同じ頃、アジアの空の下、フランツ・カッシーラーは切り株の上で溜め息を漏らしていた。

爽やかな春の風が、ミルクティーのような柔らかい色合いの髪を撫でていく。
いつもは大きなピンクの瞳も、今日ばかりは陰りを帯びていた。

ギプスで下げられた腕をもどかしく思う。
ヨハネス・マテジウスの治癒の力を持ってしても、骨折が完治するには時間が掛かる。

「焔、距離を詰める事ばかりに気を取られすぎだ!もっと広い視野で見ろ!」

少し離れたところでは、教官のジョージ・ローウィーが小柄な体で叫んでいた。

炎と刀を操り、同じ炎の属性を持つライアンズ・ブリュールと訓練に勤しむ西並 焔(にしなみ ほむら)
焔の混じりけのない黒い髪と、白に炎のようなメッシュの入ったライアンズの髪の色は対極で、まるで太極図を見ている気分になる。

二人の模擬戦を見ながら、フランツは自分を焔に重ね、ライアンズと戦っているかのようにイメージした。

接近戦が得意な焔と、遠距離から中距離戦が得意なライアンズ。
自分も焔と同じ、接近戦を得意としている。

だが……

(あ、また)

焔の戦い方は、自分とはあまりに違う。

フランツは溜め息を漏らし、怪我をしていない方の手を切り株に添えて足を投げ出した。

(いいな……)

政府は、使徒の力を三段階のクラスに分け、更に九段階に階級を付けた。
元帥アスラが最高位の上級クラス・第一階級セラフィム、そして自分の友人でもある焔は、上級クラス・第二階級ケルビムだ。

しかし自分はというと、下から三番目……答えれば「なんだ」と肩を落とされる、下級クラス・第七階級プリンシパリティーズだ。

(ほら、また)

多分性格もあるのだろう、焔の力の使い方は精密さに欠ける。
後先を考えずに力を込めて攻撃をしているが、それでもまだ、有余るほどに力の蓄えがあった。

(僕があんな力の使い方をしたら、すぐにガス欠ですよ)

少々やさぐれた気分で、フランツは焔の荒削りな戦い方に溜め息を漏らす。

どんなに努力しようと、産まれ持った力の容量が増えることはない。
努力で補えるのは、いかに力を効率よく有効に扱えるようになるかだ。

どれだけ努力をしても、フランツの階級がプリンシパリティーズから上がることはない。

所詮、努力で産まれ持ったキャパシティーの差を補うことは出来ないのだろうか?
それを見せ付けるように、最近焔にはすっかり黒星ばかり、柚にも二回に一回は負けている。

つい最近仲間に加わったフョードル・ベールイもまた、データ上では中級クラス・第四階級ドミニオンズと公表されているが、実際の所、フョードルはアスラと同じセラフィムの階級を持つ。
自分など、ひとつ年下の焔と柚にあっさりと抜かれ、そう遠くないうちに、三つ年下のフョードルにもあっさり抜かれてしまうのだろう。

(焔は、まあ……当然だけど)

誰にも気付かれたくはないが、年上として、男としてのプライドがある。

追い越されていくことなど、覚悟はしていた。
だが、いざ出るのは溜め息だ。

「はぁ……」

次々と追い抜かれていくという焦りばかりが募る。

そんな中、任務中に腕を折ってしまったのだ。
ますます気が滅入るというものだ。

「どうした?腕が痛むのか?」
「あ、いえ」

焔に声を掛けられ、フランツは慌てて顔をあげて首を横に振った。

タオルを首から下げ、水を煽る焔が自分を見下ろしている。
フランツは顔に笑顔を貼り付けた。

「終わったんですか?」
「ああ」
「どっちが勝ったんです?」
「……」

途端に、焔は不機嫌に顔を背ける。
するとライアンズが焔の肩に腕を乗せて、「お・れ」と得意気に笑った。

「暑苦しい、寄るんじゃねぇよ」
「あーあ、この負けず嫌いはすぐ不機嫌になる。だーれがそう簡単に負けるか。それとも、愛しの柚がいなくて寂しいのか?ん?なんなら、お兄さんが相談に乗ってやろうか?」
「てめぇ!?ふざけんな、誰が!」

