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「僕はね、君のことなんて忘れて、それなりに静かに暮らしてたんだよ」
「寂しいことを言ってくれるね」
「君だって僕のことなんて忘れて、盲信的な君の信者と仲良くしてたんでしょ?」

アダムはくすくすと笑う。

「ではお相子だ」
「本当、君って僕以上に嫌な奴だと思うよ」
「君は相変わらずで嬉しいよ」

耳に残る声音と薄く艶やかな笑みで、アダムはユリアを見詰める。
ユリアはアダムに視線のみを投げると、島の奥へと視線を向けた。

「あっちでオーストラリアの使徒が二人死んでたけど、君だろう?」
「力を頂いてきた。あまりにもしつこいので殺してしまったけどね……エヴァが知れば、また怒らせてしまうだろう」
「差し支えないんだろう?」
「さあ、どうだろう」

呟くように返すと、アダムはユリアに一歩歩み寄る。

「少なからず私も、同胞を失うのは悲しいよ」
「アシャラは気にしない癖に?」
「アシャラは使徒であって使徒ではない。知っているだろう?」

ふいに、距離を縮めるユリアとアダムの間にノイズが走り、ユリアは目を見開いた。
ハーデスがユリアの目前に姿を現す。

ハーデスが地面を蹴りアダムへと大鎌で切り掛かると、アダムの足元から手のように無数の影が伸びる。
鎌の刃と柄に影が巻き付き、影はハーデスの体ごと地面へと叩き付けた。

「うっ!?」

アダムは流れるように音もなく後ろへと下がると、するりとハーデスから影が解ける。

「ハーデス?」

ユリアは目を瞬かせ、体を起こすハーデスを見下ろした。
ハーデスは体を起こすなり、ユリアへと振り返り身構える。

「ユリア、大丈夫?」
「……なんとも、ないけど?」

心配をするハーデスに、ユリアはきょとんとした面持ちで返した。
ユリアの返事に安堵するハーデスを見て、ユリアは呆れたように肩を竦める。

「まったく……君は馬鹿だね。僕よりも柚のところに飛んでいきたかったんだろうに」
「うん、でも、柚は大丈夫そうだし、ユリアは戦闘向きじゃないし……それに、ユリアは友達だから」

ゆっくりと……息を呑んだ。
長い睫毛に彩られたユリアの瞳が、静かに見開かれていく。

ユリアは胸の内がざわめく音を聞いた。
体中に血が通っていく、その鼓動さえ感じるようだ。

唇が声なく動き、引き結ばれた。
美しいその顔に、ユリアは触れれば消えてしまいそうに儚い苦笑を浮かべ、笑う。

「本当に、馬鹿だね……君は」
「そんなこと、ないと思うけどな……」

ハーデスは口を尖らせ、不服そうに呟く。

すると申し訳がなさそうに、アダムはくつくつと笑った。

「麗しい友情だね。では、私は失礼させてもらうとしよう」
「あ、待て!」

アダムの足元から伸びた影がアダムを包み込み、影の中へと引き摺り込む。
慌てて追い掛けようとしたハーデスの目の前で、アダムは影の中へと姿を消した。





丘を下る最中、ライラは隆起した大地に視線を奪われた。

(やっぱり、誰かと戦ってるんだ!)

いつもよりも長い脚は、いつもよりも速く走ることが出来る。
だが、聞こえてくる音は変わらない。

近付くほどに銃声がはっきりと聞こえてきて、ライラは慌てていた。

「イカロス兄!」
「ライラ!」

叫んだ声に返事が返った。

やっと視界に人影を捉え、そちらに向けて駆け出したライラは、座り込んでいる男の背に触れはっと息を呑んだ。

振り返った男はイカロスに良く似ており、イカロスが少し老けたかのようだ。
よく見れば服も軍服ではない。

「え?だ、誰?」
「うわぁ!?使徒!」

目を瞬かせるライラ以上に、男が怯えたように声を上げて跳ね上がる。

「トドリス、何をしている。殺せ」
「え、でもデニス兄さん!相手は子供で……」
「……」

デニスと呼ばれた男は、無言でライラに銃口を向けた。
びくりと体を強張らせ、ライラは反射的に来た方向へと走りだす。

全身から汗が噴き出した。

力で体が成長していつもよりも速く走ることが出来ても、銃弾よりも速くなど無理な話だ。
アンジェの力は命があるものを成長させる力、それに対しライラの力は命があるものを退化させる力であり、銃弾で撃たれれば防ぎようもない。

