39


言われた通り手足を動かしている最中も、ふいに悲しくなる。

世界からウラノスという尊い存在が消えても、何事もなかったかのように回り続ける、色褪せた憂鬱な世界。
悲しんでいるのは、この両手で足りてしまいそうな、ほんの一握りのものだけかもしれない。

まるで、自分だけが世界から置いていかれているかのようだ。
そんな事態に、落ち込み、焦り、苛立ち……

舞の稽古をしながらも、頭の中では悔いるように別の事を考えていた。

(私だって、ウラノスの代わりに自分が死ねばよかったって思った癖に……)

掌で顔を覆いたくなる。

だが、死ねない。
死ぬ事は許されない。

死ねば多くの人に迷惑が掛かる。
何よりも、こんな自分でも悲しませてしまう人達がいることだ。

フョードルとて同じ筈だ。
例え、村の人々全員が殺されたとしても、後を追ってくる事など望んでいはず……。

考え事をしている柚の頭を、李の扇が叩いた。
思わず目を瞑った柚は、いつの間にか目の前に仁王立ちする老人の姿に目を瞬かせる。

「勝手に抜け出したと思ったら、今度は考え事か?ただ言われた通りに踊るだけならば、幼稚園児でも出来るぞ!」
「……ごめんなさい」

柚は俯いた。
頭上に説教が降り注ぐ。

(年下に当たったりして、人に迷惑掛けて……)

休憩の合間、柚は膝を抱えて呟くように焔に漏らした。

「このままじゃいけないことは分かってるのに」
「……」
「どうしても抜け出せない……どうしよう、このままじゃ……」

膝に顔を埋める柚に、焔は顔を向ける。

焔は、柚の気持ちは痛いほどに分かった。
だがこんな時、どうしていいのか検討も付かない。

自分という存在はとても無力だ。

迷い考え抜いた末、それは人を頼ることだった。
焔は部屋に入ろうとするフランツの前に立ちはだかった。

まるで敵地に赴くかのような気迫で立ちはだかる焔に、フランツは怯えた視線を向ける。

「フランツ」
「な、なんですか?怖い顔して」
「ち、ちょっと……顔貸せ」
「!?」

フランツの顔が盛大に引き攣り、よろめくように数歩後ずさった。

「な、なんですか?僕何かしました?しめられちゃうんですか?それともま、まさか、こ、告白なんかじゃ……」
「てめぇ……」
「いやだな、冗談ですよ。そんな本気にならないでくださいよ」

胸倉を掴む焔に、フランツはけらけらと笑い声をあげる。
焔は怒りを堪えつつ、フランツから赤くなった顔を背けた。

「そ、相談……したいことが、ある」
「え?焔が?僕にですか?あ、柚のことですね!」
「ばっ!?声がでけぇよ!」

焦る焔に、フランツはくすくすと何処となく嬉しそうな笑みを浮かべ、自分の部屋のドアを開ける。

「僕の部屋でいいですか?」
「あ、ああ……」

程よく片付いた部屋の壁には淡い色合いの絵が小さな額縁に納まり、ハーブがいくつか栽培されていた。
カントリー風の家具が並び、その上には雑誌の切り抜きと思しき家族の写真の入った写真立てがいくつも並んでいる。

フランツの部屋を外から見かける事はあるが、こうして中に入り話をするのは始めてだ。
慣れない他人の部屋は、焔にとって少し落ち着かない。

フランツは冷蔵庫からペットボトルを取り出して焔に差し出すと、適当にベッドに座るように促し、苦笑を浮かべた。

「恥ずかしい話ですが、部屋の家具は実家にあったものと似たようなやつをお願いしたんです」
「……」
「絵を集めるのは母の趣味で、ハーブを育てるのが父の趣味だったんです」
「へぇ……」
「焔のご家族は?そういうの、ありませんでした?」

首を傾げるフランツに、焔は渡されたペットボトルを手の中で転がしながら口篭る。

「親父は本が好きだった。母さんは、何かのダンスを習ってて……けど、あんまり、まともに話も聞いてやらなかったな。妹は、ビーズで何かを作ってて……前に貰ったけど、結局恥ずかしくて付けてやらなかった」
「付けてあげれば良かったのに」

