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緊急の召集を受けて戻ったアスラは、報告を受けてもにわかに信じがたい――というよりは、認めたくないという気持ちが強かった。
現場に立ち、血溜まりを見て、アスラは頭の中が真っ白になった。

「アスラ」

イカロスがアスラの腕を掴む。
落ち着けと、目が訴えている。

落ち着いている、と、苛立ちのようなものを感じた。
自分の経験と知識を総動員し、考えているのだ。

この程度の出血量では、死んではいないはずだ……と。

ただ、感じたこともない喪失感がそこにある。

今までならば基地に戻れば柚が居た。
だが今は、確かな"それ"がない。

取り戻さなければならない。
何がなんでも――そうしなければ、気が狂いそうだった。

だが、自分を縛るものがある。
それは、"アース・ピース"という檻と、"元帥"という名の鎖だった。

「宮 柚と、フョードル・ベールイの体内に埋め込まれたチップの反応は共に移動を続け、現在はこの地点で停止しています」

電子地図の上で点滅する矢印は消え、赤いランプが点滅している。

戦後、修復が困難と見なされ、放置された非居住区エリアだ。
治安が悪く、監視の目が届かないこともあり、犯罪に利用されることが多い。

「犯人はエデンを装い犯行声明を残していますが、その場に居合わせた使徒が未確認の使徒を確認しており、エデンの可能性は薄れます。また、神森の可能性も薄く、今までの犯行パターンから分析する限り、双頭の犯行と見て間違いないでしょう」

国内で出された調査結果を、女性秘書が淡々と読み上げる。

だが、攫われたのは柚とフョードルの二名のみではない。

それに一足遅れ、ユーラシアで新たな事件が勃発した。
ユーラシアのアース・ピースに所属する、六歳の使徒が攫われたのだ。

各国が総力を挙げて双頭の壊滅に挑んでいる最中、それをあざ笑うかのように行われた犯行だった。
このまま黙って退くわけもなく、アメリカとオーストラリアが誘拐された三名の使徒と明議員の救出協力を申し出てきた。

「アジアで犯行前に散布された化学兵器の成分を調査した結果、神経性のものでした。強いものであれば命の危険もありますが、確認出来たのものは少量で、命を奪うものではないことが判明しています」
「しかし、宮 柚が雨を降らせたんだろう?成分が弱まった可能性もある。毒による死者が出なかったことは犯人にとって誤算だったかもしれない。民間人に死者がなかったことが不幸中の幸いか……」
「ふんっ、よく言う。戦争中に我が国の民間人を大量に虐殺したのは何処の国だったかな?」
「何!その発言を撤回してもらおうか!そもそも貴国が先にしたことではないか!」

アメリカとアジアの代表が睨み合う。
ユーラシアの代表が、「やめたまえ」と呆れた様子で仲裁に入り、双方の代表達は不機嫌そうに尊大な態度で椅子に凭れ、腕を組む。

オーストラリアの代表は、足並みの揃わない各国の代表に憤慨した様子で告げた。

「奴等を捕らえるつもりが、奴等はこちらが手薄になったところを狙って使徒を誘拐してきた……このままでは、我々は笑い者だぞ!なんとしても早期解決をせねば!」
「そう怒鳴るな。起こってしまったものは仕方がない。しかし妙だな……奴等が使徒を攫う理由は分かる。しかし、何の為に"明"という議員を攫ったのかね?奴等は、身代金などというリスクの高い方法で金を手にしようとは思わんはずだが?現に、いまだそう言った内容の要求はどこにも入っていないだろう?」

自国の代表の後ろに立ち、話し合いを聞いていたアスラは、この時間がとてつもなくもどかしいものに感じた。
壁に掛けられた各国の時間を示す電子時計が、またひとつ、時を刻んで行く。

「とにかく、攫われた使徒の位置は判明しているんだ。戦力的にもこちらが圧倒的だろう。もはや奴等は終わりだ。指揮は誰が執るんだね?」
「もちろん我が国の者に執らせてもらおうか」

