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「投降する者は武器を置き、黙って床に伏せろ」

断末魔のような悲鳴を上げる男に一瞥も向けないまま、アスラは淡々と事務的に告げる。

だが、誰も動こうとはしない。
恐怖の余り動けなかっただけなのかもしれないと、柚は思った。

アスラの口角が微かに吊り上る。

「さすが歴史あるマフィアとでも言うべきか。勇敢とは時に愚かだ。望み通り、力ずくで跪かせてやろう」

アスラの手が握られると同時、四方からぐしゃりとつぶれる音が響いた。

はっとしたニコラが、銃を投げ捨ててファルコに飛び掛る。
ニコラと共に倒れこんだファルコの瞳は見開かれたまま、銃を持つ男達の手が、銃と共に砕け散る光景を映し出していた。

「グ、グランパ……」
「ば、化け物だ……」

ファルコは愕然とした面持ちで呟きを漏らす。

男達が痛みに喘ぐ中、アスラが軽く指を曲げた。

小気味の良い音ではあるが、正体を知れば不気味としか言いようのない。
ボキボキと、細い枝を折るかのように音を立てた男達の足が折れ、床に崩れてゆく。

「ア、アスラ……」

柚の頬を嫌な汗が伝い落ちた。

(変なところでイカロス将官に似てしまったんだろうか……)

次々と人が倒れて行く中、アスラは残虐に薄い笑みを浮かべていた。

ゆっくりと、アスラの指先が開かれていく。
その掌が狙いを定めると、静かに、まるでその手が何かを握るように閉じられていった。

男の一人が、胸元を抑えてガクガクと体を震わせ始める。
くぐもった音と共に、男は白目を剥き、無言で地面に倒れ込んだ。

ゾクリと悪寒が込み上げる。

「おい、それくらいで……」

思わず、焔がアスラを止めようと声を掛けた。

「まだ五人、残っているのが見えないのか?」

焔には目もくれず、アスラが吐き捨てる。
それと同時に、また一人、地面に崩れ落ちた。

焔はぎりりと奥歯を噛み締め、ハーデスへと振り返る。

「!ハーデス、お前もあいつを止めろよ!このままじゃあいつ、皆殺しにしちまうぞ!」
「なんで?柚を攫った連中だよ?いい気味」

こうなって当たり前だと言うように、ハーデスは小さく笑った。

青褪めるニコラの隣に立つ男が、呻きながら倒れる。
駆け寄ったニコラは、泣きだしそうな顔でアスラに振り返った。

「止めろ!止めてくれ!止めてくれよ!降参する、だから止めてくれ!」

ニコラの訴えに、アスラが無感情な面持ちのまま、僅かに首を傾ける。

「もう遅い。それに……」

アスラは視線をファルコへと向けた。
振り返ったニコラが唇を震わせる。

「その男は、投降する気などないように思えるが?」
「え……グランパ!駄目だ、止めて!」

ファルコが座り込む柚に向けて駆け出し、手を伸ばす。
その手には鋭利なナイフが握られていた。

はっと現実に引き戻された柚が、慌てて立ち上がり、ファルコから逃げ出そうとする。

ファルコの手が、柚の長い髪を掴んだ。
柚の首が仰け反る。

次の瞬間、焔とハーデスが同時に動いた。

焔の刀がファルコの手を貫く。
それでは気の治まらないハーデスの大鎌が、ファルコの腕を切り落とした。

ファルコの腕が鮮血を散らして宙を舞う。
ニコラの悲痛な叫び声が、耳に痛いほどに響き渡った。

「ぎゃぁあああ!腕が、腕がァ!!」

ファルコが地面に倒れこみ、痛みに叫んだ。

血が滴る刀を手に、焔は愕然とした面持ちで、柚に手を差し出すハーデスを見やる。
さすがの柚も、愕然とした面持ちでファルコを見たまま、ハーデスの手を取れずにいた。

「グランパ!」

ファルコに駆け寄ろうとしたニコラの体が地面に叩き付けられる。

「う、ぐ……っ、グラン、パ!グランパ!」

ニコラは硬い地面に爪を立て、必死にもがいた。

痛みに叫ぶファルコの瞳に、自分の存在など映っていない。
それでもニコラはひたすら、祖父の元へ行こうと足掻く。

ようやくファルコの血走った目にニコラが映ると、ファルコはまるで仇のようにニコラに怒鳴りかかった。

「ニコラ、貴様!何をしている、さっさと奴等を殺して私を助けろ!」
「無理だよ、僕じゃ敵わないよ!」
「だったら時間を稼げ、馬鹿者!今まで何のために育ててやったと思っているんだ!」

