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アジア帝國の特殊能力部隊アース・ピースには、世にも稀な双子の使徒がいる。

弟に比べ気が弱く力も弱い兄のアンジェには、コンプレックスがある。
兄に比べ気が強く力も強い弟のライラにもコンプレックスがある。

顔は全く同じだが、性格はまるで鏡に映し出したかのようだと、周囲の者は言う。
身近な者が見れば、その顔に浮かぶ表情や纏う雰囲気で、一瞬にして見分けられる双子だとも言う。

ライラは隣で、今日も散々な結果に終わった訓練の後に空元気をふり絞る兄の話を、右から左へと聞き流しながらため息を漏らした。

するとアンジェはびくりと肩を震わせ、おどおどと指を絡ませながら、ライラから顔を逸らして俯いてしまう。
その顔には申し訳なさそうな苦笑を浮かべ、丸められた背中がなんとも惨めに感じる。

「ごめんね、僕一人で喋っちゃって。つまらなかったよね?」
「別に。そういうんじゃないけど」
「じゃあ、うるさかった?だよね、集中できないよね。ごめんね。僕、静かにしてるから」

(また謝った……)

苛々する、どうしようもなく苛々する。
そんな感情を、ライラは持て余す一方だ。

といったところで、アンジェにそれをどうこう言う――という考えは、最初からない。

ライラは退屈だった。

同じ毎日の繰り返しにうんざりしている。
本当にどうしようもないことを考えだすほどに退屈で、それも苛々の原因なのかもしれない。

娯楽といえば、映画館等の娯楽施設があるにはあるが、それもライラの憂鬱を晴らしてくれるものではなかった。

何をやっても楽しく感じない。
自分でも何がしたのか、どうすれば気が晴れるのか、さっぱり検討がつかない。

それも恐らくは、苛々の原因だ。

「僕、散歩してくる」
「え?でも、宿題は終わったの?」
「半分はね。残りは後でやる」

呼び止めるアンジェに振り返ることなく軽く手を振り、ライラは部屋を出た。

部屋を一歩出ると、無意識に零れる小さなため息と共に足を止め、部屋へと振り返る。

アンジェとライラは同室だった。
他の誰もが個室を与えられているのに、自分たちは物心がついた時から同じ部屋を与えられている。

実験という名目で一か月ほど、一度も顔を合わせずに過ごしたこともあるが、基本的には一緒に過ごす時間の方が多い。

二人が当たり前。
周囲の仲間ですら、自分たちを呼ぶ呼称が"双子"である。

それも決して不満ではない。

特に用もないが図書室に足を向けるのも、繰り返しの毎日の中の決まった行動パターン。
そこで運が悪ければ、苦手な研究員に会う。

今日はその運のない日だったらしく、図書室の中をぶらぶらとしていると、資料を探しに来ていた白衣姿の男達に会う。
気付かないふりをして本棚に隠れようとするが、一足遅かったらしく、あちらから声を掛けてきた。

「ライラじゃないか」
「こんにちは、この間はお菓子を有難うございました」

アンジェほど上手くはないが、愛想笑いを向ける。

「こらこら、内緒って言ったじゃないか」
「そうでした、ごめんなさい」

ライラは自分でも馬鹿らしいほど、無邪気そうに笑って見せた。

意識した笑顔を作るのは苦手だ。
だからこんな時、意識の上では甘え上手な兄の笑顔を真似ていた――性格だけならば、アンジェのような子供が可愛がられると知っているからだ。

使徒の食事は管理されている。
大人がお菓子をくれることはよくあることだが、一応のところは禁止とされていた。

男は周囲を見渡して人目を気にしたが、本気で怒っている様子もない。

ライラは、この男が自分を気に言っていることを知っている。
この男は優秀で素直な子供が好きだ。
素直――という点でならばアンジェだが、残念ながらアンジェは優秀とは言い難い。

