33


「立場上の判断だ、私は自分の判断が間違っているとは思わない」

感情すら窺うことのできない水色の目に、青年がたじろいだように押し黙る。

柚を思い描くと、思い出すのは泣き顔だった。
自分が柚に腹を立て、泣かせたままだ。

溢れ出すように、その瞳に初めて苦悩が滲む。

「彼女は即座に状況を判断し、我々が次にどう動くか、自身がどうすべきが最善かを考えるだろう」

今までの経験から、彼女が闇雲に行動するわけではないと判断している。

「その上で、彼女は我々の救出を待っていてくれると……」

何故あの時、こうしてやれなかったのか……。
今、初めて後悔した。

「……私は信じる」

静かに、迷いなく……
告げられた言葉は目の前の者から言葉を奪う。

アスラは静かに瞼を閉ざした。





例え目の前にいなくとも、彼女ならば……
彼ならば、そうする。

きっと、分かってくれる。

――不安。
それ以上の信頼が、弱い心を強くさせる。





ゆっくりと起こされた瞼の下から、覚悟を決めたように毅然とした赤い瞳が姿を現し、鉄格子に見据えた。

「救助はすぐに来ない。作戦が失敗した以上、私達が売り物として囮になるしかない。多分救助は、早くても私達が売り物にされたという証拠を押さえた時だ」

セシルの顔が今にも泣き出しそうに歪んでゆく。
フョードルですら不安げだ。

「セシルのパパだって一刻も早くセシルに会いたいのを堪えているはずだ。だからセシルも、私達に力を貸してくれ」

柚の言葉に、セシルが僅かに肩を揺らす。
小さく「パパ」と呟く声が聞こえた気がした。

「必ず救出は来る。何らかの合図もあるはずだ。それまでは大人しく待機。セシルもフョードルも、その時に備えて力は使わないこと、下手に使えば電磁波発生装置の餌食だ」

柚がセシルの頭を撫でると、セシルは不貞腐れた面持ちで柚の手を払う。
子供扱いがお気に召さないらしい。

(とはいえ……)

ため息を漏らし、柚は壁に背中を預けた。
ため息が重い。

(現状、一番足手まといになりそうなのは私だな)

足の怪我は治っても、流れた血までは戻らない。
体が感じるその不調を治そうと、今でも自己治癒が空回りしている。

先程から、頭がぼうっとしていて考えが進まない。
頭に響くような頭痛が止まず、気分も悪い。

「フョードル、少し休もう」
「あ、はい!見張っているので、ごゆっくり」
「いいよ、見張りは。フョードルも休んだ方がいい」
「いえ、私は大丈夫ですのでお気遣いなく!」

意気込むように返すフョードルに、柚は溜め息を漏らして手を伸ばした。

「"お気遣いなく"なんて出来るわけないだろ。ここで気張ってても疲れるだけだ。少し休め」
「いえ、何かあったら起こしますので、柚殿は安心してお休みください」

セシルがうるさそうにこちらを一瞥する。
すぐに膝に顔を埋め、ぐすりと鼻を啜った。

「この頑固者。休めって言ってるだろ」

堂々巡りの会話に苛立ったように、柚はフョードルの頭を引き寄せ、膝の上に乗せる。
倒れるように寝転んだフョードルが、真っ赤になり、慌てて体を起こそうとした。

「いえ、本当に私は!」
「反論は認めませんっ!」

柚がぎろりとフョードルを睨み下ろす。
睨み付けた瞳が、悲しそうにフョードルへと向けられると、フョードルは困ったように柚の視線から逃れた。

「一人じゃないんだぞ、私がそんなに頼りないのか?」
「そういうわけではありませんが……私が柚殿をお守りしなければ」
「その気持ちは有難いんだけど、ちゃんと休まないといざって時に何も出来ないだろ」
「はぁ……」

柚は苦笑を浮かべ、フョードルの細い髪を撫でる。
フョードルは落ち着かない様子で、視線を落とした。

「なんだよ」
「いえ、参考になります」
「本当にフョードルは真面目だな」

くすくすと心地良い笑い声が降り注ぐ。
フョードルはゆっくりと瞬きをしながら、火照る頬の熱が引いてくれる時を待った。

「そういえば最近バタバタしてたし、こうして何もしない日ってのもなかったな」
「柚殿はお忙しいですから」
「フョードルだって訓練ばっかりで忙しいじゃないか。たまには私にも構ってくれ」
「え?いえ、ですが……私は少しでも早く皆さんに追いつきたくて……」

