34


銃口の向きから弾丸の動きを読み、焔は雪の上を走り出す。

柚は咄嗟に、焔の助けとなるよう、一帯に水で薄い足場を張った。
更に雪の水分を通し、柚の気配が網を張るように広範囲に広がっていく。

肩越しに振り返った焔は、雪の中に埋もれているウラノスを必死に捜す柚を一瞥し、正面へと向き直った。

走る度に激痛が全身に響く。
刀を握っていられることすら、不思議だった。

(もてよ、俺っ!)

口元に自嘲が浮かんだ。
強がりもここまでくると笑えてくるというものだ。

焔が走る軌道を追い掛けるように、焔の背後で着弾した弾丸が水飛沫を上げる。

(けど……)

焔は走りながら刀身を指で撫で、気を練り込む。
鋭さを増した刀が、男が手にするマシンガンを真っ二つに切り裂き、柄が男のみぞおちを打ち付けた。

(此処で)

掌で刃を返し、背後でマシンガンを構えた男の体を切り裂く。
鮮血が宙を舞った。

(意地張んねぇで――)

刀が空気を裂くと、刀に触れた空気が発火し、かまいたちのような刃がバルドリーニの前にいた男達を裂く。

地面に足を踏み出すと、剥き出しの神経を殴りつけられたかのような激痛に体が軋みを上げ、目が霞んだ。
喉を迫り上がってきた血を吐く。

ここで瞼を閉ざせば、一瞬で意識が飛ぶ。
焔は唇に歯を突き立てた。

目の前にバルドリーニがいる。
焔は大きく足を踏み出す。

(何処で張る!)

刀を振りかぶった。

バルドリーニの銃が、刀を受け止める。
火花が散り、炎で炙られたかのように赤く染まっている焔の刀身が、銃を焼き切った。

バルドリーニの掌の中で真っ二つに切り裂かれた銃が、ばらばらに分解し、崩れ落ちていく。

「ふんっ」

使い物にならなくなった銃を投げ捨て、後ろへと飛びのきながら、バルドリーニは余裕を崩す事なく、小さく皮肉めいた笑みを浮かべる。

バルドリーニの視線を追った焔は、集中する柚にマシンガンを向ける男達に気付き、咄嗟に身を翻した。
焔はバルドリーニに背を向けて全速力で走り出す。

四方から放たれた弾丸が手足を掠め、焔の走る軌道から、サバイバルナイフを手に男が飛び込んでくる。
焔は上体を低くしてナイフをかわしながら、同時に空気を刀で切り裂いた。

柚に狙いを定めていた男達は、炎の刃を背中に浴び、勢い良く雪の上に転がり込む。

ナイフを持った男が、二撃目を降り下ろす。
刀で攻撃を受け止めた焔は、腕の痺れに負け、刀を落とした。

雪の上に倒れ込みながら、焔は息を吸い込んだ。

肺がジリジリと焼かれるように痛み、咳き込みそうになった。
呼吸ですら、自分の体を痛め付けている気がする。

男が跨り、ナイフを振り上げた。

焔は手を組み合わせた印の間に溜め込んだ気に、吸い込んだ息を吹いた。
手から噴出した炎が男の顔を焼き付ける。

男は悲鳴を上げながら雪の上を転がり、焔は刀を拾い上げて立ち上がった。

別の男が、柚の背中に銃を向ける。

走る焔は間に合わないと悟ると、地面を蹴った。
腕を伸ばし、柚に向けて飛び込む。

肩を掴むと、焔は柚と共に雪の上を転がった。

銃弾が柚のいた場所を貫き、雪に吸い込まれる。

柚は驚いたように焔を見た。
咳き込む焔を見て、柚の顔は見ていられないほど蒼白になり、瞳を震わせる。

支えようとする柚を手で制し、焔はそでで口元の血を拭った。

「悪い、邪魔した」
「焔……」
「大丈夫だ、後四人くらい余裕だ」

自分の嘘に自嘲が浮かぶ。
それが余裕の笑みに見えていればいいのだが……そう思う自分に、ますます自嘲が浮かんだ。

(手が……限界、か?)

