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ファルコは男達に柚を抱えさせ、地下牢を更に下り、奥の隠し部屋らしき場所に逃げ込んだ。

「きてる、追ってきてるよ、グランパ!どうしよう、殺されちゃう」

頭を抱え、ニコラは恐怖に震えていた。

ファルコはそんなニコラに一瞥を向け、舌打ちを漏らす。
びくりと肩を揺らし、ニコラは悲しそうに俯いた。

柚はそんなニコラを横目で見やり、自分の手を握り、開いてみる。

(感覚が戻ってきた、そろそろ動けるかな)

早く車を回せと、ファルコが部下に怒鳴っていた。

地下牢からさらに下った先には、長い道が繋がっている。
先も見えないような道は舗装もされていないが、車一台が余裕で通れるほどの広さはあった。

そんなことよりも、柚は今にも泣き出しそうなニコラに目をやり、声を掛ける。

彼の手からは、フランツの攻撃で血が流れていた。
気が動転しているニコラは、逃げる最中に自力で針を抜いたまま、自身ですら怪我を忘れている。

いくら呼び掛けても、ニコラは考え事に夢中で反応を返さない。
苛立った柚は、声を大きくして会話に割り込んだ。

「ああ、もう!誰か、こいつの手の心配くらいしてやれよ!」

柚が声を張り上げると、ファルコの苛立った視線が柚に向けられる。

「煩い女だ。仲間が来たから助かった気でいるのか?奴等の妨害くらい想定内だ」
「そっちこそ余裕がなくなったな。だから言っただろう?私達を攫った時点で貴様等は終わってたんだ。貴様等は知らんだろうが、私達の体の中には、何処にいても位置が特定されるようにチップが入れられてるんだよ」

柚の言葉に、ニコラが息を呑む。

ファルコの顔が怒りにカッと赤く染まった。
ニコラは巨体を支える杖を振り上げ、柚の顔を殴りつける。

咥内が切れて血が流れたが、柚は動じもせずに怒りに震えるファルコを見上げて笑い飛ばす。

「どうした?知っていて攫ったんだろう?怒るなよ、みっともない」

暫くの間、柚を睨み付けながらぎりぎりと奥歯を噛み締めていたファルコは、次第に冷静さを取り戻し、柚に背を向けた。

だが、ニコラが信じられないと言いたげな面持ちで柚を見下ろす。

「どうして……君はそれを自分から受け入れたの?」
「え?そ、そういうわけじゃないけど……目が覚めたら入れられてたというか」
「!可哀相……そんなことまでされて、どうして……。やっぱり僕には君達が理解出来ない」
「……」

可哀相と言われ、柚は思わず返答に詰まる。
ニコラにとっては何気なく口にでた言葉だったのだろうが、柚は何故かその言葉が耳に残り、少なからず傷付いた。

だが、そんな愁いはファルコの言葉に遮られる。

「他の連中は何をしている!」
「申し訳ありません、連絡はしているのですが……もしや、奴等にやられたのかもしれません」
「何!誰か、さっさと戻って確認してこい!売り上げも持たずに逃げ出せるか!今回何の為にこんな無茶をしたと思っている!金を持ち出さなければ全て台無しだ!」

ファルコが部下に怒鳴り散らす。
部下は首を竦め、ファルコに言われるがままだが、誰一人戻ろうとはしない。

その瞬間、ニコラが頭を抱えて叫んだ。

「来る!」

男達が入り口に向けて素早く銃を構える。
その瞬間、入り口からやや離れた壁が轟音と共に吹き飛ばされ、瓦礫とともに人影が二つ、勢い良く飛び込んできた。

一人は地面を数回転がり、片膝を立てて起き上がる。
もう一人はそんな人影に向かい、大きく振りかぶった武器を振り下ろす。

鞘で大鎌を受け止めた焔は、両手でぎりぎりと押し返しながら怒声をあげた。

「いい加減にしやがれ、てめぇ!」
「そっちこそ邪魔するな!」

ハーデスが後ろに飛び退くと、鎌が砂埃を切り裂いて焔に振り下ろされる。

振り下ろされた鎌を受け止め、弾き返した。
弾かれた鎌は横に滑り、焔のわき腹を狙ったところを鞘がぎりぎりで受け止め、焔は転がるようにハーデスの下を潜り抜けて構え直す。

