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直に触れなくとも分かる。
ひやりとした冷気を放つ石畳の地面が、果てしなく続いているように思えた。
天井を照らすのは、蜘蛛が糸を張る剥き出しの電球と、足元の不気味な青い照明のみ。
どこからともなく紛れ込んだ蛾が光を啄ばみ、鱗粉を散らしていた。
「放せ!」
重いドアが開け放たれると、揃わない足並みの中にひとつ、甲高い罵声が響き渡る。
その声は、冷たい地下牢に木霊した。
小さな鉄格子の入り口から、両腕を拘束された少年が突き飛ばされるように牢の中に押し込められる。
それに続き、少女が牢の中へと突き飛ばされると同時、鉄格子の扉は軋んだ音を立てて閉ざされた。
少女は転びそうになったところを軍靴を纏う細い足で踏みとどまり、プラチナピンクの髪を揺らして鉄格子に掴み掛かった。
「いっ――たいだろうがッ!女の子は丁寧に扱えって教わんなかったのか!ハゲ頭!」
「うるせぇ、どの口が女の子とか言いやがる!!」
顔を痣だらけにした男達が、少女・宮 柚の怒声に負けじと怒鳴り返した。
「やれやれ、目が覚めた途端に煩くて敵わん。威勢がいいお嬢さんだ」
「……なんだ貴様は」
いぶかしむように、柚は声の主を睨み付ける。
男達の後ろから杖を付いて現れたのは、まるで風船を膨らませたかのようにふくよかな腹を抱える初老の男だった。
「ワーナー・デ・ファルコ、と言えばご理解いただけるかな?気の強いお嬢さん」
笑った男の口元で金歯が光る。
柚は不機嫌に鼻を鳴らし、侮蔑の眼差しと共に、ワーナーに挑発的な笑みを向けた。
「私を攫ったのが運の尽きだな。貴様等全員捕まるぞ」
「今の内に吠えておけ、化け物の牝め」
ワーナーが動じもせずに鼻で笑い飛ばす。
彼の前では、チョコレートのような髪色の青年がじっとこちらを警戒している。
目が合うと、青年は反射的に愁いを帯びた瞳をさっと逸らした。
ワーナーは顎を撫で、部下に命じる。
「餌は水以外与えるな。弱らせて体力を削っておけ」
「ふざけんな!三食デザート付きで出せ!」
びくともしない鉄格子を掴み揺さぶりながら、柚が怒鳴り声をあげた。
そんな柚を無視して、男達は次々と背を向ける。
遠ざかっていく足音に罵声を浴びせ終えると、柚は鉄格子を蹴り飛ばし、冷たい石畳にどかりと腰を下ろした。
◇ ◇ ◇
全世界を呑み込んだ長い戦争の時代、母体が受けるストレスにより、アルビノや奇形の子供が産まれるようになった後、不可思議な力を持つ子供達が生まれ始めた。
自然を操る者、人の心を読む者など、人によって力は様々だが、世界は彼等を新人類と定め、"使徒"と名付ける。
冷戦状態にある世界情勢の中、政府は使徒を次期主力戦力とし、国内の使徒を集めて政府直轄の特殊能力部隊"アース・ピース"を創設。
使徒は保護という名目で、使徒は政府の監視下に置かれる事となった。
窓の外をわたがしのような雲が流れていく。
アジア帝國唯一の女性使徒・柚は窓に張り付き、飛行機の小さな窓から海を眺めていた。
透き通る青い海、真っ白な雲を追い越し、大統領専用機は優雅に空を駆けている。
奇形型と呼ばれる尖り気味の耳と、光沢を放つプラチナピンクの髪と赤い瞳。
柚のような者を世間はアルビノと呼んでいるが、母体が受けたストレスによりアルビノや奇形型の子供が増え、今やそう珍しいものでもなくなった。
柚は今、アジア帝國のみならず、世界中から注目された存在だ。
使徒の女性出生率は圧倒的に低い。
柚はアジア帝國で発見された、世界では五人目の女性使徒だ。
次第に高度を落とす旅客機からは、国旗を手に滑走路の外に集まる人々の姿が見え始める。
旅客機は静かに異国の空港に滑り込み、その動きを止めた。
初体験の飛行機に、柚は体から力を抜いてシートに凭れ掛かると、嬉しそうにその顔に笑みを浮かべる。