こめかみに青筋を立て、ファルコが叫んだ。

ニコラの瞳が大きく見開かれる。
もがいていたニコラの動きが止まった。

「……ふんっ」

つまらなそうに呟くと、アスラがファルコに指先を向ける。
それは死の宣告だ。

ニコラが上体を起こしかけ、名前を呼ぶことが出来ず……唇のみが喘ぐ。

ない腕で咄嗟に頭を庇うようにしたファルコが、足をもつれさせて尻餅を付く。

だが、手を翳したままアスラは動きを止めた。

ファルコを庇うように焔が立つ。
それと同時に、手錠を水の刃で千切った柚が、アスラの腰に抱きつくようにしがみ付いていた。

「……何の真似だ?」
「も、もう……十分だと、思う」

柚はアスラの腰にしがみ付いたまま、途切れ途切れに訴える。

「柚」

名を呼ばれ、柚はびくりと肩を揺らすと、恐る恐る顔を上げた。
アスラの指が、柚に口端の乾いた血の痕を撫でる。

「俺の気が治まらない。お前がいなくなって、俺がどんな気持ちでいたか……お前に分かるか?」

アスラの顔が、目に見えて痛みに歪んだ。

「冷静に元帥という役目を演じる自分に腹が立った。笑っている人間を見ると無性に腹が立った。お前が置かれている状況を想像すると、今すぐにでも飛び出していってしまいそうな自分が恐ろしかった。俺はずっと、こいつ等をどう殺すか考えることで平静を保っていられた」

アスラは柚の体を痛いほどの力で抱き込み、掻き抱く。
泣いているのかと思うほどに、アスラの声は震えていた。

「お前を愛する、自分が恐い……」

柚は小さく息を呑む。

アスラは、自分が変わっていくことに恐怖を覚える。
柚は、誰かを愛することで関係が変わっていくことに怯える。

瞼を閉ざし、柚はアスラの肩に顔を埋めた。

「ごめんな、さい……」
「お前と居ると気が狂いそうだ。それなのに俺はお前を愛していて、お前と過ごす時間など、一日の中のほんの僅かな時間でしかないというのに、その時間だけが俺の喜びで――」

焔が眉根を寄せ、刀を持つ手を下げる。

柚は止める為に抱きついた手を、宥めるようにその背中に回した。
広く大きな背中が、今はとても頼りなく心細い。

「いつも迷惑かけて、ごめんなさい。アスラが今、命令じゃなく感情で動いているなら、私は……」

頼りない柚の眼差しがアスラを見上げ、噛み締めるように一度、瞼が閉ざされた。
切実に、訴えるように、柚の瞳が言葉以上に語り掛ける。

「もう、殺さないで欲しい。アスラがあんなふうに人を殺すところは……もう見たくない」
「見たくないのならば、外に出て待機していろ」
「そうじゃない!そうじゃなくて、命ってもっと重いはずだ」

柚はアスラの腕を掴んで、暫し言葉を捜すように俯いた。

「簡単に人を殺せてしまう私達だからこそ、その重みを知って力を使わなきゃ……私達使徒は、本当に恐れられるだけの存在になっちゃう」
「……」
「この人達はちゃんと裁かれるべきだ。その為に法があるんだろう?」

じっと柚を見下ろしていたアスラの瞳が、ゆっくりと瞼の下に隠れてしまう。
柚の手が、アスラからゆっくりと離れる。

長い瞬きの末、アスラは硬い声音ではっきりと告げた。

「……誰か、ファルコの止血を。全員拘束しろ」
「アスラ……」

柚の顔に、安堵の笑みが浮かぶ。
焔がほっと肩から力を抜いた瞬間、ファルコに顔を向けたアスラが息を呑んだ。





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