27


昨夜から吹き荒れる吹雪は止むことなく、特に天候の荒れやすい山は激しい猛吹雪となった。

本来であれば天候の悪い日を狙い、移転作業に移る予定ではあったが、増援隊が到着するのは早くても昼だ。
この天候ともなれば、遅れる事は明白だった。

「冗談でしょ、せっかくカモフラージュになる吹雪の日を選んで待っていたのよ。吹雪が止んじゃったらどうしてくれるのよ。大体、こっちには上級クラスが二人もいるってのに、なんでこれ以上投入する必要があるの!あたしの指揮じゃ信用ならないってこと?」

支部の移転護衛は、重要な機材が積み込まれた一台の軍用機だ。
カモフラージュ用にもう一台用意された軍用機が囮となる作戦だ。

軍用機を見上げ、マルタは苛々と爪を噛んでいる。

「マルタ支部長は、随分荒れてるな」

柚は声を荒げるマルタを遠くから見やり、ぼそりと呟いた。
すると、ヨハネスが不服を口にする。

「冗談ではありませんよ、怪我をするのはこちらなんです。まあ、彼女の気持ちも分からなくはないですが……」
「え?」
「セラフィムが発見されて喜んでいた矢先に箝口令(かんこうれい)ですよ?彼女は手柄がほしかったわけですし、面白くないのでは?まあ、別報酬なり、貰っているのかもしれませんけど……」
「なるほど。でも、納得してるって様子じゃないよなぁ……」

腕を組み、柚はしみじみとマルタの姿を見た。

「彼女は、今度こそ柚君に大きな手柄を立てさせたいと考えているかもしれませんよ」
「勘弁してくれ」

ため息を貰らし、柚は肌寒い格納庫の木箱に腰を下ろす。
隣に座ろうとするニエとウラノスを抱き上げて座らせると、ウラノスは柚の膝の上に座り、鶴を折り始める。

柚も鶴を折りながら、憂鬱そうに溜め息を漏らした。

「っていうか、なんで此処で待機しなきゃなんないんだ?どうせ今日はアスラ達が到着しても無理だろ」
「さすがに、吹雪が強過ぎるしな」

頬杖を付き、焔が無気力に呟く。

「朝よりは落ち着いてきたけれどね」

ジャンは外を見て告げた。

それから一時間ほど経過した頃だ。

玉裁を呼び寄せて何かを話していたマルタが、響く格納庫で手を叩く。
その音に、鶴を折っていた柚と焔は顔をあげてマルタを見た。

「気象庁の予報では、明日から更に天候悪化が予想されています。これ以上天候が荒れれば移転は更なる延期となってしまうわ。増援部隊の到着を待つ猶予はありません、これより作戦を開始します。大至急準備を急いで」
「ちょっと待て!ふざけんな、だから何度も言ってんだろ、このメンバーじゃ無理だ!」

玉裁が怒りを露わに叫んだ。

「あら、アスラがいなければなんにも出来ないの?」
「てめぇ……」
「ここでは、あたしが最高責任者よ。あたしの命令に従えないなら、あなただけ此処に残りなさい」

玉裁がマルタを睨み下ろす。
動じる事なく、マルタは赤い口紅の引かれた唇の端をきゅっと上げた。

「玉裁、あなたが一人で囮部隊を担当しなさい。残りは本隊警護よ」
「いい加減にしろよ、こいつ等だけで襲撃にあったらどうするつもりだ!」
「なんとでもなるわ、ケルビムとスローンズが付いているんだもの」

指を突き付けられ、柚はウラノスを膝から降ろし、立ち上がる。

「でも私達じゃ経験も乏しいし、さすがに荷が重いと思うんだけど……」
「皆もっと自信を持ちなさい!柚、焔、あなた達だけで任務を成功させて、あいつ等の鼻を明かしてやるのよ」

柚と焔は、困り果てた面持ちで顔を見合わせた。
玉裁が苛々とした面持ちで舌打ちを漏らす。

戸惑いながらも準備が進められる中、玉裁とジャンが柚達全員を呼び寄せる。

「こんなことになってしまってすまない。私からも彼女を説得したんだが……」
「駄目だったんですね」

ヨハネスが溜め息を漏らした。

「どうも、意地になってしまっているようですね。ここで命令を拒否すれば、最近ただでさえ睨まれているのに、更に問題になってしまいそうですし……」
「え、睨まれてるって何?」

柚が眉を顰めてヨハネスの顔を見る。
ヨハネスははっとした面持ちでもごもごと言葉を濁すが、柚は「言って」と強い口調で迫った。

押しに負けたヨハネスは、申し訳なさそうに溜め息を漏らす。

「噂ですよ、ただの。だから気にしないでくださいよ?デーヴァ元帥が黄大統領に意見したことで……使徒が人間に反旗を翻すのではないかとか、付け上がっていると言われているんですよ」
「それって、もしかしてもしかしなくても、私の為にアスラやイカロス将官達が意見してくれたアレのせい?」
「ま、まぁ……そ、そうなんですが、あぁ、柚君は悪くありませんよ?ただ、今までデーヴァ元帥は政府に忠実だったもので、皆が少し驚いちゃったんですよ」
「だってあの時大統領は全然怒った様子もなくて――」
「ええ、もちろん黄大統領には、我々に反逆の意思がないことはご理解頂けていると思います。でも一部の議員の間でそういう噂が広がってしまったらしく、噂が噂を呼んで良くない噂になってしまったといいますか」
「アスラ……」
「まあ、本当ゴシップのような噂ですよ。デーヴァ元帥が、オーストラリア首相の前で柚君にキスをしたとか」