「ふわってした、エレベータみたい」
「楽しかったか?」
男が振り返り、厳格な顔に穏やかな笑みを浮かべて訊ねた。
アジア帝國の大統領・黄 太丁は秘書に促されてシートベルトを外す。
今回は、柚にとって初の海外出張。
同盟条約の交渉に、オーストラリアを訪れる黄の護衛任務だ。
とはいえ、大統領の護衛には元帥アスラ・デーヴァと尉官ガルーダも一緒で、柚はおまけというよりも華を添えに来たようなものである。
オーストラリア連邦のマーシャル・クック連邦首相の是非という要望があっての出張だ。
飛行機の小さな窓からは、盛大な出迎えが展開されている。
軍隊が一糸乱れることなく隊列を組み、その中央にクックを初めとした議員、そして使徒が並んでいた。
(わぁ……あっ!あの軍服、カロウ・ヴが着てた――ってことは、あの軍服の人達は皆使徒だよな)
「柚」
感情に欠けた声が自分の名を呼ぶ。
振り返ると、冷ややかな水色の瞳と目が合った。
ブラインドが下ろされた小窓から滑走路の様子を覗き見る柚を、アスラ・デーヴァが咎めるように呼び寄せる。
陽だまりに溶けてしまいそうな色素の薄い金の髪と瞳、そして端整な人目を惹く顔立ちは、人形のように滅多なことでは感情を映し出さない為、高圧的に映る。
議員のアルテナ・モンローを母に持つアスラは、使徒の研究所で使徒と人間の女との間に産まれ育ち、二十五にしてアジア帝國が誇るアース・ピースの元帥だ。
すでに皆が、降りる準備に取りかかっていた。
慌てて窓から離れる柚を、まるで孫を見るように黄が笑う。
「長旅にも関わらず、若者は元気で何よりだ」
「あはは」
恥ずかしくなり、柚は笑って誤魔化した。
だが、誤魔化されてくれないのがアスラだ。
「気を引き締めろ、同盟を結ぶ相手とはいえ油断をするな」
「……」
「聞いているのか?」
「はーい」
柚は不貞腐れた面持ちでアスラから顔を逸らし、おざなりな返事を返した。
すでに、耳に蛸が出来そうなくらいに聞かされた言葉だ。
この任務が決まってからというもの、口を開けば、油断するな、気をつけろ、迂闊に触らせるな、特にカロウ・ヴとはしゃべるな。
(こいつ、その内他の男とは口をきくなとか言い出すんじゃないのか……)
アスラはその容姿のお陰か、若い女性からの指示が高い。
寡黙で沈着な雰囲気が魅力的ー!と言っていた友人に、柚はぜひ訂正したい。
その中身は、世間知らずで独占欲の強い大きなお子様だ。
「ゆーず、口がへの字だぞー?」
後ろからガルーダの褐色の手が伸び、「へ」の字の曲がった柚の口角を強引に上げた。
体中に所狭しと施された刺青が、アスラとは別の意味で人目を惹く。
ガルーダは琥珀の瞳に無邪気な笑みを浮かべ、柚の背を押した。
「さ、ここからが本番。楽しんでこ」
「ガルーダ」
護衛なんだから楽しんじゃ駄目だろ、という柚の心の呟きを代弁するように、アスラがガルーダを咎める。
「行くぞ」
「うん!」
アスラの声に促され、柚は軽やかにシートから立ち上がった。
異国の風が、一同を誘うように機内の中へと迷い込んでくる。
ハッチを潜った黄がタラップに立ち、出迎える人々に手を振った。
黄の後に続くアスラの後から、柚がガルーダと共にタラップを降りる。
マシュー・クックがタラップの下にまで歩み寄り、両手を広げて黄に微笑み掛けた。
オーストラリア連邦の首相を務めるクックは、体が細く腰の低い男だ。
そして、カロウ・ヴというオーストラリアのエース使徒にとても甘い。
黄と抱擁を交わすクックの後ろでは、長い銀の髪をしっぽのようにひとつに纏めた青年、カロウ・ヴがそわそわと身を乗り出していた。
「カロウ・ヴも、変わらず元気で何よりだ」
「いやはや、落ち着きがなくお恥ずかしい限りです」
黄の言葉に、クックがハンカチで額の汗を拭う。
カロウ・ヴは、そんなクックにもどかしそうに口を開いた。
「首相!僕も、僕も!柚と再会のハグしたい!」
