28


同乗していた妊娠中のリリーが、シートにしがみ付いて悲鳴を上げる。
その声に驚いたのか、ルナが唸り声を上げ、激しく吠え始めた。
ニエとウラノスは、赤ん坊のパーベルを守るように保育器越しに抱きしめる。

「敵?どうしよう、ガルーダお兄ちゃんも玉裁お兄ちゃんもいないのに!」
「落ち着けよ」

ライラが泣きそうになるアンジェの手を強く握った。
ヨハネスが、悲鳴をあげて取り乱すリリーや子供達に、「大丈夫だから落ち着いて」と声を掛けて歩く。

だが、再び砲撃に遭い、爆音と共に機体の高度が下がり始めた。
キースが、機体を操縦する先輩達の隣で情けない声を上げる。

「一度着陸します、許可を!」
「許可する。着陸後、囮部隊が到着するまで我々は防御体制のまま待機。また電波ジャックをされる可能性もある、囮部隊に応援要請を送り続けて」
「了解」

ジャンの声に、一般兵部隊が声を揃えて返す。

「皆さん、席についてベルトを締めてくださいね!」

キースが振り返り、慌てたように告げる。
柚はウラノスのシートベルトを締めながら、止まない砲撃の爆発音に首を竦めた。

焔は刀を握り締め、ガラスの外を見やり眉間に皺を刻んだ。
爆音に、防弾ガラスがびりびりと音を立てる。

「砲撃だけだな、エデン……か?」
「厄介だぞ。また電磁波発生装置を使われたら結界が何処まで持つか……」

柚が震えているニエとウラノスを見やり、呟く。

「着陸します!」
「舌噛みますよ、口閉じて」

ヨハネスが柚達に叫ぶ。

プロペラの風圧が、吹雪で降り積もったばかりの柔らかなパウダースノーを吹き上げた。
機体は凍った雪の上に着陸し、柚はほっと安堵の溜め息を漏らす。

だが、その衝撃に保育器の中でパーベルが声をあげて泣き始める。

泣き声と共に放たれる衝撃波に、機体がガタガタと揺れ始めた。
その音にリリーは耳を塞ぎ、青褪めてガタガタと震え始める。

「もういや、何よこれ、死にたくない!なんで、こんな化け物連中に付き合わなきゃならないのよ!もう沢山、お金なんていらないから、家に帰してー!」
「まずい!」

彼女の中にいる胎児が怯えるリリーに共鳴し、リリーの体を包むように、不穏な空気が漂い始めた。

「落ち着いてください!」

ヨハネスが落ち着かせようと叫ぶが、操縦席のコンソールの針が跳ね上がり、警音アラートが鳴り響く。
機内に警戒を知らせるように点滅する赤いランプが、さらに焦りを助長させる。

「外からも来ます!」

おろおろとした面持ちで、レーダーを見ていた隊士がジャンに叫ぶ。
ジャンはリリーと保育器に手を翳し、早口に叫んだ。

「皆離れて、早く!」

柚と焔が、慌ててニエとウラノスを抱えてジャンの後ろに回った。

外の結界に砲撃が直撃し、リリーを通して胎児の衝撃波が放たれる。
衝撃波が放たれた瞬間、ジャンの結界がリリーと保育器の中のパーベルごと包み込んだ。

激しい衝撃に機体が揺れ、ハッチが吹き飛ぶ。
柚はニエとウラノス達を腕の中に抱き締めながら、ジャンの張った結果の上から更に水の結界を張った。

ジャンの結界が破られ、柚の水の結界が衝撃波を受け止める。

柚は強張った体から緊張を解きながら、苦しそうなジャンを見た。
ジャンは、研究支部にも巨大な結界を張ったままだ。
彼の体力が何処まで持つか……どの道、中と外から攻撃を受けていては自滅してしまう。

