10


「俺達、こんな時にこんなことしてていいのか?」

焔が呼吸を整えながら訊ねると、ジョージが腕を組んだ姿勢で「当然だ」と返す。

「こんな時だからこそ、集中して訓練に励め。備えあれば憂いなしということだ」
「……」

焔は口を閉ざし、手首に絡み付く冷たい金属に視線を落とした。

わずらわしいだけであり、この訓練の必要性を感じない。
向いていないのだと、何度自分の中で繰り返したことか……。

すると、柚がジョージに向けて身を乗り出す。

「教官、私とフェルナンドとの相性最悪な気がする」
「そうやって頭ごなしに決めつけるから訓練に身が入らないんだ。第一そんなことを言ったってな、うちの中でお前と一番相性がいい属性はフェルナンドなんだぞ?」
「他は?」
「そうだな……風属性は基本的に水とも火とも相性がいいな。植物も案外いけるかもしれん。やりようによっては光もいいかもな」
「フランと尉官に、玉裁とフョードルか。他の人ともその内やるの?」
「尉官はやめとけ、恐ろしい目に遭う」

ライアンズが青褪めて口を挟む。
眉を顰める柚とフェルナンドを他所に、ジョージと焔が半眼を向けた。

「私、焔となら結構上手くやれそうな気がする」
「は?」

突然名前をあげられ、焔が柚の顔を見る。

「お前な……駄目とは言わんが、水と火じゃそっちの方が相性悪いだろ。おとなしくフェルナンドで我慢しとけ」
「教官……」

こめかみをひくつかせたフェルナンドが、ジョージを嗜めるように見る。
ジョージは慌てて咳払いをして、フェルナンドから目を反らす。

「いいか、柚。フェルナンドに学ぶこともあるはずだ。余所見をせず、そういう姿勢で訓練に励むんだぞ」
「だって、フェルナンドが日に日に疲れた顔になってくんだ。まるで私がフェルナンドをいびって痩せこけさせてるみたいじゃないか。部屋の物にちょっとでも触ると怒るし、ベッドに境界線を引いてこっちに一ミリも入るなとか、しかもそれをきっちり図るし、何かとすぐに小言を言われていびられてるのはこっちだってーの」
「それがフェルナンドだ」

ぶつぶつと文句を言う柚の頭上に、ジョージのため息が降った。

柚は首を傾げる。
ジョージは見上げてくる生徒達を見下ろし、人差し指を立てた。

「小言を言われるのはお互いを理解していない証拠だ。相手の性格、行動、癖、とにかくなんでもいいから相手を知ること。そうすれば、自分がどう行動すれば相手にとって助かるか、効率がいいか、相手がどう動いてくれるか、そういったことが見えてくるもんだ。相手の存在を違和感や邪魔だと感じているうちは駄目だな」
「そっか……ふぅん」
「逆に聞くが、お前は何故フェルナンドと鎖を鳴らさずに走れた?」
「えっと……フェルナンドが走るスピードを私のペースに合わせてくれたことと、二人三脚の要領で、相手とタイミングを合わせたから」
「そう、それでいいんだ」

ジョージは笑みを浮かべ、柚の頭をくしゃりと撫でる。
柚は髪を手で直しながら、穏やかに笑うジョージを見上げ、照れたように微笑み返す。

そんな柚を横目で見やりペットボトルに視線を戻した焔は、膝の上で頬杖をつきながら小さく息を吐いた。

ライアンズがそんな焔を見やる。
その視線に気付いた焔に、ライアンズが無言で「どうした」と問い掛けた。

「いや、あいつ絶対何か言いだすと思って」
「は?」

ライアンズは首を傾けながら目を瞬かせる。

すると、訓練室のインターフォンのベルが鳴り、ジョージが「待ってろ」と告げて柚達から離れていった。

通信機越しに相手と話し込むジョージの背を無言で眺めている柚を、ライアンズは観察する。
ほどなくして柚に動きがあり、柚はフェルナンドとの鎖を引っ張りながら小声でひそひそとフェルナンドに話し掛けた。

「教官、今日は元気ないと思わない?」
「は?それがなんだって言うんだい」
「あんだけ扱いて、どこが元気ないってんだ」
「ライアンはともかく、フェルナンドは冷たい」

