「ニグラ族の男に、甘えは許されない。心から強くなれ――それが俺の母の教え」

母を懐かしむというよりは尊敬という想いが先に来るかのような眼差しで、ガルーダは語る。

「俺の母体候補は、小さなニグラって部族から選ばれた。狩りを生業としているから文化は遅れてるけど、普通の人間よりも優れた体に進化していたらしい。森林保護区に指定された奥地で暮らしているから、戦争にも巻き込まれないできた」

研究所で育ったガルーダや、便利な生活を送ってきた柚では想像もつかない暮らしをしているのだろう。
女は世界が統一された際に統一された共通語以外の言葉を話していた。

「土地開発で住む場所を追われそうになってたその部族に、政府は開発を中止する条件として、その部族の優れた遺伝子を持つ女を一人、使徒の母体候補として研究所に献上するように言った」

「そして」と、ガルーダが無邪気な笑みを浮かべる。

「俺が生まれたんだ」

もはや子供の面影もない大人の男が浮かべる無邪気な笑みは、彼の純粋さの象徴だ。
ただ前だけを見て進んできた強く逞しい彼の姿は、見るものを圧倒し、目を惹くものがある。

「一度会ったときに触れた、優しい手とキスを今でも忘れない。俺の勝手な思い込みかもしれないけど、俺は母に愛されてたよ」

それが、他の者達との大きな違いだ。
アスラがアルテナに愛されているかどうかは、実際のところ分からないが、少なからず愛されなかったイカロスとは決定的に違う。

「俺にはひとつでも思い出があるから、傍にいてくれなくてもいい。俺が強くあり続けることが、俺の誇り、俺の"生きる"ってこと。アイツ等は俺達全員の子供だ。だから俺は父親の一人として、あの子達にそう育って欲しいと思う」

彼等は、柚の知る人々の子供であることには違いない。
誰かの子であり、自分の子供かもしれない――血という情に縛られる使徒にとって、あの子供達が愛しくない筈がないのだ。

「あの子達もそうだけど、俺達だっていつ戦場で死ぬかも分からない。永遠にアイツ等を守ってやることも出来ない。だから、自分自身で強くならなきゃならない」

柚はニエとウラノスを見詰めた。
必死に耐える幼い子供達の瞳は、決して負けていない強い光がある。

ガラスの壁で遮られた向こう側で、ニエが必死に訓練に励んでいた。
何本ものケーブルに繋がれたウラノスが、注射器から目を逸らしながらも受け入れている。

「結局どんな場所にいても、何かをしようとかこうありたいって目標を決めるのは自分自身で、自分で決めて歩き出さなきゃすぐに折れる。心が強くなければ、何事も成せはしない」
「……うん、そうだな。尉官の言う通りだ……なのに」

