医務室から遊戯室へと移動すると、ドアを開けた途端床一面に広がった折り鶴を踏みそうになる。
いち早く戻ったアンジェとライラが黙々と鶴を折っており、話を聞いたヨハネスとジャン、ガルーダや同行した一般兵部隊の面々からも数名加わり、あまり広くはない遊戯室は人が密集していた。

すると、柚の頭の上に鶴が一羽舞い降りる。

「あれ、ガルーダ尉官までいる」
「遅かったじゃん、俺も手伝うよ」

無邪気に笑みを浮かべるガルーダの指先で、風に乗ってふわふわと浮いている折り鶴達は、まるで本当に空を飛んでいるかのようだ。
ガルーダの膝に座っているウラノスとニエが目を輝かせていた。

「尉官が折ったの?」
「ガルーダは邪魔してるだけ」

鶴を折りながら、ライラが視線も向けずに淡々と吐き捨てる。
確かに、ガルーダの足元にはよく分からない紙くずが数個落ちていた。

「皆器用だなぁ」

つまらなそうに告げ、ガルーダは頭の後ろで腕を組んで床に寝転がる。

ガルーダの風で浮いていた鶴は、ふわふわと宙を舞って柚と焔に近付いてきた。
柚が飛んでいく鶴を手を伸ばすと、鶴はその手を逃れるように二人の前を通り過ぎ、ウラノスとニエの掌に納まる。

その時だ、柚は足元を過ぎった大きな影に飛び上がった。
廊下を勢い良く駆けてきた犬が、突如その鶴をぱくりと咥えて攫ってしまう。

「う、うわっ!びっくりした。おっきい犬だ!」
「ルナ!駄目だよ、返して」

ウラノスが犬に向けて掌を差し出す。
犬は尻尾を振りながら、ウラノスの掌に鶴を吐き出した。

そのままくるりと踵を返し、犬は驚いている柚にすり寄る。
膝を折って犬の前に座り込んだ柚は、碧眼の瞳が美しいハスキー犬の顔を撫でた。

「ふかふかー、可愛い!」

顔を舐める犬に頬擦りをして、柚は笑顔を綻ばせる。
今にもその勢いで飛んで行ってしまいそうなほどに、ルナの太いしっぽがぶんぶんと振られていた。

隣にいるにも関わらず自分を素通りする犬を見て、焔は半眼で犬を見下ろす。

「こいつ、オスか?」
「ううん、ルナはメスだよ」

ニエが柚と一緒にルナに触れながら笑みを浮かべた。

「可愛いですね」

ヨハネスと共にアンジェが触れようとすると、ルナはヨハネスとアンジェに振り返り、低く唸り始める。
アンジェが涙目になってライラの後ろに隠れ、ヨハネスがショックに目を見開いた。

「ルナ!」

ジャンが慌てたように声を荒げる。
その声に驚き、柚と子供達がジャンを見た。

はっとした面持ちで、ジャンは「だめじゃないか」とルナに穏やかな声を掛け直す。

「ルナも、きっと後ろから近付いたから驚いたんだと思うよ」
「いいです、どうせ僕なんて……」

フォローに走るジャンの言葉も虚しく、ヨハネスが部屋の隅で膝を抱えて拗ねていた。

ガルーダが、そんな喧騒を他所に犬の目をじっと見詰める。
犬は怯えたように尻尾を丸め、部屋の外へと飛び出して行った。

「なんか知らないけど、勝った」

得意気なガルーダに向け、柚と子供達が一斉に文句を言う。
「悪い」と、悪びれた様子もなく告げたガルーダが、ウラノスとニエを抱き上げて宥める。

すると、ジャンは鶴を折りながら苦笑を浮かべた。

「あの子は子供達のセラピー用に飼っている犬なんだ」
「いいなー、あっちでもなにか飼おうよ」

柚がガルーダの腕にしがみ付く。

「鳥やリスがいるじゃん」
「あ、あれはなんか違うと思うんだけど……」

飼っているのではなく、住み着いているのだ。
すると、ヨハネスが咳払いを挟む。

「おしゃべりもいいですが、鶴はどうしたんですか?」

「そうだった」と呟き、柚は慌てて柚が空いているソファーに座る。
焔は壁に凭れ掛かり、刀を立て掛けて鶴を折り始めた。

部屋からはガルーダが奏でるオカリナの音色が響き渡る。

慌しく廊下を歩いていたマルタは、足を止めて遊戯室へと視線を向けた。

すると、部屋から出て来たキースがマルタに気付き、慌てて道を空ける。
マルタはそれを手で制し、子供達に視線を向けた。

「あの子達は、夢中で何をしているの?」
「はあ、千羽鶴というものを作っているんです。病気祈願の願掛けなんですよ」
「願掛け?くだらないことをしているのね」
「え?」