麻痺したように、手に力が入らない。

遠くから手榴弾が投げ放たれる。
焔は柚を背中に庇いながら、手榴弾を空中で内部から爆破させた。

エンジン音が響き、何処からともなく現れた二台のスノーモービルが雪の上を走る。
バルドリーニは一台の後ろに飛び乗り、スノーモービルに積み込まれていたマシンガンを手に取った。

もう一台のスノーモービルに向けてバルドリーニが合図を送ると、その後ろに乗っていた男もマシンガンを構える。
二台は柚と焔を囲むように走り回り、引き金を引いた。

焔の炎と柚の水が弾丸を弾き、焔はエンジン音に呼吸を合わせる。
焔は地面に手を触れ、罠を張った。

スノーモービルが焔が張った罠の上を通り過ぎる。
その瞬間、エンジンオイルに引火し、スノーモービルが爆発した。

乗っていた二人が一瞬空に向けて吹き飛ばされ、雪の上に投げ落とされる。

もう一台に向け、焔が刀を薙ぎ払う。
風を切り、炎が放たれると、バルドリーニは後ろから身を乗り出し、体内の電磁波発生装置で焔の攻撃を受け止めた。

焔が舌打ちを漏らしす。

「だったら、これでどうだ!」

刀を地面に突き立てる。

炎が雪の上を跳ねるように走り、炎を避けようとしたスノーモービルが転倒して雪の上を滑った。
スノーモービルの燃焼しやすいオイルに引火して爆発する音が、雪山の空気を震撼させる。

爆発の余波を浴びながら、焔と柚は平然と立ち上がるバルドリーニを見て、顔を引き攣らせた。

「あんた、本当に人間か?」

操縦していた男は、雪の上に倒れたまま動いていない。

「もちろんだ。私は何かと強運でね」

バルドリーニは落ち着いた様子で体の雪を払う。

「さあ……それはどうだか」

焔は呆れの入り混じる皮肉めいた笑みを向ける。

足元が振動していた。
ぱらぱらと、小さな雪の粒が足元を転がって行く。

次第に轟音が鳴り響き、山の頂から雪がずれるように動き始めた。

先程とは比べ物にならない雪崩がくる。
焔は雪に刀を突き立てた。

「こんな場所で、これだけでかい物音立て続けりゃあ、雪崩も起きるよな」

人間には抗えない自然の驚異も、焔は炎を盾にすれば生き抜ける。

「これであんた等もお終いだ」
「だとしても、私一人では死なない。生憎、運だけが私の味方ではない」

バルドリーニが携帯電話らしきもののボタンを押した。
その瞬間、自分達の足元で何かの機械が起動する音が耳に届く。

「私には、才と財がある」
「!」

足元の雪が下から照らされるかのように、赤に染まり始める。
水の足場が消失し、それと同時、焔の刀を纏う炎が消えた。

「この雪のお陰で予定よりも起動に大分時間が掛かったが、間に合ったようだな」

足元に広がる巨大な電磁波発生装置のファンが雪を吹き上げる。

「さあ、どちらが生き残るか、はたまた共倒れか――最後の勝負といこうじゃないか!」

焔の足元から凍りついた電磁波発生装置が姿を現した。
柚が絶望的な面持ちで焔の名を呟く。

焔は自分が握る刀と、刀を握る拳に視線を落とし、ぐっと力を込めた。

「……大丈夫だ」

焔は肩越しに振り返り、柚に挑発的な笑みを浮かべる。

「お前は、俺の後ろから動くなよ」
「焔……」

焔は刀を下向きに持ち直す。

(全てを、掛けろ……)

深く息を吸い込みながら瞼を閉ざした。
全ての神経を研ぎ澄まし、自分の中に流れる炎の脈動を刀へと注ぎ込む。

息をゆっくりと吐き、焔は瞼を起こした。

刀身を包み込むようにゆらゆらと炎が燃え出し、一瞬にして勢いを増す。

(こんな場所で――)

装置に振り下ろした。
装置に触れようとした瞬間、切っ先の炎が風に吹かれるように掻き消され、ただの刀は跳ね返される。

その反動に痺れる腕に力を込め、焔は唇を噛み締めた。

いくら掻き集めても、指と指の間をすり抜けていってしまうかのように炎が安定しない。
いつもとは比べ物にならない勢いで力が消費されていく。

注ぎ込んだ力の半分も威力を発揮しない。

頼りない炎に苛立ちを感じた。
迫ってくる雪崩に焦りを覚える。

全てから目を逸らし、焔は刀を握り直した。

(死んで溜まるか!)

