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やはりガラスの壁で覆われた所長室の中は観葉植物に溢れ、長い金髪をひとつに纏めて止めた女性が携帯電話で向かって怒鳴っている。
女はインターフォンの音に気付くと、ガラス越しにジャンに入れと促した。
次の瞬間には通話を終えたばかりの携帯電話に向かい、子供には聞かせられないような悪態を吐き捨てている。
思わず「怖そう」と柚が呟くと、「怖いよ」とガルーダがあっさり肯定した。
「支部へようこそ、一部初めまして。責任者のマルタ・マクレインよ」
マルタの口調はきびきびしていて口を挟む隙もない。
初老ながら、少々早口な彼女の唇に引かれた真っ赤な口紅と泣き黒子が彼女に良く似合っており、目を惹き付ける。
「久しぶり、ガルーダ尉官。相変わらず、だらしのない格好ね」
「え?ちゃんとしめ……」
ガルーダが軍服を見直す。
引っかかったなとばかりに、マルタは「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「身嗜みは心の鏡よ!尉官ともあろう者がなさけない。ただでさえしまりのない顔してんだから、服装ぐらいちゃんとしときなさい」
「はい……」
ガルーダがげんなりと頷く。
ガルーダに説教をして、落ち込ませられる相手を始めて見た。
柚が驚いていると、マルタはつかつかとヒールを鳴らし、玉裁に指を突き付ける。
「玉裁……あんたも何その格好。エデンにやられたって?はぁ……情けない」
大袈裟に顔を覆うマルタに、むっと顔を引き攣らせる玉裁
次にマルタが焔に目を止めると、焔がぎくりと体を強張らせた。
「へぇ、これがケルビム?ニシナミ ホムラねぇ……ガキね」
指が焔の胸のネームプレートを指でくいっと持ち上げ、興味が削がれたように溜め息を漏らす。
焔がこめかみに青筋を立てた。
次は自分の番だと怯えていた柚の前で、マルタは足を止めて腕を組んだ。
「……あなたが、ユズ」
「は、はい。宮 柚です」
マルタは、ジロリと下から上に柚を見る。
マルタの赤い唇から、憂鬱気に溜め息が漏れ出た。
「あっちではさぞ大切にされてるんでしょうけど、あたしは女だからってあなたのこと特別扱いしないわよ。一応スローンズなんだから、ここに来たからにはしっかり働いてもらうつもり。覚悟なさい!」
「本当?」
途端に、柚が目を輝かせて身を乗り出す。
目を瞬かせたマルタは、きょとんとした面持ちで柚の反応を見下ろした。
「いっとくけど……働くってのは、危険な任務もやらせるってことよ?」
「うん、やる!」
マルタは嬉しそうには目を輝かせる柚と、渡された資料の顔写真を見比べる。
「随分……写真と印象が違うのね。取り扱い注意って書いてあったから、よっぽどお姫様扱いされてる女王様なのかと思ったわ」
「いえ、それは……」
ヨハネスが乾いた笑みを浮かべて頬を掻いた。
玉裁が人を食った笑みを浮かべる。
「野放しにするとなんでもかんでもやりたがった上、散々掻き回して歩くから気をつけろよって意味だろ」
「……なるほど」
マルタは資料を机に上に置き、納得した面持ちで頷いた。
柚が玉裁とヨハネスをねめつける。
「いいわ、おもしろい。柚、よくお聞きなさい!」
マルタのよく通る声が部屋に響き渡った。
闘志を燃やす爛々とした瞳で、マルタは柚の肩を勇ましく掴んだ。
「戦場では、女が前線に出ると被害が拡大すると言われているわ。体力的に劣ることもあるけど、馬鹿な男が格好付けて必要以上の無茶をしたり、感情的な行動に走りやすくなる傾向があるの。結果として、女性兵士を前線に出すべきではないということは、第一・二次大戦の時代に証明されているわ」
「必要以上の無茶……?」
「何故俺を見る」
困ったように振り返る柚とヨハネスに、怒りを堪える焔が引き攣った顔で返す。
