13


「そっか!これが"愛"なんだ!なんだ、これがそうなんだ!」

ハーデスは感動したようにベンチから立ち上がる。
無邪気な笑みを浮かべ、生き生きとした眼差しで一人、納得したように繰り返す。

柚はそんなハーデスに取り残されたように、ハーデスを見上げた。

すると、パーベルが声をあげて泣き始める。
柚が慌ててパーベルに視線を落とすと、頭上から声が降った。

「おい。何やってんだ、講義の時間に遅れるぜ」
「!」

柚はびくりと肩を震わせ、建物に向けて振り返る。
二階廊下の窓から、焔がこちらを見下ろしていた。

いつも通りの素っ気ない口調に、不機嫌な面持ち。
途端に、現実に引き戻されたかのような感覚が押し寄せる。

「い、今行く」

ハーデスと目を合わせられないまま、柚は食べ掛けのサンドイッチを包み、立ち上がった。

「ハーデス、あの……」

柚がベンチに座っていたハーデスに声を掛けようと視線を向けると、すでにそこにハーデスの姿がない。
泣いているパーベルと食べ掛けのサンドイッチを手に、柚は俯いた。


パーベルの泣き声を聞きながら、焔は柚に背を向けて窓に凭れ掛かった。
小さく溜め息が漏れる。

(人様の告白邪魔して、何やってんだ、俺……)


「はぁ……」


全く別の方向を向いた柚と焔が、同時に溜め息を漏らす。
そんな二人に、教科書を手にしたジョージが頭を抱えて溜め息を漏らした。

「それは溜め息が出るほどに俺の授業がつまらないという意思表示か?」

ジョージの教科書が柚と焔の頭に振り下ろされる。

「一ヵ月後にはテストがあるんだぞ、もっとしっかりしてくれ」
「はァ?なんだよそれ」

叩かれた頭を撫でていた焔が、眉を顰めてジョージを見上げた。
ジョージが不敵に笑う。

「何もないとでも思ったか?今までさぼっていたツケが来るぞ。今後はこれに懲りて、少しは真面目に講義を受けるんだな」
「なんだよテストって……面倒くせぇ」
「まあ、そう言うな」

机に項垂れる焔の肩を、ジョージが何故か嬉しそうに叩く。
そんなジョージが、一番文句を言いそうな柚にちらりと顔を向けると、柚は先程と変わらず、ぼんやりとした面持ちで溜め息を漏らしている。

ジョージが顔を引き攣らせ、小声で焔に話し掛けた。

「なんだ、柚は。何か悪いもんでも食ったのか?気味が悪いぞ」
「だったらマシだろうけどな……はぁ」

頬杖を付き、焔がジョージに遠い眼差しを向ける。

「なんなんだ一体!その前に、授業に集中しろ!」

どこか達観した面持ちの焔が気に食わなかったのか、状況が読めないジョージの八つ当たりにも似た怒声が、教室の外にまで響き渡った。





「フョードル?」
「?」

名前を呼ばれ、フョードルはゆっくりと振り返った。
ぼんやりとした面持ちのフョードルに、アンジェとライラが駆け寄る。

すると、フョードルの足元にいた毛玉のような猫が茂みの中に姿を消す。

「あっ!」

アンジェが残念そうに声をあげ、猫が隠れた茂みへと顔を向けた。

「逃げちゃった……」
「あの猫はアンジェの猫?」
「ううん、そういうんじゃないんだけど」

アンジェは、手にしていたパンへと視線を落とす。
釣られるように、フョードルがアンジェが手にするパンを見下ろした。

「仲良くなりたいなって思ってるんだ」
「だったら、捕まえた方がよかっただろうか」

フョードルは茂みに視線を向け、小さく呟く。
するとアンジェが慌てて首を横に振り、ライラが肩を竦めた。

「そこまでしなくていいんだよ」
「そうだよ!捕まえたりしたら可哀想だよ」
「……可哀想?そうだろうか」

フョードルが眉を顰めて、同じ顔の双子を見下ろす。
そんなフョードルに、アンジェが不安そうに「え?」と呟きを漏らし、ライラが眉を顰めた。

「人に飼われれば、餌にも寝る場所にも困らない」
「けど……そんな、僕、自由を奪ってまで仲良くなりたいとは思わないよ」

ガサリと、茂みの揺れる音がする。
近くの木に飛び乗った猫が、鳴き声をあげて去っていく。

アンジェとライラが空を見上げ、残念そうに「ああ」と落胆の声を漏らした。

その時、基地にサイレンが鳴り響く。

「招集だ……」
「なんだろ。さっき、アスラと出掛けてたイカロスが戻って来てたから、何かの報告かも」

アンジェとライラが顔を見合わせ、フョードルが体を強張らせた。

三人が会議室に向かうと、柚がフョードルに軽く手を振る。
フョードルは、足早にアンジェ達から離れ、柚の隣に座った。

「何かあったんでしょうか?」
「多分、前に教官が話してた件じゃないかって、教官が言ってた」
「教官殿が……?」
「世界規模で、双頭って奴等を捕まえる作戦があるって言ってただろ?」
「正式に決まったのでしょうか!」

