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「さて……」

カロウ・ヴは空中に出来た氷の道をゆっくりと歩きながら、護衛艦の上をすり抜け、イージス艦の前で足を止める。
海兵達が体を強張らせて息を呑んだ。

「次は君達?それとも降伏する?」

柚とフェルナンドは空を見上げた。
そして同時に鼻で笑い飛ばす。

「おいおいフェルナンド。あいつなんかふざけたこと言ってるぞ?コウフク?」
「ああ、告白の言い間違いだろうよ。君にプロポーズでもするんじゃないのかい?とんだ悪趣味だ」
「え、そうなの?じゃあ彼を傷付けないよう丁寧にお断りしないとな。それと悪趣味は余計だ」

柚は両手を頬に宛がい、しなを作りながら恥じらうように俯いた。

「ごめんなさい、カロウ・ヴ。私……勝手に人のコピー創って愛してるなんて言わせてるような男」

ガンッと固い音を立て、柚が勢い良く足を掛けた手摺が歪む。
柚はカロウ・ヴに向けて歯を剥くと、中指を突き立てた。

「この世で一番大っっっ嫌いだ!自分の過去洗い流して出直してこい、ついでに詫びの一つや二つ置いてとっとと目の前から消え失せろ、同じ空気吸ってるだけでも鳥肌が立つわ、気色悪い!」
「宮……止めたまえ、下品だ」

少し引き気味に顔を引き攣らせたフェルナンドが、周囲の海兵達の視線を気にしながら柚の手を下げさせる。
迫ってきたカロウ・ヴに怯えていた海兵達も、柚の言論と態度に開いた口が塞がらない様子で顔を引き攣らせていた。

柚はフェルナンドの手をパシリと振りほどくと、カロウ・ヴに冷めた眼差しを向け、鼻を鳴らす。

「ふんっ。知ったことか、あいつの面よりマシだ」
「まあ、それは同意せざるを得ない事実だ」

カロウ・ヴの肩が怒りに震えていた。
顔を真っ赤に染め上げ、額に青筋が浮かび上がる。

足元から氷が広がり、ドライアイスのスモークのように広がっていく。

「君が悪いんじゃないか……」
「あァ?よくきこえませーん、大きな声で言ってください。ま、別に聞こえなくても支障がないので、このまま帰国してくださっても結構でーす」
「君は小学生か……」

つんとそっぽを向いて吐き捨てる柚に、フェルナンドが横目で半眼を向けた。

「君が一人しかいないのがいけないんだ!?」
「はァ?逆切れか?そうですか、あー最悪。ほんっと最低。貴様のような男は目の前から消えてくれないかなぁ」
「なんで僕の分の君はいないんだ!どうしてアジアの連中のものなんだよ!そんなの不公平だろ!僕だって柚が欲しかったのに!!」

拳を握り締め、カロウ・ヴは怒りをぶつけるように叫んだ。
声と共に、尾のような白髪が揺れる。

柚の反論がないと、カロウ・ヴは自分を落ち着かせるように息を吐き、口端を釣り上げて皮肉めいた笑みを浮かべると、己の手を振り払った。

「でも君はいらない……君みたいな下品な女は柚じゃない」
「下品だろうが、可憐だろうが、美しかろうが聡明であろうが、私は私だ」
「君……図々しいぞ」
「フェルナンドは黙ってて」

半眼を向けるフェルナンドに目も暮れず、柚はぴしゃりと言い返す。

「違う。僕のヘレネスがあるべき柚の姿なんだ」
「……」

柚は無言でカロウ・ヴを見上げた。
フェルナンドがちらりとカロウ・ヴの背後に一瞥を投げる。

「君は柚じゃない。柚じゃなくて柚の姿をした奴は、僕が消してやる!」
「……自分に都合の悪い者は認めないのか?」

静かな硬い柚の声音が、カロウ・ヴへと問い掛けた。
貫くような眼差しがまっすぐにカロウ・ヴの瞳を射ると、カロウ・ヴが怯んだかのように僅かに眉根を寄せる。

「そうやって、クック首相のコピーを創らせたのか?」
「そうさ!僕達をただ使徒だからって理由で意味もなく嫌うあいつが、僕達は大嫌いだったんだ!当然の報いさ!」
「どんなに理不尽を感じても、世の中にはやっていいことと悪いことがある。皆、人間だってそれを我慢して生きてるんだ!そんなことも分かんないのか!」

