21


「ば、馬鹿言うな、馬鹿!」
「!?に、二回も行った!」

焔のうろたえた怒声に、ニエはビクリと飛びあがる。
焔は手を振りかぶり、力いっぱい力説した。

「だ、だ、大体、俺はあんながさつなゴリラ女タイプじゃねぇ!!」
「え?で、でも、お姉ちゃん可愛いと思うよ?」
「可愛いってのはなァ、雫のようなのを言うんだ!」
「ご、ごご、ごめんなさい!?でも雫って誰?」
「勝手に俺の妹を呼び捨てにしてんじゃねぇよ!しめんぞ、ませガキ!!」

ニエの胸倉を掴み、焔がガクガクと揺さぶる。
揺さ振られながら、ニエは生命の危機を感じて呪文のように「ごめんなさい」と繰り返す。

はっと我を取り戻した焔は、ごほんと咳払いを挟み、ニエを地面に下ろした。
「分かればいいんだ」と呟きながら、ニエの乱れた服を調えてやる。

「ま、まあ、俺も大人げなかった。いいか?そもそもあいつは女じゃねぇ、女と思ったら負けだ」
「う、うん」
「おせっかいで無神経で、女らしさなんて欠片もねぇし、すぐに暴力振るうし……」

心の中で、「それはおにいちゃんだよ」とニエが吐き捨てる。
が、恐いので目も合わせられない。

「あんなのの、何処が可愛いってんだ?お、俺があんな暴力ゴリラ女を好きなんてあるわけねぇだろ、お前の目玉は腐ってんのか?あァ?分かったら訂正しろ、訂正」
「ご、ごめんなさ……」

大人げなかったと言いつつ、全く反省していない焔がニエに凄んだ。
ニエは蛇に睨まれた蛙のごとく、ガクガクと震えながら精一杯焔から顔を背ける。

その瞬間、焔は背後からただならぬ殺気を感じ、はっと息を呑んだ。

「ねえ、焔君。さっきから暴力ゴリラ女ってのは、一体何処の誰の事かしら?」
「あ、いや、その……それは」

恐ろしくて振り返る事も出来ない焔の頬を、だらだらと嫌な汗が伝い落ちる。

「ちょっとその面、貸して頂けません?」

振り返った先には、ボキボキと指を鳴らしながら微笑んでいる柚がいた。



廊下ですれ違ったヨハネスは、思わず足を止めて焔の顔を凝視した。

「焔君……いったいその顔は?」
「……」

焔が横目で柚を見下ろす。
柚はふんっとそっぽを向いた。

(女として見てないんだろうとは思ってたけど、あそこまでムキにならなくてもいいだろ、焔のバカ!)

柚の胸の内で吐き捨てる。
腹立たしい、腹立たしいのだが――それ以上に、柄にもなく少しだけ傷付いた。

「犯人は柚君ですか?」
「治さなくていいから。ニエの話し相手になってるのかと思ったら、こいつニエに、私が凶暴だとか教え込んでたんだぞ!信じられん!」
「ち、ちがっ――…」
「じゃあ、なに話してたんだ?」
「それは、そっ……お、お前には関係ねぇよ!」
「やっぱ言えないじゃないか!」

ヨハネスは乾いた笑みを漏らす。

「ま、まあ、子供の前で喧嘩や暴力はやめてくださいね。ほら、ニエ君が怯えてますよ」

柚に手を握られているニエは、心なしか青褪めて震えていた。
「そんなことないよね?」と柚に声を掛けられ、ニエは涙目で、首がもげそうなほどに何度も頷き返す。

焔とヨハネスは、ニエに同情の眼差しを向けた。

「ところで先生、フョードルは一緒にご飯食べられない?」
「ええ、まだ寝ているので。後で医務室に運んでくれるように頼んできました」
「そっか。じゃあ私達だけで食べるか。その前にウラノスに声を掛けて、と」
「う、うん……」

途端に、ニエは不安そうに俯いてしまう。
柚の手を握り返すニエの手からは、緊張が伝わってきた。

ヨハネスに別れを告げ、ウラノスのいる遊戯室に立ち寄ると、中からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
ニエが足を止め、柚と焔の後ろから部屋の中を覗き込んだ。