目を細め、小さく頷いた。
ガラスの壁に触れる指先が、ゆっくりと表面を撫でていく。

「見守るしか出来ないってのも、結構辛いものだな」
「そんなことはないさ。あいつ等の訓練が終わったら、目一杯誉めてやればいい」

柚の頭を抱き込むようにくしゃりを撫で、にっと笑みを浮かべた。
柚は、ガルーダのまるで父親のような笑みを見上げ、ゆっくりと目を細める。

「うん」

会えない母親の分も、「よくやったね」と抱きしめたい。
一生懸命な子供達の姿は、何者にも負けない強さを秘めているように思えた。

「ガルーダ尉官」

キースが小走りに駆けて来る。
柚は不思議そうにキースを見やり、ガルーダを見上げた。

「そろそろお時間ですよ、お迎えにあがりました」
「りょーかい」
「何処か行くの?」

腰に巻いた軍服を解いて着なおし、更にキースが抱えてきた防寒服を羽織る。

出口に向かって歩き出すガルーダを追い掛けながら、柚はきょとんとした面持ちで見上げた。
毛皮の付いた帽子と手袋を嵌めながら、ガルーダはにっと笑みを浮かべる。

「ついでの任務」
「えー、私に何か手伝える事ない?」

柚が口を尖らせると、エントランスで待っていた玉裁が「ばーか」と吐き捨てた。

「お前じゃ目立ち過ぎんだよ」
「そーいうこと。ちょっとデリケートな所に行くんだ。じゃあ、明日の夕方までには戻るから」
「危ないの?」

柚は車に乗り込む二人を見やり、心配そうに首を傾げる。
キースが遠慮がちに外からドアを閉め、運転席の同僚に「お気を付けて」と声を掛けていた。

ウンドウを下げたガルーダはドアの上に腕を乗せて身を乗り出すと、苦笑を浮かべる。
玉裁もガルーダも、防寒着をしっかり着込んでいた。

「ちょっとした視察」
「気をつけて」

柚が告げると、ガルーダはひらひらと手を振って返す。

走り出していく車を見送っていると、すぐに犬のルナが足元に擦り寄ってきた。
柚は驚きの声をあげ、すぐにルナへと笑みを向ける。

「なんだルナか。一緒にいてくれるのか?」

柚はルナを抱きしめ、頬擦りをした。
すると、ルナはしゃがみこむ柚の肩に前足を乗せて顔を舐める。

「さて、部屋に戻るか。もう鶴食べちゃ駄目だぞ」

言い聞かせる柚に、ルナが一声吠えて返す。

すると、訓練を終えたニエとウラノスが駆けてきた。

ニエはルナを見付けると笑みを浮かべ、小さい手でルナを揉みくちゃにする。
迷惑そうにしながらもやりたいようにさせているルナのすまし顔を見て、柚は思わず笑みを浮かべた。

「訓練、終わったのか?」
「うん!」
「そっか、頑張ったな」

柚はウラノスを抱き上げ、微笑みを向ける。
ニエの頭を撫でると、ニエは嬉しそうに目を細めた。

「そうだ、お姉ちゃんも見に行こうよ」
「何を?」
「赤ちゃん」

ニエとウラノスは柚の手を引いて、得意気に走り出す。
その後を、やはりすまし顔のルナが歩いてくる。

そんなにはしゃいで体は大丈夫なのだろうかと思うほどにはしゃいでいる二人に、柚は苦笑を浮かべながら従った。

急かすように歩く二人が柚を案内したのは、保育器のある一室だ。

「見て見て、この子が僕達の弟」

ニエは自ら踏み台を運んできてその上に上り、保育器の中を覗きこむ。
保育器の中で眠る未熟児を見下ろし、柚は目を輝かせた。

「おお!かわいいー!名前は?」
「まだないんだよ、あえて言うならばナンバー・一〇八」

柚が振り返ると、マルタの助手であるハドソンがカルテを手に入ってくる。

「この子は、常に生死を彷徨っている。いつ死ぬかも分からない子供は、数字で呼んでいる」
「そんな……」

柚は顔を曇らせ、保育器の中の赤ん坊を見下ろした。
すると、ハドソンは机の上に資料を置いて柚へと振り返る。

「なんなら、君が名前を付けてみるかい?」
「い、いい、いいの?」

目を輝かせた柚が顔をあげた。
ハドソンは苦笑を浮かべ、医師からカルテを受け取る。

「どうぞ」

軽い調子で告げ、ハドソンは部屋を出て行く。
柚はしゃがみ込み、ニエとウラノスと向き合った。

「聞いたか?私達でこの子の名前を付けていいんだって。なんて名前にしようか?」

興奮気味の柚に対し、驚くほど冷静に、ニエは小さく首を傾げる。

「名前って、そんなに重要なもの?」
「え……」

子供の純粋な瞳が、じっと自分を見上げてきた。

意味もなく、柚は答えに詰まる。
あまりにも純粋な瞳は、今まで当たり前だった事すら疑問に感じさせる力があった。

「大切だぞ。誰か呼んでもらうときに必要だろう?」
「だったら今のように番号のままでもいいんじゃない?」
「そ、それもそうだけど……いやいや、やっぱりだめだ。そんなの味気ないだろう」

