24


朝食を終えると、ガルーダからの招集がかかる。
柚が昨夜、アスラから先に報告を受けた件に関してだ。

「ってわけで、俺はフョードルと先に戻るから、アスラが到着するまでの間は玉裁に指揮権を一任する。何事もないと思うけど、頼んだ」

玉裁は、面倒臭そうに返事を返す。

「荷物はないだろうけど、フョードルも準備しておいて」
「了解いたしました」
「はいはい、他に質問は?」
「あの、僕達は残ってもいいんですか?」

アンジェがおずおずと手を上げて問い掛ける。
ガルーダは、あっさりと「いいんじゃない?」と軽く返した。

「一応、今回は現場の空気に慣れることだし。お前等は、柚や焔のように勝手な行動しないし」
「あれ、それって遠回しに勝手な行動するなって言われてるのかな」
「よく分かったね、よしよし」

ガルーダが柚の頭を撫でる。
柚はむすっとした面持ちで首を竦めた。

「言われなくたってしませんー」
「どうかなー、アスラとイカロスには要注意って言われてるからな。しかも別々に」
「うわっ、信用ない!私じゃないぞ、焔だもん」
「はァ?お前だろ」
「どっちもだろ」

どうでもよさそうに、玉裁が半眼で呟く。

「ジョーダンじゃないぜ、こんな問題児二人も抱えて」
「一番の問題児に言われたくないな」

柚は椅子の背凭れに腕を掛け、前の席に座る玉裁に向けて身を乗り出した。
玉裁は肩越しに振り返り、鼻で笑い飛ばす。

「俺はこれでも上手くやってんの、お前等と違ってな」

玉裁が、柚のおさげを軽く引っ張る。
フョードルは目を見開き、立ち上がった。

「なんてことをなさるんですか!女性の髪を引っ張るなんて、いくら親しんだ仲であっても許されませんよ!」
「あ、いや、ちょっと、フョードル」
「はァ?なんだてめぇ……セラフィムだからっていい気になってんじゃねぇぞ、この俺様に喧嘩売ってんのか?」
「玉裁も、大人げないぞ!」

慌てて仲裁に入る柚の努力も虚しく、玉裁が椅子から立ち上がり、フョードルを睨み下ろす。
フョードルは遺憾だとばかりに、果敢に玉裁を睨み返した。

「例えセラフィムであろうと、年上と女性を敬う心を忘れるつもりもありません!」
「じゃあ俺を敬いやがれ。大体俺はな、こんな奴と慣れ親しんでねぇんだよ!」
「え、訂正すべきところはそこ?いやそれよりフョードル、私は別に気にしてないし!」
「うるせぇ、てめぇは黙ってろ」

柚は、玉裁とフョードルを引き剥がす。
すると、玉裁の手が柚の顔を掴んで押し退けた。

フョードルが目を見開く。

「また!あなたは柚殿を敬う気持ちはないんですか!」
「ねぇよ、こんなガキ!」
「ちょっと……あのさ、おーい」

ヨハネスが溜め息を漏らし、焔が欠伸を漏らす。
おろおろとするアンジェを他所に、ライラは呆れた面持ちだ。

「我々使徒にとって柚殿がどれほど大切なお方か理解しておられるのですか?これからの社会は蜂や蟻のように、女性を中心に集う社会が形勢されていくというのに……」
「はぁ、お前なに言ってんの?」

玉裁は眉を顰める。

「我々は、柚殿を守り従わなければならない立場にあるんです!それを乱暴に扱うなど言語道断です!と、昨夜マルタ支部長殿よりご教授いただきました」
「あのババァ……馬鹿じゃねぇの、てめぇ、何真に受けてんだよ!そんなに大事なら、檻の中にでも入れておけっての。でなきゃこいつは勝手に動きまわるんだよ」
「い、いひゃい!」

玉裁が柚の頬を引っ張り、フョードルに見せ付けるようにべしべしと頭を叩く。

柚は玉裁の手を振り払った。
フョードルが顔を真っ赤にし、怒りに震えているのだ。

「いい加減に――」
「しろ」

ガルーダが玉裁とフョードルの頭を掴み、地面に叩きつけた。
何もされていない筈のヨハネスが悲鳴を上げて飛び上がる。

「なな、なんってことするんですか、あなたは!彼は怪我してるんです、怪我!」
「あ、そうだっけ?ヨハネスが治せばいいじゃん」
「骨にヒビが入ってるって報告したでしょー!」
「悪い悪い、聞いてなかったみたい」
「あなたって人はー!?」