刺々しく柚の言葉に返すフェルナンドと、横から首を傾げるライアンズに、柚は目を吊り上げる。

すると焔が、一人でくつくつと笑い始めた。
まるでそうなることが分かっていたかのように笑う焔を、フェルナンドが訝しげに、ライアンズが納得した面持ちで見やる。

気が付けば、フェルナンドとライアンズが自分を凝視しており、はっと我に返った焔は眉を顰めて「なんだよ」とぶっきら棒に呟いた。

「いや、そういうことかって思ってさ。なんつーか……お前はよーく柚を理解してるなと、改めてあい゛――ぅぐっ!?」
「ラ、ライアン?」

突如呻いて黙り込んだライアンズに、柚が困惑した面持ちを向ける。
ライアンズは呻きながら、眉を顰める柚の肩に手を置いた。

「と、とにかくだ。教官に限らず、そりゃ皆思うところはあるだろ。お前だって、全く不安はないと言えるか?」

腹を押さえながら問うライアンズに、柚はゆるゆると首を横に振る。

自分を始め、皆が口に出そうな不安を堪え、あえて笑っていた。
それは揉め事があった次の日も、何事もなかったようにいつも通りに接する態度とそうは変わらない。

「ましてや教官は年長者なわけだし、ここに居るほとんどの奴が自分の教え子だ。外の家族も心配だろうし、俺達のことだって子供のように心配してくれてるんじゃないのか?」
「……」

フェルナンドが視線のみを動かしてライアンズに一瞥を向け、ふいっと顔ごと背ける。
何処となく面白くなさそうな顔をしているフェルナンドだが、いつも通りの光景であり、誰も気を止めない。

「将官も目を覚まさないし、年長者の自分がしっかり守らなきゃとか、プレッシャー感じちまってんじゃねえのかな」
「でも、教官は足痛めて引退したんだろ?戦力外じゃないか」
「お前は、言葉をそのまま受け取るなっての。精神的なって意味に決まってんだろ、バカ」
「止めたまえ、ブリュール。馬鹿に馬鹿は失礼だ、それに馬鹿が馬鹿に馬鹿とは笑い話だね」
「てめぇ……」

ふんっと鼻で笑い飛ばすフェルナンドに、ライアンズが殺意の篭った眼差しを向けた。
対抗しそうなフェルナンドの鎖をひっぱりながら、柚は長々とため息を漏らす。

「そういうこと言うから喧嘩になるんだろ。学習しないな」
「……」

フェルナンドがさも不満げな引き攣った顔で振り返る。
反論しようとするフェルナンドを無視して、柚は腕を組んだ。

「まあ、教官の家族のことは私達にはどうにも出来ないけど、せめて私達だけでもしっかりして教官を安心させなきゃな」
「いつも呆れられてばっかりだからなぁ……特にお前等」

ライアンズがにやにやと笑いながら、柚と焔を指差す。
ムッとした面持ちになりながらも、柚は小声ではりきった声を上げた。

「よし!教官の為にも、頑張ろう!」
「……教官の為というのは納得がいかないが、まあ、こんなくだらない訓練を一日も早く終わらせたいことは確かだ」

涼しげな面持ちでフェルナンドが同意する。

すると、戻ってきたジョージが向かい合い円になって話し込んでいる四人に一瞬驚いた面持ちになった。
その顔も、すぐに嬉しそうな笑みに変わる。

「おっ、お前等喧嘩しなかったのか。偉いな」
(そんなことで褒められる俺達って……)
(く、屈辱だ……)

ライアンズとフェルナンドが顔を引き攣らせつつも、乾いた愛想笑いを返す。
そんな先輩二人に姿に、柚と焔は顔を見合わせ、呆れたようにため息を漏らした。

それから訓練を終えてフェルナンドの部屋に戻ったのは三十分後。

部屋に戻る頃には、部屋は綺麗に掃除をされてベッドも水回りも整えられている。
部屋を開けている間に一日一回、清掃スタップが部屋を片付けて足りない日用品を補充していく。