思わず納得し掛け、柚は慌てて首を横に振る。

「それに、その子の一生がこうであるようにって願いを込めて付けたりするものなんだ」

感心したように、子供達の目が柚に釘付けになった。

「子供がお腹の中にいるときから、両親が沢山の名前を考えて、考え抜いて付けるんだぞ」
「僕も?パパとママが付けてくれたの?」

柚は笑顔のままで固まった。
自分の軽はずみな発言を恨む。

「そ、それは分からない……けど、パパとママ以外の人で、そういう縁起のいい事に詳しい人が付ける事も、ある、かな」

我ながら苦しい言い訳だと思った。

「とにかく、誰かが自分の為だけに与えてくれる最初の大切なプレゼントなんだ。だからこの子にも、素敵な名前を付けてあげなきゃ」

柚の言葉を聞いたニエが納得したようにしみじみと頷いている。
だが、柚のそでを引いたのは不思議そうな目をしたウラノスだ。

「ねぇ、じゃあ、ウラノスの名前はどういう意味なの?」
「僕は?ニエってどういう意味?」
「え、えーっと……よし、調べに行こう!」

二人に急かされるまま、柚は図書室に向かう。

自分達の基地に隣接する研究所の図書室とは違い、人気はあまりなく貸切のようだ。
すでに暗い図書室のライトを付け、本棚の間を縫って歩き、神話の本を手に取った。

「あったあった、ウラノスはギリシャ神話だな。世界をはじめて支配した神様だって」
「はじめてって事は、今は違うの?」
「え?ぅ、えーっと……」

悲しそうに見上げてくるウラノスに、柚は言葉に詰まる。
子供に裏切られ、支配権を奪われた神だとはとても言い出せない、悲しそうな顔をしていた。

すると、ニエが椅子から身を乗り出す。

「ウラノスばっかりずるい!今度は僕!」
「はいはい、ニエは精霊って意味だってさ」
「なんでウラノスは神様で、僕は精霊なの?」
「ねぇ、精霊ってなぁに?」

今度は反対からウラノスが柚の腕を掴んで揺さぶる。
二人に振り回され、柚はたじたじになっていた。

「せ、精霊ってのは、なんだろう?妖精とは違うのかな?違うな、えーっと」
「妖精ってなーに。神様は一番偉いんだよね?」
「ウラノス、うるさい!」

ニエが身を乗り出し、ウラノスを睨み付ける。
すると、ウラノスが一瞬にして涙目になった。

「ニエが怒った!僕より偉くないくせに!」
「なんだよ。もう、ウラノスと遊んでやんない!」
「こら、二人とも止めなさい。ニエもお兄ちゃんなんだから、そんなこと言っちゃ駄目だろ」
「なんでウラノスばっかり庇うんだよ!」
「そ、そんなことないぞ。ウラノスも、どっちが偉いとかはないんだからな」

慌ててウラノスを嗜めると、ウラノスは更に涙目になる。
柚は心の中で悲鳴をあげた。

「でも神様は一番偉いんだよ!」
「ウラノスなんて、まだ何にも出来ないくせに!能力だって僕の方が上だし、僕のが年上なんだから、ニエより僕のが偉いんだ!」
「ニエ!ウラノスも止めろって」

自分を挟んで喧嘩を始める二人を、柚が必死に宥めようとするが、全く聞く耳を持たない。

終いにはウラノスが大声で泣き始め、柚が慌ててウラノスを泣き止ませようとしていると、涙目のニエが図書室を飛び出していってしまう。
必死にウラノスを宥めながら、柚は心の底から思った。


(子供って、面倒くさっ……)


花畑の見える東屋で鶴を折りながら、柚は溜め息を漏らす。

今日は、ヨハネスで強制的に解散を言い渡され、折り紙を手に自室に戻った。
部屋に戻らずに花畑に立ち寄った柚は、鶴を折りながら再び溜め息を漏らす。

ルナが、柚の膝に顎を乗せて眠っている。
時々寝ぼけて揺れるふさふさの尻尾が愛らしい。

すると、車椅子のモーター音に柚はゆっくりと顔をあげた。





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