照れたように思い出しながら語る焔に、フランツはくすくすと笑みを漏らす。
すると、焔が赤くなってフランツを睨む。

「そ、そんなもん、男が付けられるか!」
「えー、僕だったら付けますよ?可愛い妹からの贈り物なら自慢したいくらいです。僕、ずっと妹が欲しかったんです」

フランツは穏やかに笑みを浮かべた。

「だから、柚が来た時嬉しかったんです。兄と妹みたいな関係になれるかなって」
「妹はもっと可愛いもんだ」
「シスコンはちょっと黙ってて下さい」

焔がぐっと言葉を呑み込む。

可愛いのだから仕方がない。
今思えば、本当に付けてやればよかったという後悔が残る。

焔から僅かに力が抜け、視線がカーペットの敷かれた床に落ちた。

フランツは苦笑を浮かべて肩を竦め、長い足を持て余すように揺らした。

「あのですね、僕は焔が僕を頼ってくれた事が嬉しかったです」
「は?」

手を伸ばしハーブの葉に触れながら、フランツは照れたように小さな微笑みを漏らす。

「僕、妹が欲しかったって言いましたよね?それから、同世代の友達も欲しかったんです」

焔が目を瞬かせる。
にこりと、フランツは目を細めて笑った。

「僕だけが一方的に友達だって思っているようで、少し寂しかったんですよ」
「……は?なっ……いや、俺は別に、と、友達なんて」
「あれー、やっぱり僕が友達って思ってるだけなんですか?」
「お、お前がそう思いたいなら、そう思ってればいいだろ」
「じゃあ、友達だと思ってます!」

改めて友達だなどと言われると、途端に気恥ずかしく感じる。
人付き合いが苦手な自分は、歳を重ねるごと人との距離を置くようになり、友人と呼べる存在も少なかった。

焔が赤くなり、フランツから顔を背ける。

フランツは本人にばれぬよう、くすくすと笑みを漏らした。
顔を背けた焔は、いかにも「物好きな奴」と言いたげな顔をしている。

「で、柚のことですよね」
「……ああ。俺は、その、あんまり人付き合いとかしてこなかったから、さっぱり分からないんだが……どうすればあいつ、元通りになる?」
「うーん」

フランツは小さく唸るように声を上げた。

「難しい問題ですよね。でも、どうすればいいかは、同じ経験をした焔が一番分かるんじゃないでしょうか?自身に置き換えて考えた場合、あなたはどう思っているんですか?」
「それが分かれば苦労しねぇよ。けど……つーか、こういう時に柚の支える存在になるのはアスラだろ。好きだとか言ってんなら、なんとかしろってんだよ。あいつが何もしないから、俺が……」

ぶつぶつと愚痴を漏らす焔に、フランツは苦笑を浮かべる。

そんなフランツを、焔は不服そうに見た。
フランツは愛嬌のある顔を焔に向け、懐かしそうに口を開く。

「元帥は柚が来るまで機械のような人でしたよ。政府の命令第一!って感じで、元帥でも笑うことがあるのかなって思っちゃう位でした。失礼な話ですが、研究所で育った人達は、何処か欠けていると思う事はありませんか?」
「……」

焔は僅かに目を見開き、その視線を足元に落とす。

確かにフランツの言うとおり、焔も最近まではそう思っていたのだ。
アスラ・デーヴァは偉そうで、冷血で、任務の為ならどんな犠牲も厭わないと考えるような男だった。

「育った環境が違えば感性が違ってくるのは当然のことです。今、元帥は元帥なりに、柚を通して僕達の心を理解しようとしている段階じゃないでしょうか?」

焔がアスラの考えを理解出来ないように、相手もまた、理解しようとしないのではなく、理解したくても理解出来ずにいるのだとしたら……。
先日のアスラの表情も、言葉も、理解出来る気がする。

「外で育った僕達同士でさえ、他人の心の中を完全に理解するのは難しい事です。というか、イカロス将官のような力がない限り、不可能ですよね」

アスラの変化を感じていた。
だがその変化に、"完璧"を求めていた気がする。

「今回、焔が僕に相談してくれて嬉しかったし、あなた方の力になりたいと心の底から思っています。けど、僕もあなた方の求めている救いの言葉が分かりませんし、もしかしたらその答えを最初から持っていないのかもしれません」

完璧な者などこの世に存在しない。
柚とて完璧ではない。
自分など尚更不完全だということを、よく理解している。

そんな多種多様な人の心に、明確な答えなど存在しない。

ふと、体を虚脱感が襲った。
当たり前の現実を突き付けられ、ますますどうしていいのか分からなくなってくる。

すると、フランツは焔を責めるような口調で腕を組んだ。

「そもそも僕は疑問なんですよ。焔はなんでデーヴァ元帥に遠慮してるんですか?」
「は?」
「だって、焔は柚が好きなわけでしょう?だったら、人任せにしないで自分で――」
「ち、ちょっと待て!何言ってんだ、お前は!俺がいつあいつを好きだなんて言った!?」
「え……バレバレですけど?」

