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「そういえば、昨日変な夢みて目が覚めたんだよなー……」
「柚、行儀が悪いですよ」
食事をしながら頬杖を付く柚を、フランツが軽くたしなめる。
柚にしては珍しく、毎朝完食する食事にもあまり手を付けず、心此処にあらずの様子だ。
隣では、アンジェとライラがパーベルに離乳食を与えている。
「お前の夢はどうでもいいけど、こっちはパーベルのお陰で寝不足だ」
「私も……」
「僕も……」
三人は食事も進まずに、げんなりと項垂れた。
「あー、今日は玉裁に近付かないほうがいいですよ。きっと昨日の件で機嫌悪いでしょうし」
「そうだな、目が合っただけで因縁つけられそうだ……いつもだけど」
「そうですね、いつもですね……」
溜め息を漏らし、柚はベーコンを口に運んだ。
すると、食堂の前を通り掛ったフェルナンド・リッツィと目が合う。
通り過ぎようとしたフェルナンドが、口元にふっと嘲笑を浮かべ、食堂へと向きを変える。
柚がうんざり気味にフェルナンドから顔を逸らすが、柚の前でフェルナンドが足を止めた。
「おはよう、宮」
「おはよう、フェルナンド。今日もいい天気だな」
「ああ、清々しいくらいにね。ところで作――」
「あー、そうだ。フェルナンドはもう食べたのか?」
「部屋で静かに食べさせて貰ったさ。誰かさん達と一緒では、とても落ち着いて食べられそうにないからね」
「あー、そう。ふーん。一人寂しく食べたんだー」
興味もなさそうに、柚がそっぽを向く。
一瞬顔を引き攣らせたフェルナンドが片手を腰に当て、音を立ててテーブルにもう片方の手を付く。
「宮、君が騒がしいことは重々承知しているが、夜中にまで騒ぎ出すのは止めてくれないか?僕は、いつも暇な君と違って任務というも
のがあるんだ。睡眠を取り、体を休めることも立派な仕事の内なんだ。そこの所、考慮してくれると大変有難いんだけれどね」
途端に、柚が「ふんっ」と尊大な態度で返す。
「おいおい、男のくせに朝からネチネチと回りくどい言い方だな。はっきり煩かったって言えばいいだろ」
「ああ、非常に煩かったよ、迷惑だ!」
「そりゃー悪うございました。言わせてもらうけど、昨日騒いでたのは――」
「は?なんだい、君。女のくせに言い訳かい?」
「女関係ないだろ!男女差別すんな!」
「先にしたのは君の方だろ!」
椅子を蹴ってフェルナンドと怒鳴りあう柚の隣で、焔とフランツがもくもくと食事を終え、席を立つ。
迷惑そうなライラを他所に、アンジェがおろおろとした面持ちで柚とフェルナンドを見上げた。
「大体な、騒いでたのはパーベルだ!赤ちゃんは泣くのが仕事なんだぞ」
「!」
柚が指を指すほうへと視線を向けたフェルナンドが、みるみる目を見開く。
フェルナンドは顔色を変えた。
「っ……」
青褪めた面持ちで、言い掛けた言葉を呑み込むように口元に手を当てる。
足元をよろめかせ、フェルナンドは数歩後退った。
「なんだ、この子供はっ……」
「え、何?聞いてないのか?支部の子で、明日まで預かってるんだけど、名前はパーベルって――」
「やめろ!聞きたくない!」
パーベルを抱き上げた柚に、フェルナンドが声を裏返して叫ぶ。
柚がきょとんとした面持ちで目を瞬かせた後、眉を顰めた。
「いくらなんでもそんな言い方ないだろ。もしパーベルに言葉が分かったら傷付くぞ」
「そんな子供に分かるはずがないだろ!と、とにかく、僕は子供が大嫌いなんだ!二度と僕の前に連れて来るな!」
慌しく踵を返し、フェルナンドが足早に食堂を飛び出していく。
食堂がしんと静まり返っていた。
柚はパーベルを見下ろし、パーベルを抱き締めながら顔を曇らせる。
すると、アンジェが泣き出しそうな顔を俯かせ、柚の裾を掴んだ。
「ん?どうした、アンジェ」
「ううん……」
アンジェが小さく首を横に振る。
「なんでもないよ。行こう、アンジェ」
「うん」
まるでアンジェを代弁するように、ライラがアンジェの手を引き、歩き出す。
アンジェがパーベルに手を振り、食堂を後にした。
「きっと、恐くなっちゃったんでしょうね」
双子の姿が見えなくなると、フランツが哀れむように呟く。
柚はフランツへと振り返り首を傾げたが、フランツはそれ以上、何も語らなかった。
食事を終えたパーベルは、すやすやと気持ちが良さそうに寝息を立てている。
パーベルを抱えて廊下を歩きながら、柚は小さく唸った。
「ずっとだっこしてると、さすがに重いな」
「僕が代わりますよ」
フランツがパーベルを起こさないよう、小声で告げる。
