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「案外大人気ないな、彼は」
「そう?しょっちゅう大人気ないけど」
「それは宮絡みだろう」
「なるほど」

手で揺れるおさげを押さえながら、柚は淡々と返した。

心の中では、なんだかんだと嫌いつつ、よく見ているものだとフェルナンドに感心している。
当のフェルナンドは、船酔いで顔色が悪い上、喋った拍子に口に海水が入り、手摺りを乗り出して海水を吐き出す姿がなんとも頼りない。

「それより、自分の仕事に集中しろ!」
「フェルナンドもな」

柚はフェルナンドに半眼を向けた。

すると、背中に翼を纏うガルーダが護衛艦の間をすり抜け、海面に触れそうな距離で飛び去っていく。

そんなガルーダの数メートルほど上空で放電が走ったと同時に、ガルーダの軌跡を雷が連続で襲う。
掠りそうな距離でかわしたガルーダはひとつ大きくはばたきをしながら、足を振り子のように振り、しなやかな動きで正面の空気を蹴るようにすると、一気に海面を離れて上空に向けて飛び立つ。

高速で空を飛ぶガルーダは、その瞳にはっきりと、オーストラリアの艦上で雷を放っている人物が見て取れる距離にまで迫っていた。
数回の小刻みな羽ばたきと共に空高く昇って行くガルーダを目掛け、空から雷が一筋の光を降らせる。

雷の筋を螺旋を描いてかわしたガルーダは、すぐ目前に迫ったオーストラリア艦を見下ろすと右腕を水平に翳す。

「お前ひとりじゃないっしょ?こそこそしてないでいい加減全員顔見せてくんない?でないと、俺から乗り込んじゃうよー?」

返事を返すように、ガルーダに向けて上空からではなく艦上から鋭い雷が飛んでくる。
ガルーダが手を翳してその力を相殺させると、艦上に浮かない面持ちの男達が姿を現して空を見上げた。

赤み掛かった銅の髪をきっちりと撫で付け、黒縁の眼鏡を掛けた、いかにもオフィス街にいそうな真面目な雰囲気の男だ。
その後に続き、気の強そうな明るいオレンジの髪をした、カロウ・ヴと同じくらいの齢をした青年と、緑掛かった黒髪をドレットヘアにした褐色の肌をした若い男が続けて姿を現す。

「そこの眼鏡がツァイ・イエン、そっちの後ろがモアイ、その隣の黒髪がムスターファ・モスクだな。よし!」

暗記した内容と顔を照合し、ガルーダは満足そうに頷いた。

「まだ居るだろ?ゲシュペンストとヘレネスってのが」
「さあ、知らないな」

ツァイ・イエンが手を翳す。
その指先にはすらりとメスのようなナイフが数本握りこまれ、切っ先はガルーダに向けられる。

それは、来いという挑発の姿勢に思えた。
挑発に乗り罠に嵌るか……一瞬の逡巡の後、ガルーダは当然とばかりの決断を下す。

ガルーダは口角を吊り上げて翼を翻し、イエンに向けて突っ込む。
まるで急降下して獲物を捕える鷹のように、右手がイエンの頭を狙って伸ばされた。

イエンの瞳が見開かれ、ワンテンポ遅れてかわす体勢に入ろうとする。
だが、ガルーダは「遅い」と心の中で呟いた。

イエンの頭にガルーダの爪先が触れた瞬間、褐色の影と黒髪が真横で踊り、黒い軍靴の踵が垂直にガルーダを目掛けて振り下ろされる。

ガルーダの翼の風が風を吹いてガルーダの体を傾かせた。
体は空中で回転して向きを変え、デッキの上に滑り込む。

軍靴が擦れて、熱を持った。
床に触れていた指先も少し擦り剥けて痛む。

イエンの眼鏡が回転しながらデッキの上に転がり落ちる。
ムスターファ・モスクが繰り出した踵落としはデッキを抉り、厳つい眼差しが片膝をついてこちらを見上げるガルーダを睨んでいた。

「助かった、ムスターファ」
「気をつけろ」

イエンは弾け飛んだ眼鏡に一瞥を向け、ガルーダの爪が当たった額から流れる血を拭い、礼を述べる。
ムスターファは抉れたデッキから足を抜きながら無愛想に返した。

(速いな……)

ガルーダはムスターファの動きに注意を払いながら、すくりと立ちあがる。
翼が風となって霧散し、腰に縛った軍服を揺らす。

次の瞬間、ガルーダの瞳孔が収縮した。
獲物をとらえたままの瞳は下方へと滑り、風の推進力に押されて飛び込んでくるムスターファを追う。

ガルーダの体も素早く反応を返していた。

上体を傾けながら捻り、右手が風を纏いながら腕を引く。
ムスターファの拳がガルーダの顔があった場所を閃光のように貫き、ガルーダの腕が振り払うように横凪ぎにムスターファの体を凪ぐ。

