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玉裁に見下ろされ、柚はむっと睨み返す。

「お前さ、考えたことある?」
「は?」
「なんで、男は女より力が強いと思う?」

柚は目を瞬かせた。

「それはー……やっぱり、女は子供を産むから、それを守る為じゃないのか?」

自信がないまま答えを返すと、玉裁が小さく噴出し、くつくつと笑い始める。
思わず真面目に返答した柚は、からかわれている気がしてむっと眉を顰めた。

「退け!」

手で玉裁の顔を押し返すと、両手を地面に押さえつけられる。

負けじと、柚は足で玉裁を蹴り飛ばそうとした。
その考えを読んだ玉裁は、柚の足に体重を掛けて押さえ込む。

手足を押さえ付けられ、次は頭から水でも掛けてやろうかと思っていると、近くの廊下からアンジェとライラの話し声が聞こえてくる。
柚は思わずほっとした。

柚が双子に助けを求めようとすると、いち早く玉裁の手が柚の口を塞いだ。

生い茂る背の高い菜の花が、柚と玉裁を覆い隠す。

「動物には種の保存って本能がある。戦場とかで生命の危機に瀕すると、男は特に自分の子孫を残そうとする本能が働くんだ」
「へ、へぇ……」
「つまり、やりたくなるって事」

柚の顔が引き攣った。
いつも際どい冗談を投げ掛けてくる玉裁だが、今日は目が笑っていない。

「女が戦場に立つとって話し、お前マルタとしてたよな?女が戦場にいると仲間にレイプされたり、捕虜になったときに性的暴行を受ける確立が高い。それが、女を前線に送らない理由の一つでもある」

玉裁は柚の耳元で囁いた。
双子は玉裁が手にする煙草の煙に気付かず、足音が遠ざかっていく。

「男がその気になりゃあ、女なんていつでも力で押さえつけてガキを孕ませられるんだぜ。なのに、あの短気なデーヴァの野郎、まだお前に手付けてねぇんだろ?」

首筋に掛かる息にびくりと首を竦め、柚は玉裁を睨み付ける。

「アイツ随分お前の事、大事にしてるみてぇだな。先にお前のこと犯したら、あのスカした顔がどーなるか……見物だよなァ」
「くだらない」
「そう思うか?」

玉裁は、したり顔で口角を吊り上げた。

吸い掛けの煙草を芝生でもみ消しながら、柚に向けて最後の煙を吹き掛ける。
咳き込む柚を見下ろし、玉裁は満足そうに目を細めた。

「雄ってのは雌をかけて争い、より強い者が雌を得て子孫を残してきた。似たようなもんで、一説だが人間ってのは戦争を繰り返して進化したらしいぜ?けど人間の場合、戦場では力が強い奴より頭のいい奴の方が生き残った。生き残った奴が女を得て子孫を残し、その遺伝子を後世に伝える。その結果、人間は体力よりも知能が進化した生き物になった」

柚は小さく目を見開く。

「人間からさらに進化した"使徒"はどうなってくんだろうな?やっぱり、ずる賢く立ち回った奴が子孫を残すか……それとも今度こそ、力の強い奴が子孫を残していくのか」
「ふ、ふん……意外だな。お前、そういうことに興味あるのか?」
「別に。んなこと考えながらやってられっかっての」

その瞬間、玉裁の後ろで何かが口を開ける音がした。
と思えば、足に痛みが刺す。

玉裁は眉を顰めて振り返り、眩暈を覚えた。
わざわざ硬い軍靴を避け、無防備な足にルナが牙を立てて噛み付いている。

「ぃ……い、痛てぇえなチクショウ!?何しやがる、このクソ犬!!」

自分の足に噛み付くルナを、玉裁が怒声を上げて振り払う。
ルナに吠え立てられて逃げていく玉裁を見やり、柚は小さく噴出し、次第に声をあげて笑い出した。

玉裁を追い払ったルナは、鼻息を荒くして得意気に戻ってくる。

「有難う、ルナ。お前はお利口だな」

ルナの頭を撫でながら、柚は微笑みを漏らす。
柚はルナの頭を撫でながら、考え込むようにため息を漏らした。

(やっぱり……任務で出掛けたときに、何かあったのかな)

言葉にし辛いが、やはり今日の玉裁は苛々していたり、隙だらけだ。

(まあ、どんな任務だったのかは知らないけど、何事もなかったなんてことはないか)

自分とて、思い返せば今日一日で沢山のことが起きた。

母の体内で泣き叫ぶ新しい命。
新しい仲間との出会い。

眠ることが少し恐い、悪い夢を見そうだ。

柚は、ポケットにしまい込んだ睡眠薬に触れる。

飲めばきっと、夢も見ずに眠れるだろう。
だが、焔はこんな物に頼らずに眠れるはずだ。

柚は何も握らずに、ポケットから手を抜いた。
すると、ルナが擦り寄ってくる。

「一緒に寝てくれるのか?」

一人では心細い夜に添い寝の相手を見付け、柚は折り紙と鶴を手に立ち上がった。





毎朝の健康チェックに訪れたマリア・リードは、ベッドの上に座り込んでいる柚を見て、「まあ」と呟きを漏らす。

「眠れなかったの?」
「ちょっと寝た」

目を擦りながら欠伸を漏らし、柚はもそもそとベッドから這い出す。
柚に体温計を渡しながら、マリアはもう一匹の存在に気付いて苦笑を浮かべた。

柚の隣で大きな欠伸をして、毛布を引き摺るようにルナが起き出してくる。
前足を伸ばして背伸びをしながら欠伸をすると、ルナはブルブルと体を揺らした。

「あらあら、大きなわんちゃんね。温かかったでしょう?」
「うん。ルナ、ありがとな」

そのままルナは、空いている部屋のドアからするりと抜け出していく。

「異常なしね」

マリアは柚から体温計を受け取り、簡単な検査を終える。
柚は眠気眼のまま軍服にそでを通し、「駄目だー」とベッドに伏せた。

「頭がぼーっとしてる」
「朝食の前に少し運動でもしてきたら?」
「そうする。あ、折角雪があるんだから、外で雪合戦でもしてこようかな」
「雪合戦もいいけど、ちゃんと厚着してね。それと、間違っても外で眠らないように」

