(寝てる……本当に寝てる)

フェルナンドは自分のベッドでフェルナンドに背中を向け、体を丸めるようにして眠っている柚を見下ろし、半眼で声なく呟いた。

(よくもまあ……、この僕の前で眠れるものだな)

その神経の図太さは尊敬に値する。
なんせ、二人の出会いは最悪なのだ。

(出世の為にお前を犯そうとした男だぞ、僕は)

なのに柚は、一度もあのことを責めない、口にもしない。
元よりフェルナンドには、柚に対する謝罪の気持ちなどありはしないのだが……。

(仕方がないじゃないか。中級クラスの僕じゃあ、上級クラスの力を持つ子供でも持たない限り、巻き返しは難しいんだ)

誰にともなく、憮然とした面持ちで言い訳めいた思いをつぶやいた。

アスラ達上官が引退するような年齢であれば世代交代を待ったかもしれないが、自分とそう変わらない、現役真っ只中だ。
この先、自分より若く上級クラスの力を持つ子供が発見されるなり生まれるなりするだろう。
現に、柚と焔に続き、フョードルという第一階級クラスまで出てきたのだから、第四階級のフェルナンドにはますます厳しい状況になってきている。

(……イカロスが眠っている今が好機なんだ)

罰ゲームのような訓練に付き合っている暇などない。
イカロスが眠っているうちに、空いている将官の座か、もしくはガルーダを昇格されて尉官の地位に就かなければ、一生このまま終わってしまう気がする。

ふいに柚がごろりと寝返りを打った。
一瞬びくりとしながら、フェルナンドは起きる様子のない柚をじっと見下ろす。

あどけない寝顔だった。
あどけなくもあり、ひどく苛立たしいほどに無防備だ。

フェルナンドは肩を落とすようにしてため息を漏らす。

(今となっては、この状況でもそういう気になれないな)

柚という人物を知らなかった頃ならまだしも、知ってしまった今となっては手を出す気になれない。
寝顔を見ればますますその思いは強くなる……柚は子供だ、口が達者で生意気な、ただの子供だ。

「あれー、フェルナンド?」

肩を落としてため息を漏らすと、寝ぼけた声音で柚が見上げてくる。

「何?トイレ?」
「違う」

フェルナンドはため息を漏らした。

「じゃあ寝ようよ」

柚が隣をぽんぽんと叩く。
フェルナンドは無言で柚に背を向けて寝転がった。

「はぁ……」

わざとらしいほどに大きなため息を漏らし、フェルナンドはきつく瞼を閉ざす。

ここは自分の部屋で、ここは自分のベッドのはずだ。
そこにちょこんと収まる柚はあまりにも不自然に感じた。

(お前のせいで眠れないんだよ!)

疲れてはいるが、妙に他人の熱を意識して眠れない。
女だから意識しているというわけでもなく、自分以外の者とずっと一緒にいることがどうしても落ち着けないのだ。

苛立ちながら、フェルナンドは毛布を被る。
数分後、頭まで毛布をすっぽりと被り、なんとか眠り掛けたフェルナンドを柚が揺り起こした。

「トイレー」

フェルナンドは殺意を覚えた。

その時、基地中にサイレンが鳴り響くと同時に、部屋のライトが強制的に部屋を照らし出す。
フェルナンドが飛び起き、柚が眩しそうにシーツに顔を埋めた。

「何、防災訓練?」
「馬鹿を言っていないで着替えろ、すぐに召集が掛かるぞ」
「えっ、え?じゃあとりあえずトイレー!」

それは柚達にとっては深夜であったが、地球の反対側の者からすれば人々が活動をしている時間帯の出来事であった。

廊下に立つジョージが、軍服に片方そでを通したままの状態でバタバタと駆けて来る柚と、そんな柚を睨みながら駆けて来るフェルナンドに怒声を張り上げた。

「遅いぞ、お前等!軍服ぐらいちゃんと着て来い、馬鹿者!」
「だって、だってー!フェルナンドがひっぱるんだもん!」
「トイレで寝てたのは君じゃないか!?」
「もういいから中に入れ!」

ジョージは二人を会議室に押し込み、さらにその後ろに声を張り上げる。

「ライアンズ、焔!お前等が最後だ、さっさとしろ!」
「申し訳ありません!」

息切れを起こしながら、焔の襟首を掴んで走るライアンズが返す。

ライアンズと焔が部屋の中に入ると、フェルナンドがライアンズを見やり、ふっと小馬鹿にしたように笑った。
頭に血を昇らせつつも必死に堪えるライアンズを横目に、「自分達だって遅刻したくせに」とライラがぼそりと吐き捨てた。

ライアンズは開いている柚の隣に座ると、眠気眼の柚に目を止める。

「おっ、なんだ柚。髪結ぶ時間もなかったのか?絡まってんぞ」
「そういうライアンこそ、ズボンのチャクが開いてるけど?」

柚の指摘に「げっ」と呟きを漏らし、慌ててチャックを締めるライアンズを他所に、ジョージがわなわなと肩を震わせた。

「お前達、気を抜き過ぎだ!」

ジョージがぴりぴりとした様子で声を張り上げる。

その様子に、さすがにただ事ではないと感じたのか、一同が顔を引き締めて息を呑む。
一瞬にして、ごく一部を除いてぴんと張り詰める空気の中、一瞬は緊張を保った柚がくしゃみを漏らした。

