グレイッシュブラウンの長い髪が優雅に靡く。
肌の白い男はブラウンの瞳を細め、穏やかに微笑みを浮かべた。

多分時間にすれば一瞬だろう――時が止まったように感じる程の間、柚は男に目を奪われる。

顔立ちは全く違うが、彼の纏う雰囲気は、心を読む力を持つ将官・イカロスに何処となく似ていた。
決定的に違うのは、ジャンは少しだけ疲れたように笑う事だ。

アンジェの顔に晴れ渡るような笑みが浮かび、アンジェは「ジャンお兄ちゃん」と叫ぶ。

男は穏やかに微笑み、車椅子に座ったまま両手を広げた。
するとアンジェが嬉しそうに男に飛び込み、車椅子が僅かに軋む。

「少し見ない間に大きくなったね。元気そうで安心したよ、アンジェ。ライラもおいで、顔を良く見せておくれ」

アンジェの頭を撫でながら、ジャンは距離を置いて立つライラに手を伸ばす。
ライラは僅かに頬を染めながら、ジャンに歩み寄った。

ジャンはブラウンの瞳を細め、柚に向けて穏やかに微笑みを向けてきた。

「初めまして、マドモアゼル」
「マ、マドモアゼル!」

ぎょっとした面持ちで、柚が一歩後退る。

「お久しぶりです、ジャン。相変わらずですね」

玉裁の傷の手当を終えたヨハネスが、にこりとジャンに微笑みを向けた。
ジャンは、アンジェとライラの頬に軽くキスを送り、車椅子を柚と焔の方へと向ける。

「私がジャン・ルネ・ヴィレームだ、よろしく」

ヨハネスが、柚と焔に落ち着いた微笑みを向けた。

「あ、宮 柚です!」
「可愛いいっしょ、うちの柚」

ガルーダが後ろから柚の肩に腕を乗せ、邪気のない笑みを浮かべる。
ジャンはくすくすと笑みを浮かべ、目を細めた。

「ああ、可愛い柚に怪我がなくてよかった。あなた方が戦っている気配を感じて慌てて駆けつけたんだ。最近、エデンと思しき輩が周辺をうろうろしていたからね」
「そんな話は聞いてないぞ?」

ガルーダの眉がぴくりと揺れた。
ガルーダは柚から手を離して腰を伸ばすと、腕を組んで眉間に皺を寄せる。

ジャンは驚いたように声を漏らし、首を傾けた。

「おかしいな、報告は行っている筈だけど」
「調べるように言っておく」

何かに思い至ったガルーダが呟くように告げ、玉裁を見やる。

腕に包帯を巻かれた玉裁は、ばつが悪そうに顔を背けた。
油断があった事は否めない――だからといって、くどくどと説教を受けるのは御免だ。

「怪我の具合は?」
「掠り傷です。あの弾丸には電磁波発生装置のように我々の力を抑える効果の他、持続性があるようですね。力を掻き消されたのなら

ばまた集めればいいだけですが、怪我の場合はそうはいきません。どれくらいで効果が消えるのか……その効果が消えるまで、治癒は受

け付けないと思います」

ヨハネスは淡々と意見を述べ、眼鏡を押し上げた。
その眼鏡の奥で、警告をするように瞳が眇められる。

「一刻を争うような怪我であれば、私にも手の施しようがありません」
「あの弾丸、最初から使ってこなかったってことは、まだ量産出来てない、もしくはコストが掛かるってことだろ。もしくは、試験的に

導入されたものか……どちらにせよ、やっかいなモノが増えたな」
「といいつつ顔が楽しそうだよ、ガルーダ」

腕を組むガルーダに、ジャンが苦笑を浮かべた。

どうでも良さそうに事の成り行きを見守っていた焔が、思い出したように刀を鞘に戻して溜め息を漏らす。
寒そうに片手をポケットに押し込むと、唇から白い息が漏れた。

「とりあえず、捕まえたエデンはそっちに任せていいかな?ついでにそれ一応調べといて。玉裁は木を戻して、車は動く?」

ガルーダはジャンが連れてきた支部の一般兵に告げ、エデンから押収した銃を投げ渡すと、玉裁と自分達に同行して来た一般兵達に指示

を飛ばす。

大人達が話し込んでいる間、アンジェはくしゃみを漏らした。
柚が慌てたようにアンジェとライラを車に押し込む。

「この寒さは慣れないと風邪を引いてしまうね。さて行こうか、支部へ」

ジャンが車椅子の向きを変え、穏やかに微笑んだ。

辺りはすっかり薄暗い。
走り出した車の行く手に、僅かに盛り上がっているドーム状の雪山が姿を現した。

雪の上で、何かが光る。
柚が驚きの声をあげると、ジャンが「狐だよ」と笑みを浮かべた。

感激に声をあげた柚は、何かに気付いたように顔をあげる。

「なんだろう、今何かを潜ったような」
「私が張っている結界だよ。エデンや神森に見付からないようにね。この結界の中にいれば、ただの雪山に見えるようになっているんだ


「え、じゃあ……」
「もう、支部の中だよ」

車の外に視線を向けた柚は、窓から身を乗り出して感嘆の声をあげた。

車は雪をかぶった巨大なドームの中に入り、地下への通路に下っていく。
身分証明を翳し、指紋と眼球による本人証明が行われると、ゲートが開き中への道が開かれる。

車は薄暗い通路をさらに下り、閉ざされたドアの前で柚達を下ろした。

寒さを遮断するようにがっしりと密閉されたドアを潜り抜けると、一瞬にして小春のような陽気が柚を出迎える。
着ていた防寒着のフードを下ろすと、柚は思わず「暖かい」と呟きを漏らした。