キース達が機材の無事を確認し、ほっと安堵の溜め息を漏らした。

「すまない、助かった」
「こっちは私がなんとかする。ジャンは外の結界に集中してくれ」
「助かるよ」

柚は、自分が張っている結界へと視線を向ける。
内側から拳を叩きつけるように、何度も衝撃波が叩きつけられていた。

それはまるで、まだ言葉を知らないパーベルと胎児の悲鳴のようだ。

力を吸い上げられ、リリーは苦しさに床をのたうっている。
凄まじい悲鳴は鼓膜を震わせ、アンジェが怯えたように顔を背けた。

「玉裁兄が来るまで、どれくらい?」
「それまでもつの?」

ライラとアンジェが寄り添い、不安そうに呟く。
外の吹雪が恐怖心を煽り、壊れたハッチから雪が吹き込んでくる。

「寒い……」

呟きを漏らすウラノスをニエが腕の中に抱き締め、ヨハネスが更に二人を抱き締めた。

焔が掌の上で小さく炎を灯し、それを宙に浮かせると、機体の中を歩き出した柚に眉を顰める。

柚は、自分が張った結界を潜り抜けた。
いぶかしむ様に焔が柚の名を呼び、ヨハネスが戻るように促す。

女は柚を見上げて悲鳴を上げた。
その悲鳴に共鳴するように、結界の中を胎児の放つ衝撃波の威力が増した。

柚の頬から鮮血が散り、追い掛けるように傷が癒えていく。

その光景を見たリリーは、胎児に力を吸い上げられる激痛に叫びながら、一層取り乱して暴れ狂う。

柚は構わずリリーに背を向け、保育器に触れた。

小さく息を吸い込み、音を吐息に乗せるように口を開く。
吹雪に掻き消されそうな声音で、柚は子守唄を紡いだ。

直接パーベルの頬に触れると、パーベルが大きな瞳で不思議そうにじっと柚を見上げる。
目が合うと、柚は瞳に弧を描かせ、安心させるように微笑みを向けた。

その腕に、そっとパーベルを抱き上げる。
腕の中に小さな鼓動が響く。

ジャンのように取り立てて歌が上手いわけではない。
だが柚の穏やかな声に込められた想いが、恐怖心と寒さを取り除いていくかのように広がる。

次第にパーベルの泣き声が笑い声へと変わった。
柚の指を小さなパーベルの手が握り返し、柚の手を振るように遊び始める。

「ん、なの……何なのっ……」

リリーは頭を抱え、がたがたと震えた。
いつの間にか、胎児までもが落ち着いている。

「化け物、化け物、あたしの言う事なんて聞かないくせにッ――」
「柚!」

パーベルをあやしていた柚に、焔が叫んだ。
リリーの体を胎児の波動が包み込み、柚に向けて放たれる。

それに気付いて振り返った柚が、咄嗟にパーベルを庇うように強く抱きこんだ。
その瞬間、パーベルが小さな手を上げて指を翳す。

力と力がぶつかり合い、一瞬にして相殺した。
その余波が、穏やかな風となって柚とリリーの髪を揺らす。

「え……」

柚は恐る恐る顔をあげ、力が霧散した空間に振り返った。

「赤ん坊が、柚君を守った……?」
「そんな馬鹿な。あんな小さい子が?」

ヨハネスが目を見開き、ジャンが信じられないと言いたげな面持ちで呟く。

確かに、赤ん坊でも力を使えるはずだ。
だが、まだ自我が形成されていない赤ん坊が、母親でもない柚を守った。

(どういう、まさか……だとしたら――)

ヨハネスは困惑した面持ちで口を噤む。

パーベルは自分の指をしゃぶり、無邪気に笑っていた。

柚はそんなパーベルを見やり、女の顔を見る。
青褪め、ガタガタと震える女の前に、柚はパーベルを抱いたまま膝を折って座った。

柚の視線が怯えるリリーを見詰め、ゆっくりと大きくなり始めている腹部へと落ちる。
そこにはもう一人、泣いている命があった。

「私達はお前のママを虐めたりしない、傷付けない。ただ守ろうとしているだけなんだ」

リリーの大きくなり始めた腹に、柚は静かに語り掛ける。

「だから安心して眠っていればいい」
「ぁ……」

リリーは、体中の痛みが引いていく感覚に目を見開く。
ざわめいていた空気が落ち着き始める。

柚は水の結界を解き、驚いているリリーを真っ直ぐと見た。

「私達は、あなた達から見れば確かに化け物かもしれない……でも私達は、あなた達人間と言葉が通じないわけでもない。化け物と言われたら傷付く心がある。もちろん今、あなたのお腹の中にいるその子もだ」

リリーの瞳が、自分の腹へと視線を落とす。

「あなたのお腹の中にいるその子は、化け物なりにあなたを愛している。人間と同じように……あなたを母と慕っている」

パーベルがリリーに手を伸ばした。
リリーの頬にぺたぺたと触れ、パーベルは無邪気に人懐っこい笑みを浮かべる。

「お願いします。十月十日だけでも、その子を愛してやってください」

柚はリリーに頭を下げると、静かに立ち上がり、リリーに背を向けた。

心配して駆け寄ってきたヨハネスに機嫌のいいパーベルを渡す。
ヨハネスは難しい面持ちで、パーベルを保育器へと戻した。

「柚君、怪我は大丈夫……ですね。心臓が止まるかと思いましたよ」
「ごめんなさい」

柚は苦笑を浮かべ、肩から力を抜く。

「そういえば、攻撃も止んでる?」
「油断は出来ないよ、作戦を接近戦に変更して攻撃を仕掛けてくる可能性もある」

アンジェの言葉に、ジャンは外へと視線を向ける。

その時だ、ルナが大きく吠え、壊れたハッチから外へと飛び出した。
ニエが焦り、声をあげる。

「ルナ、駄目だ!」
「戻って、ルナ!」

ウラノスがルナを追い掛けてハッチから飛び出す。

「ウラノス!」
「ばか、戻れ!」

咄嗟に、柚と焔はウラノスを追って飛行機から飛び出していた。
踏み出した二人の足が地面に付いた瞬間、柔らかい雪に腰まで埋まる。

「くっ……ウラノス!」

柚は雪の上に水で足場を作り、雪から抜け出してウラノスを追い掛けた。
焔がその後に続いていく。

ヨハネスとジャンが二人を止めようと叫ぶが、吹雪が声を掻き消す。

「柚姉!」

腕で顔を覆ったライラが、止んだ風に顔をあげて目を見開いた。

「いない……?」





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