信じられないと言いたげな面持ちで、詰め寄ってきていたフランツが一気に引いていく。

焔はひくりと顔を引き攣らせた。
それほど分かりやすいと言うならば、一体どれだけの者が気付いているのか――考えたくもない。

「僕はあなたの方が有利だと思いますよ?」
「……俺の方が?」
「当然じゃないですか。なんだかんだ言っていつも一緒にいるし、元帥と違ってあなたの方が絶対柚の気持ちを理解出来ます!柚だっていつもあなたを一番信頼してるし、頼りにしてるじゃないですか」

焔は目を見開き、思わずフランツの顔をまじまじと見た。

"だったら、感謝だな……"
まるで腐れ縁だと告げた後、柚が呟くように告げた言葉がふいの脳裏を過ぎった。

聞きはごってしまったが、あれはどういう意味だろうか?

そこで、焔ははっとする。

「って、俺はそんな話をしに来たんじゃねぇぞ!」
「えー、いいじゃないですか。でも焔は柚と同じ経験をしたのに、こうして柚を心配してあげる余裕がありますよね?」
「お、俺は心配なんてしてねぇよ。このままじゃ、その、あれだろ、春節で恥かくだろ」
「じゃあ、そういうことにしておきます」
「っ、てめぇ……」

赤くなった焔は、拳を握り締めてぷるぷると震えた。
人畜無害そうな見掛けによらず、なんて嫌な奴だ、と、心の中で吐き捨てる。

「焔はそうやって誰かを守ろうとしているから、今も強くいられるんですよ、きっと」
「……俺は……全然強くなんかなれてねぇ」
「どんなに強い力を持っていても、それを動かすのは心です。強さっていうのは力の強さじゃなく、心の強さがあってこそのものだと思いますよ」

フランツの言葉に、ぎくりとした。

ウラノスがアダムに力を奪われた時、焔も柚もアシャラを殺すことを恐れ、動けなかった。
それがウラノスの運命を決めてしまったのだ。

焔は、フランツをじっと睨み付ける。

不貞腐れたように睨んでくる焔に、フランツは「なんですか?」と身を引いた。
焔は顔を背け、「なんかムカツク」と吐き捨てる。

「お前、十八だよな?」
「焔も四月には十八じゃないですか。あ、その前に二月に柚が十七になりますね」

フランツは記憶を辿り、穏やかに微笑んだ。

「誕生日は、笑って迎えられるようにしたいですね」
「……そうだな」

家族から引き離されて始めて迎える誕生日。
また余計なことを思い出して寂しくなるかもしれない。

その時、フランツは窓の外へと視線を向けた。

「柚?」
「は?」

焔は窓に歩み寄り、森に入っていこうとする柚に眉を顰める。
フランツは窓を開け、柚に声を掛けた。

「柚、どうしたんですか?」
「あ、フラン……と、焔。珍しい、どうしたんだ?」
「柚こそどうしたんです?森に何か落とし物でも?」

フランツの問い掛けに、柚は部屋の窓へと歩み寄り、窓枠に手を掛けて苦笑を浮かべて返す。
そして、手にしている扇を見せた。

「ちょっと練習しておこうかなって思って」

フランツと焔は僅かに目を見開き、柚の顔をまじまじと見やる。

何事にも関心もやる気も見せなかった柚が、久しぶりに自分から行動を起こした。
焔と同じように、柚もまた、この状況を脱しようとし始めたのだ。

フランツは小さく苦笑を浮かべ、隣に立つ焔を肘で小突いた。

「だそうですよ、焔。一緒に練習してきたらどうですか?」
「は?」

焔が嫌そうに眉を顰める。
すると、フランツが焔に耳打ちをした。

「二人きりになるチャンスですよ!」
「ばっ、な、何言ってんだ!」
「なんだよ、二人で何こそこそ話してるんだよ」
「なんでもねぇよ!」

赤くなって焔が返す。
そんな焔の態度に、柚はますますいぶかしむように眉を顰めた。

フランツは苦笑を浮かべ、焔の背中を押す。

「ほら、行った行った」

フランツに追い出されるように、焔は窓から外に出る。
柚の顔を見ると、途端に気恥ずかしくなり、焔は柚から顔を逸らした。

「夜は寒いですし、風邪引かないように気をつけてくださいね」

フランツが二人に掛けた言葉に、柚と焔が振り返り、顔を見合わせて苦笑を浮かべる。

「雪山に比べりゃマシだ」

柚の言葉にフランツは目を瞬かせ、すぐに穏やかに笑って返す。

二人を見送り、窓を締めようとすると、外から焔が窓をノックした。

フランツが窓を開けると、不貞腐れたような面持ちの焔が顔を背けて立っている。
フランツが首を傾げると、焔は素っ気なく「世話になった」と告げ、返事も聞かずに暗い森へと消えて行った。