ヨハネスの悲鳴染みた怒声が廊下にまで響き渡った。

目を回しているフョードルを他所に、じたばたと暴れている玉裁がガルーダの手を振り払って立ち上がる。
腹を立てている玉裁を、ガルーダはきょとんとした面持ちで見上げた。

「てめぇ、何しやがる!」
「仲裁。ま、そういうことだから、玉裁はアスラ達が到着するまで柚達を頼んだ」
「そういうことじゃねぇよ!あ、てめぇ、待ちやがれ!逃げんな!」

ガルーダを追い掛けて部屋を出て行く玉裁を見送り、焔は半眼で「俺も帰りてぇ」と呟きを漏らす。

アスラが時と場所を考えずに柚を口説く光景を見ると、苛々する。
堅苦しいフョードルといても息が詰まるが、アスラと離れられるならばマシだ。

やる気のない焔を他所に、柚が恐る恐る床に倒れているフョードルに声を掛けた。

「凄くいい音してたけど、フョードル大丈夫?」
「は、はい。多少足元がふらつくくらいです。して、私は玉裁殿と何のお話をしていたのでしょう?どうも思い出せなくて……」
「せ、先生ー!フョードルの記憶がすっ飛んます!!」
「しっかり、フョードル君!!」

青褪めたヨハネスが、懇親の力でフョードルを揺さぶる。

そんな喧騒に溜め息を漏らし、焔はポケットに手を突っ込んで立ち上がった。
すると、柚が焔を見上げる。

「何処行くんだ?」
「規定訓練」
「私も行く」
「僕達も一緒していい?」
「勝手にしろ」

焔は椅子に立てかけていた刀を手に取り、部屋を出た。
その後に続く柚と双子を見て、フョードルは慌てて体を起こし、立ち上がる。

「私も、ご一緒しても宜しいでしょうか?」
「え?」

柚達が足を止め、フョードルに振り返った。

フョードルの片腕は、負担にならないように布で釣られている。
ヨハネスが苦笑を浮かべて、意気込むフョードルを宥める。

「何度もいいますが、フョードル君、あなた怪我をしているんですよ?それに夜には長時間移動になります、あまり無理をせずに休んでいたほうが……」
「邪魔は致しません。皆様がどのような訓練をなさっているのか、この目で見ておきたいのです」

そう告げると、フョードルは唇を噛むようにして俯いた。

「今の私が皆様に遠く及ばないことは理解しております。ですから私は一刻も早く強くなり、柚殿をお守りしたいのです。私情を挟み申し訳ありませんが、村の人達の仇をとる為にも」

アンジェが顔を曇らせる。
フョードルは肩に触れ、目を細めた。

「それにこの怪我は、感情的になり皆さんにご迷惑をお掛けした愚かで浅はかな私に柚殿が与えてくださった戒めです。痛みを感じるたびに、感謝の気持ちでいっぱいです」
「おいおい、アイツ大丈夫か?心なしか顔が赤いぞ。お前のせいで変な扉開けちまったんじゃねぇ?責任取れよ」
「め、滅多なこと言うなよ。元からかもしれないじゃないか」

焔が顔を引き攣らせて柚に声を掛けると、柚が上擦った声で返す。
ライラは無言でアンジェをフョードルから遠ざける。

ヨハネスは諦めたように溜め息を漏らし、「分りました」と立ち上がった。

「その代わり、私が同行しますよ。いいですね」
「はい、有難う御座います!マテジウス先生」

目を輝かせるフョードルに、ヨハネスは苦笑交じりの溜め息を漏らす。

むすっとした面持ちで歩き出す焔が手にする刀に気付き、突如フョードルはじっと見詰めだした。
その視線に気付き、焔は居心地が悪そうに眉を顰める。

「なんだよ」
「はっ、失礼致しました!あ、あの、焔殿がお持ちのその剣は、もしや"刀"というものでしょうか?」
「そうだ」
「やはり!武士ソードですね!」
「そのださい呼び方止めろっ!」

刀に触れて目を輝かせているフョードルから、不本意そうに焔が手を払った。
途端に、フョードルの頭上に雷が降り注ぎ、目を見開いたフョードルが慌てて焔から飛び退く。

「も、申し訳ありません!刀は武士の命でしたね、それを私のようなものが無闇に触るなどおこがましいにも程が……」
「鬱陶しい!?つーか武士じゃねぇよ!分かったよ、触れよ、好きなだけ触れ!」

