26


周囲は慌ただしく動き始めていた。

そんな流れに、フェルナンドは自分が取り残されているような気がしていた。

アスラはすぐさま政府に呼び出しを受け、報告に向かった。
政府は事実確認にてんてこ舞いだ。

イカロスは普通の病棟に移されたが、まだ完全に疑いは晴れず、監視が付いたままの状態が続いている。

そして支部からジャン達が到着した。
ニエという子供を除いて……。

オーストラリア国内でも、ついにデモ隊が暴徒と化し、武装した部隊と市民が衝突して死者が出ている。
そんな状況でも尚、クックは自身が使徒の力によるコピーであることを否定し、退陣要請も拒否し続けていた。

そして、自分達の連繋訓練は中止になった。

イカロスが目を覚ましてから丸一日が経過しているが、フェルナンドはまだ一度も柚に会っていない。
柚は大暴れした罰を受け、一日の謹慎処分を言い渡されているが――フェルナンドにはそれが処分とは到底思えなかった。

「なんだよ」

柚の部屋のインターフォンを鳴らすと、部屋から顔を出したのは不機嫌な面持ちの焔で、フェルナンドは思わず部屋のネームプレートをもう一度確認してしまう。

「だから、何の用だよ」
「いや、宮に用があるんだが……なんで君が」
「あいつは寝てる。俺はあいつがまた勝手に暴走しないように監視の任務中。伝言なら伝えとくけど?忘れなけりゃな」
「……」
「で、出直すのか?」

迷惑そうな顔の焔は、フェルナンドに「さっさと帰れ」と言いたげな態度を隠しもしない。
任務中と言いながらも、明らかに面倒くさいと顔に書いてある。

フェルナンドは引き攣った顔で咳払いを挟むと、手にしていた荷物を焔に差し出した。

「宮が僕の部屋に置いていった物だ。本人に渡してくれ」
「ああ」

素っ気なく告げて荷物を受け取る焔にちらりと視線を向け、フェルナンドは床に視線を落とす。

「……それで、その、宮は?」
「だから寝てるって」
「そうじゃなくだな、様子を聞いてるんだ!」
「……なんであんたがあいつの心配すんだよ」
「べっ、別に僕は心配なんてしてない!」
「声でけぇし……」

赤くなって反論するフェルナンドを他所に、焔は迷惑そうに半眼を向けてくる。
はっとした面持ちできょろきょろと周囲を見渡したフェルナンドは、声を落として焔を睨んだ。

「僕はあくまでも、宮に何かあれば連繋訓練中だった僕が監督不行き届きとして責任を問われることになるから――」
「ああ、はいはい。もうどうでもいい」

自分から聞いてきたくせに、ひらひらと手を振りフェルナンドを言葉を遮る焔に、フェルナンドの顔がひくりと引き攣る。
そんなことは全くお構いなしに、焔は冷めた眼差しをフェルナンドに向けた。

「で?まだ何か用かよ」
「っ……失礼する!」

なんて可愛くない!――と毒づきながら、フェルナンドは大股で柚の部屋から去った。

焔はフェルナンドにあまりいい感情がない。
当然と言えば当然で、柚の方が異常だと思う。

それにしても、後輩に睨まれたくらいで戻ってくる自分も情けないとは思った。
フェルナンドは部屋のドアが閉まる音を聞くと足を止め、肩越しに歩いてきた方へと振り返る。

(本当に……イカロスなんて目を覚まさなければよかったんだ……)

心の隙間から洩れた言葉を振り払うように首を横に振り、フェルナンドは足早に歩き去った。





空に星が瞬く。
その中で点滅する光は、星かと思えば飛行機の明かりだった。

「……暗いよ」

イカロスはげんなりとした面持ちで、ベッドの隣で窓から空を見上げてため息を漏らしているアスラの顔を見る。

「……」
「いやね、柚ちゃんに拒否されてショックなのは分かるよ。けどさ、落ち込んでてもしょうがないと思うんだけどな」
「……」
「そう、そうだよアスラ!凄いじゃないか、大体あってるよ。柚ちゃんの考えが分かるなんて凄い進歩じゃないか」
「……」
「違うよ、馬鹿になんてしてないって。純粋に褒めてるんだよ」