「今日の訓練はどうだった?」
「はい、問題なく」
「そうか。これからも頑張りなさい、君はアンジェと違って見込みがあるんだから」

冷たい手が肩を叩いた。

「後で一人で食べなさい。成長期だからね、少しくらいいいんだよ」

男はポケットから板チョコを取り出し、ライラに預けて去っていく。
お礼を言われることを照れるかのように振り返らない背中を、ライラは見当違いだと睨み付けていた。

(何が一人でだよ)

苛々する。

双子であり使徒である、自分たちは二人で一人なのだ。
もはや切っても切れない絆で生まれた時から繋がってしまっている。

半身を貶されれば当然腹が立つ。

(無神経な奴)

使徒を研究する立場のくせに、使徒の習性を知りながら無神経な発言を悪気もなく口にする。

いつもライラとアンジェを比べる。
力の強さでしか、相手を見ようとしない。

(嫌いだ)

そんな考えしか出来ない者も。
そんな者に愛想笑いを向ける自分も。

ゴミ箱の横を通り過ぎ、無造作にチョコを投げ入れた。

(ここは汚い)

けれど……。

(外の世界は、もっと汚いのかな……?)

廊下の窓から見える透き通るような空は美しいというのに、その下に暮らす者たちは醜い。

揺れるゴミ箱の蓋を見下ろしながら、ライラは顔を顰めて足早にその場を立ち去った。





その日の昼は、柚に付き合わされて渋々森の中で食事をとった。

リスや鳥がよく柚に懐いている。
ガルーダが留守にしている時は、ガルーダの代わりに柚達が必ず来ると言っていた。

そもそもフェルナンドは、ガルーダが動物や鳥に餌付けをしていることすら知らなかった。
ガルーダは特に苦手な部類の上官だ。

(よくあんなでたらめな人を相手にしていられる……)

それが柚だ――という魔法の言葉で、もはや考えないようにしているのだが……。

施設に戻る途中、エントランスに横付けされた車を見付けた。
車はすぐに走り去ったが、任務に向かう時に使われている車だ。

柚は早速エントランスの前に立つ見張りの隊員に自由な方の手を大きく振り、小走りに歩み寄ると声を掛けた。

「キース、マイスールさん、お疲れ様」

男達がにこやかな笑みと共に軽く敬礼で返してくる。

呆れた面持ちで、フェルナンドは柚と一般兵部隊の人間を見ていた。
仲間達に対する程気安い態度ではないが、どちらかといえば親しく見える。

「え、そうだったの?知らなかった」
「きっと、まだ医務室に居ますよ」

特に柚がキースという一般兵部隊の隊員と接する態度は、仲間に近い親しさを感じた。

会話の内容など全く聞いていなかったフェルナンドは、キースとマイスールに別れを告げてくるりと振り返った柚の言葉に思わず問い返すことになる。

「じゃあ、医務室に行こう!」
「は?なんでまた……」
「なんだよー、聞いてなかったのか?フラン達が任務に出てたんだって」
「そうなのか。で?」
「おかえりって言いに行こうよ」
「嫌だ」
「なんで!いいじゃん、ケチ!ケチケチケチケチケチー!」
「わーかった、煩い!?行けばいいんだろ、行けば!」

大声で騒ぎだした柚に思わず耳を塞ぎながら、フェルナンドは渋々ながらも率先して医務室の方へと足を向けた。

使徒の健康管理は徹底されている。
特に外界と接触した際には、病原菌などに感染していないか、必ず診察を受けることが義務付けされていた。

キース達の方から押し殺した笑いが聞こえてくると、居心地の悪さと柚に対する恨めしさを感じる。
どうにも自分らしくないが、柚とずっといることで抗う術を忘れてしまったかのようだ。

フェルナンドは柚の先を歩きながら、愚痴を漏らすように呟く。

「君は、どうしてそう他人と関わりを持とうとするのか、到底理解しかねるよ。大体、なんで一般兵の人間にまで……」
「そういう言い方をされると困るんだけど。関わりって言っても……皆と話すほど親しくはないよ。キースはよく顔合わせるから話す機会も多いけど、他の人とは挨拶したりちょっと話をするくらいかな。あっちから声を掛けてくれることもあるけど、せいぜい一人かフランと一緒の時くらいだし」
「僕は、任務以外で彼等と話しをしたことがない」
「挨拶くらいはしようよ」