玉裁が遠慮なくゲラゲラと笑い声をあげ、ガルーダが同様に笑いながら焔の肩を叩く。
怒りに震える焔の額に青筋が浮かび上がった。
そんな男性勢を他所に、「しかーし!」と、マルタが高々と叫んだ。
「それは人間の話よ。使徒ならば、例え体力で男に劣ろうと能力で補えるはず!」
「私もそう思う!」
拳を握り締めた柚が身を乗り出した。
マルタがその手を握り返す。
「その意気よ!どれだけ長い時間が経っても解決を見ない男女差別!けどこれからは女の時代、馬鹿な男どもに女がどれほど役立つか、あなたが今こそ見せしめるのよ!」
「はい、所長!私、頑張りますっ!」
肩を抱き合い、拳を天井に向かって振り上げるマルタと柚
そんな女性勢の迫力に、ガルーダと玉裁の笑い声が消えていく。
ジャンは乾いた笑みを漏らし、「すまないね」と謝罪を口にした。
「初対面の君は驚いただろうけど、彼女には少しコンプレックスがあって。気を悪くしないで欲しい」
「……別に」
焔は顔を背け、素っ気なく呟く。
「支部長、とりあえず長時間の移動で皆さんお疲れでしょう?彼等を部屋に案内すべきだと思うのですが、どうでしょう?」
「ああそうね。ハドソン、後はお願い」
「はい」
ひょろりとした男が、カードキーを手に柚達を部屋の外に促した。
野次馬の研究員達はマルタに睨まれ、慌てて蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
ガルーダとヨハネス、ジャンを残して所長室を出ると、こちらに滞在する間に使用する部屋のカードキーが、助手のハドソンの手で一枚ずつ渡された。
「よかったら、施設の中を探索してくるといい」
人のよさそうな顔をしたハドソンは、柚と焔ににこやかに告げた。
キーを受け取るなり早速部屋に向かおうとしていた玉裁を、ハドソンが呼び止める。
「孫、確か君は此処に何度か来ているね。彼等を案内してやってくれないだろうか」
「はァ!何で俺が。俺、一応怪我人。さっさと部屋で休みてぇの」
玉裁が迷惑そうに顔を顰める。
「とか何とか言って、さっさと煙草が吸いたいだけなんだろ」
「よく分かってんじゃねぇの、そういう訳で遠慮しろや」
ぼそりと小声で吐き捨てる柚に目も向けず、無気力に吐き捨てる玉裁のガム風船が音を立てて弾けた。
すると、同行していた一般兵部隊のキース・ブライアンが遠慮がちに名乗りをあげる。
「あのー。よかったら、自分が案内しましょうか?今回の任務の前に、一度事前調査で此処に来てますから」
「よし、任せた。じゃーな」
玉裁は柚達の返事も聞かずにキースの肩を叩き、さっさと去っていく。
例え、その背に柚と焔の攻めるような視線が突き刺さろうとおかまいなしだ。
「全く玉裁は……協調性のきょの字も知らんな!」
「お前が言うなよ……じゃ、俺も部屋に行くわ」
柚が口を尖らせて文句を言う。
玉裁に便乗して部屋に逃げようとする焔の襟を柚が掴んだ。
「じゃあ、悪いんだけどキース、案内お願いしまーす」
「はい、僭越ながらご案内させて頂きます」
キースが苦笑を浮かべ、敬礼を返す。
キースを先頭に、その後ろから焔を引き摺った柚と双子が続く。
その光景を見ていたキースの同僚が、「あいつ、方向音痴のくせに大丈夫か?」と、不安そうに呟きを漏らしていた。
「この施設は、体が弱い子供や母体となった女性が収容されています」
「へぇ、妊婦さん、今もいるの?」
説明を受け、柚が周囲を見渡す。
今いるとしたら、確実に仲間の子供だ。
本来ならば祝福すべきなのだろうが……決して彼等が望んで誕生した命ではない為、内心では少々複雑である。
「ええ、確かお一人……」
「一人しかいないのか」
父親が誰かなど、考えないほうがいいのだろうが気になってしまう。