刀に炎が燃え盛る。

(死なせて、溜まるか!)

両手で握り締めた刀を、焔は渾身の力で足元にそびえる機械に振り下ろした。

炎が鉄を焼きながら刀身を沈めていく。
黒い煙が刀と機械の隙間から立ち込める。

焔の額から脂汗が滲んだ。

力が体の奥底から吸い上げられて、散っていく。
まるで穴の開いた風船に空気を入れ続け、酸欠になっていくかのようだ。
急速に眠気が押し寄せ、意識が飛びそうになった。

すると、焔の手に隣から柚の手が重なる。

「一人でやったら、装置破壊して力尽きるぞ?」

驚く焔に、柚が小さな苦笑を浮かべた。

「帰ろう、皆で」
「……ああ」

焔の炎を支えるように、柚の力が刀を通して送り込まれる。

二人の力が足元から溢れだすように、地面から小さな爆発音が響き渡り、周辺から煙が上り始めた。
刀を突き立てた足元で火花が散る。

雪が目前に迫ってきた。

急速に消費されていく力が、同時に体力を限界以上に削っていく。
これ以上力を使えば、命を削り兼ねない――今でも十分に危険な状態だ。

だがお互い、不思議と恐怖は沸いてこなかった。

幾重にも重なる装置の爆発音と、雪が迫る轟音が鳴り響き、鼓膜を麻痺させる。

大きな爆音が響き渡る。
その数秒後、その音すら呑み込むように、巨大な雪の波が辺り一面を覆いつくした。





玉裁はヘリコプターから雪山を見下ろし、思わず顔を顰めた。

「冗談じゃねぇぞ、くそっ……」

嫌な汗が滲む。
その中に雪の抉れた地点を発見し、玉裁は身を乗り出した。

「降りる」

操縦士に詳しい説明もなく簡素に告げると、玉裁は驚く操縦士の制止を無視し、ハッチから飛び降りる。

種を投げ落とすと、雪の上から太い緑の蔦が空に向けて巻き上がって成長してきた。
玉裁は蔦に掴まり落下の衝撃を和らげると、ゆっくりと雪の上に着地する。

抉れた雪の下のは、黒焦げになった何かの巨大な装置が残されていた。
その中央には、焔の刀が突き立てられてある。

更にその場所から、人が雪を掻き分けて歩いたような痕跡があった。

見渡せど、人影はない。
玉裁は足に纏わり付く雪に苛立ちながら、雪を掻き分けて足跡を辿った。

結構な距離を歩いていく内に、息が切れる。

(降りる場所、しくじったか?)

なかなか柚達を見付けられず、苛立ちの中、玉裁は目を見開いた。

何かの建物の残骸のような物が散らばっており、人影がふたつある。
焔と柚かと思ったが、それは明らかに歓迎しない相手、神森のアシャラとハムサだった。

「てめぇ!?」
「おせぇよ、のろま」

流木の上に腰を下ろす赤い髪の少年・ハムサが、口角を吊り上げて品のない笑みを浮かべる。

神森で五の数字を持ち、雷を操る使徒だ。
非常に好戦的で、幹部があまり姿を現さない神森の中で、最も活動的でもある。

目を凝らした玉裁は、ハムサの足元に柚と焔がウラノスを抱えるように倒れている事に気付いた。

「てめぇがやったのか?」
「死に掛けてる奴を殺したんじゃあ、俺の気は晴れねぇぜ?」

玉裁は眉間に皺を刻んだ。

死に掛けている?誰が?
もし本当であれば一刻を争う。
ハムサの相手などしていられない。

「アダムが心配してんだ、さっさと連れて帰れよ」
「何?」
「この女に死なれて困るのはお互い様だろ?ついでに西並 焔を殺すのは俺様だ、それまで死なせんじゃねぇぞ」
「へぇ、こいつも嫌な奴に好かれてんじゃねぇ?恐い恐い」

玉裁が斜に構えた笑みをハムサへと向ける。
ハムサがゆっくりと立ち上がると、玉裁は反射的に身構えた。

するとハムサは、そんな玉裁を嘲笑うように口角を吊り上げる。
次第にくつくつと肩を揺らし、腹の底から声をあげて笑い始めた。

(なんだ、こいつ……)

