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テーブルの上には、黄には似合わない洋菓子がずらりと並べられていた。
まるで宝石のようにタルトの上ではいちごが輝き、ブルーベリーや洋ナシなどの果物がふんだんにスポンジと生クリームの上に添えられているケーキ。
口に運べばあっという間に溶けてしまいそうなふわふわのチーズケーキに、ナイフを入れるとサクッと小気味のいい音を立てるアップルパイ。
パイとカスタードクリームが何重にも重なるミルフィーユに、スライスされたレモンがシンプルに飾るムース。
パイの香ばしい香りやクリームの甘い香りが、小腹が空いた柚を誘ってくる。
普段ならば、歓喜の声を上げて飛びつく楽園だが、目の前には大統領。
さすがの柚も、フォークすら握れない。
「全く進んでいないな。甘い物は嫌いだったかな?」
「い、いえ、なんだか緊張してしまって……」
柚が黄から目を逸らし、俯きながらもごもごと返す。
すると、黄が高らかと笑い声を上げた。
「こんなじじいを相手に緊張などしてくれるな」
「いえ、そういうわけにも……」
視線を泳がせながら、柚は膝の上で指を絡ませる。
呼び出されて何事かと思えば、お茶の話相手になってくれ……だ。
黄を前に和やかに談笑など出来るはずもない。
更には、いくら「食べろ」と言われようと、黄が手を付けない限り、目の前に広がるおいしそうなお菓子を前に生唾を飲むことしか出来ない。
「最近アスラとはどうだね?」
「は?はぁ、まあ、普通です」
「そうかそうか」
黄は縁側で茶を啜る老人のように穏やかに笑う。
「あれは良い男だろう?顔だけはな」
「は?」
「子供の頃からよく知っているが、大きくなるにつれてつまらん奴になってしまった」
返答に戸惑っていると、黄が湯気の立つカップへと手を伸ばす。
釣られるように、柚もカップへと手を伸ばし、紅茶を啜った。
いい香りが口内に広がると、甘い物が欲しくなる。
黄に進められるまま、柚は生クリームがたっぷりと乗ったチーズケーキへと手を伸ばした。
一口口に含むと、チーズケーキは口の中で蕩けてほのかな甘みを残す。
幸せに浸る柚を見て、黄がくつくつと愉快そうに笑い始めると、柚は恥ずかしくなり頬を赤く染めた。
「もっと食べなさい。こっちのケーキもどうかね?」
「い、いえ。食べたいけど、太るし……でも、ちょっと食べたい……かな。いただきます」
目の前に次々とケーキやデザートを並べられ、フォークを放さないまま迷う柚を見て、朗らかに笑った黄は椅子の背も垂れに体重を預ける。
「こういう世界にいると、皆が腹の中に一物を抱えながら探り合いをしているものだ。君のように、考えていることが顔に出る者と接していると安心する」
「はあ……」
褒められているのだろうか……と、少々疑問を抱きながら、柚は黄の顔を見た。
黄と目が合う。
彼の目が、笑っていないように感じるのは気のせいだろうか?
気後れした柚はフォークを置いた。
「あれも、君とは違った意味で分かりやすい」
黄の視線がドアの外へと向けられる。
釣られるように、柚はドアへと肩越しに振り返った。
きっと部屋の外には、いつも通り姿勢も表情も崩さずにアスラが立っているのだろう。
「任務に忠実で、マニュアル通りの考えしかできんようになった。ワシはそれが寂しかったが、最近はあれも随分といい顔をするようになったな」
「いい顔、ですか?」
「近状を尋ねると君の話ばかりをする。表情はさほど変わらんが、ワシにはあれが嬉しそうにしているのが分かる。惚気かと思うと、まだキス止まりだと言うじゃないか」
黄がにやにやと笑う。
手に持ったカップを落とし掛けた柚は、引き攣った顔を黄へと向けた。
「な、何を……」
「全部アスラから聞いているぞ。あいつの相手は少々大変だろう」
(少々?)
