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その日もまた、結局のんびりとした時間を過ごせたという実感は沸かないまま、夕飯の時間が訪れた。

柚は食事を食堂で食べたがるが、フェルナンドは常日頃部屋で食べる事が多い。
最初に食堂では食べたくないと言ってから、柚は渋々食事を部屋でとる事に関しては妥協している。

食事を終えた後の空のトレイは戻しに行かなくても取りにはくるのだが、戻しに食堂に行くと主張する柚に、フェルナンドも妥協の姿勢を見せていた。

少しずつではあるが、相手に譲り譲られることに慣れ始めている。
柚と一緒にいることに関しても、当初ほど抵抗や不便さは感じなくなっており、自分自身の順応性に驚きを感じていた。

食堂に行く途中、廊下でフランツとフョードルの二人とすれ違う。
足を止めて話し込みそうな雰囲気を察して咳払いを挟むと、柚のみならずフランツにまでじとりと睨まれ、さすがのフェルナンドも押し黙らずを得なかった。

柚は、誰かと会えば必ずと言っていいほどの確率で足を止めたり短く言葉や挨拶を交わす。
ここまでかとフェルナンドを驚かせたのは、エントランス前で見張りに立つ一般兵部隊の人間にまで声をかけ、あまつさえ彼等の名前まで大体把握していることだった。

シャワーなどの時は、さすがにジョージに頼み――ジョージも最初からそのつもりだったのか――時間制限を設けて手錠を外して貰っている。
シャワーの後は、柚の長い髪にドライヤーを掛ける作業を手伝わされる、これもすでに三日目で、多少手慣れてきている自分が複雑だ。

ドライヤーの風にふわふわと揺れるプラチナピンクの髪を見下ろし、フェルナンドはため息を漏らした。

「鬱陶しい」
「うん、絶対そのうち言い出すと思ってた」

柚は何度も頷きながら、乾きかけの髪に触れる。

「暑苦しいよ、君」
「さすがにこう暑いと切りたくもなるけど、長い方がいいって言う人も居るんだ」

フェルナンドは意外そうに、振り返り口を尖らせている柚を見た。

「例えば?」
「スタイリストのレフとか、アスラとか」
「……彼は髪型にまで口を出すのか」
「そういうわけじゃないけど……」
「ところで、さほど興味はないがまだ妊娠の予定はないのかい?」

数秒を掛け、柚がゆっくりと瞬きをする。
次の瞬間には、大声を上げて「はァ?」と問い返した。

「いや、いい。今ので大体分かった」
「わ、わ、分かったって何が!」
「彼が君に手を出していないことが」
「……まあ、うん。待ってくれてる」

柚は歯切れの悪い声で、ばつが悪そうにフェルナンドから顔を逸らす。

「結局、君は妥当な彼を選んだわけだ」
「……う、うん。そういう言い方されるとちょっと、違う気がするんだけど」

言葉を濁し、柚はため息を漏らした。
白い肌がほんのりと桃色に染まる。

ふとした瞬間、女――というよりは、女の子と言うほうが正しいだろうか。
異性だと言う事をしみじみ感じさせられる。

「アスラのことは、うん、好きだと、思う」
「思う?」
「あ、いや。えっと……好き、なんだけど、まだちょっとそういう、えーっと、子供とかそういうのは、ね?」
「決心がつかない、と」
「まあ……そんな感じです」

半分はさほど興味はなさそうに、半分は冷めた面持ちで、フェルナンドが相槌を打つ。
柚は疲れ切った面持ちで項垂れた。

「君、本当に彼が好きなのかい?ああ、違う……彼は特別なのかい?」
「そういう意地悪を言わないでほしいな」

ねめつけるようにフェルナンドを見て、柚は膝を抱え込む。
尖らせた口が不満を露わにしている。

口が達者な柚が口篭ると、少し張り合いに掛けて物足りなく感じた。
そのせいか、自然に口調は何処か責めるような物言いに変わる。

「つまり君は、感情ではなく理性で彼を選んだというわけだ」
「うっ……嫌な言い方。でも違うんだ。本当に、アスラのことをそういう好きになっているのは確かなんだ」

顔をあげた柚が、胸元に手を当てた。

長い髪の間からうなじが、そして華奢な白い首には銀の細いチェーンが微かに見える。
そのチェーンは、自分と柚をつなぐ手錠の鎖よりもずっと細く繊細で、すぐにでも切れてしまいそうなものに見えた。

