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今回の訓練は、訓練内容を知った研究所側が便乗してきた形ではあるが、密かに研究所側に観察されていた。
当然柚もフェルナンドもそのことを知らず、知れば怒るであろうことは目に見えている。

研究所はつい最近、女性使徒が生後数ヶ月の使徒であれば、自身を意識的な母として、他人の子供を支配下に置くことが出来る可能性が極めて高いという研究結果を纏めた。
いわゆる"インプリンティング"――鳥の雛が孵化して最初に見た動くものを親と認識する習性――に良く似た現象だ。

使徒にとって、血縁関係は大きな意味をなし、逆らえない本能的なものである。
例え血が繋がっていなくても、育ての親や関係の深い間柄の相手にも同様の感情を引き起こすことがあるということは、すでに何十年も前に確認されている。

完全に人格が形成されてしまえば効果を成さないが、長時間共に過ごすことで何らかの効果が発揮されるかもしれない――というのが、研究所側の考えだ。

(女だからというよりは、フェルナンド達の件は柚の性格のような気もするが……)

難しいことは分からないし、分かりたいとも思わない。

「まあ、せっかく予習をしてきてくれたなら……ちょっと待っててくれ」

ジョージは何かを思い付いたように、教室を出て行った。

途端に、限界に達したようにライアンズと焔が腹を抱えて笑い声を上げる。
フェルナンドが椅子から立ち上がり、「何がおかしい!」と怒声を上げた。

「何って、だって、お前!昨日ずっと眠れなかったの?マジうける!」
「あんなB級ホラーでかよ、ありえねぇ!」

ライアンズが腹を抱えて笑い転げ、焔が机を叩く。
そんな二人に、柚が呆れたように冷めた眼差しを向ける。

「二人とも笑い過ぎだ。怖いもんは怖いんだから仕方ないだろ。誰にだって一人では耐えられないほどに苦手なものくらいあるさ」

柚はフォローしたつもりだが、庇われたフェルナンドは真っ赤になって声を張り上げた。

「僕は別に怖くない!!昨日はたまたま眠れないから、宮の勉強の手伝いをしてやっただけであって、決してあの映画が怖かったわけじゃあない!」
「普段から血とか見慣れてんだろ?何が怖いわけ?」
「話を聞け!怖くないといってるだろ!」

肩を竦めるライアンズに、フェルナンドが机を叩く。
柚は机の上に頬杖を付くと、部屋の天井の隅をぼんやりと見上げたまま呟いた。

「幽霊って実際いるのかな?」
「非科学的だ!」
「いやいや、いるだろ。なんせ俺達使徒も十分非科学的だぜ?」
「馬鹿な!僕達の存在は科学的にも証明されている」
「こら!お前等、俺が居なくなった途端に何騒いでるんだ!!」

教室にジョージの野太い声が響く。
ぴたりと四人の声が止み、何事もなかったかのように行儀正しく椅子に座り直す。

あまりの変わり身の早さに呆れながら、ジョージはプリントを柚と焔に渡した。

「これは今教えているところよりもちょっと先の問題だ。お前達は教科書やパートナーを頼ってもいい。ただし答えを教えるのは駄目だ。最終的に問題を解くのは本人の力、いいな」
「……それって……」

焔は隣でげんなりしているライアンズを一瞥する。
続いてフェルナンドに視線を向けると、対するフェルナンドは柚の持つプリントを覗き込み、「ふっ」と余裕のある笑みを浮かべていた。

「俺、すんげぇ不利じゃねぇ?」
「おいおい焔。お前今、さりげなく俺を馬鹿にしなかったか?」
「まあ、ちょっとくらいならフェルナンドを頼っても良いぞ。今日中に終わらせろとは言わん。この訓練が終わるまでが期限だ」
「きょうかーん、俺ってそんなに頭悪いっすか?」

存在を無視して話を進めるジョージに、ライアンズが情けない声をあげる。
途端に、柚が音を立ててばたりと机に倒れ込む。

「こら、宮!寝るな!」
「駄目、この文字の羅列は今の私には堪えられない」
「今すぐやれとは言ってないだろ。さて、今日はこれからお前が予習してきたところをやるぞ」
「えー」
「えーじゃない、せっかく徹夜したんだろ?ほら、前に出てこの問題を解いてみろ」
「だってさ、フェルナンド」
「君が解かなくてどうする……」

フェルナンドが柚に半眼を向ける。

焔は柚とフェルナンドのやり取りを、机に頬杖を付いたままぼんやりと見ていた。

(なんだかんだいって、結構上手くやってんだな)

そうなるだろうとは予測していたが、少し複雑な気分だ。

自分のパートナーであるライアンズはさばさばしており、面倒見も良く大抵誰とでも上手くやれるタイプで、自分としても苦手な部類ではない。
ずっと一緒にいると、普段ただ話しをするだけでは見えない一面などが見えてきて、新鮮ではある。

