40


ニコラが焔の前に飛び込み、銃で刀を受け止める。
互いにぎりぎりと押し合いながら、ニコラが「早く逃げて!」と悲鳴のように叫んだ。

その声にはっとしたように男達が逃げて行く。
アスラは焔とニコラの後ろに消えて行く柚を、無言で見送った。

焔は目を見開き、次の瞬間にはニコラを睨み返す。

「てめえ、あの時の……!」
「だからやめた方がいいって言ったのに!」

泣き言のように叫ぶニコラの周辺に、オーラのようなものが上り始める。

「させるか!その前に叩き切ってやる!」

焔は刀が炎を纏う。
銃に熱が伝い、飴玉のように熔け始める前に、ニコラは素早く銃を手放し、後ろに飛び退いて手を振りかぶる。

だが、狙い済ましたように、飛んできた針がニコラの手を深く貫いた。
苦悶の表情を浮かべたニコラはもう片方の手を地面に付き、床の上を滑るようにして奥に逃げ出す。

その直後、劇場内に爆音が響き渡った。
瓦礫が雨のように降り注ぐ中、焔が柚達が消えた方へと追おうとすると、フランツが焔の襟首を掴んで後方へと跳ぶ。

そんなフランツを追い越すように、何かが横切る。
アスラはぴくりと眉を吊り上げ、小さくため息を漏らした。

フランツは焔を手放すと、アスラの隣に並んだ。

「申し訳ありません、元帥。取り逃がしました」
「構わん」

瓦礫が完全にステージ上を覆いつくし、道を塞いでいる。
もうもうと立ち込める埃の中、焔は悔しそうに奥歯を噛み締めた。

「今の音は?」

電磁波発生装置の破壊を担ったアメリカとオーストラリアの使徒達が、慌てたように駆け付けてくる。

「いざという時の逃走用に爆薬が仕掛けてあったんだろう」

アスラは淡々と告げ、悲鳴もあげられずに腰を抜かしているオークションの参加者達を見下ろした。
すると、カロウ・ヴは頭の後ろで腕を組み、横目でアスラを見やる。

「つまり逃げられたってことっしょ?」
「……明議員の所在が確認されていない、逃がして様子を見るべきだと判断したまでの事だ」

表情ひとつ変えずに、アスラはカロウ・ヴを見下ろす。

すると、アメリカの使徒が瓦礫に歩み寄り、アスラへと振り返った。

「瓦礫を吹き飛ばす、それでいいか?現場指揮官殿」
「必要ない」

アスラが手を翳す。
アメリカの使徒は驚いたように目を見開き、慌ててその場を飛び退いた。

瓦礫がカタカタと揺れ始める。
アスラが翳した指先が、吸い込まれるように掌の中に握りこまれた瞬間、岩が粉々に砕け散り、砂のように奥の通路に流れ込む。

皆が息を呑む中、爆破された天井から零れ落ちる小さな破片の音のみが静かに響いた。
もうもうと立ち込める砂埃が、細く薄暗い通路を白く染め上げている。

誰かが小さく口笛を鳴らした。

「フランツ、この場に残り、装置の破壊に当たった者達と共にオークションの参加者達の拘束を。ねずみ一匹、外に出すな。一時こちらの指揮を任せる」
「!」

アスラは背を向けたまま、明瞭な口調で告げる。

フランツが目を見開き、小さく口を開いた。
その唇は、次の瞬間には力強く引き結ばれる。

「了解です」

しっかりと前を見据え、フランツは姿勢を正すとその背に敬礼を送った。
アスラは肩越しに、静かに振り返る。

「残りの者には施設内の探索を許可する。焔、お前達は俺について来い。人質を奪還し、ワーナー・デ・ファルコとファルコに加担する使徒を捕らえる」
「……了解」

片膝を付いてしゃがんでいた焔は、砂埃を払い、立ち上がった。

退けた瓦礫を潜り抜けると、アスラは足を止めて肩越しに振り返る。

氷のように冷たく鋭い視線が焔を緊張させた。
だがそれ以上に、今は不思議とアスラが人前で抑えていたものが溢れ出してくるのを感じる。

「場合によってはワーナー・デ・ファルコの生死は問わん。無論、先程の使徒にも温情は不要だ」

薄暗く狭い通路の中に、低い声音が小さく響いた。

アスラの足元の小石が、まるで震えているかのようにカタカタと揺れている。
溢れ出す力こそ、アスラが抑えていた怒り……。

太陽の光に溶け込みそうな金の髪が翻った。

「遠慮はいらん。我々のものに手を出すと言うことがどういうことか、思い知らせてやろう」

アスラの気迫に呑まれる様に、黙って聞いていた焔の口元が吊り上る。
「了解」と呟くように返しながら、目の前の背中を追い越した。





電磁波発生装置の爆発音に少しだけ、顔を向けた。
だが、さして興味もない様に、ライアンズは目の前で手を上げている男達へと視線を戻す。

突き付けている銃に、実は弾など入っていないのだが、こういう時に最も脅しの道具となる。
実際、弾の入った銃は炎よりも確実に相手の動きを止めることができるとは思うが、加減が難しい。