「こら、カロウ・ヴ。黄大統領に失礼じゃないか、静かにしていなさい」
「だって、柚が目の前にいるのに!」
「黄大統領、申し訳ありません」
まるで幼い子供を叱る父親だと、柚は心の中で呟く。
どう見ても、子供は二十歳前後なのだが……。
だが、仲のいい親子みたいなオーストラリアの面々を見ていると、面倒事も多いが嫌いにはなれない。
すると、柚の視線に気付いたカロウ・ヴと目が合った。
カロウ・ヴは満面の笑みを浮かべ、柚に手を振ってくる。
何処までも、羨ましいくらいにマイペースで恐れ知らずだ。
柚が愛想笑いを返していると、アスラが咳払いを挟む。
こちらはこちらで心が狭い……と、柚は心の中で溜め息を漏らした。
すると、カロウ・ヴがクックを肘で軽く小突く。
「首相、首相」
「ん?ああ、すまんすまん」
クックは小さく笑い、黄へと笑みを向けた。
「今年の春節は実に見事でした。我が国内でも、もはや宮君と西並君の名前を知らないものはいませんよ。カロウ・ヴなど録画をして一日中観て過ごす日もあると聞いています」
「それは光栄の極み。柚」
「あ、はい。有難う御座います」
声を掛けられ、柚がクックにぺこりと頭を下げる。
クックよりもカロウ・ヴが「いえいえ」と照れたように返してきた。
「我が国内でも異例の大反響で、過去に映像化したことはないのですが、それも検討しているところですよ」
「え!?」
柚が思わず声をあげる。
アスラが横目でじろりと柚を睨み付け、柚は慌てて口を塞ぎながら首を竦めた。
だが、自嘲をしないのがカロウ・ヴという男だ。
「マジで!買う、買う!絶対買うからお願いします!」
「ははは。商品化が決定した暁には、特別、君にプレゼントしよう」
「やった!首相、聞いた?黄大統領、太っ腹!」
「こら、カロウ・ヴ、ちゃんとお礼をいいなさい」
「はーい、有難う御座います!」
万歳をして駆け回っていたカロウ・ヴが深々と頭を下げる。
「相変わらずあちらさんは元気だねぇ」
「あぁ、あれを映像化なんて恥ずかし過ぎる」
からからと笑うガルーダの隣で、柚が嘆く。
すると、アスラの隣に立つオーストラリア連邦のアース・ピース元帥"マーシャル・ラッド"が口を開いた。
「いつもカロウ・ヴが騒がしくして申し訳ない」
「あ、いえ」
マーシャルが喋ると、口元で綺麗に切り揃えられた髭が動く。
経験を重ねた貫禄と低い声が厳格なイメージを与えてくるが、紳士的で無口な男だ。
「立場上難しいとは思うが、今回はゆっくりしていくといい」
「有難う御座います」
柚が頬を染め、うっとりとした面持ちでマーシャルを見上げる。
「柚って、結構ラッド元帥好きだよね……」
「髭か?あの髭なのか?」
身を寄せて小声で囁くガルーダに、アスラがマーシャルをじっとねめつけながら呟く。
すると、「元帥ばっかり柚と話してずるい!」と、カロウ・ヴがマーシャルに膨れっ面を向けた。
マーシャルは慣れた様子で、表情ひとつ変えずに「任務に集中しろ」と跳ね返す。
「お前もだ」
「なっ!」
急に咎められた柚が、むすっとした面持ちでアスラの背中を睨み付ける。
ガルーダが首を横に振り、肩を竦めた。
クックと話をしていた黄が、穏やかな眼差しを柚へと向ける。
慌てて、柚とガルーダが姿勢を正した。
「彼女は我が国の誇りですよ」
黄の言葉に違わぬ誇らしげな眼差しに、柚は思わず頬を赤く染める。
手放しに褒められると、喜ぶ以前に身が竦む。
行く先々で褒め湛えられる奉納の舞いは、仲間の助けがあってこそ、"最高"と呼ばれる舞を舞いきることが出来たのだ。
ちらりとアスラを見上げると、まるで自分のことを褒められているかのように、アスラが微笑んでいるような気がした。
思わず柚の頬も緩む。
そんな柚の頭をガルーダが撫でた。
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