パーベルをそっとフランツに渡すと、パーベルがもごもごと口を動かした。
息を潜め、どきどきとしながらその様子を見守る。
再び静かに眠り始めるパーベルに、柚とフランツはほっと安堵の溜め息を漏らした。
「世の中のママは偉大だ。腕が軽く筋肉痛……」
「そうですね」
フランツはくすくすと朗らかに笑う。
柚は痺れた腕を伸ばし、大きく背伸びをした。
「さて、訓練して講義受けてっと」
「そうですね」
歩く二人の耳に、遠くから微かに声が届いてくる。
柚がそちらに顔を向けると、フランツが気まずそうに顔を逸らした。
「宮がようやく、カッシーラーに勝てるレベルになってきたらしいぞ」
「おっ、じゃあ、賭は俺の勝ちだな」
「お前が一番遅いのに賭けたもんなー」
「くっそー!カッシーラーの奴、どうせ弱いんだからさっさと負けときゃよかったんだ」
「あいつのせいで、大損だ。ムカツク」
「はは、俺も正直自信なかったんだ。今回ばかりは、カッシーラーの諦めの悪さに感謝だな」
研究員達が、二人に気付かずに通路を通り過ぎて行く。
柚が「なんだ、あいつ等!」と怒声をあげた。
追い掛けて文句を言おうとした柚を、フランツが気後れした様子で止める。
「止めましょうよ、言うだけ無駄ですって」
「けど!」
「ほら、大声出したらパーベルが起きちゃいますよ?ね、行きましょう?」
「フラン、でもあいつ等――」
「いいんです。僕は慣れてるから一々気にしてませんよ。だから止めてください」
納得はいかないが、柚は口を噤んで拳を握り締めた。
自分達を不謹慎な賭け事の対象にした研究員達に腹が立つ。
だが、何も言い返さないフランツにも、少しだけ腹が立つ。
訓練中、荒々しい攻撃を繰り出してフランツを追い込んでいる柚を見やり、ジョージは小声で焔に問い掛けた。
「何かあったのか?」
「知らねぇ……俺、別行動だったし。けど、合流したら機嫌悪くなってたな」
半眼で呟く焔に、ジョージが「そうか」と腕を組み、溜め息を漏らす。
距離を詰めてくる柚を牽制しようと、フランツが柚の足元に向けて風の針を飛ばした。
後ろへと飛び退いた柚が空中に水で足場を作り、勢い良く空間を駆け上がり、足場を蹴り付ける。
その反動と共に、柚が腕を大きく振りかぶった。
大気中の水が柚の手に吸い寄せられていく。
(大きい攻撃が来る!)
フランツは身構えながら、素早く頭の中で対抗策を練ろうとする。
その瞬間、笑い声が頭の中で響いた。
"カッシーラーの奴、どうせ弱いんだからさっさと負けときゃよかったんだ"
ズキリと心臓が痛む。
一瞬にして、集中力が乱れた。
(誰も僕には期待してない……そんなこと、知ってた)
柚が集めた水を貫こうと、精密に練り掛けた風が乱れる。
(僕が頑張っても、皆の妨げにしかならないんだろうか……?)
水を槍のように研ぎ澄ませ、自分には真似出来ない巨大な力を纏い、柚が上空から水と共に降ってくる。
このままでは、負けてしまう。
負けたくない。
柚に、負けたくない。
一瞬の躊躇いと焦りが、フランツの判断ミスを招いた。
柚に釣られるように、翳した掌の先に自分が操れるありったけの力を掻き集める。
風がフランツの柔らかい髪を激しく揺らした。
フランツは、心の中で違うと叫んだ。
この方法では駄目だ。
だが、今更攻撃スタイルを変えては間に合わない。
柚が手を振り下ろすと、その動きに合わせて水が唸りを上げ、重力に引かれて降り注ぐ。
轟音と心音が鼓膜から音を奪う。
柚の水とフランツの風が、正面からぶつかり合った。
フランツの腕をビリビリと痺れさせる。
パーベルを抱き抱える重みとは比べ物にならない、膝から崩れ落ちそうになる重みだ。
「ぐ、ぅ!」
体が押され、足が地面を抉りながら後退する。
体中が悲鳴を上げ、今にも血管が破裂してしまいそうな気さえした。
どうあがいても、単純な力の押し比べになればフランツに勝ち目はないのだ。
(なんでこんなに……)
ふと、無性に泣きたくなる。
(……僕は、頑張っているんだろう)
心が揺らぐ。
自身の限界が見えた気がした。
柚の水が圧倒的な力で風を打ち砕く。
その瞬間、フランツの風がフランツの意思に反し、霧のように霧散した。
「え……?」
唖然とするフランツの体が地面へと叩き付けられ、その勢いを殺す事なく地面の上を転がる。
白い軍服が泥に塗れ、背中が熱く傷んだ。
「フラン!」
慌てたように叫ぶ柚の声を遠くに聞きながら、フランツは唇を噛んだ。
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