「まあ、そういうわけで、お前等はこのオルブライトって女に、アジア帝國特殊能力部隊所属のフョードル・ベールイを勝手に金で売ろうとしたわけだ」

ライアンズが指を差した先には、スリットの入ったマーメイドドレスの下で足を組み、テーブルに腰掛けたまま退屈そうに足を揺らしている三十代後半の女性。
歳のわりにはひどく行儀が悪く、男達は目のやり場に困っていた。

「これは人身売買であって犯罪だ。よって、我々はお前等を拘束する権利がある」

そんな女にライアンズは半眼を向ける。

「お前も少しは手伝いやがれ」
「冗談。僕はもう十分働いたさ、君よりずっと前からね。疲労困憊ってやつだよ」

期待などしていなかったが、女は肩を竦めて返した。
非常に小憎らしいのだが、そんな姿さえ男を誘惑しているようだ。

机の上にはアタッシュケースが置かれていた。
中には乱れることなく、綺麗に札束が並んでいる。

両手を上げた燕尾服の男達が、悔しそうにその札束を睨んでいた。

そんな男達を見やり、女の唇が悪戯を思いついたように弧を描く。
女が軽く指を鳴らすと、札束は色が剥がれたように、一瞬にしてただの紙の束へと姿を変えた。

男達はその光景が悪夢であるかのように、間抜けに小さく口を開いたまま固まっている。
言葉も出ない様子だ。

女は腰掛けていた机から降りると、男の顎を指先で撫でる。

「僕というものが目の前にありながら、札束に目を奪われるなんて妬けちゃうな」
「ユーリーアー!気色悪い、止めろ!」

ライアンズは思わず鳥肌のたった腕を擦りながら声を上擦らせた。

女は心外そうに真っ赤な唇を尖らせると、長い髪を優美な仕草で払う。

その瞬間、粒子のようにブロンドの巻き毛が消えてゆき、ハニーブラウンの髪と中性的な青年の顔が姿を現した。
マーメイドドレスから覗いていた白い肌の足は、純白の軍服が覆い隠して行く。

男達は顎が外れそうなほどに大きく口を開いたまま、顔を痙攣させている。
ライアンズは、そんな男達がいっそ哀れに見えてきた。

「残念ながら、マダム・オルブライトはすでにこちらが拘束済みだよ」

ユリアは胸ポケットから写真を取り出し、ひらひらと揺らす。

写真には、煌びやかな熟女が胸の開いたドレスを身に着け、映画俳優と並んだ光景が映し出されている。

イカロスがボゴスロフスキーの遺体から読み取った記憶の中にいた、オークションの参加者の一人だ。
三十半ばで他界した夫の遺産を相続し、豪遊の限りを尽くしていた。

そして、彼女は裏社会に足を踏み込んだのだ。

「セシル・ベールを落札した奴も、ユーラシアの使徒が幻覚で化けた奴だよ。お前等はもう終わりだ」
「本物よりも綺麗だったでしょ?僕のマダム・オルブライト」
「本物よりも綺麗でどーすんだよ」

ライアンズがユリアから写真を取り上げ、半眼で呟いた。

「たとえ自分の姿を偽るにしても、醜い姿にはなりたくないと思わないかな?まあ、君には同意を求めるだけ無駄だろうけど」
「はいはい。こら、フョードル。いい加減に起きろ」

得意気なユリアを慣れた様子であしらいながら、ライアンズはフョードルの頬を軽く叩く。
小さなうめき声を上げ、フョードルの瞼が重々しく持ち上げられた。

「起きたか?俺が誰だか分かるか?」
「ブリュール……殿?」
「よし。何処か体に異常はないか?」
「……私は助かったのでしょうか?」
「そーいうこと。ご苦労さん」

ライアンズが、ぐしゃりとフョードルの頭を撫でる。
素っ気なくはあるが、そんな態度にフョードルの顔が歳相応に幼く緩んだ。





NEXT