顔を引き攣らせた焔が、フョードルに刀を押し付けて渡す。

「有難う御座います!命である刀をお見せ下さるとは、焔殿は寛大なお方なのですね!私も焔殿のような方になれるよう心がけたいと思います」
「なっ、ばっ……泣くなよ!なんなんだこいつ、なんとかしろ!」
「申し訳ありません、焔殿のあまりの優しさに感動のあまり涙が……」

柚が顔を背けて笑いを堪えていた。
赤くなった焔が、うろたえながら肩を震わせる。

ヨハネスは、朗らかに笑みを浮かべた。

「さっそく仲良くなったのですね、感心です」
「ちょっと黙っててくれ」

焔はげんなりとした面持ちで吐き捨てる。

「有難う御座いました。実は私、自分が使徒ではないかと感じていた為、柚殿が発見されたというニュースを耳にし、他人事とは思えず、柚殿がいらした旧日本領について勉強したのです。その結果、私は日本民族の文化に感動致しました。中でも武士と忍者は最高です!」
「うん、どっちももういないから。これ、エセ武士だから」
「エセ以前の問題だ」

フョードルは、焔に刀を返し、目を輝かせた。
柚のツッコミに、焔は冷めた眼差しで訂正を挟む。

訓練室へと向かいながら、柚は思い出したように三歩後を歩くフョードルへと振り返った。

「そういえば、さっきの話なんだけど……マルタ支部長になんて教わったんだ?」
「え?あ、はい、使徒についていろいろとご教授頂きました。大変勉強になりました。我々"使徒"は、愛を忘れた人類に、他者を愛するという感情を思い出させるために産まれたのだと、マクレイン支部長は仰いました」

フョードルは、にこりと笑みを浮かべて返す。
その顔には、マルタへの尊敬の眼差しが浮かんでいる。

柚はヨハネスと顔を見合わせた。
予想外にまともだ。

「そのほかにも、女性の出生率が低くなった事で、女性の大切さを再確認させているのだと。人類が使徒という究極の進化を果たした今、もはや人類に恐れるものはありません。恐れるとすれば、それは自身の欲望なのです!」

フョードルは拳を握り締め、熱く語り始める。
輝くフョードルの瞳とは対極に、柚達の顔が引き攣っていく。

「第一の問題は人口です。爆発的に増える度に環境破壊などの問題が進み、その度に図らずも戦争や災害で何度か人口調整がされてきましたが、戦争は環境破壊を呼びます。自然すら操れる使徒はもはや天災など恐るるにたらず、自然との共存も可能なのです。人口増加を抑え、より優れた遺伝子のみを残すよう、使徒は女性人口が少ないのだと!そして、人類が築き上げてきた男性社会は失敗だったのだと!」
「結局、そっちに行くんですか……」
「確かに、男性社会の人類が辿ってきた歴史は争いばかりです。争いなどすべきではありません。私はマクレイン支部長のお考えに賛同致します」

焔は掌で顔を覆い、溜め息を漏らした。

「くっだらねぇ……」
「何か?」

ぼそりと呟いた焔に、聞こえなかったフョードルは無垢な笑顔を向けてくる。
焔はその笑みに耐え切れず、顔を背けた。

「それから、マクレイン支部長に私が柚殿の伴侶になるのだと教えられました」
「は?ちょっ……」
「兼ねてよりデーヴァ元帥と柚殿の仲睦まじきお話を伺っていたので、デーヴァ元帥には大変恐縮ですが、柚殿のお相手として相応しくなれるよう精一杯努力いたします!」

何を?と、アンジェが首を傾げる。
ライラが溜め息を漏らした。

柚は肩を怒らせ、足を止める。

「焔、先に行ってて。私、用事を思い出した」
「やめとけ。あのばーさんは、言ったって聞きゃしねぇよ」

マルタのところに行こうとする柚を、焔は無気力に止めた。

「あなた達は訓練に行ってきなさい、私が行ってきます」

ヨハネスが、鼻息も荒く足を踏み出す。
柚は目を輝かせた。

「ヨハネス先生、今日は何故か格好良く見える!」
「今日はというところが気になりますが、見過ごしがたい暴挙、許しがたい。ここは私に任せてください、ビシッっと抗議してきます!」

ヨハネスが、ずんずんと廊下を歩いて行く。

その姿を見やり、柚と焔は顔を見合わせた。
やはり、ヨハネスでは不安だ。

「お前等、フョードルと先に行ってろ」
「え?」
「分った。行くよ、アンジェ。フョードル兄も」

ライラがきょとんとしているアンジェの手を握り、フョードルのそでを掴んで歩き出す。
後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら、フョードルは双子に連れられて訓練室へと向っていく。

柚は歩きながら、溜め息を漏らした。





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