目を瞬かせたフランツは、思わず噴出すようにくすくすと笑みを漏らす。

(元帥には悪いですが……)

窓枠に頬杖を付き、フランツは瞳に穏やかな弧を描いた。

(僕は、"友達"の応援をさせて貰いますよ)

嬉しそうな笑みに、ふいに寂しさが入り混じる。
瞼を閉ざせば、それは自嘲の笑みへと変わり……「頑張って」と穏やかに呟きを漏らし、フランツは静かに窓を閉ざした。










ステージに立ち、柚は驚きの声をあげた。
広いステージを飾る原色豊かで鮮やかな装飾達にも圧巻されるが、観客席の数が尋常ではない。

「いよいよ明日なんだな……緊張して眠れないかも」

柚はステージの上にしゃがみこんだ。
すると、にやにやとしたライアンズが柚の肩を抱いた。

「なら一緒に寝てやろうか?」
「結構です」

柚はライアンズの顔を押し退け、灰色の空を見上げる。
ドームとなっているステージの屋根の中央はくり抜かれ、直接空を見渡せるようになっていた。

「なんか、雪が降りそうだな」
「いいんじゃねぇ?演出になって」

言葉を紡ぐと、白い息が漏れる。

「神森とか、エデン……何かしてくるのかな」

アダムが楽しみにしていると言い残した言葉が、柚を不安にさせていた。

直接会う事は出来ないが、使徒の家族達は大抵、自主的に観客席のチケットを入手して奉納の舞を観にくるらしい。
もし襲撃に遭い、何かあれば奉納の舞どころではない。

「ま、当日は俺等が警護してるから、安心して集中しろ」
「……うん」

柚は静かに頷き返し、今は座る者のいない観客席を見渡した。

毎年入手困難で有名なこの舞台のチケットを手に入れるのは大変なことだろう……だが、来てくれると信じている。
何処に座るかも分からない、公演中には見付け出せないかも知れない。

それでも、明日は成功させたいと思っている。

夕飯を終え部屋に戻る途中、廊下でアンジェとライラが何かを抱えて立っていた。
アンジェは柚に気付くと、抱えていた大きな袋を柚と焔に差し出す。

「はい!」
「え?」

柚は鶴の束を受け取り、目を瞬かせた。

透明の袋の中には、様々な色合いの鶴がぎっしり詰まり、リボンが掛けられている。
アンジェは不安そうに柚を見た。

「僕達だけでもう一回千羽折ったんだけどね、その後どうすればいいか分からなかったからプレゼントみたいにしてみたの。やっぱり、これじゃ駄目?」

袋に手を伸ばし、柚は静かに首を横に振る。

「ううん、綺麗だ」
「よかった。あのね、折りながらいっぱいいろんなことお願いしちゃったんだ」
「なんて?」

柚は目を細めながら、アンジェに問い掛けた。
アンジェは指を折りながら、ひとつひとつ思い出すように告げる。

「柚お姉ちゃんと焔お兄ちゃんが早く元気になりますようにとね、ジャンお兄ちゃんの足がよくなるようにと、それからえっと……なんだっけ?」
「春節が何事もなく成功しますように、ニエとパーベルが元気になるように」
「うん、それと、ウラノスが安らかに眠れますようにって、お願いしたの」