柚は引き攣った顔を逸らした。
その態度に、ヨハネスの顔までもが引き攣る。

「ほ、本当なんですか……?」
「い、いや、あれには、訳が……ちょっと」

ばつが悪そうに言葉を濁す柚から、焔は眉間に皺を刻んだまま顔を逸らした。
ライラが「何やってんだよ」と溜め息を漏らす。

「とにかく、そんな噂はすぐに消えると思います。それに、あれは柚君の健康状態を危惧しての陳情なんです。これから態度で示していけば、皆さんいずれ分ってくれます。ですから、柚君は気にしないで下さい」

柚がぐっと拳を握り締めた。

「大丈夫……」

過去をやり直すことなど出来ない。
何より今現在、自由でいられる柚の立場は、アスラやイカロス、ヨハネス達の心遣いの形なのだ。

後悔などしない、胸を張り態度で示していくしかない。

すると、玉裁が念を押すように口を開いた。

「とにかくだ、もし襲撃を受けた場合、お前等は何もするな。絶対だ」
「何もしないでどうすんだよ、大人しくやられろってのか?」

焔が眉を顰める。

双子が不安そうにしていた。
初めての安全な任務だったはずが、どうも雲行きが怪しい。

「何かあったら俺がすぐに引き返す。それまでの間、ジャン、あんたが結界を張ってろ。お前等は結界の外に出るな」
「……うん」
「いいか、優先順位分かってんな?特にお前だ、お前」
「え、私?」

柚が目を瞬かせる。

「あのガキ共に何かあっても、お前だけは動くな、死んでも動くな」
「死んだら動けないと思うけど……」
「うるせぇよ、口答えすんな。それくらいの覚悟で、お前はとにかく自分の身だけを守れ。何かあったらガキ共は見捨てろ、いいな?」

不服そうな面持ちで、柚が黙り込む。
そんな柚を見やり、ジャンが静かに口を開いた。

「仕方のない事だよ、玉裁の言う事を理解してあげなさい」
「……」
「返事しろ、返事。玉裁様の命令に従いますと誓え」

ふいっとそっぽを向く柚に、短気な玉裁が柚の頭を鷲掴みにして自分の方に顔を向かせる。
アンジェがおろおろとして止めようとするが、玉裁が止まるはずもない。

柚は口を尖らせ、玉裁に抗議を始める。

「だって、あの子達を守る為の任務だろ!見捨てたら意味ないだろーが!」
「あいつ等だけじゃねぇよ、重要な機材とデータも護衛対象だ!けど、そんなもんよりもお前に何かあった方が問題なんだよ!」

柚が目を見開いて玉裁の顔を見上げた。

使徒同士の子供であれば、ほぼ能力・クラス共に遺伝する可能性が高い。
ニエやウラノスのように体が弱い子供が命を落とそうと、柚さえいれば完全体で、より強い使徒を産み出す事が出来る。

柚は、俯くように声なく頷いた。
俯いた顔を上げるのが、ひどく億劫だ。

皆と肩を並べていたい……。
そう思った所で、どうしようもない。

政府には政府の思惑があり、逆らう事の出来ない大人達は大人達の立場と義務があり、自分のささやかな願いはただの我侭と変わらない。

軍用機に乗り込み、柚は奥の席のシートに凭れた。

玉裁を乗せた囮の機体が飛び立ち、時間を置いて柚達を乗せた機体が飛び立つ。
大分おさまってきた雪は、空を飛ぶ白い軍用機を程よく隠した。

「うわぁ、僕飛行機って始めて乗った!」

ウラノスが、柚の隣の席に膝を立てて乗り、窓から外を見下ろしている。
緊張した面持ちのニエがウラノスを咎めたが、はしゃいでいるウラノスは聞く耳など持ちはしない。

それ以上に緊張しているのは、初任務となるアンジェとライラだ。
顔は強張り、互いを支えるように寄り添い、手を握っている。

喜んでいるのは、ウラノスただ一人だ。

「僕、すごく楽しみだったんだ」
「え?」
「だってお空を飛べるし、もしかしたらお兄ちゃんやお姉ちゃん達が悪い奴等と戦うところ見られるんでしょ?」
「え……それは、どうかな」

柚は無垢な眼差しを向けてくるウラノスに苦笑を浮かべた。
焔はそんな柚を一瞥し、窓の外に視線を投げる。

「僕ね、福音レンジャーが大好きなんだ」
「福音レンジャー?」
「日曜の朝にやっている子供向けの戦隊ヒーローものだよ。使徒をモチーフにしているんだ。この子達は、毎週欠かさず観ているんだよ」

ジャンが苦笑を浮かべてニエの頭を撫でた。

「僕はウラノスに付き合ってやってるだけだよ!」
「そうだったね」

赤くなるニエに、ジャンは穏やかに微笑む。
柚は、それがとても格好良いのだと説明しているウラノスへと視線を戻した。

「大きくなったらね、僕も福音レンジャーのように強くなって、ママを守ってパパの力になるんだ」

途端に子供達に申し訳ないような気持ちが押し寄せ、胸の内を支配する。
柚は息苦しさを覚えた。

もし将来、自分が子供を産んだら……
彼等はどういう扱いになっていくのだろう?

自分という存在が、彼等の価値を否定してしまうのではないだろうか?

その時、ジャンがはっとした面持ちで声を上げる。
その声という音が拡散し、軍用機を包み込んだ。

ジャンの結界により直撃を免れたものの、フロントガラスの前で何かが爆発し、軍用機が爆風に煽られる。
柚はウラノスを支えながら、機体の視界を覆う灰色の煙に息を呑んだ。





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