それがごく当たり前の日常だ。

戻るなり柚は、荷物を置くフェルナンドの背中に淡々と声を掛けた。

「ねえ、ちょっといい?」
「くだらない用件でなければ聞こう」
「くだらなくないぞ。今日の予定についてなんだけど、昼間はフェルナンドの好きな時間にしていいから、私の持ち時間は全部夜に回してもらって、部屋で映画鑑賞しようってお誘い」
「くだらないな、却下だ」

取り付く島もなく返し、机に座るなり読み掛けの本を広げるフェルナンドの背中に、柚は不満げな半眼を向ける。

「なんだよ、ケチ。別にいいよ、勝手にやるから」
「観るのは勝手だが、音が僕に漏れないようにしてくれよ」
「え?何それ、皆で観る意味ないじゃないか。なんか暗い集団になっちゃうだろ」

カラカラと笑う柚に、フェルナンドは自身の耳を疑うような引き攣った面持ちで振り返った。

「皆、とは……どういう意味だい?」
「どうせなら、皆一緒の方がいいかなって思って誘ってみた」
「四六時中この状態で、いつ!誰を誘った!?」

フェルナンドが自分と柚を繋ぐ鎖を指して声を荒げる。
柚は表情を崩すことなく、「訓練後にフェルナンドが教官と話しているときに、筆談でこっそりとライアンと焔を」と返す。

フェルナンドは机にガクリと肘を付き、深く項垂れた。

「沢山ある選択肢の中から、何故よりにもよってブリュールを誘う……」
「フェルナンドが隙を見せたとき、近くにいたから」
「くっ……」

何処までも淡々と告げる柚にフェルナンドが恨めしそうな目を向けたが、それ以上は何も言わずにため息のみを漏らす。
さすがの柚も、そんなフェルナンドの態度に遠慮がちに問い掛けた。

「何、そんなに嫌?」
「……嫌だ。だが、今回は隙を見せた僕の非も認める。約束は約束だ、仕方ない、君の好きにすればいい……」
「そんな断腸の思いと言わんばかりの顔をされても……」

歯を食いしばるフェルナンドに、柚は引き気味に半眼を向ける。
最初は文句を言われも強行するつもりだったが、決意も揺らぐほどの落ち込みようだった。

「あー……うん、どうしても嫌っていうなら、中止するけど?」
「……」

フェルナンドが柚を横目で見る。

(おっ、迷ってる。迷っているということは、どうしてもってことではないのかな)

意外そうな顔を浮かべた柚は、くすくすと苦笑を漏らす。
そんな柚に、今度はフェルナンドが恨めしそうな顔を向けた。

「隙を見せた僕が悪い。朝に決めた決まりだろう。そもそもは僕から持ちかけた提案だ」
「本当にいいの?嫌なら無理にとは言わないぞー?」
「従うと言っているだろう、二言はない」

憮然とした面持ちで、フェルナンドは柚から顔を背ける。

柚は笑いながら、フェルナンドの肩に腕を乗せて凭れかかった。
フェルナンドの体が強張る。

「有難う、フェルナンドー」

大きく、フェルナンドは瞳を見開いた。
耳の傍ではつらつと告げられた心から嬉しそうな響きが耳に焼きつく。

無性に落ち着かないものが体中に込み上げ、フェルナンドは深く首を俯かせた。

「や、やめろ。ベタベタされるのは、あまり、好きじゃない」
「ん?あ、そう。じゃあ止めとこう」

上機嫌に告げて、柚はあっさりとフェルナンドから離れる。

嬉しそうに笑いながら読み掛けの雑誌を手に取りベッドに寝転がる。
フェルナンドはそんな柚を暫し見下ろし、長々とため息を漏らした。

(どうせなら、この訓練が終わってから誘いたい奴と観ればよかったんじゃないか?我慢できないほどのことでもないだろうに)

再び本に視線を落とし、次に捲るページを指先で摘む。
本の文章を読み進めるつもりが、無意味に何度も同じ列を繰り返しながら、フェルナンドは頬杖を付いた。

(それとも、そういう仲間がいない寂しい奴だと同情して、気を使っているんだろうか……)

フェルナンドは鼻歌を歌いながら雑誌をパラパラと捲る柚を横目で見やる。
考えていないようで考えている、考えているようで考えていない、柚の考えは本当に理解が追い付かない。

フェルナンドは柚から、眉間に皺を刻んだ顔をふいっと背けた。





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