心を読めるイカロスの前で、アスラは極端に無口だ。
イカロスの独り言にしか聞こえないのだが一応会話は成立している。

イカロス監視の任に当たっている隊員達は、聞こえてくるイカロスの独り言に疑問符を浮かべるしかない。

「それに、アスラは俺のお見舞いに来てくれたんじゃないのかな?もっとこう、嬉しそうにしてくれないと、せっかく目を覚ましたのに立場がないんだけど」

穏やかな声音で、イカロスは苦笑を浮かべた。

少し伸びたイカロスの髪が鬱陶しいと思う。
あまり好ましい印象を受けなかった。

アスラは返事を返したイカロスから顔を背け、再び窓の外に視線を戻してしまう。

「そうだな……」
「そうだよ」

アスラに鬱陶しいと思われた髪を耳に掛け、イカロスは目を細めた。
アスラがゆっくりと振り返る。

「迷惑を掛けたね」
「……そうだな。次は勘弁してもらいたいものだ」
「はは、いい兄離れになったんじゃないのかな?」
「……」
「冗談だよ」

小さく笑みを漏らし、イカロスはため息を吐いた。
その視線は、ベッドの上の自分の手に向けられる。

「でも驚いた。俺にとっては少しのつもりだったんだけど、こんなに筋肉が衰えるほど時間が経ってたなんて」
「お前は少しのつもりかもしれないが、俺達には長かった」

それはまるで拗ねたような口調で、その長かった時間を振り返るように、アスラは視線を落とした。

ゆっくりとアスラを見上げ、イカロスは若葉色の瞳に弧を描く。

必要とされている。
いつまでも自分に頼らせていてはいけないと思っているのだが、嬉しくないはずがない。

だからこそイカロスは、声なくアスラへと笑い返した。





使徒の宿舎の奥に訓練室があるように、研究所側の奥には別棟がある。
そこは主に生後の経過が安定した使徒の子供の収容所であり、ある程度大きくなるまでの間、使徒の子供はそこで生活していた。

ジャン・ルネ・ヴィレームは別棟に用意された部屋から車椅子で廊下に出ると、小さく息を吐いた。

人気もなく、静か過ぎるこの場所はなんとも息が詰まる。
半日ほど過ごしたが、どうにも好きになれなかった。

それともうひとつ、近くに付かず離れずハーデスの気配を感じる。
彼がなんの為に別棟の周囲をうろうろしているのか分からず、それが余計にジャンを疲れさせていた。

少し前までこの場所に憧れていたニエという子供はもういない。
ニエには処分が決定され、護衛隊が到着する直前に安楽死をさせられた。

(……あれで、よかったのだろうか……)

車椅子の車輪が軋んだ音を立てる。

ふいに顔を上げたジャンは、全く気配もなく廊下を歩いてくるユリアの姿に眉を顰めた。
ユリアはいつもと変わらずに、薄い笑みを浮かべながら迫ってくる。

「ユリア?どうしたんだい?」
「散歩」
「こっちに?」

珍しいというよりは、有り得ないと思う。

ジャンは別棟を許可なく出るなと言われた。
恐らく、ハーデスの精神面を考慮した結果だろう。

ここにはジャンの他に二人の子供がいる。
ありえないことだが、父親が子供に危害を加えたりしないよう、基本的には関係者以外立ち入り禁止だ。

「ねえ、ジャン?」
「……」

中性的な顔立ちで、まるで芸術。
何処か世界を達観した眼差しで見下ろすこの青年は、ジャンにとって何処か恐ろしい。

何を言われるのか、無意識に身構えてしまう自分がいる。

(何を警戒しているんだ)

やましいことがあり、追い詰められているような気分だ。

ユリアは優雅に腰を折り、ジャンに顔を寄せる。
緊張に心臓が高鳴り、思わず呼吸すら忘れた。

「ニエって子、嫌いだった?」
「何を……言ってるんだい?」
「だってジャン、あまり悲しんでいないじゃない?」
「!?」

肩が揺れ、ジャンの瞳がみるみる見開かれていく。

「ユリア、君……」
「ふっ……」

上体を起こしたユリアの口角が吊り上り、薄く開いた唇が笑う。
それはまるで命を玩ぶかのように嗜虐的な笑みに感じ、ジャンはぞっと背筋を凍らせた。

いつの間にか、真横にいたはずのユリアは背後に移動し、車椅子の背もたれに腕を乗せて体重を掛けている。

「やっぱりね。じゃあもういいや、おやすみジャン」
「ユ……」

それ以上、名前を呼ぶことすら憚られた。

ユリアは薄暗い廊下に静かな足音を響かせ、闇の中へと溶け込むように消えていく。

途端にジャンは咽るように息を吐き出し、胸元をきつく握り締めた。
心臓があまりにも激しく動き、汗の滲んだ手が小刻みに震える。

(ニエは死んだ、ニエは死んだ、あの子は、死んだんだ!)

震える手が顔面を覆う。
ジャンは体を震わせながら、死という単語を繰り返す。

(皆、皆、処分された。死んでしまった、もうこの世にはっ……)

――何処にもいないんだ……。

悲痛な悲鳴のように、まるで誰かにそう訴えるかのように。
ジャンは心の中で叫び続けた。





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