興味が失せたように素っ気なく告げられた言葉に、キースは思わず目を瞬かせる。

「神に祈るなんて時間の無駄よ。神様なんて何もしてくれやしないわ……この世は不公平なんだから」
「……は、はぁ」

ぽかんとした間抜けな面持ちで自分を見ている男
そんな彼を見て、自分が余計な事を口走ったと気付き、マルタは踵を返してその横をすり抜ける。

ヒールの音が遠ざかっていく音を聞きながら、キースは不思議そうにマルタの背中を見詰め続けた。

すると遊戯室のドアが開き、柚が目を瞬かせる。

「あれ、キースも休憩?」
「あ、はい。ついでに皆さんにお飲み物をと思いまして」

キースは慌てて道を空けた。

「あれ、もう三時なんだ。気付かなかった、なんだかあっという間だな。肩凝ったー」
「集中しちゃうと、時間を忘れますね」

部屋の中にある壁の時計を見上げ、柚が大きく背伸びをする。

お昼に一度食事休憩を挟み、気付けばあっという間に三時だ。
首を回すとぼきぼきと音が鳴る。

「で、飲み物だっけ?ちょっと運動したいし、私も手伝う」
「では、お願いします」

少し気が引けたが、キースは小さな笑みで返した。
「悪いですよ」と言った所で、そんなことを気にする少女ではないのだ。

廊下を歩きながら世間話を始める柚に相槌を打ちながら、キースは「あっ」と呟きを漏らした。

ガム風船を膨らませながら、退屈そうに玉裁が歩いている。
歩くたびに重そうなピアスがぶつかり、退屈そうな足音と重なった。

「ぎょーくさい!」

突如駆け出した柚を止める術もなく、キースはおろおろと手を伸ばす。

背中に勢い良く体当たりをした柚に、不意を衝かれた玉裁が仰け反り転びそうになる。
その玉裁は喉を押さえ、「オエッ」と舌を出した。

「てめっ、ガム飲んじまったじゃねぇか!?」
「ごめん」
「ごめんじゃねぇ!!」

悪びれた様子もなく謝る柚に掴み掛かる玉裁を、キースが慌てて止めに入る。

「お、落ち着いてください」

精一杯勇気を振り絞っているキースの顔は真っ青だ。
玉裁が、「なんだてめぇは」掴み掛かると、キースが悲鳴をあげる。

「おい、虐めるなよ」
「元々はてめぇのせいだろうが」

咎める柚を、玉裁は半眼で見下ろした。

「で、何の様だ?くっだらねぇ用だったら犯すぞ」
「な、なんてことを!」

青かったキースが、今度は赤くなって声を張り上げる。
玉裁にギロリと睨みつけられると、キースは青褪めて震え上がった。

「別に用はない、たまたま玉裁がいたから構っただけ」
「ほう、いい度胸じゃねぇか」

指を鳴らす玉裁の体を避けるように、柚は後ろに視線を向ける。

「何やってんの、アンタは」

マルタが、携帯電話の通話を切りながらヒールを鳴らして向かってきた。
歳よりもずっと若く見えるマルタは、玉裁に呆れた眼差しを向ける。

「あー、うるせぇのが来た」

玉裁は溜め息を漏らす。
マルタが形のよい眉を吊り上げ、腕を組んだ。

「あーら、こっちだって出来ればアンタの品のない顔なんて見たくないわよ」
「おいおい、あんま怒ると化粧が剥げるぜ?」
「玉裁、あなたって子は!」
「……あれ、マルタ所長はお出掛け?」

