「ふざけないでくれ!所詮君には分からないだろうけど、外に家族がいる僕達にとっては死活問題なんだ!」

部屋の中が静まり返り、驚いたようにフェルナンドの顔を見る面々。
そんな視線を受け、フェルナンド自身が声を荒げた事を一番戸惑っているかのように、視線が泳ぎ、横へと逸らされた。

だが顔を険しくした玉裁が椅子を立ち、フェルナンドに向けて足を踏み出す。

「……へえ、どう違うのか説明してくれよ、お坊ちゃんよォ」
「やめろ、玉裁」

不穏な空気を察したライアンズが二人の間に入ろうとするが、目もくれない玉裁に突き飛ばされた。
焔がライアンズに引っ張られて椅子から腰を浮かせると同時、玉裁に突き飛ばされたライアンズにぶつかり、焔がライアンズに抗議の声を上げる。

「ってえな!」
「悪い。けど、玉裁の奴が――」

言い訳をするライアンズが、睨み合うフェルナンドと玉裁に視線を向けた。

「君は傷付けられて心が痛む相手がいなくて羨ましいって言っているのさ」
「ねえ、ちょっと……」
「言ってくれんじゃねぇの。この先使徒が人類に切り捨てられでもしたら、てめえの親は、真っ先にお前なんて他人だって言い出すんだろうなァ」
「あのさぁー」
「何?君に僕の両親の何が分かる!」
「ねえってば、今喧嘩はやめようよー」
「分かるね、てめえが自分のガキを拒絶する姿見りゃあ、てめえがどういう環境で育ったか簡単に想像――」

睨み合う二人の間をちょろちょろとしながら宥めようとする柚など眼中に入らず、先に手を出したのはフェルナンドだった。
鈍い音が響き、ユリアを除き一斉に一同が立ち上がる。

頭に血を上らせて怒りに顔を赤く染めるフェルナンドと、いきなり顔を殴られた怒りにじわじわと頭に血を上らせ、殺伐とした目でフェルナンドを睨み返す玉裁。
その間で、柚がおろおろと二人に顔を見比べている。

「てめぇ……よくもやったな!?」
「っ!?」
「うわっ!?」

顔を殴られたフェルナンドの体が軽く飛び、椅子を薙ぎ倒して床に倒れこむと、鎖に引き摺られた柚までもが巻き込まれて床の上に倒れこむ。

「柚、大丈夫ですか!」
「全然大丈夫じゃない、膝擦り向けたー!もうなんなんだよ、こんな時に!信じられない!」
「柚!玉裁、お前!?」

フランツとハーデスが慌てて柚に駆け寄り、玉裁を睨み上げた。
ライアンズが「やめろ」と叫ぶ声など、もはや誰の耳にも届く様子はない。

すると、ヨハネスが必死に声を張り上げる。

「皆さん落ち着いて!いい加減にしてください、仲間内で喧嘩をしている場合ですか!」
「うっせぇ、黙ってろ!」
「ヨハネス、邪魔」

玉裁とハーデスに突き飛ばされ、よろめいたヨハネスをアンジェとライラが支えた。

「ちょっと、先生にまでなんてことするんですか!もういい加減にっ、してくださいよ!」

声を上げながら、フランツがなおもフェルナンドに向かっていこうとする玉裁の腕を掴む。
ライアンズも同様に怒りに我を忘れているハーデスを抑えようとするが、ハーデスはライアンズが触れる前に玉裁目掛けて手を伸ばし、玉裁の首を掴むなりぎりぎりと締め付け始める。

ライアンズが青褪めてハーデスを引き剥がそうとするが、尋常ではない力にびくともしない。
焔と二人掛りでようやく引き剥がすと、ライアンズは血走った目のハーデスを自分の方へと向かせるなりその顔を勢い良く殴り付けた。

「何やってんだ、てめえは!仲間を殺す気か!」
「殺すんだよ!」
「っざけんな!?てめぇ、殺してやる!」

首を絞められて咳き込んでいた玉裁が、目を血走らせて自分を抑えるフランツとライアンズを押し退け、ハーデスに飛び掛る。
椅子が派手な音を立てて倒れる音が響き、二人は揉み合うように掴み合い、殴り合いを始めた。