柚は苦笑を浮かべる。
何処となく、フェルナンドは面白くなさそうな顔をしていた。

「必要ない。彼等と話をしたところで何の意味もなさない」
「意味がなきゃ挨拶もしないの?じゃあ、今フェルナンドが私を会話をしてくれてるのは、意味のあること?」
「……訓練だ、仕方ないだろう」

フェルナンドは問い掛ける柚に横目で一瞥を投げ、歯切れの悪い口調で返す。
対極に、柚は明瞭な口調で間髪を容れずに問い返す。

「でも、訓練以外の時も話をしてくれるじゃないか」
「……君が勝手に話し掛けてくるんだろう」
「無視すればいいだろ?」
「……無視したところで、君は返事をするまでついてきそうだからね。さあ、くだらないおしゃべりは終わりだ!長話は勘弁してくれよ?仕方なく付き合っているが、君に振り回されるのは面白いものじゃない」

柚は「ぷっ」と噴出し、くすくすと朗らかに笑みを漏らした。
歯切れの悪い口調で返すフェルナンドの言葉は、まるで言い訳をしているように思えてしまう。

フェルナンドと玉裁に襲われ、暫く経った頃。
そんな経緯もあり、一度もまともに話したこともない、お互いがどういう性格かまだよく分からなかった頃に、柚からあいさつをしたときに驚いて振り返ったフェルナンドを思い出す。

結局、まともなあいさつが返ってきたことはその時もその先も一度もなかったが、身構えるような顔をして振り返ったフェルナンドの態度は文句があるかと言わんばかりの開き直ったもので、柚があいさつのみを告げてその横をすり抜けると、困惑した面持ちで見詰めてくる視線を感じた。
恐らく、強姦未遂を糾弾されると彼なりに身構えていたのだろう。

次第に日が経つにつれてその姿勢も薄れていったが、今度は彼は思い出したように、自分に対して身構えて壁を作ろうとしていると感じることがあった。
まるで柚に気を許すまいとするような態度は、柚にとっては首を傾げるものであったが、それだけ彼が無意識に気を許してくれている証拠のようにも思える。

眉を顰めて柚を見るフェルナンドに、柚は静かに首を振って返した。

「なにをニヤニヤと……」
「だって、フェルナンドってなんだかんだ言っても、結構付き合ってくれるんだもん」
「君……自分が、どれだけ強引な性格か、考えてみたことあるかい?」

嬉しそうに笑っている柚に、フェルナンドは疲れた面持ちを向ける。

それは丁度医務室のドアの前だった。
ドアに手を掛けようとすると、一足先にドアが中から開く。

フランツが驚いて小さく声を漏らし、「なんだ、柚ですか」と苦笑を浮かべた。

「どうしたんですか?」

中央塔にある一階の医務室は、主に外出後の使徒や研究員が使用している。
使徒が日常の中で使用するのは、ヨハネスの医務室で、基地の外に出ていないはずの柚達がこちらの医務室に来たことに、フランツは首を捻る。

「いや、フラン達が任務で出掛けてたって言うから来たんだ。いつ出掛けたんだ?全然知らなかった」
「少し前ですよ」

フランツは少し疲れた顔で、医務室の中に視線を向ける。
その中にはハーデスの姿もあったのだが、何故か丸椅子に座ったまま体を強張らせて小さくなっていた。

「神森らしきテロの情報が入って行ってきたんです。結局、着いたころにはもう逃げちゃってましたけどね」
「そっか、お疲れ様。で、なんでハーデスはあんなところに隠れてるんだ?」
「なんだか知らないんですが、ずっとあの調子で顔見るたびにビクビクしてて……。僕何かしました?」
「ご、ごめん。ちょ、ちょっと……夢で」
「夢で?僕全然悪くないじゃないですか」