玉裁はハムサの笑う理由が分からず、眉を顰めつつも困惑を押し隠す。

「楽しませてくれよ、飼い犬共」
「なっ!て、てめぇ!?」

ハムサがアシャラの肩に掴まり、木から飛び降りた。
それと同時、ハムサとアシャラの姿が消える。

玉裁は舌打ちを漏らし、内心では安堵しながら倒れている三人に駆け寄った。

「ああ、くそ!死んでねぇだろうな!返事しろ!」

柚と焔の冷たい首筋に触れ、脈を確認して安堵する。
その二人が大切そうに抱きかかえるウラノスを見て、玉裁はゆっくりと瞳を見開いた。

その瞬間、背後でエンジン音が鳴り響く。
荒々しい運転のスノーモービルが雪を飛び越えて着地する。

「!?」

玉裁は眉間に皺を寄せ、勢い良く振り返った。

「次から次へと!なんだ、てめぇ等は」

ゴーグルで目を覆った小柄な女と、傷だらけの男の姿がある。
どう見ても、援軍であるはずがない――そうとなれば、答えはひとつだ。

玉裁が二人を睨み付けた。

「てめぇ等、エデンだな?」

玉裁が種に指を掛ける。

「……孫 玉裁?」
「?」

ゴーグルで顔を隠した女が、驚いたように玉裁の名を呟く。
玉裁は眉を顰めた。

女はすぐに、驚いた顔にふっと笑みを浮かべる。
ゴーグルを指で押し上げると、藍色の瞳が姿を現す。

年は、四十代後半といったところか……
スレンダーな体付きと豊満な胸の女で、目元を細めれば男を誘っているかのようだ。

玉裁の瞳が大きく見開かれていく。

「あんた……」

ゆっくりと、だが確実に、心音が早まった。
手に汗が滲む。

何をどう言葉にすればいいのか、喉に何かが詰まったように言葉が見付からない。

すると、男が倒れている三人を一瞥し、口を開いた。

「やはり、死んではいないようだな。まあいい、調査としては十分だ」

男が女へと合図を送る。
すると女は頷き返しながらゴーグルを下ろし、スノーモービルのエンジンを吹かした。

「待て、あんた腕に――!」

呼び止めようとする玉裁に向け、バルドリーニが銃を放つ。
一瞬怯んだ玉裁を置いて、スノーモービルが雪を蹴散らして走り出した。

『どうしますか、追跡しますか?』

無線機越しに、ヘリの操縦士が訊ねてくる。
玉裁はぐっと言葉を呑み込んだ。

「……いや、怪我人の搬送が先だ」

焼き付いた女の顔が、過ぎ去りし郷愁を呼ぶ。

それは二度と戻りたくない、腐臭が漂う場所。
だが確かに、生きていたあの頃。

母に捨てられた自分を拾い、育ててくれた兄のような存在がいた。

"お前を産んだ女はお前と同じ瞳と髪の色をしていてな、スラム一、美人だったぜ?"
"どうでもいいよ、俺を捨てた女のことなんて"
"いつか、会いたくなる日が来るかもしれねぇだろ?"

そんな日は永遠に来ない……と、幼かった自分は意固地に返した。
あんたの方が俺にとっては親なんだと、伝える勇気もないまま、時は流れた。

"それから、腕に牡丹の刺青がある"

自分の知らないところで抗争に巻き込まれて死んだ男の亡骸を前にして、脳裏に過ぎったものは……
彼との思い出よりも、何度も彼が教えてくれた言葉だった。

"今は何処にいるんだろうな、お前の母ちゃん。会わせてやりたいな"

にっと笑う、知性の欠片もない笑顔。
乱暴に頭を撫でる、傷だらけの大きな手。

会いたいのは、あんたの方じゃないのか――…?
ずっと何度も、喉まで出掛かり、呑み込んだ言葉のひとつ。

あんたに惚れてた男が死んだよ――そう伝えて何の意味があるのか、分からない。

むしろ子供を平気で捨てる親だ。
伝えたところで、淡い想いを寄せていた男の存在など忘れているかもしれない。

(……櫂楊(かいよう))

降りてくるヘリの風圧に煽られながら、玉裁は雪の中に立ちつくした。





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