「やめろ、馬鹿!」
「やめてください!」

ライアンズとフランツは殴り合う二人を必死に引き剥がそうと、手を伸ばす。

玉裁が振り上げた拳がライアンズに当たった瞬間、ライアンズが頭に血を滾らせ、玉裁の肩を勢い良く掴んで引き上げ、拳を振り下ろした。
鈍い音が響き、口の端を切った玉裁は誰に殴られたのかも分からないまま振り返り、今度はライアンズへと殴り掛かっていき、ライアンズもまた怒りのままに拳を振り返す。

ユリアは冷めた面持ちで、ただ事の成り行きを退屈そうに見守っていた。
フョードルは何かを考え込むように、ただモニターだけを見詰めている。

双子や柚の止める声など、誰の耳にも届かなかった。

殴られた顔を押さえながら、フェルナンドは玉裁のみを睨み付けたまま立ち上がり、障害となる柚とフェルナンドを押し退ける。
肩を掴まれて振り返ったフランツが、フェルナンドを睨み返した。

「何するんですか!フェルナンドもいい加減にしてください!」
「君達は引っ込んでいてもらおうか!」
「フェルナンドこそ、そっちに引っ込んでてください。柚が巻き込まれる。普段偉そうなことを言ってるわりに、いざとなったら暴力ですか?」
「なに?プリンシパリティーズ如きが……」
「それは今関係ないでしょう!」
「ちょっと、もうやめろって!フランも!なんでこんなことで私達が喧嘩してんだよ!」

柚がフェルナンドの手に繋がる鎖を必死に引っ張っているが、当のフェルナンドは玉裁を仇のように睨み付けていた目をフランツに向け、フランツも今にも飛び掛りそうな勢いでフェルナンドを睨むばかりだ。

「いい加減にしろ!!」

窓ガラスがビリビリと音を立てた。
全ての喧騒を呑み込む怒声は一瞬にして静寂を呼び、何処か泣き出しそうな怒り顔で拳を握り立つジョージへと、一同の視線が吸い寄せられる。

「いい大人がみっともないとは思わんのか!情けない、本当に情けないっ……」

ジョージの声が掠れ、赤い目に視線が止まった。
ジョージは言葉を詰まらせ、指先で目頭を押さえると、再び厳しい顔を上げる。

「お前達には愛想が尽きた!元帥達がお戻りになるまで全員部屋で待機、以上、解散!」

声を枯らし、ジョージは足早に会議室を出て行った。

しん……と、水を打ったように静かで重い静寂が辺りを呑み込んだ。

会議室の椅子は無残に散乱し、互いに掴み合った手から力が抜けおちていく。
なんともいえない気まずい空気だけが、その場に取り残されていた。

アンジェが俯き、次第に声を押し殺しながら泣き始める。

「なんで泣くんだよ」
「泣かないでください、アンジェ」

ライラが困惑した面持ちで縋りつくアンジェを抱き止め、ヨハネスがおろおろと背中を擦っていた。

次第にアンジェの泣き声に混じり、柚が大声で泣き始める。
派手な泣き声に、アンジェの涙以上に一同がぎょっとした面持ちで柚に振り返った。

「お前等のせいだ!もう知らない!バカー!!」
「!?」

泣きながら部屋を飛び出した柚に、ばつが悪そうにしていたフェルナンドが勢い良く引き摺られていく。

「ちょっ、待て、宮!転ぶ!」
「うるさい、おたんこなす!ついてくんな!!」
「おっ、おたんこ?って、本気で付いてくるなと言っているのか?手錠で繋がってるんだぞ?おい、宮!」

フェルナンドの情けない声が、遠慮がちに夜の廊下に木霊する。
残った面々は顔を見合わせ、やはりばつが悪そうに視線を逸らす。

当事者である玉裁は不機嫌さを隠すことなく、近くにあった椅子を勢い良く蹴り飛ばして部屋を出る。
部屋を出るなり人目も気にせずにポケットから煙草を取り出した玉裁は、そのまま窓から飛び降りて外に出ると、闇に染まる森の中へと姿を消した。