ガラス張りのエントランスは、まるで温室の中に入ったようだ。

エントランスのすぐ前は、やはり壁の大半がガラスで造られた医務室がある。
中の様子が鮮明に見え、今にも消毒液の臭いが届きそうだ。

健康状態を維持する為、使徒の健康管理は徹底されている。
起床と共に毎日健康状態をチェックされ、外出の後には戦闘後の怪我や、ウイルス等に感染していないかの検診が義務付けされていた。
支部でもやはり、医師が数名待機している。

医務室の先はガラス張りの廊下が続き、廊下を挟むように芝生が敷き詰められていた。
花々が咲き誇り、菜の花畑では優雅に蝶が舞っている。

何よりも驚くべきは、部屋の壁という壁がガラス張りになっていることだ。
何処で誰が何をしているかがすぐに分かるほどに見通しがいい。

検査を終えた柚が廊下に出て施設の中を見回していると、菜の花畑の間から小さな頭がひょっこりと顔を出した。
それは、菜の花に良く似た毛色の少年で、柚の前にいるジャンに気付いて嬉しそうに笑みを浮かべる。

「おかえりなさい、ジャン」
「ジャン?おかえりなさい」

六、七歳の子供がジャンへと駆け寄ってきた。
その後を追うように、さらに小さい子供が飛び出してくる。

柚が驚いていると、二人の子供は見慣れない柚達の姿を見て足を止めた。

「皆、おいで。昨日の夜に話した、本部から来たお兄さん達だよ」

ジャンは人見知りをしている子供達を呼び寄せると、彼等の隣に並び微笑んだ。

「彼は何度か来たことがあるから知ってるだろう?ガルーダ尉官だよ」
「久しぶりー」

ガルーダは一番年長の少年を軽々と抱き上げ、肩に乗せる。
少年が驚いたように目を丸くし、ガルーダにしがみついた。

アンジェとライラが自分よりも小さな子供の姿を物珍しそうに見上げていると、ジャンが苦笑を浮かべる。

「アンジェとライラもここで生まれたんだよ」
「え?」

アンジェとライラが驚きを浮かべてジャンを見上げた。

「君達は、物心が付く前に本部基地に送られたから覚えていないだろうけどね」

車椅子に座るジャンは、双子と同じくらいの身長だ。
目を合わせると、ジャンは穏やかに微笑を向けた。

柚は首を傾ける。

「この子達も、いつか私達がいる方に来るの?」
「それはどうだろう」

ジャンは車椅子の向きを変えて動きだした。

建物の奥へと進んでいくジャンの後に続きながら、柚達は歩きだす。
ガルーダは肩に乗せていた子供をそっと下ろし、頭をぐしゃりと撫でてゆっくりと追い掛けてくる。

ジャンは柚達を先導しながら、小さく口を開いた。

「彼等はね、使徒の適正が確認されているけれど、体に障害のある子供達なんだ」
「え……」

柚は息を呑む。
背を向けているジャンは、振り返らずに続けた。

「体が弱くて戦争には使えない。けれど、処分するには惜しい能力のクラス……だから様子を見る為に生かされている」

アンジェが目を見開き、歩きながら俯く。

政府は女性出生率の少ない使徒を確実に増やす為に、人間の女性を母体として研究を進めている。
その結果生まれたのが、アース・ピースの元帥"アスラ・デーヴァ"や、将官のイカロス、そしてここにいる尉官のガルーダや、アンジェとライラの双子だ。

能力によってクラス分けをしている政府は、一定のレベルに達しない使徒が生まれると、処分という名目で殺してしまう。
アンジェは健康だが、能力クラスは処分されるぎりぎりのレベルだった。

能力レベルは生まれた時点で決まっており、努力をして改善されるものではない。
とはいえ、力を意のままに操れるようになれば、例え自分よりも能力クラスが高い相手であろうと勝てないことはない。

俯くアンジェを見やり、柚はジャンに抗議の声をあげた。

「そんな言い方は……」

少し離れて歩く焔ですら、不愉快そうに眉を顰めている。
すると、頭の後ろに腕を組んで歩く玉裁が鼻で笑い飛ばした。

「役にたたねぇ奴に食わせる飯はねぇってことだろ」
「玉裁!」

ヨハネスが眉尻を吊り上げて玉裁を咎める。
ジャンが車椅子を止め、ゆっくりと肩越しに振り返った。

「ヨハネス……事実だよ。彼等の体に限界が来るのが先か、成長と共に体に耐性が付き、戦場に送られるか――どちらにせよ、彼等にと

っては死刑宣告を待っているようなものだ」
「ジャン?」

いぶかしむように、ヨハネスがジャンの名を呼ぶ。
ジャンははっとした面持ちでヨハネスから顔を逸らし、再び車椅子で進み始めた。

そんなジャンの様子を、ヨハネスは心配そうに見やる。

柚がガルーダを見上げると、ガルーダはいつも通りに邪気のない面持ちで首を傾げた。

ガルーダは天真爛漫な性格だ。
だからこそ、こういう時になにを考えているのか分からない。

支部の所長室の前で、ジャンはインターフォンを鳴らした。





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