柚は心の中で、盛大に顔を顰めた。
つもりであったが、顔に出ていたらしい。
黄が笑い声を上げた。
「いや、すまんすまん。野暮なじじいになるつもりはない。さあ、気を取り直して食べなさい」
カップに温かい紅茶が注ぎ込まれる。
立っては消えていく湯気が、目の前で揺れていた。
黄が再び背もたれに背中を預けると、長い溜め息が吐き出される。
疲れているのだろうかと感じさせる暫しの沈黙の後、黄は肘掛けに組んだ手を乗せ、寛いだ体勢を取った。
「君達"使徒"は、血の繋がりを何よりも大切にする生き物だ」
ケーキを一口口に含んだ柚は、目を瞬かせて黄の顔を見やる。
先程よりも寛いでいるように見えるが、何処にでもいる老人……といった雰囲気が、黄からはきれいに消えていた。
薄い笑みの中に、心の奥底を見透かすような瞳が柚の反応を窺う。
「もし肉親か愛する者のどちらかを選ばなければならないことになったとしたら、君達はどちらを選ぶかね?」
「考えたくない状況ですね」
柚ははっきりと、迷うことなく返した。
それが、柚の機嫌を損ねたと思ったのだろうか。
黄は、「単なる好奇心だ」と言葉を添えた。
「よければ聞かせてくれ」
「うーん。あまり答えにならないと思いますが……」
「構わんよ」
フォークを置いて、柚は真っ直ぐと黄を見やる。
試されている気がした。
間違いなく、気のせいではないだろう。
そして、彼に下手な嘘は通じない気がした。
「今はどちらかなんて分かりません。もしその時が来たら、体が勝手に動くんだと思います」
黄が口を挟む前に、柚ははっきりとした口調で続ける。
「でももし、肉親を見捨てるようなことをしたら、私達はその人に失望すると思います」
「なるほど」と、黄が唸るように頷いた。
黄が僅かに身を乗り出すようにして、柚の瞳を除きこむ。
「では君は、西並 焔に失望したのかね?」
「焔?」
「彼は妹と逃亡し、アスラに保護されたと報告書にあったな。アスラの前に出てきた君を助ける為、妹との逃亡を断念し、君の救出を優先させたそうじゃないか」
ぽかんとした面持ちで、柚は黄の顔を見上げていた。
「家族が人質に取られた際、大切な妹をまだ馴染みの浅い仲間に預け、君を追い掛けてハムサと戦ったのだろう?」
突き付けられた過去の出来事に、柚は驚く。
焔は目の前で起きた出来事を見過ごせない性格なのだと思っていた。
焔が妹をどれだけ想っているか知っていたが、その想いを差し置いて、自分のために動いてくれたのだ。
それは、柚が思い描いていた感情とは違った。
「彼は二度も、肉親よりも君を優先させているだろう?」
柚は俯いてしまう。
そして再び、ゆっくりと顔を上げて苦笑を浮かべた。
「そう言われれば、そうですよね。でも、失望はしなかったかな。なんで来ちゃうんだって、ちょっと腹は立ったけど、本当は一人じゃ凄く心細かったし……」
(そういう時、傍にいてくれるんだな……焔は)
心の中で呟きを漏らす。
「ごめんなさい、さっきの言葉取り消します。私、焔に感謝はしてますが、失望はしてません」
「構わんよ。君は本当に正直者だ」
穏やかに笑う黄に釣られるように、柚も穏やかに笑みを零した。
黄は椅子を引き、ゆっくりと立ち上がる。
窓の傍へと立つと、外を眺めて目を細めた。
「アスラもなかなか見る目があるな」
黄の言葉に、柚が苦笑を浮かべる。
「では、アスラはどうだろう?君とアルテナ、どちらを優先すると思う?」
「それはもちろん、モンロー議員ですね」
「即答か」
「即答ですね」
黄と共にけたけたと笑いながら、柚はケーキを頬張った。
アスラならば器用に両方助け出しそうな気もするが、いざというとき、アスラは母を助けるだろう。
それが当然だと思っている。
「柚よ。世の流れとは常に変わり続けるものだ、それは人の心も叱り」
「は?はあ」
「アスラの変化を危ぶむ者もいる」
「そんな!確かにアスラは変わったけど、別に何かを企むとかそんなことは絶対に――」
「分かっている」
柚を宥めるように、黄が頷いた。
「アスラはワシにとっても孫のようなものだ。もしアスラが苦しむことがあれば、君が支えてやってくれ」
柚は数回、目を瞬かせる。
自分よりずっと大人で、任務など滞りなく遂行してしまう。
本来ならば、上官のアスラという存在はずっと遠くに感じていたかもしれない。
こうして、彼を親しく感じることが出来るのは、アスラから歩み寄ってくれたからだ。
「私はまだまだ未熟で、私がアスラの支えになれる日なんて想像出来ないし、本っ当腹が立つときもあるけど、アスラは父や母のように大切な人の一人です。出来うる限り、アスラの力になりたいと思います」
柚は微笑を漏らした。
満足そうに、黄が深く頷き返す。
和やかな談笑の後、黄はテーブルの上のお菓子を纏めさせると、柚に渡して笑みを浮かべた。
「楽しい一時だった。ワシは君の事も孫が増えたようで嬉しく思っているぞ。また、じじいの茶に付き合ってくれるかな?」
「は、はい!私なんかで良ければ」
部屋から出てきた柚に、部屋のドアを挟んで立っていたアスラとガルーダが顔を向ける。
柚はガルーダの姿を見つけ、目を瞬かせた。
「尉官、ずっと待っててくれたの?」
「うん、終わった?」
「うん。大統領がね、尉官にもってお菓子くれたんだ」
「やった!」
喜ぶガルーダを横目に、アスラが小さく溜め息を漏らす。
そんなアスラに振り返り、柚は包みの中から飴を取り出した。
「こっちはアスラに」
「あー、アスラは任務中だからいらないって言うから、俺が……」
ガルーダが横から告げると、アスラがガルーダを視線で牽制し、柚に向けて身を屈める。
「貰おう、剥いてくれ」
柚に食べさせてもらうアスラを見やり、ガルーダが半眼を向けた。
―NEXT―