先程いた二人の子供達ですら、何処となく父親と思しき人物の面影を見付けてしまった子供がいたのだから……。
「残念ではありますが、妊娠が確認されていても流産や死産になる確率の方が高いそうです」
「そんな……」
「ですから、あの子達のように双子が生れる確立は非常に低く、奇跡的な例なんだ――と、以前先輩に聞きました。あ、でもお酒は入ってたんで話半分に聞いて下さいね」
キースが慌てて付け加えた。
キース・ブライアンという人間は、以前アダムに体を乗っ取られ、耐え切れなかった体が瀕死の状態にまで陥った事がある。
順調に回復した後、本来ならば怖気づき転属願いなり除隊するであろうところを、けろりとした面持ちで再びアース・ピースの一般兵部隊に復帰した。
周囲からは抜けていると評判だったが、その一件以来、実は大物なのではと囁かれていることを当の本人だけが知らない。
柚にとっては、生死を彷徨う体験をしてもなお、使徒を嫌わずにいてくれたキースに感謝と好意を抱いている。
よく本部施設の前に立っている一般兵と挨拶や世間話を交わすことはあるが、中でもキースが一番の仲良しだ。
「うーん、でもそう考えると、アンジェやライラはもちろんだけど、アスラ達が生まれた確立って本当に凄いんだな」
名前を出され、アンジェとライラが柚の顔を見上げる。
「もちろんですよ。生まれただけでも奇跡的なのに、上級クラスの能力を誇る使徒が立て続けに三人も誕生した事例は非常に稀なんです――というのも先輩の受け売りですが」
キースは、熱心に聞き入っている柚に振り返ると、頭を掻きながら照れたように返す。
隣では、どうでもよさそうに焔が欠伸をしていた。
「でも、大抵はここに収容されている子供達のように何らかの障害を持って生まれたり、生まれて数日で死んでしまう子供が多いそうなんです」
以前、イカロスが言っていた言葉を思い出す。
イカロスやハーデス、ライラには繁殖能力が備わっていないのだと……。
戦場に出ても支障のない障害であれば、イカロス達のようにすぐに本部に送られ、ある程度大きくなるまで別棟で育てられるが、兵として使えない程に体の弱い子供は、こちらで療養となる。
玉裁やジャンの言葉が本当であれば、先程会った二人の子供は、このまま虚弱体質に改善が見られない際、いずれ処分されるのだろう。
だがこの事実を、人の良さそうな彼が何処まで知っているか……だ。
政府は、それが道徳に反していることを知っているからこそ、あまり公にはしないだろう。
「柚さん?」
「え、あ、ううん。なんでもない」
黙り込む柚を、キースが心配そうに覗き込んでくる。
慌てたように笑顔を張り付かせる柚は、繋いでいるアンジェの手を握り締めた。
「ここには、今どれだけの子供がいるんだ?」
「そうですね、現在妊娠中を省いて三人です。一人が六歳十ヶ月になるニエ、もう一人がウラノスといい、三歳一ヶ月です。今保育器に入っている未熟児の赤ん坊が一人いて、生後六ヶ月になっていますが、非常に危険な状態が続いているそうです」
「そっか、会えるかな……」
「もちろん、会えると思いますよ。後でこの施設の人に頼んでみてください」
「うん」
柚は頷き、アンジェとライラを見下ろす。
「後で会いに行こう?二人は赤ちゃん、見たことある?」
「写真で見た人間の赤ちゃんしか知らない」
ライラが、アンジェよりはやや釣り目がちに見える大きな瞳で柚を見上げ、答えを返した。
先月、十三歳の誕生日を迎えた二人は、まだあどけなさを残した顔をしている。
「きっと可愛いぞ」
柚は嬉しそうに告げ、思い出したように焔に振り返った。
「焔は、妹がいたから面倒とか見てた?」
「あ?まぁ……少しな」
「どうだった?やっぱり、雫ちゃん可愛かったんだろうなぁー」
「当たり前だろ!雫だぞ。並べられた保育器の中でも断トツ輝いてたな。近所のおばさんも、見るたび可愛い可愛いって、口を揃えて言うしよ……」