柚は笑いながら部屋を出る。
部屋を出ると、柚はすかさず隣の部屋のインターフォンを慣らした。

「焔、ほーむーらー」
「朝っぱらから、うるっせぇ」

不機嫌な面持ちで焔がドアを開ける。

「朝食前に雪合戦しよ」
「一人でやれ」
「あ、アンジェ、ライラ、雪合戦しよ。四人で」
「だから、勝手に決めんな」

そう言いつつも、焔は諦めたように溜め息を漏らした。

シェルターのドアが開くと、寒気が流れ込んでくる。
一面の雪景色に反射する太陽の光も、寝不足の目には痛い。

外に出る頃には、いつの間にか人数が増えていた。

子供たちよりも楽しそうに、ガルーダが雪玉を作っている。
キースが、せっせと子供達の雪玉作りに協力していた。

雪玉を作りながら、柚と焔は同時に欠伸を漏らす。
雪ダルマを作っていたヨハネスが、目を瞬かせた。

「おや、二人とも寝不足ですか?柚君、お薬飲まなかったんですね?」
「え?う、うん……」

ばつが悪そうに、柚は顔を逸らす。
顔には、秘密って言ったのになんで言うんだよ!と書いてある。

その時だ、半分眠っていた焔の顔にガルーダの投げた雪玉が命中した。

「いっ……てめぇ!」

ガルーダが、笑いながら逃げ出す。
焔が雪玉を握り締めてガルーダを追い掛けていく。

「賑やかですね」
「うん、いつもあんな感じ」

ヨハネスと共に、片手で雪ダマルを作っていたフョードルが苦笑を漏らした。
柚も苦笑を浮べ返す。

会話が続かず、柚は気まずい沈黙を感じていた。

(や、やっぱり、あんな事があった次の日に雪合戦とか、無神経だコノ野郎!とか思ってる?思われてる?いや、でもいつまでも医務室にいたら気が滅入ると思って声掛けたけど、まさかOK貰えるなんて思ってなかったんだよー)

沈黙をなんとかしなければと考え込んでいると、フョードルがぽつりと呟く。

「村の友人達と、少し前まではよく雪合戦をしました……もう二度と、私のせいで」

フョードルの瞳に、じわりと涙が滲む。
柚は心の中で悲鳴を上げた。

フョードルはそでで涙を拭い、ぐっと歯を食い縛る。

「して、これはなんの訓練なのでしょうか?」
「……え?く、訓練、というわけではなく、その、息抜きといいますか。そう、一日の準備運動、みたいな?」
「そうそう、そうですよ。ですから、フョードル君ももっと、肩から力を抜いていいんですよ?」

柚とヨハネスの言葉に、フョードルは衝撃を受けたかのような面持ちで目を見開いた。

「息抜きを兼ねた準備運動ですか、なるほど。一時の時間も無駄にしないという心意気ですね!私は、もしや遊んでいるだけなのではと思っていました。私はなんと愚かなのでしょう、精進致します。皆様はさすがですね!」
「い、いえ、それほどでも……」

柚とヨハネスは引き攣った笑みを浮べ、感心するフョードルから顔を逸らす。
フョードルは、焔やライラが投げる雪玉を軽くかわしているガルーダを見やり、少しだけ困惑した面持ちになった。

「軍というものはもっと厳しい環境なのだと思っていました。尉官自ら参加しておられるとは……」
「そう堅苦しくはありませんよ。任務と規定訓練以外は自由時間です」

ヨハネスが、フョードルを安心させるように微笑む。
すると、フョードルが固い面持ちでヨハネスに振り返った。

「なんということ!私のような新参者が口を出すには憚られますが、そのように悠長に構えていて、我々は神森に勝てるのでしょうか?」
「は?」
「神森は悪です。こうしている間にも、神森はまた残虐なテロ行為を繰り返し、罪なき一般市民が犠牲となっているのです」
「え、いえ、はぁ……まぁ、そう、ですね」

ヨハネスはフョードルの強い口調に圧倒され、曖昧な返事を返す。
フョードルは、きっ……と、弱腰のヨハネスを睨み付けた。

「我々は一刻も早く神森を捕え、殲滅すべきです!そう思いませんか?」
「は、はい!」

身を乗り出すフョードルに、ヨハネスは慌てたように頷く。

ニエとウラノスが、きょとんとした面持ちでフョードルを見ていた。
同様に目を瞬かせていたアンジェの顔面に、ガルーダの投げた雪玉が命中し、アンジェは雪の上に倒れ込む。

私も訓練に参加しますと告げて雪合戦に参加しようとするフョードルを、ヨハネスが、怪我人なのだからと慌てて止めている。

(なんだかなぁ……)

自分とて、神森を快く思っているわけではない。
フョードルの家族にしたことも許せないと思う。

アスラも融通の利かない真面目な面があるが……
フョードルは重症だ。

波乱の予感に、柚はひとつ、深い溜め息を漏らした。





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