46


笑みは目を見張るほどに美しいが、言葉は悪魔そのものだ。

「大体、君も卑怯じゃない。君、彼女の記憶をコピーしてるわけだよねぇ?」

ユリアの視線が流れるようにヘレネスを映し出す。
その視線を受けたヘレネスが、びくりと肩を揺らした。

思い至ったように息を呑んだフェルナンドは、深くため息を漏らすと、「その通りだ」と呟き、ヘレネスから顔を背けて吐き捨てる。

「君は宮の記憶をコピーされたと言った。どう言えばこの単細胞な宮が同情するかを分かっていると言っているようなものだ」

思わず柚はフェルナンドへと向け掛けた視線を止めた。
そこまで出来た人間ではないつもりだが、フェルナンドは本気で、柚が同情でヘレネスの存在や彼等のしたことを許してしまえると思っているのだろう。

ユリアはユリアでそそのかすような言葉を投げ掛けて楽しんでいる。

柚がどうしていいか分からずにいると、その前にアスラの体が割り込み、静かな声音が全てを遮った。

「柚の意見を聞く必要はない」
「なっ!」

横暴な物言いに思わず声をあげる柚に、アスラは肩越しの一瞥を冷ややかに投げてくる。

「大体想像がつく。コピーに同情して可哀想だなどと言いだすに決まっている」
「うっ……そ、そりゃあ、同情っていうか一理あるなとは――」
「馬鹿馬鹿しい」
「なっ!」
「ばかばか、しい……?」

むっとした面持ちになる柚とは対極に、ヘレネスが愕然とした面持ちで言葉を漏らした。
それは、存在したいヘレネスの気持ちさえをも否定する言葉だ。

「そんな言い方は――…」

大股で詰め寄るなり文句を言う柚から目を逸らし、アスラはため息を漏らした。
柚の不満に対して何処か面倒くさそうな態度を、アスラは隠しもしない。

さすがの柚もあからさまな態度をとられると、引き攣った顔と共に押し黙る。

「柚に限ったことではない……全員見誤るな。コピー体の不満は、本来コピー体として生み出したゲシュペンストという男に向けるべき言葉ではないのか?"親"であるゲシュペンストに向けられない不満を、本体である柚に向ける行為は筋違いとしか言いようがない」

アスラの視線は流れるようにゲシュペンストへと向けられたが、ヘレネスがその視線を追いゲシュペンストを見ることはなかった。

それを肯定ととり、俯くヘレネスを冷ややかに見下ろすアスラを、カロウ・ヴが今すぐにでも噛み付かんばかりの鋭い眼光で睨みつけている。
そのせいか、折角大人しくなったカロウ・ヴがまだ暴れ出さないかと、周囲はアスラの言動を冷や冷やした思いで聞いていた。

「そもそも、貴様等がオーストラリアから逃げ出さなければならなくなったのは誰のせいだ?コピー体に宿る命が危険に晒されているのは何故だ?何故我々が貴様等を歓迎していないと思う?全ては貴様等の行いによる結果ではないのか?今言った中で、俺は何か間違ったことを言っているか?」

淡々と紡がれる言葉には同情など微塵もない。

その代わりとばかりにアスラから感じられるのは、静かな強い怒りだ。
大気が息苦しいざわめきを起こしている。

「俺には部下の命を預かっているという責任がある。生かす責任だ」

おそらくは……と、イカロスはアスラに集まり始める仲間達の視線を感じながら、心の中で呟いた。

自分達のように研究所で生まれた使徒と違い、外で生まれた使徒には帰りたい場所がある。
その想いを封じ込め、自分を元帥と呼び従う仲間の存在への感謝と重みを、アスラは今、責任として感じている。

アスラが考える、"元帥"という立場に課せられた"責任"に対する思いは、以前とは違ったものになった。
以前は政府の命令を滞りなく遂行することを第一に、言ってしまえば人間の為に……だが今は仲間の為に、元帥として出来ることをしている。