「ライラ!」

銃を向け、今まさに引き金を引いた男の遥か後ろで、木の陰から顔を出すイカロスが叫ぶ。
ライラの足元が急激に盛り上がり、ライラの体は放り投げられるように空を飛んだ。

「うわぁああ!」

落下する体を迎えるように、木々が生い茂った大地が隆起し、ライラの体を受け止める。
そのままボールを転がすようにイカロスの隣に連れてこられたライラは、擦り傷だらけになりながら飛び起き、起き上ると同時に、「ごめん」と苦笑を浮かべているイカロスを睨み付けた。

「なんっなんだよ、あいつ等!イカロス兄の親戚?」
「はは、どうやらエデンなんだ」

イカロスは地面に触れる。
地面が隆起し、銃を放とうとしたデニスを足元から転がす。

デニスは筋肉が鎧のような体で軽々と跳び、平坦な地面に着地する。
まるで地響きが起こりそうだと、ライラは身を竦めながらイカロスに小声で怒鳴った。

「笑い事じゃないよ、エデン?大体、一般兵の人達が見張ってる筈なのにどうやって……」
「まあ、殺して入ったんだと思うけど。それは後で話すとして」

木に凭れて座り込むイカロスが、上目でライラを見上げてくる。

イカロスが築く土の壁には、銃弾が叩き込まれる音がしており、戦場に不慣れなライラは生きた心地がしない。
一瞬銃声が止んだかと思うと、イカロスが「まずい」と呟き、ライラの腕を引いて引き寄せた。

背後でまるで電流が走ったかのような音が響くと同時に、土の壁が砂のように溶けて崩れ落ちる。
ライラが横目で見ると、イカロスの力が通っていた土の一部から、完全にイカロスの力が遮断されていた。

「電磁波発生装置の銃弾だよ」と、イカロスは落ち着いた様子で告げる。

「幸い俺の場合は操れるものがいくらでもあるし、当たらなければなんとかなる。来てくれて本当に助かった、どうしようと思ってたんだ。ライラ頼めるかな?」
「っ、後でちゃんと説明してもらうからね!」

恨みがましく吐き捨て、ライラは自分の胸を掌で叩いた。
弾かれたように体を包む力が緩み、脱げるように力が剥がれ落ちていくと同時、ライラの身長が縮んでゆく。

ライラは急な成長で体に掛る痛みに顔をしかめ、すぐに座り込むイカロスに触れた。

「あんまりもたないからね」
「すぐに終わらせるよ」

イカロスの体にライラの力が流れ込む。
時間を巻き戻すわけではなく、あくまでも肉体が退化する。
特種な力の代償として、その反動でライラの体はイカロスの体を若返らせた分、僅かに成長した。

成長期のライラに比べれば、半年ほど体の退化させたところでイカロスの見た目にこれといった変化は起こらないが、イカロスは木を支えに立ち上がる。
軽く地面から片足を浮かせると、安堵したようにため息を漏らした。

「下がってて」
「うん……」

支えの木から体を離すと、イカロスは地面に右手を付いた。

パキッと、何かが割れるような音が響き、大地が稲妻のような亀裂が走る。
亀裂はトドリスとデニスを引き裂いた。

「デニス兄さん!」

慌てたように叫ぶトドリスには一瞥も向けず、デニスはイカロスに向けて筋肉で構成されたような体を走らせる。

イカロスはそんなデニスに向かい、つま先で地面を叩いた。
今度はイカロスとデニスの間に亀裂が走り、デニスの乗る大地が離れていく。

だがデニスは走る速度を緩めるどころか加速させ、割れた大地に淵を踏み付け、大きく跳んだ。

「嘘だろ……」

イカロスが呆気にとられた面持ちで呟き、小さく舌打ちを漏らして手を翳した。
大地に着地したデニスに、地面が槍のように鋭く尖り、襲い掛かる。

デニスは表情ひとつ変えずに、両手に握る銃の内一丁を地面に向けて放った。
銃弾がのめり込んだ地面が一瞬放電し、大地の動きが止まる。

デニスはもう一丁の銃をイカロスに向けて放つと、イカロスはすでに走り出していた。

(どっちが使徒だか)