ジャンとライラがウラノスの相手をしている。
楽しそうに笑うウラノスの顔を見て、不安そうにしていたニエの顔が強張り始めた。

「なんだよ、ウラノスの奴……」
「ニエ?」
「僕がいなくたって、十分楽しそうじゃないか!」

ニエはウラノスに背を向け、悔しそうに拳を握り締める。

寂しいと思ってのは、自分だけ……
必要とされていると思っていたのに、ウラノスは自分でなくてもよかったのだ。

そう思うと酷く胸が苦しく、虚しさが怒りへと姿を変える。

「もう本当に知らない!ウラノスから謝ってくるまで許してやんない!」

柚と焔は顔を見合わせ、溜め息を漏らした。

柚達に気付いたジャンが、部屋の中から「夕食の時間かい?」と声を掛けてくる。

ウラノスが振り返ると、ニエはふんっとそっぽを向いた。
ウラノスの顔が悲しそうに曇り、しゅんとした面持ちで俯いてしまう。

すると、アンジェが廊下をぱたぱたと駆けてきた。

「ライラ!」
「アンジェ!遅い」
「ごめん、お腹空いたね。食べに行こう」

アンジェとライラは並び、食堂へと歩き出す。
いつも通り無愛想な顔をしているにも関わらず、ライラは心なしか嬉しそうに感じた。

「あの二人は、とても仲がいいね」

ジャンが微笑ましそうに呟く。
柚はますます溜め息を漏らした。

「私は、少し用事を片付けて行くから、ニエとウラノスを頼んだよ」

子供達を柚と焔に任せ、ジャンは食堂とは反対の方へと車椅子で向かって行く。

途端にウラノスはライラに、ニエはアンジェの傍に行ってしまう。
二人の喧嘩に巻き込まれた双子が戸惑っていようがお構いなしだ。

ギスギスとした空気を纏い、六人は食堂のドアを潜った。

少しだけ込み合った食堂の中に、柚は白衣とは違う白い軍服を発見する。
玉裁がテーブルの上で頬杖を付き、何かを考え込むようにパンを齧っていた。

施設の研究員達が、玉裁を避けるように座って食べている。

「玉裁、機嫌悪いのかな」
「あ?いつも通りだろ」

玉裁が周囲に恐れられているのはいつものことだ。
焔は柚の言葉に眉を顰める。

「いや、なんとなくそう思っただけだ。ニエとウラノスの分も貰ってくるから、皆の席取っておいてくれるか?」

柚の言葉に、ニエとウラノスが顔を見合わせた。
会話もなく席を取りに行く二人を見やりながら、柚はため息を漏らし、焔達と共に研究員達の列に並んだ。

自分達の基地であれば、健康状態に合わせた個人個人のメニューが用意されており、食堂に入ればすぐに配膳が運ばれてくるのだが、支部となるとそうもいかない。
だが、学食に並んでいるような気分が懐かしくもあり、柚としては少し嬉しい。

席を確保したニエがウラノスとの沈黙に耐え切れず、持ち歩いている折り紙を取り出して鶴を折り始めると、対抗するようにウラノスも折り紙を取り出して鶴を折り始める。

その様子を見て、柚は呆れた面持ちで溜め息を漏らした。

「あいつ等……鶴を折る意味、忘れてないか?」

ニエやウラノス、そしてまだ名前のない赤ん坊達の回復を願い、折っているのだ。
暇つぶしや対抗する為に折っているわけではない。

ウラノスの肘が、ニエが折り終えた鶴に当たる。
所詮紙の鶴は、飛ぶ事なく床にぽとりと落下した。

落ちた鶴に、二人は咄嗟に手を伸ばす。
その時だ。

食事を追えて後ろを通り掛かった玉裁の足が、ぐしゃりと折り鶴を踏みつける。
手を伸ばし掛けたまま、ニエとウラノスが目を見開いた。

玉裁は、自分が何かを踏み付けた事に気付いて足を止め、足元へと視線を落とす。

「ああ……」

柚は受け取ったばかりのトレイを焔に押し付け、二人に駆け寄る。
思わずトレイを受け取ってしまった焔が、顔を引き攣らせた。

「なんだ、こりゃ……」
「鶴だ、折り鶴。快気祈願の願掛け。千羽折るんだ」

泣き出しそうなニエとウラノスを宥めながら、柚は玉裁が踏みつけてしまった鶴を拾い上げる。
汚れを払い、鶴の形を整え直す柚とそれを見守る子供達に、玉裁は「くだらねぇ」と吐き捨てた。