ユリアは静かに立ち上がり、小さく息を吐く。

「じゃあ、僕も戻らせてもらうよ。くだらない時間を有難う」

何処までも他人事のように構えた姿勢を崩すことなく、斜に構えた笑みを浮かべて部屋を出て行くユリア。
フョードルも淡々とした面持ちで静かに席を立つと、「僕もお先に失礼します」と告げ、部屋から静かに姿を消していった。

それ以上の退室者がいないまま暫しの沈黙が流れると、ライアンズは苛立ったように髪を掻き毟り、ため息と共にその場にしゃがみ込んだ。

「悪かった」
「……俺も、ごめんなさい。どうしよう……」
「僕も、ついカッとなって……すみません」

ライアンズに続き、しゅんとした面持ちでハーデスが謝ると、フランツも申し訳なさそうに俯く。

ヨハネスは覇気のない苦笑を浮かべながら、座りこんでいる面々の顔を見回した。
ひどい者は、顔に痣や口端に血が滲んでいる。

「まあ、仕方ありませんよ。皆さん不安でついカリカリしちゃったんでしょうし。ローウィー教官も同じでしょう」
「……そうですね。本当にこれからどうなっちゃうんでしょうね。もし、本当にもしもの話ですけど」

言い辛そうに、フランツは部屋に残っている面々を見回す。
苦笑と申し訳なさの入り混じる顔で、フランツは不安を言葉にした。

「もし人類が使徒の存在そのものを敵と見なして、政府が僕達を切り捨てることを決めて、死ねと命令されたら……どうしますか?」

フランツなりに、精一杯冗談になるように問い掛けたつもりではあるが、部屋の空気はますます重いものとなる。
フランツは項垂れ、「ごめんなさい」と呟いた。

ふいに、人の動く気配に数名が顔を上げる。

「俺は……死なねぇ」
「え?」

フランツが顔を上げると、腕を組んだ焔が椅子に座り直すところだった。
なんということもないような面持ちで、焔は瞼を起こしてフランツの顔を見る。

「だから、俺はそんなこと言われても死んでやるつもりはないって言ってんだよ」
「ま、そう簡単には死んでやれねぇよな」

ライアンズが膝を叩き、愉快そうに明るい声を上げた。
眼鏡を押し上げ、ヨハネスが苦笑交じりに呟きのような声音で言葉を漏らす。

「そうですねぇ……。容易く命を差し出せるほど軽い命ではありませんからね。そんなことをしたら両親に怒られてしまいますよ」
「……俺は?」
「もちろんハーデスもアンジェもライラも。そんなことをしたらまたローウィー教官にひどく怒って貰いますからね。怖いでしょう?怒った教官は」

不安そうに問い掛けるハーデスに穏やかな微笑を向け、ヨハネスはアンジェとライラの頭を撫でる。

「それにしても」と、フランツは近くにあった倒れた椅子を起こして座りながら、その顔に困ったような苦笑を浮かべた。

「女の人や子供に泣かれるのは堪えますね」
「あのフェルナンドの顔、笑えた」
「なんてことを本人に聞かれたらまた喧嘩になりますよ、ライアン?」

ぷっと吹き出すハーデスの言葉を引き継ぐように、フランツが思い出し笑いをしていたライアンズに顔を向ける。
重々しい空気を吹き飛ばすように、小さな笑い声を交わす。

「さて、今更寝れるとは思えねぇけど、一応寝直すか」
「そうですね、元帥方には悪いですけど」
「なーに、眠れる時に眠るのも軍人の仕事だって」

ライアンズが大きく欠伸を漏らし、釣られるように隣の焔も欠伸を漏らした。
ヨハネスが苦笑を浮かべながらアンジェとライラの背中を押す。

「おやすみ」

その言葉に振り返る頃には、ハーデスの姿は完全に消え去っていた。
最後に部屋を出たフランツは、静かにそっとドアに手を掛ける。

(とは言ったものの……誰も眠れないんでしょうね)

研究所寄りの会議室からは、研究所の明々とした灯りが漏れて見えた。





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