「宮……」

鼻を啜る柚に、フェルナンドが戦慄きながら顔を向ける。

「すみません。だって、フェルナンドの部屋クーラー効き過ぎで……」
「空気を読め、この僕にこれ以上恥を掻かせるな!」

フェルナンドが小声で怒鳴るものの、静まり返る部屋の中では何の意味もなさなかった。
周囲の冷めた視線に気付き、フェルナンドの顔が見る見る赤く染まっていく。

「申し訳ありません」

立ち上がり謝罪を述べて椅子に座り直すと、フェルナンドはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
殺気立つフェルナンドに、前に座っていたアンジェが涙目で震えている。

「お前……あいつに殺されるぞ」

ライアンズを挟んで隣に座る焔が、素知らぬ面持ちの柚に半眼を向けた。

「貴様等、いい加減にしろ!!」

腹の底から搾り出したような怒声は部屋の中に響き渡る。
ガラス窓がビリビリと音を立て、人が吹き飛ばなかったことが不思議なくらいの声量を響かせたジョージに、一同が丸くした目を向けた。

ジョージは怒りに肩を戦慄かせ、顔を真っ赤に染め上げている。

「我々使徒の存在を脅かす事態が起きているんだぞ、それをお前等はっ!!」

先程の声に違わぬ声音で一気に捲くし立てたジョージは、ふらりと眩暈を起こし、慌てて机に手を付く。
ヨハネスが心配そうに椅子を立ち、ジョージを気遣う。

「ごめんなさい……」
「申し訳ありません」

柚がしゅんとした面持ちで頭を垂れ、ライアンズとフェルナンドが改めて謝罪を口にする。

フランツは不安気にジョージの顔を見た。
眩暈を起こしたジョージを気遣っているばかりではなく、ジョージの言葉の意味が気になる。

「それで、何が起きたんですか?」
「手元のモニターを見ろ」

顔を引き締め、硬い声音で問い掛けたライアンズに、ジョージは机のパソコンを操作して一同を見回す。
椅子に戻り、モニターを覗き込んだヨハネスが、目を疑うように眼鏡を押し上げ、眉を顰めた。

「"親愛なる全人類に告ぐ、我々の名はエデン。オーストラリア連邦は使徒により支配されている"?」

訝しげに読み上げていた声音が、次第に強張っていく。

「"連邦首相マシュー・クックは、オーストラリア連邦特殊能力部隊アース・ピースの使徒が公表されていない能力で創り出したコピー体である。使徒は自分達に都合の良い首相を創り出し、オーストラリア連邦を自分達の都合のいいように操っている"?」
「え、え?……クック首相って、え?あの?」

柚が困惑した面持ちで、周囲の答えを求める。
ライアンズが愕然とした面持ちでモニターを見詰めたまま、口を開く。

「そうだ、お前が元帥と護衛してた人だ。それよりもこれは……」
「不味いことになった……これは本当に……」

やはり余裕のない表情で呟くフェルナンドの頬を汗が伝い落ちた。

「オーストラリアの首相、本当に偽者なの?」

ハーデスが首を傾げ、隣に座るユリアへと問い掛ける。

ユリアは緊張した様子の仲間達を他所に、気だるげな様子でハニーブラウンの髪を耳に掛けた。
彫刻のように整ったその顔には、薄く優美な笑みが浮かんでいる。

「さあね。けどあの人は確かに数年前まではどちらかというと使徒を嫌っていたのに、今では親使徒派として有名で、人が変わったようだってゴシップ誌に叩かれてた気はするけど」
「マジかよ。やるじゃねぇの、オーストラリアの連中」

玉裁が椅子の背に肘をかけ、品のない笑い声をあげた。
笑い事ではないのだが、誰もが突然突き付けられた事柄に困惑している。

フランツは青褪めた面持ちで、唇に手を当てた。

「嘘でも本当でも、使徒に嫌悪感を感じる人が増えることは確実ですよ」
「嫌悪感で済めばいいけど……」

くすりと、何処か他人事のように目を細めて笑うユリア。
そんなユリアを見やり、ハーデスが考え込んだのちにのんびりとした口調で呟く。

「そっかー……。前のように、使徒の家族に手を出そうとする人達が出てくる可能性だってあるんだもんね」
「!」

柚と焔が椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
ハーデスの顔を凝視する柚に、ハーデスははっとした面持ちになると慌てて椅子から立ち上がり、おろおろと言葉を返す。

「いや、あの、ちっ、違うよ?その、ほら、えっと!俺、そういうのよく分からないからそんなことには多分ならないと思うし」

普段はのんびりとした口調のハーデスが珍しく早口になり、フォローの言葉を紡ごうとして空回りに終わる。

「身内の心配以前に自分達の身を案じろよ。馬鹿じゃねぇの?ま、使徒の身内ってのも、人間なのに俺等に振り回されて迷惑な話だよな」

そうは言いつつも全く案じている様子もない玉裁が、心底馬鹿にした面持ちで肩を竦めた。

ガタリと椅子を蹴る音が響き、自然に周囲の視線が立ち上がった人物へと向けられる。
立ち上がったフェルナンドは唇を噛み、甲高く怒りの声を上げた。





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