アジアの代表が当然のように告げてアスラを見上げた。
だが、ユーラシア側の代表も黙ってはいない。

「冗談ではない。指揮は我が国の者に任せてもらおうか。そちらの元帥は大層若いではないか。そちらは二人も攫われているんだ、指揮能力を疑う」
「うむ、それは言えるな」
「何!」

アメリカが同意を示すと、アジアの代表が憤慨した様子で机を叩く。

「私はデーヴァ元帥で構わないと思うがね?ただし、攫われたのは彼の婚約者だろう?冷静な判断を下せるというならばの話だ。我々は、もう二度と失敗は許されない」

オーストラリアの代表がちらりとアスラを横目で見やる。
アスラは視線に応えず、無言で返した。

何を言われても表情ひとつ変えようとしないアスラが、周囲は面白くないらしい。
何処からともなく、「やれやれ」と呆れた声が聞こえてきた。

「同盟関係にあるからといって、票を入れるのはどうかと思うが?」
「まだ同盟を結んだわけではないし、票を入れたつもりもない」

文句を言うユーラシアを、オーストラリアは飄々と交わす。

「この際、どちらでも構わないが?元帥方は?何か意見はないのか?」

アメリカの代表が深く椅子に座りなおし、肘掛に両手を掛けてアスラとユーラシアのアース・ピース元帥に問い掛けた。

ユーラシアの元帥は、ファーヴニル・ランスロットという細身で初老の男だ。
彼は二人の部下を従えていた。

「そちらの元帥殿が指揮を希望されるのならば、私は一任して構いませんが。いかがお考えか?」
「私は突入部隊の人選さえ任せて頂けるならば、指揮権はそちらにお譲りします」

ファーヴニルの配慮に対し、アスラは淡々と返す。
アジアの代表が、アスラの言葉を不満そうに振り返った。

「では、ユーラシアのランスロット元帥が総指揮を務めるということでよろしいか?」
「異存ありません」

オーストラリアの元帥ラッドと、アメリカの元帥ジェイコブ・ワイラーが落ち着いた様子で頷き返す。

「では、元帥方で作戦内容を話し合ってくれ。一通り決まったら会議を再開しよう」

アメリカの代表とオーストラリアの代表が席を立つ。
実際他人事ではあるが、国が決定した方針に従い、協力してやっているのだという態度が目に付く。

アジアとユーラシアからの代表達は、その様子を不満そうに見やり、自国の元帥達に声を掛けて部屋を出て行った。

アスラの付き添いで来ていたガルーダとライアンズは、小さくため息を漏らす。

すると、カロウ・ヴを連れたラッドがアスラに声を掛けた。

「デーヴァ元帥。我々は協力を惜しみません。カロウ・ヴも含め、好きに使って下さい」
「ラッド元帥、有難うございます」
「デーヴァ元帥、ラッド元帥、このまま作戦会議を始めたいのですが宜しいですかな?」

ファーヴニルが二人に声を掛け、了承を得ると椅子を勧める。
四人の元帥が並ぶ様子を、ライアンズが緊張した面持ちで見やった。

「ライアン、緊張してんの?」
「そりゃしますって、俺場違いって気がして。それにしてもうちの元帥、圧倒的に若いですね……」
「最年長はユーラシアのランスロット元帥か」
「あっちの奴、アレが次期元帥候補らしいよ」

ガルーダとライアンズの会話に、カロウ・ヴが混じる。
カロウ・ヴが、ファーヴニルの後ろに立つ藍色の髪の青年を指すと、ライアンズは「へぇ」と呟きを漏らす。

「俺はてっきり、あっちかと思った」

ライアンズがちらりともう一人の方へと視線を向けた。
健康的な褐色の肌にブラウンの髪をした男は、何処かぴりぴりとした様子で会議の様子を見守っている。

すると、ガルーダがライアンズの足を踏む。

「会議中、私語厳禁」
「!?」

「あんたから話し掛けてきたんでしょうが!?」と、目で文句を言うライアンズを無視して、ガルーダは小さくため息を漏らした。

「作戦の決行は極力迅速に行う予定ですが、他の元帥方のご意見はありますかな?」
「それに関してはそちらにお任せしますよ」

ファーヴニルの言葉にジェイコブが肩を竦めて返す。
ラッドが地図を見やり、人選によっては召集までに少し時間が掛かる場合がある旨を伝えていると、アスラが口を開いた。

「問題ないでしょう。どのみち、今すぐに救出に向かうべきではないと私は思います」
「……は?」

周囲の者達が、アスラの発言を疑うように眉を顰める。

「今動けば、捕らえられるのは双頭のみ――それでは無意味だ」
「しかし……人質の安否が気になるのはそちら側では?我々も使徒だ、その点に関しては人間と違い、配慮しているのだが?」