ちりっ……と、微かにムスターファの体を掠め、身を屈めたムスターファがガルーダの懐に飛び込んだ。
ボクシングのように構えられた両手から、鋭い拳がガルーダの顔を目掛けて放たれる。

かわしようがないまままともに横顔に一撃を受け、殴られたガルーダの体は軽く宙に浮いた。

このまま倒れれば、立ち上がる隙を与えられずに攻撃を叩きこまれる。
本能が警告を発し、考えるよりも先に体が動く。

ガルーダは手で床を叩き、風がガルーダの体を押し上げて宙返りを促す。
華麗とは言い難い激しい着地音を響かせて無事に着地をしたガルーダは、殴られた顔の痛みを感じながら、舌打ちを漏らした。

ムスターファは再び風の推進力を使い、ガルーダへと飛び込んでくる。
ガルーダは地面を蹴って後ろへと下がりながら、ムスターファから息を付く暇も与えられずに繰り出される拳を右へ左へとかわす。

(一回、距離をとらないとまずいな)

背中に風を集め、透明の翼を広げた瞬間、耳に違和感が走った。
まるで山や飛行機などで気圧の変化に耳が異常をきたした時のように、耳に何か物が詰まったかのように音が遠くなる。

それはすぐに激痛となり、ガルーダは思わず顔を歪めた。

目を向けた先に、横笛を吹くモアイの姿が映る。
モアイは瞼を起こしガルーダを見ると、ふっ……と笑った、ような気がした。

ガルーダの集中力が途絶えたその一瞬――上空に閃光が走り、二条の雷がガルーダの翼を貫く。
風と共に翼が散り、目を見開いたガルーダの動きが一瞬鈍る。

ムスターファの腕を風が纏い、ガルーダの腹に重い拳がめり込んだ。

「がっ!?」

ミシミシと体内に響く不気味な音を聞きながら、ガルーダの口から血が溢れて飛び散る。
勢い良く弾かれた体はデッキの手摺に叩きつけられ、歪む視界を無理やり抉じ開けながら、ガルーダはそのまま倒れかけた体を手摺に掴まりなんとか支えて踏み止まった。

だが、再び頭上に閃光が走る。

(しまった!?)

背後の手摺は鉄だった。
きつく瞼を閉ざし、痛みを覚悟する。

「ガルーダ一人で突っ込んで、ずるい……」

耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。
はっと顔を上げたガルーダの頭上には、手摺の上に座り込み、不満そうな顔をしたハーデスの姿が映る。

自分の力でコーティングした大鎌に雷を受け止めたハーデスは、手摺から飛び降りて鎌を振り下ろす。
雷は霧散し、静電気が音を立てて残った。

何もないところから突如現れたハーデスに、オーストラリアの使徒たちも攻撃を止めて警戒した視線を向けてくる。

「ガルーダ生きてる?」
「いててて……まあ、これくらいじゃ死なないけど」

ガルーダは腹を押さえながら、手摺りを伝って立ち上がった。
そうは言うものの、体を起こすまでに時間を要する。

「血出てるよ、珍しい。……アレ、強いの?」

ハーデスは特に心配した様子もなく、視線はムスターファに向いていた。
ガルーダは口元の血を拭いながら、けたけたと笑う。

「強いってか、速いな。さすがに一人で三人相手はきつかった」
「ふーん……。どれなら譲ってくれる?」
「あれ。あの笛持ってる奴。お勧め」
「えー、なんか弱そうだけど?」
「じゃあ、俺があの風の奴やっつけるよりも早くあれ片付けたら、あっちの雷の奴もやるよ」
「……いいよ」

視線をイエンに向けたハーデスは、モアイへと向き直り鎌を両手で握り直す。
口元には何処か残虐さを秘めた無邪気な笑みが浮かんだ。

モアイがハーデスを警戒して笛を構える。
ハーデスは足を一歩二歩と踏み出し、三歩目の瞬間、その場から目を疑うようにハーデスの姿が綺麗に掻き消えた。

金属と金属がぶつかり合う音が響く。
モアイの背後に姿を現したハーデスとモアイの笛がぶつかり合い、ハーデスが鎌に体重を掛けて背後に飛ぶと、再び姿を消す。

モアイは神経を研ぎ澄まして周囲に視線を走らせた。

背後に気配を感じて笛を横に薙ぐと、確かに敵の武器とぶつかる音と衝撃が響く。

それと同時、首筋に巻き付くように冷たい手が触れる。
薄暗い赤紫の髪がモアイの肌に掛り、真横から感じるハーデスの陰鬱な視線に悪寒が走った。





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