刀と鎌が数度交わり、金属音が鳴り響いた。
一同はわけも分からず、ぽかんとした面持ちで勝手に仲間割れをしている焔とハーデスを見ている。

「ハーデス?」

柚がその名を叫んだ瞬間、ハーデスの動きがぴたりと止まった。
ハーデスは焔の隣に何事もなく着地をすると、その顔に感極まった笑みを浮かべる。

「柚!柚!柚だぁ!」
「う、うん、私だけど……で、何してるんだ?」
「焔がね、裏切り者なんだ」
「ばっ!違う!そいつがむやみやたらとぶっ殺して歩いてるから、道案内させる為にそいつ等の仲間を殺すのを止めようとしたら、てめぇが話も聞かないで襲ってきたんだろ!」

ハーデスの言葉に、ぼろぼろになった焔が怒鳴り返す。
ハーデスは数回目を瞬かせ、首を傾げた。

「そうだっけ?」
「そうだっけ?じゃねぇよ、ちくしょう!?帰ったらてめぇ、絶対ぶん殴ってやる!」

焔は言うが早に、鞘から刀を抜いて柚を抱える男に切っ先を向けて構える。

「ふんっ、随分頼もしい援軍だな」

ファルコが嫌味たっぷりに告げる。
反論も出来ず、柚は赤くなって俯いた。

ファルコの手により、空気が変わる。

鼻で笑い飛ばし、ファルコが銃を柚のこめかみに突き付けた。
ニコラも同様に柚に銃を突き付けながら、手を焔とハーデスに向ける。

「この女を殺されたくなければ、武器を置いて壁に手を付け」

その瞬間、ニコラがはっとした面持ちでガタガタと震え始めた。

震える手で握る銃がカタカタと音を立て始める。
柚はぎょっとして、ニコラの顔を見上げた。

「グ、グランパ、何か……誰か来る!!」

青褪めて叫んだニコラの顔が絶望に染まる。

焔とハーデスが、肩越しに入り口の方へと振り返った。

規則正しく重々しい軍靴の音がはっきりと響いてくる。
同時に、威圧感のようなものに押し潰されそうになる錯覚が押し寄せた。

闇の中に、ぽつりと白い肌と軍服が浮かび上がる。

鋭い眼差しがただ真っ直ぐと前を見据えていた。
静かに淡い金の髪と軍服の裾が翻る。

ファルコは廊下へと一瞥を投げた。
壁に隠れるように、数名の部下が銃を構えている。

軍靴の音が響いた。
緊迫した空気に男達の心音が高鳴る。

アスラは右足を踏み出す。
左足がゆっくりと地を離れた。

左右の通路に隠れ、向かい合う男達がこくりと頷き合う。
次の瞬間、地面を蹴って廊下に飛び出そうとした男達は、殴りつけられたかのように地面に押し潰された。

「ぐっ!ぎ――ぁ、あ゛!?」

床の上でもがき苦しみ、血を吐く。
ほどなくして眼球がぐるりと上を向くと、もがいていた体が痙攣のみを残して動きを止めた。

倒れる男達に目もくれず、まるで何事もなかったかのように、アスラの左足が前へと踏み出す。
ファルコ達が、思わず一歩……後ろへと下がった。

男達にとって、それは絶対的な恐怖だった。
動物としての本能が、自分よりも強い相手への恐怖に体を萎縮させる。

味方にとっても圧倒的な力は脅威であるが、今は味方であることを安堵させた。

「何をしている」

足が止まると同時、低い声音が誰にともなく問い掛ける。
答えなど、求めてはいない。

「即刻その手を退けて死ね」
「!?」

アスラの手が音もなく静かに翳された。

柚を抱えていた男が小さく呻き声を漏らすと、柚を抱える腕が音を立ててあらぬ方向に曲がる。
地面に尻餅をついた柚が振り返ろうとした瞬間、背後からボキボキと何かが折れ、まるで噛み砕かれているような音が静かな一室に響き渡った。

その音の正体を想像した柚の顔が引き攣り、さっと血の気が引く。

「次は誰だ?」

次の瞬間、一人が銃を放り投げて悲鳴とともに逃げ出す。

だが、間髪を入れずにボキリと鈍い音が響き渡った。
男の両足が音を立てて折れ、勢いをつけて地面に倒れこむ。

柚や焔がゾッと背筋を凍らせる中、耳をつんざく悲鳴が上がった。





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