皮肉めいた口調で、ジェイコブがアスラに告げた。
部屋の隅には監視の軍人が立っており、監視カメラで会議の様子も監視されている中、ジェイコブは臆することなく差別発言をする。

そんなジェイコブに、アスラは氷のように冷めた面持ちで一瞥を投げた。

「余計な配慮は無用です。焦れば大物を逃すことになる、人質の回収のみが目的ならば、わざわざそちらに協力は求めていない」
「はっ、こいつは驚いたな!」

ファーヴニルの後ろに立つ褐色の肌の男が、大袈裟に肩を竦める。
アスラの言葉に眉間に皺を刻んだジェイコブが、驚いたように男に振り返った。

「あんた、正気か?信用できないな」
「……信用できないとは、どういう意味か理解し兼ねる。我々は今、協力体制にあるはずだが?貴殿の言葉は政府の意向を――」
「俺はあんたが使用できないと言っているんだ。自分の女を攫われて、何でそんな平然とした顔してられるんだ?あんたのような奴を、俺は信用出来ない。あんた、本気で助ける気あるのか?」
「エドゥ、止めろ!」

濃紺の髪をした青年が、アスラに侮蔑の眼差しを向ける男を慌てて止めようとする。
すると見兼ねたように、ラッドが男に淡々と告げた。

「君の発言は許可していないぞ、立場を弁えたまえ」
「そりゃ、失礼しました。じゃあ、俺は退室しときますよ!」
「エドゥ!何処に……エドゥ!申し訳ありません!失礼します」

ドアを勢い良く閉める音が部屋の中に響く。
呆気にとられていたライアンズが、その音に思わず肩を竦めた。

すると、濃紺色の青年が慌てたように彼を追いかけて行く。

「……なんだね、彼は!ファーヴニル元帥、あなたは部下に一体どういう教育をしているのかね?」
「実に申し訳ない、よく言って聞かせます」
「そちらはそちらで人間のように血の通っていない男が元帥とは、宮 柚や彼の部下はさぞ苦労しているのだろうよ。同情に値する」
「はぁ……一時休憩としよう」

ラッドがため息を漏らし、書類を纏める。
椅子を引く音が広がっても、部屋の中から張詰めた険悪な空気は消えなかった。

他国の使徒達が出て行くと、アスラは遠慮がちに部屋の隅に立っているライアンズとガルーダに視線を向ける。

「お前達も休憩してきて構わない」
「は、はい!では、失礼します」

ライアンズは逃げるように部屋を出ると、外の壁に凭れて大きく息を吐いた。

(あー、くそっ)

少し前ならば、きっと気付かなかっただろう。
だが、今なら分かる。

(元帥……あんた、不器用過ぎですよ)

それは、見ているライアンズをやきもきさせる程に……

「よしよし」
「やめろ」

二人きりになった途端、慰めるように頭を撫でるガルーダに、アスラはわずらわしそうに淡々と手を払った。
ガルーダは払われた手を組み、小さく息を吐く。

「大丈夫、誰よりも君は冷静だ。間違ってない、"元帥として"……な」
「……」
「君を信じて待っていてくれるさ。そうだろ?あの子は強い子だ」

アスラが微かに目を見開き、机の上で絡めた指に額を宛がう。

(信じて……か)

「ガルーダ。一人になりたい」
「りょーかい。アスラ、君も少し休めよ」

返事も聞かずに、ガルーダはひらひらと手を振り、部屋を出て行った。

アスラは音も立てずに椅子から立ち上がると、窓に歩み寄り、変わり映えのない外の景色を見下ろす。
窓ガラスの中で、誰にも見せられない顔をした自分と目が合った。





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