苦笑を噛み締め、イカロスは爪先で砂を軽く蹴りあげた。
砂が一瞬ふわりと浮き、蜂が集団で襲うかのようにデニスに襲い掛かる。

デニスは額のゴーグルを引き下ろして目を保護すると、腰からナイフを抜いて素早く砂を切り裂いた。

「!」

両断された砂からイカロスの力が浄化されたように消え、はらはらと大地に降り注ぐ。

(あれも、か……)

恐らく、ナイフにも電磁波発生装置が仕込まれているのだろう。

電磁波発生装置は、使徒の力を無効化してしまう。
あれで斬り付けられれば、しばらく力が使えなくなってしまうかもしれない。

「はぁ……」

イカロスはため息を漏らし、向かってくるデニスを見据えた。

デニスはナイフでイカロスに斬りかかる。
イカロスは上体を後ろに逸らして攻撃をかわした。

足元の土を操り、再び距離を取ろうとしたイカロスの足元に、銃弾が撃ち込まれる。
地面が一瞬放電し、イカロスの力を拒絶した。

喉元をナイフが光のように走り、イカロスはナイフの冷たい感触を感じながら手を翳す。

数メートルほど離れた左右の大地が隆起し、デニスを挟み込もうとする。
デニスは片方にナイフを突き立て、それを足を掛けて大きく跳ぶと、イカロスへと殴り掛かった。

イカロスの体が地面に叩きつけられ、一瞬目の前が白く染まる。
太く硬い腕が喉元を押さえつけ、イカロスの頭に銃口が押し付けられた。

躊躇いもなく、引き金が引かれる。
その潔さはさすがに恐ろしく感じた。

二人の体がガクリと落下する。
大地にぽっかりと開いた穴は二人の体を呑み込むように吸い込み、奈落の底へと引き摺り込む。

デニスは顔を顰め、落下の最中に銃を投げ捨てて両手に長さの違う二丁のナイフを握ると、土の壁に突き立てた。
砂埃を上げて土の壁が抉れ、落下が緩やかに止まる。

イカロスはいち早く亀裂から抜け出すと、ナイフを交互に壁に突き立てて昇ってくるデニスを見下ろし、顔を引き攣らせた。

「驚いた……本当に人間なのかな?」
「……」

駆け寄ったトドリスが、危なっかしい動きでデニスを引き上げている。
地上に上がったデニスはぼろぼろになったナイフを投げ捨て、先程土に突き立てたまま放置した、電磁波発生装置が埋め込まれたナイフを無言で抜き取ると、鞘に戻した。

「帰るぞ」
「え?」
「弾切れだ」

ほっとした面持ちで、トドリスは密かに肩から力を抜いた。

大きな亀裂が走った大地越しに、トドリスはイカロスへと振り返る。
そのまま背を向けると、去り際も鮮やかに消えていくデニスを追い、茂みへと消えていった。

「はぁ……」

二人の気配が消えるまでの間、暫くそちらを警戒していたイカロスは、腹の底からため息を漏らして地面に座り込んだ。
ライラがイカロスに駆け寄り、やはり不安そうに二人が消えた方へと視線を向ける。

「もう大丈夫かな?僕の力の方も、もう限界なんだけど」
「恐らくね。有難う、助かった。もう解いてくれていいよ」

ライラはこくりと頷き返し、イカロスの退化を説いた。
イカロスの見た目は変わらないが、少しだけライラの身長が縮む。

イカロスは地面に触れて亀裂を直しながら、デニスが投げ捨てたボロボロのナイフを拾い上げた。

「……いやぁ、それにしても参った。あの兄さんは本当、怖いね。二度と会いたくないなぁ……」
「あっちのお兄さんには似てないね」

ライラは苦笑を浮かべる。

「ところで、アンジェはどうしているのかな?」
「置いてきた。迎えに行かないと」

面倒だと言わんばかりの面持ちで、ライラがため息を漏らす。
素直じゃないなと笑うイカロスに、ライラは頬を膨らませて、自分が走ってきた道を再び歩き出した。

ある程度歩くと、イカロスの姿が見えなくなったか振り返って確認し、ライラは次第に走り始める。

イカロスには申し訳ないが、兄がすぐ傍にいて、敵対せずにいることはとても幸せだと感じた。
気にしている様子もなかったが、イカロスだって血の繋がったものと争うことが嬉しいはずがない。

(アンジェ……)

ほんの少し離れただけで不安になる、頼りない兄。
ライラは走る速度を上げ、自分の足跡を嬉しそうに辿った。





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