もごもごと頼りない声は、彼が年下なのだと感じさせる。

フョードルは努力家だ。
そんな彼にとっての目標は、やはり同じ階級のアスラであり、アスラに到底及ばない自身をもどかしく感じている。

「うーん、自分がこういうことを言うのってなんか複雑だな」

柚は苦笑を浮かべた。
柚が笑うと、その手を拘束する鎖が小さな音を立てる。

以前、自分に同じ言葉を掛けてくれたイカロスの顔を思い起こす。
静かに瞼を閉ざし、柚は穏やかに口を開いた。

「焦ることはない。すぐに追い付けないのは当然のことで、最初は皆そうなんだ」
「ですが柚殿と焔殿は、ご入隊されたばかりで神森のハムサを撃退したと聞いています」
「それは大袈裟だ。あの時アスラが来てくれなかったらここにいないよ」

フョードルが、ゆっくりと瞬きをする気配がした。

「だからフョードルも、少し肩の力を抜いて周りに甘えてもいいんじゃないか?」
「……」
「まだまだ先は長いんだ。頑張る事はいいことだろうけど、頑張り過ぎても疲れちゃうぞ?」
「わ、分かりました。ご指導有難う御座います。加減の難しい問題ではありますが、息抜きも必要ということですね?」
「まあ、そうなんだけどそうじゃなくて……」

柚は苦笑を浮かべる。

ヨハネスやアスラも真面目で融通が利かないタイプだが、フョードルは群を抜いていた。
本当に融通が利かない性格だ。

「仲間として、頑張りすぎるフョードルが心配なんだよ」
「仲間……ですか」

驚いたように、フョードルが柚を見上げる。
気恥ずかしそうに、フョードルの瞳に睫毛が影を落とす。

「ありがとう、ございます……柚殿にそのように思って頂けるなんて、光栄です」
「何言ってんだ、お前は」
「申し訳ありません。ですが、この、その、膝枕は恥ずかしいので……」
「そうか、なら勘弁してやろう」

手を離すと、慌てたように赤面したフョードルが起き上がる。
柚がセシルに「セシルも膝枕してやろうか?」と声を掛けると、鼻で笑い飛ばされた。

(パーベルとはえらい違いだ)

心の中で呟きながら、柚は隣で丸まるように座り込んでいるフョードルを見やる。

「フョードルもさ、もっと、家族や友達に接するようにしてくれていいんだよ」

柚は不自由な手ながら、出来る範囲で肩を竦めた。
フョードルの堅苦しい態度は、時に拒絶されているようで悲しい。

すると、フョードルが困惑した面持ちで柚の顔を見た。

「家族や、友達に……接する、ように?」
「フョードル?」
「あ、いえ!なんでもありません、有難うございます」

思い詰めたように黙り込んでしまうフョードルに、柚はしまったと、心の中でため息を漏らす。

フョードルは神森に、家族や友人、村に住む顔見知りの人々を殺されたばかりだ。
せっかく落ち着いているのに、わざわざ思い出させてしまった。

言ってしまった言葉を、いまさら「ごめんね」などと言えもしない。

柚は自分の浅はかさに漏らしたくなるため息を呑み込み、自分達とは離れた隅で膝を抱えているセシルに声を掛けた。

「セシル。離れてないでこっちにおいで。寒いから、寄り添ってよう?」

セシルを間に挟み、三人で身を寄せ合う。

外からは、微かに賑やかな声が聞こえてくる。
誘拐に成功したことで浮かれているのか、宴会が行われているのかもしれない。

そう思うと、無償に腹立たしい。

「差し入れないのか?お腹空いた……腹が減って眠れん」

げんなりとした面持ちで、柚が小さく呟く。

「ないでしょうね……」

フョードルも、覇気のない声で返す。
セシルがお腹を鳴らし、恥ずかしそうに咳払いをする。

暫くの間、腹の虫の音のみが鳴り響いていた。

すると、静かな足音がひとつ近付いてくる。
フョードルが逸早く、警戒したように片膝を立てて身構えた。





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