「快気祈願?こいつ等のか?ばっかじゃねぇの。何やってるのかと思えば、こんなくだらねぇことかよ」

ニエとウラノスが息を呑み、必死に涙を呑み込もうとしていた瞳が大きく見開かれる。
柚は声を荒げて、玉裁の名を呼んだ。

だが、玉裁はそれを鼻で笑い飛ばす。

「どうせそんなもん折ったって、こいつ等は死ぬんだよ。神様にお願いなんざするだけ無駄だ、バーカ」

アンジェが手にしていたトレイを落とした。
床にスープが広がり、ステンレスの食器が耳に残る音を立てて床を転がる。

ライラが唇を噛み、玉裁を睨みつけた。
その視線に気付いた玉裁が、ポケットに手を突っ込んだままライラまで足を運ぶと、不愉快そうに眉を吊り上げる。

「なんだ、クソガキ。生意気な顔しやがって。本当の事教えてやっただけだろうが」
「おい、止めろ」

焔がライラの前に出て、玉裁を睨み返す。
「やるか?」と指を鳴らす玉裁と、それに応えようとした焔は、思わず息を呑んだ。

玉裁の肩を柚の手が掴み、自分の方へと引き寄せる。
振り返った玉裁の頬を、鋭い平手打ちが叩きつけた。

「なっ、てめぇ!?」
「最低だ」

柚が玉裁を睨み上げる。

「貴様が何に苛付いてるのかは知らんが、怒るぞ」

食堂が静まり返った。

睨み合う柚と玉裁を見やり、焔は顔を引き攣らせて「もう怒ってんじゃねぇかよ」と心の中で吐き捨てる。

すると、ウラノスがぐすぐすと鼻を鳴らし、次第に大声で泣き始めた。
それに釣られるように、喧嘩をしていた事も忘れてウラノスを宥めようとしていたニエも泣き始める。
すると、さらにアンジェの目にじわりと涙が浮かび、アンジェがしくしくと泣き始めた。

それにぎょっとした焔が顔を引き攣らせていると、玉裁が舌打ちを漏らして踵を返し、食堂を出て行ってしまう。

柚はウラノスとニエを抱き寄せた。
先程替えたばかりの軍服が、二人の涙と鼻水に濡れる。

「ごめんな……ごめん」

誰よりも悲しそうな顔をして、柚は「ごめん」と繰り返す。

玉裁に言われなくても分かっている。
命は儚く……神様は何もしてくれない。

「確かに、千羽折っても神様はお願いを聞いてくれないかもしれない。でも、そうじゃないんだ」

柚はニエの手を取り、その掌に形を整え直した折り鶴を乗せた。

「どうにもならない時がある。けどどんなときも、生きようと本人が想うことが大切なんだ。この一羽一羽には願いと一緒に想いが籠もってる」
「想い……?」
「そう、ニエやウラノスや赤ちゃんが元気になりますように――そう願っている人や気持ちが千あるんだ。それだけ強く想われていたり、多くの人に求められてるんだ。応えなきゃと思うだろう?私だったら……そう思う」

顔を上げたニエとウラノスに、柚は穏やかに微笑みを向ける。
忘れたように止まっている二人の涙を拭い、手を伸ばしてアンジェの頭をくしゃりと撫でた。

「想いってのは目に見えにくいものだ。だからこうして、形にするんだ……」

焔は目を細める。
口元に穏やかな笑みが浮かぶ自分に気付くことなく、焔はライラの頭を軽く撫でた。

ライラは穏やかな眼差しで柚を見詰めている焔を見上げ、撫でられた頭に触れる。
子供扱いされたことに少しだけ不服そうにしながらも、その頬を赤く染め……ライラは目を細めた。


一人よりも二人、二人よりも三人……
人を必要とし、必要とされている。

その繋がりを決して忘れてはいけない。

人と人との繋がりが薄れ、争いと憎しみが交差する戦争の時代、生き延びる為の力と情に縛られた新人類・"使徒"へと進化を遂げた。


時間が経つというのに、柚に叩かれた頬が痛い。

苛々が治まらず、煙草を吸う場所を求めて彷徨っていた玉裁は、菜の花畑の中にプラチナピンクの髪を見付け、思わずぎくりと身を強張らせた。
決して恐れているわけではない、が、今顔を合わせるには少々ばつが悪い。

まだ玉裁の存在に気付いていない柚に気付かれないように、廊下を引き返そうとする。
するとそれを見越したように、柚は振り返りもせずに玉裁へと声を掛けた。

「また煙草か?」
「は?あ、あぁ……なんだよ、悪ィかよ」

玉裁は、柚の背から顔を背ける。
柚は黙々と、鶴を折っていた。

盗み見るように、玉裁は横目でその手の動きを追う。

「まぁ、どちらかというと悪い。けど止めはしない。でも、あんまりいいとは思わない」
「……どっちだ?」
「つまり、体に良くないぞってこと」

柚が折る紙がカサリと音を立てた。





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