波の音すら忘れさせ、凛然とした怒声が空気を震わせた。

「それはな、もうただの我儘なんだよ。お前みたいのをでっかいガキって言うんだ」

怒声に代わりに、静かだが明瞭な声音で、柚は言葉を発する。
カロウ・ヴの喉がひくりと引き攣った音を立てた。

「人に好かれるのはもちろん嫌な気はしない。愛してるって言われればなんだかくすぐったいけど嬉しい。同じくらいの気持ちを持って愛し返したいと思う。けどお前みたいな奴に、私は間違っても愛してるなんて言えない。私からお前に向けられるのは、そんな考え方しか出来ないお前に対する憐みしかないよ」

哀れむ赤い眼差しは瞬きと共に再び意志の強い瞳の中に隠れ、カロウ・ヴを貫く。

風が柚の髪を揺らす。
プラチナピンクの長い睫毛が飾る赤い瞳、軍服に隠れた白い肌、おっとりと微笑む理想の柚を自身が手にしているというのに……。

(なんで……)

満たされなかった何かが、今見え掛けた気がした。

カロウ・ヴが望んだ柚からは想像が出来ない強い眼差しが、まるで諭すような口調と共にカロウ・ヴに語り掛けてくる。

「オーストラリアに帰れ。そして罪を償ってこい」
「その通りだ。時間稼ぎご苦労」
「!?」

カロウ・ヴの体が上から押さえつけられたかのようにがくりと沈み、足場の氷が砕け散る。
落下し掛けたカロウ・ヴは力に抗うように腕を振り上げ、見えない力を振り払うと、新しい氷の足場に足を付いて素早く振り返った。

振り返った先には、所々に氷を付着させたアスラが立っている。
血色が悪いアスラの唇から、白い息が吐き出された。

「お前……」

カロウ・ヴの周囲に氷の結晶が次々と浮かび上がり、ノコギリのように回転を始める。

すっと静かな動きで、アスラが手を翳した。
まだ体に張り付いていた氷が、アスラの動きに合わせてぼろぼろと落下する。

掌の上に黒い点のようなものが浮かび上がり、次第に点は大きな黒い渦となっていく。

空中を漂う氷の屑が次々と黒い渦――ブラックホールの中へと吸い込まれ始めた。
水面が小刻みに震え始め、水がシャワー状となり呑み込まれていく。

アスラの髪は黒い渦に吸い寄せられるように揺れ、アスラが顔を背けてくしゃみを漏した。

「アスラー!ティッシュいる?」

柚が叫ぶとぎろりと睨み返され、柚はすごすごと押し黙る。

「……さて、この俺が風邪をひいたらどうしてくれる」
「知るか!」

カロウ・ヴが手を振りかざすと、結晶の刃が左右に揺れながらアスラに襲いかかった。

その背後で、轟音が鳴り響く。
オーストラリア艦が大きく横倒しに傾き、激しく左右に揺れ始める。

「おわっ!?」

傾いた艦の手摺を飛び越え、ガルーダの体は海へと投げ出され、真っ逆さまに落下した。
音を立て、水飛沫が立ち上る。

「ちょっ、待って!俺泳げないっ!?」

海面でばたばたと暴れるガルーダの視界に、艦の手摺に掛る手が映った。
動きを止めて男の顔を見上げたガルーダは、口角を吊り上げる。

「久しぶりですね、ガルーダ尉官」
「随分な挨拶じゃん、ゲシュペンスト」

華奢で小柄な青年の嘲笑うような眼差しを眼鏡が隠す。
濃紺の髪が揺れ、ゲシュペンストは眼鏡を外して薄く笑った。

「いいえ、ご挨拶はこれからですよ」

ゲシュペンストの隣に笛を構えたモアイが並び、静かに音楽を奏で始める。
眉を顰めたガルーダの目の前にノイズが走り、ガルーダは目を見開いた。

何もない空間から、ノイズと共にハーデスがふわりと現れ、鎌を袈裟掛けに振り下ろす。
咄嗟に水の中に頭を沈めたガルーダは、ハーデスの気配が消えるのを感じながら、背中に風を集めて空へと舞いあがる。

背後に滲むように感じたハーデスの気配に身を捩り振り返った。
鎌が躊躇いもなくガルーダごと空気を薙ぎ払い、空気を裂く音がうねる。

上空へと飛んだガルーダはハーデスの頭上で反転すると、ハーデスの背中に蹴りを入れた。
ハーデスは振り返るまでもなくその場から姿を消し、ガルーダの蹴りは誰もいなくなった空間の無意味に踏んだ。

「ちっ……」

艦のデッキを見やり、ガルーダは舌打ちを漏らす。

デッキの上にはハーデスが着地し、相変わらず鳴り響くモアイの笛の音色は戦場に似つかわしくない、澄んだ美しさだ。
ハーデスは肩で呼吸をしながら、怯えた瞳で体を震わせていた。





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