フランツが不服そうに、ハーデスに文句を言う。
再度、消え入りそうな声で「ごめん」と繰り返すハーデスは、柚の姿を見ても出てくる気配はない。

フェルナンドが、「昨日のことでも気に掛けてるんじゃないか」と言いたげに柚の顔を見る。
柚もそう思っていたのか、腰に手を当てながらため息を漏らした。

「ってことは、私も夢の中で何かしたってこと?」
「ゆ、柚は悪くないよ。フランも……」
「よかった。昨日あんなこと偉そうに言ったからかと思った」
「ち、違うよ!違う。俺、言ってもらって良かったと思う」

慌てたハーデスが、背中を丸めながら柚の前にまで歩いてくる。
「安心した」と呟くと、柚は思い出したように苦笑を浮かべてハーデスの腕を引き寄せた。

「ちょっと耳貸して?」

体を屈めたハーデスに、背伸びをした柚がこそこそと耳打ちを始める。

「私も昨日の夜、何度も魘されてフェルナンドに起された」
「……柚、が?」
「一緒だな」
「う、うん。一緒」

柚は「内緒な」と呟き、はにかんだように笑う。
ハーデスは噛み締めるように呟き、頬を緩めた。

途端に、フランツが不服そうにハーデスの後ろから顔を出す。

「なんですかー?フェルナンドは仕方ないとして僕にも教えてくれないんですか?」
「仕方ないってなんだ、失礼な」
「フランには内緒。ね、ハーデス」
「う、うん。内緒」

ハーデスは秘密を共有することが嬉しいのか、少しそわそわとした様子で力強く頷き返した。

そんな柚とハーデスを、フランツが冷やかして笑う。
柚が笑うとハーデスも一緒に、控えめではあるものの笑みを漏らす。

そんな二人を見やり、小さな苦笑をフェルナンドが浮かべると、フェルナンドは自身の表情にはっとして咳払いを挟んだ。

「さあ、もういいだろう。部屋に戻ろう」
「あ、うん、そうだな。じゃあまたね」
「有難う、柚。俺頑張る」

ハーデスは笑顔で大きく手を振りながら去っていく柚に、小さく手を振り返した。

柚の姿が完全に見えなくなると、その手の動きはゆっくりと止まり……ハーデスは手を下すと、指を強く握り込んだ。

(俺だけじゃないんだ……)

苦しんでいるのは自分だけではない。

誰もが、何かしら悩みや痛みを抱えている。
ただそれを見せないようにしているだけのこと……。

(ユリアの言った通り……俺が味わったのは一瞬で、けどジャンにとっては一生で……)

あまりにも大きな罪を自覚した時、謝ることすらはばかられる気がして萎縮してしまった。

「ハーデス?」
「?」

ふいに声を掛けられ、ハーデスははっとした面持ちでフランツに振り返る。
フランツは穏やかに微笑み、ハーデスの顔を覗き込んでいた。

ユリアの幻術の中で、なぜか恐怖に感じた笑みと同じではあったが、あの時恐怖に感じたことが不思議なくらいに優しい笑みだ。

「あなたの事、心配しているのは柚だけじゃないんですからね」
「……え?」
「なのにハーデスは柚ばっかりで、ちょっと寂しいっていうか、妬けるって話です」
「……」
「ライアン、口には出さなかったけど、昨日凄く心配してる感じでしたよ」
「ライアン、が……」
「あなたがもう大丈夫なら、せめてそう伝えてあげてくださいね」
「……うん。えっと、ありがとう、フラン」

「いいえ」と、フランツは微笑む。

胸が温かくなる、柚と同じ優しい微笑みだと思った。
胸の奥がそんな微笑みに照らされるようにくすぐったくなる。

フランツの言う通りだと思う。
優しいのは柚だけではない。
その優しさに甘えて隠れているばかりではいけないのだ。

またひとつ強い覚悟を胸に抱き、ハーデスは凛とした眼差しと共に廊下から姿を消した。





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