「アスラは本当に優しいんだ。この人ならって思えるし、アスラを好きになりたいって思ったから」

よく見ればチェーンの先は、胸元に添えられた手の中へと繋がっている。

「だから今は、えーっと、そういう好きって気持ちを育ててるところって言えば伝わる?」
「早い話が……」

フェルナンドはため息とともに肩を揺らし、ドライヤーのコードを巻く。

「恋愛ごっこ、というわけだ」
「本っ当、フェルナンドは口が悪いな。話さなきゃよかった」

ぶすっとした面持ちで不貞腐れる柚の頬はまだ赤い。
横目でそんな柚を見やり、フェルナンドは「別に」と素っ気なくつぶやいた。

「僕はそれが悪いとは思わないが?」
「え?そうなの?」
「君はなんだか後ろめたそうだね」
「……ちょっと、な。そんなの恋じゃない!とか、言われそうな気がしてた」
「この僕に?」
「いや、誰ってわけじゃないけど」

答えを返す柚に、フェルナンドはくつくつと肩を揺らして笑う。

「そんなことをいうのは、恋に恋する君くらいさ」
「私?」

目を瞬かせる柚にドライヤーを押し付け、肩を竦める。

「大人は立場がある。時には、そういう風に気持ちを偽らなきゃならない時もあるさ」
「別に偽ってはないけど」
「それが結果的に、本物になればそれはそれでいいじゃないか」

柚はじっと、フェルナンドの顔を見ていた。

理知的な顔立ちは今、何処か穏やかな色を含み柔らかく、薄い笑みを浮かべる。
彼が笑うときに浮かべる皮肉めいた笑みではない、それは初めて見る顔だった。

「僕はそういう理解のある女の方が、面倒でなくて有難いと思うけれどね」
「つまり私が好きと」
「ふっ……馬鹿が」

心底馬鹿にした響きが、真顔で問い返した柚の胸にぐさりと突き刺さる。

「冗談なのに、ヒドイ」
「笑えない冗談ほど、苛立たしいものはない」

素っ気なく返すフェルナンドに文句を言いながら、柚は自分の持ち物を置く許可を得たスペースに手を伸ばし、ドライヤーを戻す。
そして柚は、思い出したようにくすくすと笑った。

「なんかさ、フェルナンドと恋愛の話をするとは思わなかった」
「全くだ。ただ僕は、てっきり君は……」

フェルナンドは柚の背中に顔を向けた。

「西並が好きなのかと思っていたから――」

それは考えてというよりは、ごくごく自然に、考えもなしに出た言葉だった。
気がつけば、柚がぽかんとした面持ちで自分を見ている。

目が合うと、柚が困ったようにぎこちない面持ちで笑う。

「やだ、なんで焔?」
「いや、深い意味はない」
「フェルナンドは恋愛に関しては見る目ないな」
「そんなくだらないものに現を抜かしているほど暇ではないからね。ましてやもう、僕達には不要な感情じゃないか」
「……それは、なんとも言えないけど」

肩を竦めるフェルナンドに、柚は言葉を濁らせた。

すると、部屋のインターフォンが張りきったように鳴る。
返事を返す前にライアンズの声が外から響いてくると、フェルナンドは忌々しげに頭を抱えた。

「煩い!周りの迷惑になるだろ、開けてあるからさっさと入れ」

フェルナンドの声を顰めた怒声に、遠慮なくドアが開き、手に袋を持ったライアンズと持たされている感が否めない面持ちの焔が部屋を見回しながら入ってくる。

「よっ、お菓子も持ってきたぜ。やっぱり映画鑑賞といえばポップコーンだよな」
「わーい、ライアン気が利く!」

柚が目を輝かせてライアンズと焔に可能な限り寄っていく。
部屋の主であるフェルナンドの顔はとても歓迎しているものには見えなかったが、そんなことを少しばかり気にするのは、ライアンズに続いて乗り気でない様子で部屋に入ってきた焔のみだ。

ライアンズは菓子の入った袋とディスクの入った袋を柚に手渡した。
喜んで受け取る柚に焔が何かを言いかけると、笑顔のライアンズが腹を殴り強制的に黙らせる。

映画のディスクが数十枚入っている袋を見て、フェルナンドが不愛想に告げた。





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