だからこそ、恐らくはこの中の誰よりも……。

「お前達の行いを実に腹立たしいと思っている」

唯一人間が共存を許す場所に生きる使徒が、人間を相手に罪を犯してはならなかった。
一部の使徒が事件を起こせば、それは罪のない使徒にまで厳しい目が向けられることになる。
ましてや、人間にとって都合のいいように一から教育されてきた研究所生まれの使徒が反旗を翻したことで、使徒を支配することが不可能だと人間側に危機感を与えた。

「使徒そのものの存在が危険とみなされ、迫害されかねない状況の手前にいることを理解しているか?ただでさえ、我々使徒を裁く法はないも同然……それは何をしてもいいという意味ではなく、使徒を守るものがないという意味だ」

アース・ピース以外の使徒が犯罪を起こせばテロリストとして殺されるか、運が良ければアース・ピースに引き取られるかのどちらかだ。
アース・ピースの使徒が敵意を見せれば、処分という極端な刑しか存在しない。

人間は自分達を、利用価値でしか図らない。

アスラが鋭く柚へと視線を向ける。
柚は思わずびくりと肩を揺らし、姿勢を正した。

「柚」
「は、はい。なんでしょう」
「コピー体に少しばかり言われたくらいで何を遠慮する必要がある。ならばあのコピー体にお前の気持ちが理解出来るのか?コピー体を生み出した連中は、お前が何に傷付き、自分達が許されない罪を犯した自覚を持ち、考えを改めたのか?」

自分ですら今だ明確に理解出来ないものを、同じ研究所で生まれた、ましてや元凶である連中に理解出来てたまるかという苛立ちがある。
柚の気持ちが理解出来ない悔しさと、愛するものを貶された怒りを燻ぶらせ、アスラは肩越しに柚を見下ろす。

「……アスラ」

無意識に、柚が小さくアスラの名を呟いた。
アスラの視線が逸れ、柚からカロウ・ヴ達へと不機嫌な視線が戻っていく。

「貴様等の行いが発端で、我が国ではニエという使徒の子供が殺処分されたことを知っているか?」

柚が目を見開いた。
頭を鈍器で強かに殴りつけられたかのような衝撃と共に、罪悪感がどっと押し寄せてくる。

彼等が直接ニエを殺したわけではない、柚からすれば彼等のせいとはいえない。
それでも彼等を許してはならない、見逃してはならない。
彼等は人間を殺し、多くの犠牲を出した罪人なのだから迷ってはならない……彼等になんと罵られようと、彼等を捕え、裁いてもらわなければならない。

今ある仲間の為に、これから生まれてくる使徒の子供たちの為に。
すべては使徒の為に。

柚は重々しく瞼を閉ざし、わずかに顔を伏せた。

どういう経緯でニエに"処分"という決定が下されたのか、元帥としてアスラがどう関わったのか、柚は知らないし知ろうとする勇気もなかった。
だがアスラは、一瞬でも迷ってしまった自分よりもよほど……冷静に仲間のことを考えてくれているのだと痛感する。

手に少しずつ力が戻り、柚は瞼を起こすと僅かに震えた唇を引き結ぶ。

「貴様等の軽はずみな行動のせいで、周囲に多くの犠牲を出している自覚はあるのか?お前達が海外に逃走したことにより、ラッド元帥や残された使徒達がより過酷な状況に追い込まれるであろうことを、考えはしなかったのか?それとも、自分達以外はどうなっても構わないと思っているのか?」

振り返らず、静かに怒るアスラの背中を見詰める。
風が金の髪を揺らしていた。

アスラは変わった。

自分の為……と、自惚れてしまってもいいのだろうか。
アスラの純粋な想いが苦しい程に伝わってくる。

「そんな貴様等に、子供が出来たから見逃せなどと言われたところで……誰が手を貸そうと思える」

彼等を助けるくらいならば、否、選ぶまでもなく、国に残ったオーストラリアの使徒達の立場を少しでも救うべく、決して見逃しはしない。
何を言われても変わらない、アスラの決意は明確だった。

