアンズ。

先程まで休みなく走り回っていたライアンズと焔だが、焔の呼吸が治まり始めた頃、焔はぽつりと思っていたことを口にした。





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