二人のやりとりを見ながら、フランツは乾いた笑みを漏らす。

暢気な友人。
無神経な先輩。

思わず頭に浮かんだ言葉を、フランツはぞっとして振り払った。

すると、頭の上でジョージの溜め息が響く。
フランツは顔をあげ、ジョージを見上げた。

「まったく、疲れ知らずな連中だ。お前は完治するまで休暇だと思ってしっかり休めよ」
「……はい」

怪我をして休んでいる間に、一人、また一人と……
自分を追いかけてくる足音が近付いてくる気がする。

特に柚。
彼女に追い越される日はそう遠くない。

ここで何も出来ずに過ごす数日が、フランツにとっては取り返しのつかない休日に思えてならなかった。










会談を終えてホテルにたどり着くと、柚はぐったりとベッドに倒れ込んだ。

「どーした、柚。お疲れ?」
「精神的に……」

ガルーダは軽く笑い飛ばしながら、柚の隣に腰を下ろした。
ベッドが軽く軋みを上げて揺れる。

「アスラの奴、自分だってラッド元帥の顔ジロジロ見てたくせに!大体、カロウ・ヴから話し掛けてくるのに、一々睨んでくるし!どーしろってゆーんだ」

柚はがばりと起き上がり、声高に叫ぶ。
アスラは休んでいる黄の護衛中だ。

ガルーダは苦笑を浮かべ、柚の頭を鷲掴みにするかのように大きな掌で撫でた。

「ごめんよ」
「な、なんで尉官が謝るんだ?」

思わず目を瞬かせ、柚はガルーダを見上げる。

「アスラの我儘は、俺等が甘やかしたからだと思うし」
「うんうん。イカロス将官もガルーダ尉官も、アスラには甘いよな。兄弟みたいなもの?」
「そうだな」

ガルーダは苦笑を浮かべた。

「昔は可愛かったんだ。一生懸命、俺等の後ばっかりついてきて。今じゃ、あんな可愛げのない仏頂面だけど」

いい終えたガルーダは、思い付いたかのようににやにやと笑い、柚の顔を覗き込む。
柚は首を傾げ、ガルーダの顔を見返した。

「アスラの子供の頃の話、聞きたい?」
「聞きたい!」

柚が目を輝かせ、身を乗り出す。

それを遮るように、部屋のドアがノックされる。
柚とガルーダは、顔を見合わせてドアへと視線を向けた。

ドアが開き、見慣れた大統領の秘書が顔を出す。

「宮、大統領がお呼びだ」
「はい?」

柚がきょとんとした面持ちで目を瞬かせた。

大統領の部屋の前に着くと、部屋の前に立っていたアスラが柚とガルーダに一瞥を投げる。
秘書が部屋のドアを開けると、部屋のテーブルにデザートを並べた黄が快く柚を迎え入れた。

閉まるドアを横目に、ガルーダがアスラの隣に立ち、小声で声を掛ける。

「じいちゃん、柚に何の用?」
「茶の話相手が欲しいそうだ。俺が断ったら柚を呼びにいかせた」
「お茶くらいしてやればいいのに」
「任務中だ」
「頭が固いねぇ」

呆れたように肩を竦めるガルーダに、アスラは無言で返した。

「んじゃあ、俺は部屋に戻って一人ゆっくり休ませてもらおうか。お勤め頑張っ――」
「お前は柚の護衛だろう、終わるまで残れ」
「……くそじじい……茶くらい一人で飲めよ」

ガルーダは長い手を投げ出し、項垂れるように床にしゃがみ込んだ。





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