ライラが付け加え、最後にアンジェが目を細めて少しだけ寂しそうに微笑んだ。
柚と焔の瞳がゆっくりと見開かれる。

再び、胸の痛みが押し寄せた。
だが、彼等はすでに、ちゃんを前を向いて歩んでいる。

欲のない子供達の願いを叶えられるのは、自分達だ……。

「ありがとう」

柚が微笑み、アンジェから鶴を受け取る。
その瞬間、アンジェとライラが驚いたように柚の顔を見上げた。

「お姉ちゃん?」
「え?」

アンジェがおずおずと柚に声を掛ける。
アンジェの視線に気付いた柚は、頬に触れ、自分が泣いていることに始めて気が付いた。

フランツが、心配そうに柚の名を呟く。

「あ、あれ?」
「どうしたの……?」
「なんだろ、変だな。ほんと、なんでもないよ。目にゴミでも入ったかな、ごめん」

柚は慌てたように目を擦りながら、アンジェから顔を隠すように逸らした。

目を洗ってくると言い残し、焔に鶴を預けて部屋に消えていく柚に、フランツは顔を曇らせる。
そして、フランツは焔の腕を掴んだ。

「行きますよ」
「は?」
「いいから、来てください!」

フランツは、焔を引き摺るように走り出す。
自室の洗面台の前でぼんやりと立っている柚を見付けると、フランツはドアの前で焔の手を放し、開け放たれたままのドアをノックした。

「柚、入ってもいいですか?」
「え?あ、うん」

フランツが明るい声音で声を掛けると、柚の肩がびくりと跳ね上がり、慌ててそでで顔を拭う。
そんな柚にハンカチを取り出し、フランツは苦笑を浮かべた。

「そんなに擦ったら駄目ですよ、貸して」

ハンカチを軽く押し当てながら、フランツは子供の面倒を見るように穏やかな声音で告げる。
大人しく顔を拭われながら、柚は恥ずかしそうにフランツから顔を背けた。

すると、フランツは手を引っ込めて苦笑を浮かべる。

「柚は、また悪い癖が出てますよ」
「悪い、癖?」
「無理に笑って、強がる癖です」

フランツは柚の目の前にしゃがみ込むと、柚の顔を覗き込むようにして穏やかな笑みを浮かべた。

「いいじゃないですか?」
「え?」
「悲しむ事は悪い事じゃありませんよ」

柚はフランツの顔を見上げ、ゆっくりと目を瞬かせる。
ドアの陰で、焔は僅かに息を呑んだ。

「僕達の前でくらい、無理をしないで欲しいです。確かに、僕達じゃあなた達の悲しさを癒してあげることは出来ないでしょうが、僕達にまで無理をして笑って、心配さえさせてくれないんですか?その方がよっぽど辛いです」

冷たいハンカチが、ひたりと目元に触れる。

フランツの穏やかで優しい微笑みが少しだけ寂しそうに感じ、初めて自分が周囲にどんな想いをさせていたのかを理解した。
心配を掛けないように何も言わなかったが、彼は自分が無理をしていることをとっくに知っていたのだ。

自分がひどく子供に思えた。

「……一番泣きたいとき、涙が出てこなかったんだ。悲しいのに、泣き方を忘れたようだった。でも、いつまでも悲しんでちゃいけないと思ったんだ。いろいろな人に迷惑掛けてるし、あの子だって、誰かを悲しませる為に生れてきたわけじゃない」

だからせめて自分は、ちゃんと前に進まないと……
柚は掠れた声で呟いた。

「きっと、それでいいんです。今はいっぱい泣いて、涙が枯れたら笑いましょう?」
「フラン……」
「泣きたくなったらいつでも言って下さい、僕の胸はいつでも開いてますよ」
「何それ」

柚が小さく噴出し、声をあげて笑い始める。
それは柚が無理に笑っているようにも感じたが、フランツは「そんなに笑わないでくださいよ」と、柚と共に笑い声をあげた。

そしてフランツは、ドアの陰に凭れる様に立つ焔に声を掛ける。

焔の肩がびくりと揺れ、ばつが悪そうに顔を出した。
その後ろから心配そうなアンジェとライラが顔を出すと、柚は恥ずかしそうに苦笑を浮かべて三人を部屋の中に呼び寄せる。

「ごめんね、もう大丈夫。それにしても二人で千羽折るなんて凄いな」

柚は袋に詰め込まれた鶴を部屋の光に翳すようにして、感嘆の声を漏らした。

「指紋が削れるかと思った」
「あはは」

文句を言うライラに柚は笑い、ふと一羽の鶴に目を止める。
袋を開けて柚が取り出した折り鶴は、他の鮮やかな折り紙とは別に、印刷してある紙を切って折られたものだ。

「あれ、これって……もしかして、もしかしなくても報告書の紙じゃないですか?」

フランツが顔を引き攣らせた。
視線を向けられた双子が、自分達は知らないと首を横に振る。

柚は一羽の鶴を掌に乗せたまま、思い至ったように小さく声を漏らした。





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