柚がマルタの格好を見て首を傾げる。
高級そうな毛皮のコートを着込み、上品ながらも華やかな装いだ。

マルタはサングラスを掛け、携帯電話に視線を落とした。

「ええ、ちょっとね。接待みたいなものよ」
「まだどっかのお偉いさんとヤってんの?相変わらずでアンタには負けるぜ」
「え?え゛?」

柚とキースが顔を引き攣らせ、思わず玉裁とマルタの顔を見る。

マルタは「余計な事を」と言いたげに深く溜め息を漏らし、サングラスをずらした。
マルタの青い瞳が戸惑う二人を一瞥し、軽く肩を竦める。

「あたしもう若くないのよ、さすがにあんたの想像している接待は無理ね。今回は普通の接待よ」
「今回はって……」
「そうよ」

マルタはけろりとした面持ちで、顔を引き攣らせている柚の頬を撫でた。

「女が実力だけでこの地位を得られると思って?利用出来るものは利用しなきゃ」
「そ、そんな」

キースが赤くなって呟きを漏らす。
マルタは軽く手を振り、目を眇めた。

「男なんて単純な馬鹿ばっかりよ。ちょっと気のあるそぶりを見せればすぐいい気になって、自分の持つ権力をひけらかすようにあたしに願いを叶えるの。地位さえ得ればこっちのもの、後は結果を出して周りを黙らせるだけ。自分の持つものを最大限に利用して、相手を利用するの」

ぽかんとした面持ちで見上げている柚に、マルタは口角を吊り上げる。

「男や権力者ってのはね、自分の持ってる力を自慢したくてしょうがないのよ」

マルタは肩を竦めてみせた。
そして、玉裁を鼻で笑い飛ばす。

「ま、その子だってそうやって衣食住を得たわけだし?その子にしては賢い生き方ね。今度、あなたも試してみれば?」

「それじゃあ行ってくる」と告げ、マルタは足早に去っていった。

柚同様にぽかんとした面持ちでマルタの言葉を聞いていたキースは、マルタの姿が見えなくなると息を吐く。

柚は玉裁を見上げた。

スラム育ちの玉裁は、日々の食料にすら事欠く生活を送っていたと聞いている。
本来使徒が自ら名乗り出る事は少ないが、安定した生活を得る為、玉裁は自ら使徒だと名乗り出た珍しい例だ。

玉裁が柚の視線に気付き、肩を竦めた。

「正論だろ。自分も持ってるモンはとことん利用してやらなきゃな。俺は親もいねぇし利害の一致でここに居る、だからお前等と違って気楽なの。飯食うためにしっぽを振るくらい犬でも出来るぜ?安いもんだろ」
「持ってる、もの?使徒の力?」

柚が考え込むように呟きを漏らす。
玉裁が柚を見下ろし、考え込みながら小さく唸った。

「そうだな。お前の場合は、使徒の力以前にコッチじゃねぇ?まあコレだけじゃ心もとないから、若さ……とかか?」

玉裁の掌が柚の胸を鷲掴む。
間髪を入れず、柚の往復ビンタならぬ往復パンチと見事な蹴りが玉裁の急所を蹴り付けた。

「し、信じられねぇ……この女ッ」
「ふんっ、変態が」

涙目で床に蹲る玉裁を氷のような眼差しで見下ろし、柚は身も凍るような低い声音で吐き捨てる。
キースが青褪めてガタガタと震え上がっていると、玉裁は憤慨して異を唱えた。

「男は皆変態だ!」
「それは貴様だけだ!少しは焔を見習え!」
「いいや、違う!あいつは特例としても、普段すかした顔してる奴の方が、案外頭の中で何考えてるかわからないんだぜ?」
「……例えば誰?」
「あぁ?そうだな……フェルナンド、とか?」
「フェルナンド……そ、そうなのか?ベッドの下にはエロ本なのか?」
「あいつのエロ本事情なんざ知らねぇし、お前の常識は古い」

玉裁が半眼で吐き捨てる。

それにしても……と、玉裁は呆れた。
柚の焔に対する認識が、さすがの玉裁でも同情を覚える。

(ま、俺には関係ねぇし)

「そうだな……俺が言えるのはひとつだな。あんま男に夢みてるとまた泣くぜ」
「ま、またってなんだよ!もう、どっかいっちゃえ!」

目を吊り上げて怒声を張り上げる柚を鼻で笑い飛ばし、玉裁は大股で去っていく。
玉裁の影がなくなると、柚はぼそりと呟くように訊ねた。

「……なあ、キース。そうなのか?男って皆変態なのか?」
「ぅえ!?え、いえ、そんなことは……ありません、です」

答えに困る問いを振られ、思わず姿勢を正すキースの声が上擦った。





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