それは社交辞令だろ!――と、笑顔の柚は心の中で毒づく。
焔に妹の話を振ったのが間違いだった。
「そういえば、この間ライアンお兄ちゃんが、焔お兄ちゃんのことシスコンって言ってたけど……シスコンってなぁに?」
「ライアン兄は、アンジェにすぐ変な言葉教えてっ……」
不思議そうに首を傾げるアンジェに、ライラがここに居ない人物に向けて殺気を放つ。
それ以上に焔が殺気立っている。
キースは苦笑を浮かべ、一室を指した。
「えーっとですね、ここが訓練室になります。隣にシャワールームもあるんですよ。あ、でも鍵がないんで、柚さんは部屋のシャワーを使った方がいいと思いますよ」
「か、鍵があったってこんな半透明のシャワールーム使えるか!まさか部屋もこんなんじゃないだろうな!」
シャワールームを覗き込んだ柚が、赤くなって怒声を上げる。
半透明の壁で覆われた個室は、はっきりと体のラインが見えるだろう。
部屋までこの状態ならば、着替えすら一苦労だ。
「来賓やここのスタッフの部屋はちゃんと普通の壁なんで、安心してください」
「なんでこんな面倒臭い造りなんだ?」
眉を顰め、焔がキースに尋ねる。
初めて焔に声を掛けられ、キースは緊張した面持ちで返した。
「はっ、なんでもここにいる子供達は体が弱い為、倒れたり体調の変化があった時、スタッフがすぐに気付き対処出来るよう、見通しの良い造りになっています――と、先日教えられました!これは、ここのスタッフに聞いたので本当です」
畏まられて少々複雑そうな焔の隣で、柚が「ぷっ」と噴出す。
「ここでは、大切にされてるんだな……」
「もちろんです、せっかく生まれた命ですよ。早く元気になって、他の子供と同じように外を駆け回らせてあげたいですよね」
「……うん」
思わず、「ありがとう」と言う言葉が口に出そうになる。
純粋に一人の人として、子供達の生と回復を願う言葉だった。
屈託のない笑みで笑い掛けるキースに、柚は穏やかな笑みを浮かべて返した。
例え人間の都合で創生された命であろうと、この世に生まれたのだ。
今は何も考えず、彼の言うように生きて欲しい。
そう純粋に願ってくれる"人間"が、一人でも身近にいてくれることが嬉しかった。
するとライラが何かに気付き、その視線を追ったアンジェが声を上げる。
「さっきの子達だ!」
廊下を歩いてくる子供達を見て、アンジェは素早くライラの後ろに隠れた。
そんなアンジェに、柚は腕を組みため息を漏らす。
「何故隠れる」
「だって、あんなちっちゃい子、どうしたらいいの?泣かせちゃったら怖い」
「柚姉、お手本」
「私だって一人っ子だもん。よし、ここは焔が適任だ!」
「なんで俺が行くんだよ、俺はガキに興味ねぇ!うわ、押すな!」
柚と双子に背中を押され、焔は廊下に突き飛ばされた。
すると、歩いていた子供達が飛び出してきた目付きの悪い焔に、びくりと飛び上がる。
焔が子供達を見下ろした瞬間、子供達が青褪め、「ひっ」と息を呑んだ。
「こら、焔、怯えさせてどうする!」
「焔兄、もっと愛想良く」
廊下の角から、柚と双子が顔を覗かせて焔に訴える。
「あ゛ァ?」
もともと常に不機嫌に見える顔の焔が更に不機嫌さを増し、後ろで注文を付ける柚達に睨み返した。
その瞬間、二人のうち小さい方の子供がばたんと倒れる。
「うわぁぁあ、ウラノス!う゛!?」
慌てて駆け寄ったもう一人も、息を詰まらせてばたりと床に倒れ込んだ。
「ひぃいい、もう一人も倒れた!!」
「えぇ!?だ、だれか、ドクター!」
柚が頭を抱えて悲鳴をあげ、アンジェが泣き出し、ライラが顔を引き攣らせたまま立ち尽くす。
青褪めてキースが走り回りながら、助けを求めて声を上げた。
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