フョードルが意気込んで身を乗り出す。
柚は覇気のない笑みを浮かべて返した。

程なくして、イカロスがジョージを伴い姿を現す。

イカロスは集まった面々を見回し、ジョージに資料を配るように合図する。
柚は隣に座る焔から資料を渡され、自分の分を手に取ると、残りをフョードルに渡す。

「まずは昨日、正式にアジア・オーストラリア・ユーラシア・アメリカ・アフリカによる合同の"双頭"一掃作戦が決定した」

前列に座るライアンズが、少し緊張したように白い髪をかき上げた。
ライアンズから少し離れた席に座るハーデスが、僅かに首を傾ける姿が見える。

アスラ・イカロス・ガルーダの上官を除いたメンバーの中で、ライアンズとハーデスは一番の実力者だ。
大規模な作戦ともなれば、外せない戦力の要だろう。

「それに伴い、昨日デーヴァ元帥がガルーダ尉官同行のもと、ユーラシア主催のの緊急召集に応じ、現在ユーラシアにて行われている軍議に参加している。詳しい作戦内容は、明日のデーヴァ元帥帰還後となるが、作戦は四日後の予定だ」
「四日後?大掛かりな作戦のわりには、随分急ですね」

フェルナンドがいぶかしむ様に呟き、イカロスを見上げた。
口調は丁寧だが、慇懃無礼な態度が滲み出ている。

「双頭メンバーの動きの一部を捉えた――と、情報をもたらしたのはユーラシアだ。確実に情報が入るという確信があり、情報が入るということを前提に世界各国への協力を要請してきていた。そしていざ入手したものの、情報の期限が思いのほか早かった、というのがユーラシア側の主張だよ」
「その情報に信憑性はあるんですか?ユーラシアやアメリカ側の罠である可能性は?」
「なんにせよ、政府が下した決断だ。そうとなれば、我々は従うのみじゃないかな?」

納得がいかない面持ちのフェルナンドに、イカロスが穏やかな声と柔和な笑みで返す。
それは、それ以上の口答えを許さないかのような効果を持つ。

ますますむすっとした面持ちで、フェルナンドは椅子の背凭れに体重を掛けて口を噤んだ。

「ユーラシアとアメリカ側によると、以前保護対象にあった使徒が双頭に横取りされたらしい」
「保護対象か……そりゃあメンツ丸潰れだろうな」

ライアンズが腕を組み、小さく呟く。
ユリアが斜に構えた笑みを浮かべ、くすりと音を漏らした。

「それが近年、保護対象にあった使徒によく似た男がいると、とある財閥の屋敷で働く者から内部告発が入り、財閥の主に疑惑の目が向けられた」
「情報源というのは、司法取引というわけですね……」
「我が身可愛さに売りやがったな、さすがだぜ」

ヨハネスが納得した面持ちで眼鏡を押し上げる。
足を組んでだらしなく椅子に座る玉裁が、口角を吊り上げた。

すると、ライアンズが軽く手を上げてイカロスを見やる。

「それで……作戦内容というのは、現時点で決まっているのでしょうか?」
「うん、そうだね。大体のところは、と言っておこうか」

軽く頷き、イカロスはジョージの方へと視線を向けた。
ジョージが目の前のスクリーンに地図を映し出す。

「もたらされた情報によると、男は使徒を闇のオークションで買ったらしい。過去にも何度か使徒がオークションの目玉として出品された事もあり、その度に高値で落札されていることは、君達も知っていると思う」

イカロスの視線が、柚達に向けられる。

少なからず、こういった大規模な作戦は柚にとっても初めての事だ。
自分に出番が無いと分かっていても緊張していた柚は、慌てて顔をあげて小さく頷いた。

「ユーラシアが得たのは、男の元に届いたオークションの招待状だ。そこには、今回のオークション会場と日時が記されていた。男の話では、いつも招待状は直前に届き、毎回場所も変わるらしい」
「そこを一気に抑える、ってわけですか」
「そう。ただし、双頭を捕らえただけでは終わらないんだ。使徒を買い取った客を抑え、売られた使徒を回収する。どちらかというと、あちらさんの目的はそれが本命かもしれないね……」

イカロスを中心に、ライアンズ達が慣れた様子で理解を示す。
柚なりに一生懸命付いていこうとしても、口を挟む気さえ起きない。

いくつかの問答を経て解散を告げられ、任務について話をしながら出て行く面々を、柚は椅子に座ったまま見送った。

すると、イカロスがそんな柚に苦笑を向ける。

「今回は大人しいね。いつもの柚ちゃんなら、自分も行きたいって言うのに」
「イカロス将官はいじわるだな。いくら私だって、思っても言い出せない雰囲気だって分かる」
「その代わり、別の任務をお願いするかもしれないよ?」
「え?」

柚は目を瞬かせ、イカロスを見上げた。





NEXT