ジョージの目を盗み、こそこそと話し掛けてくるライアンズに、焔は頬杖をついたまま視線のみを向けた。

「お前、これ一人で解けよ」
「安心しろよ、あんたに期待してねぇし」
「皆馬鹿にするけどなぁ、俺だって当時はそれなりだったぞ!」
「ライアン、うるさいぞ。私の素晴らしき天才的な回答を見てなかったのか?」
「何が天才的だ。隣でフェルナンドが言ってたのを映しただけだろ」

得意気な面持ちで胸を張る柚に、フェルナンドは無言でため息を漏らし、ジョージが呆れ顔で突っ込みを入れる。

「お前等皆、ここに来る前はそれなりにいい成績を収めてたじゃないか。全く、俺の教え方が悪いように思われたら堪らん」
「だって、前はちゃんとテスト前に勉強してたもん」
「まあ、そうだな。一応」
「今もやれ、今も」

苦笑を浮かべる柚に、焔がどうでもよさそうに同意した。

ジョージが疲れた面持ちで告げると、柚は肩を竦める。
すると、ライアンズが訳知り顔で何度も頷く。

「あー、分かる分かる。俺もそうだった。やっぱり成績がいいと喜ばれるから、一応頑張るんだよな」
「そうそう。今はやってもママが褒めてくれるわけじゃないし」
「君は、親に褒められる為に勉強して――」

呆れた顔で告げ掛けたフェルナンドが、口元を押さえて顔を背けた。
人のことは言えない、自分の人としての人生は全て、親の望む優秀な子供の姿を演じてきた結果なのだから……。

そんなフェルナンドの反応など気にも掛けず、柚は頷く。

「だって遊ぶ方が楽しいし、勉強と運動なら運動の方が好きだし。好きじゃないものを頑張るならやっぱり、何か張り合いみたいのがないとなぁ」

柚は笑う。

「パパが、頑張るのは悪いことじゃないけど好きなことをやれって言ってくれてたんだけど、やっぱり成績がいいとママは喜んだからなぁ」
「はあ……」

ジョージがしみじみとため息を漏らす。
柚ははっとした面持ちで、ため息を漏らすジョージにおろおろと声を掛けた。

「でも、次のテストはちゃんと頑張るから!」
「その場しのぎのテストと言わず、常日頃の講義から頑張ってくれと願う俺は贅沢過ぎるのか?」
「こ、講義も頑張る!」
「ああ、その調子で頑張ってくれ。次のテストでいい点取れたら菓子でもやろう」
「あっ!絶対無理と思って馬鹿にしてるな!いい点取れたらケーキワンホールだから、約束!」
「一人でそんなに食うのか?聞いただけで胃の辺りがムカムカしてくる。後で体重が増えたって、俺を怒るなよ?」

柚とジョージのやり取りを見やり、焔がぼそりと呟きを洩らす。

「なんか、じじいと孫みてぇ……」
「誰がじじいだ!俺はそんな歳じゃない!」

フェルナンドが、思わず顔を背けて笑いを堪えた。
すかさず怒鳴り返してくるジョージにたじろぎながら、隣で豪快に笑うライアンズを横目で睨む。

(ああ、またか……)

焔は何処か上の空で、この光景を見ていた。

(結局、柚のペースだな)



その頃、アスラは執務室の中で微かに緊張を感じていた。

部屋のドアがノックされ、「入れ」と返す。
その声がいつもと違わなかったか多少の不安を感じる。

ドアの隙間から、陰鬱な顔が半分出された。
目だけがのっそりとした緩慢な動きで部屋の中を見回す。

アスラは眉間に皺を刻みつつ、反場呆れた思いで小さく息を吐いた。

「何をしている、さっさと入ってこい」

ドアに体重を掛け、おどおどした様子のハーデスが部屋に踏む込んでくる。
アスラは読み掛けの書類を机の上に投げ戻し、机の上で指を絡めた手を置いた。

委縮したようにハーデスは背中を丸め、時折ちらりとアスラの顔を見てくる。
いつまでのドアの前から動かないハーデスを手で机の前まで来るように呼び寄せると、蛇行をしながらようやく机の前にまでハーデスが歩いてきた。

その間、黙って待つアスラの眉間の皺は濃くなっていく。
アスラは息を吐き、ハーデスの顔を見上げた。

「後ほど他の者にも報告するが、先にお前に伝えておきたいことがある」
「な、何?」

ハーデスの視線が忙しなく動く。
が、一度もアスラと目を合わせはしない。

おどおどとした態度が、ひどく腹立たしく感じることがあることは確かだ。
正直なところ、いつまで経ってもハーデスへの接し方がよく分からない。

ただ、これから伝えようとする事実がハーデスにとって嬉しくない内容だということは確かだった。

「現在支部にいる使徒を、こちらに呼び戻すことになった」
「……え?」

首を傾げたハーデスの瞳が、間を置いてみるみると見開かれていく。

現在、研究支部にはジャン・ルネ・ヴィレームという使徒がいる。
彼は過去のとある事故で足が不自由になり、車椅子での生活を送っていた。

怯えたように体を震わせ、ハーデスはゆるゆると首を横に振り始める。





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