アジアの使徒達の迷いは、アスラの言葉で晴らされていく。
迷いのないアジアの使徒達の瞳が、今はただ"敵"としてカロウ・ヴ達に向いていた。

全く付け入る隙のないアジアの使徒達に、ゲシュペンストが絶望したかのような面持ちで唇を喘がせる。

アスラがヘレネスに向けた銃の引き金に指を掛けた。

瞳を震わせながら、ヘレネスは息を呑む。
何一つ、言い返す言葉がない、死を待つことしか出来ない瞬間。

その手がカロウ・ヴの軍服を握り、カロウ・ヴが神経を研ぎ澄まし身構えている。

ゲシュペンストが止める言葉を捜し、頭を振りながら身を乗り出そうとした。
その言葉を遮り、「先に言っておく」と、アスラの唇が動く。

「これから俺がすることは、全て俺の独断だ。何かを問われたならばそう言え」
「まさか!ゲシュペンストも殺す気ですか!命令違反に――」

驚いたようにフェルナンドがアスラの顔を見上げた。

「だがそうしなければ、後々追い詰められることになるのは我々の方かもしれない。上に報告したければ好きにしろ、咎めはしない」
「……」

フェルナンドは何も言えなくなる。
瞳に宿る強い決意が、アスラに真っすぐと前を向かせていた。

イカロスは感慨深い思いでアスラの言葉を聞き、流れ込んでくる強い決意を感じていた。

アスラは柚や仲間のことを考えている。
一年にも満たないあの頃とは別人のように、心を持ってここにいる。

ゲシュペンストに関しては迷いがあったが、ヘレネスが妊娠――コピー体でも妊娠出来るという事例を作りさえしなければ、アスラは命令通り、彼等を生かしたままオーストラリアに送り返すつもりでいたことは確かだ。

だが、ヘレネスの妊娠は柚の存在価値を揺るがす。

体裁を気にする者はコピー体に先を越されたと怒るだろう。
コピー体で代用できるならば、思い通りにならない柚は必要ないと言う者も出てくるはずだ。

柚が非難され、立場がなくなる。
避難は柚のみに止まらず、他の仲間にも向けられるだろう。

だからといって妊娠したヘレネスを消せば、カロウ・ヴは"親"として"恋人"として、アジアをより強く恨むだろう。
そのような状態でカロウ・ヴとゲシュペンストを生かしておけば、危険極まりない。

そして、コピー体の妊娠で最も恐ろしいことは、コピー体自体には使徒の力がなかろうと、生まれた子供には力が宿る可能性が高いということだ。
セラフィムとスローンズの血を引いた子供は、最高位であるセラフィムを超える可能性が高い。

もしゲシュペンストが柚のコピーを量産し、セラフィムクラスの使徒との間に子供を設けさせれば、その子供達は自分達を凌ぐ軍隊となるだろう。

その"指揮官"とでも言うべき"親"は、はたしてコピーされた柚か、ヘレネスか、はたまたコピーしたゲシュペンストか……。
なんにせよ、アジアのみならず世界を脅かす、使徒で構成された新たな勢力が誕生することになるだろう。

そうなれば、人間どころか使徒ですら対抗出来なくなる。

最悪の結末を想定した上でアスラは危機を感じ、彼等を全員殺し、一人でその罪を背負おうとしている。

女や部下は守るものだという知識をイカロスに与えられ、意味も分からないまま、ただそういうものなのかと思っていたあの頃とは違う。
自らが守りたいと望み、柚と仲間を守る為に出した答えだ。

その成長を嬉しく思う反面、少し寂しいと感じてしまう。
けれどアスラ……と、イカロスは静かに瞼を閉ざした。

(君が決意するべきは、ここではないんだよ)

ゆっくりと瞼を起こし、標的を睨み据える。

自分が刺された恨みなど、焔に譲ってもさして気にならないほどの、本当にささやかなものだった。
ただこうして、アスラを追い詰める存在が忌々しい。

(こんな連中の為に、君を犠牲になんてさせない)

アスラが"力"を使わないのは、彼の最後の躊躇い。
母に与えられた大切な力で命令違反を犯し、母を裏切ることを恐れている。

手を汚すべきは、ここにいる誰よりも自分だ。
それが最良の犠牲。

「アスラ、待――」

突如、背後から頭を叩きつけられたかのような錯覚が襲い、目の前に閃光が散った。





NEXT