16


目が会った瞬間、カーテンがあまりにも勢い良く開け放たれ、カーテンレールが音を立てて飛び散る。

中から飛び出してきた少年は、柚を見て大きく目を見開いた。

驚愕の眼差しで見詰められ、柚は思わずたじろぐ。
まだ自分達を仇と思っているかもしれない。

思わず殴られると思い身構えそうになった柚と焔の前に、飛び出した少年は滑り込むように頭を床に擦り付けた。

「申し訳ありませんっっっでしたァ!!」
「……は?」

突然土下座をして大声で謝りだした少年に目を丸くした柚と焔は、思わず間抜けな声を上げる。
少年は構わず、顔も上げぬまま、一気に言葉を捲くし立てた。

「取り乱していたとはいえ、女性の、ましてや柚殿に攻撃の矛先を向けるとは、このフョードル一生の不覚!お侘びのしようも御座いません!腹を裂いてお詫びをするのが日本民族の慣わしと聞き及んでおります!とはいえこの度私が仕出かした罪の償いは、その程度では生温い!いっそ、市内引き摺り回しの上、釜茹での刑に処せられるべきです!フョードル、死んでお詫びいたします!だれか、まずは私に縄を掛けて何処へなりとお引き摺り回しくださいませぇぇえ!!」
「うわぁああ!?」

ごくごく真面目に、医務室から飛び出して行こうとするフョードルを青褪めたヨハネスとマルタが引き止める。
少々引き気味な柚の後ろで、ガルーダが「面白い奴」と笑いながら呟き、「なんだコイツ」と玉裁がどうでもよさそうに吐き捨てた。

「あれが……セラフィム」

焔がげんなりとした面持ちで呟きを漏らす。
同じセラフィムでも、アスラの横柄な態度とは雲泥の差だ。

「止めないでください!」
「おい」

玉裁が、半眼でなんとかしろと柚に訴える。
柚は恐る恐る、ヨハネスとマルタを振り解こうとしている少年に声を掛けた。

「え、えっと……いや、あの状況じゃ誤解されるのは当然だし、私は別に怒ってないんだ。むしろ私の方こそやり過ぎたし。思いっきり頭ぶつけちゃったみたいで、痛かったよな……ごめん」
「いえ、頭は少し瘤が出来たくらいでしたが、問題は肩ですね。骨にヒビが入ってます」
「ヨーハーネース先生ぃー!」

横から顔を出し、爽やかな笑顔で説明する空気の読めないヨハネスに、柚は耳を塞いだ。
ヨハネスの治癒でさえ、骨折や骨への傷は完治に日数を要する。

「柚殿……!」

フョードルが涙に濡れた顔をあげた。
その眼差しは、まるで神を見るかの如くだ。

玉裁が、「馬鹿じゃねぇ」と心底呆れた面持ちで呟きを漏らした。

「こんな愚かな私をお許し下さるとは、あなたはまさに神が我々にお与えくださった女神なのですね」
「め……」
「がみ?」

柚の顔が引き攣り、焔が顔を背けてぷっと吹き出す。

「見ろよ、宮 柚。新入りのセラフィムを土下座させてるぜ」
「大人しそうな顔して、実はおっかないんだな」
「あのアスラ・デーヴァを尻に敷いてるって噂、本当だったんだ」

外からひそひそと研究員達の声が聞こえてくる。
柚はますます顔を引き攣らせた。

「と、とりあえず立ってくれないだろうか」

自分の人格が疑われる危険を察知した柚は、引き攣った笑顔でフョードルに立つようにと促す。
フョードルは静かに立ち上がり、その場に正座をして座りなおした。

「いや、何も床に座らずとも……」
「そ、そうですよ。まだ目が覚めたばかりですし、あまり無理はしないでください。さあ、ベッドに戻って」

ヨハネスがフョードルをベッドに連れて行く。
その前に椅子を並べ、マルタはどかりと腰を下ろした。

彼女は、フョードルへの興味でいっぱいだ。
目を生き生きとさせ、心なしか鼻息も荒い。

ジャンが「ほどほどにね」と告げようが、聞く耳を持たない。

「さて、いくつか質問させてもらうわよ。あなた、自分が使徒だって気付いていたのかしら?」
「自分が普通の人とは違うと感じていました」
「そう、だったらどうして政府の機関に相談しなかったの?」
「申し訳ありません。私は自分が人と違うという自覚はありましたが、自信がなかったんです」

「どうして?」とマルタが問い返す。
セラフィムの力を持つ少年から"自信がない"という言葉が出たことに、少なからず自分自身を知りそれを自信として生きているマルタは不満顔だ。

「日常生活で私の力なんてあまり使うこともありません。だから、私はあまり使徒としての力を意識することもありませんでした。いざ意図的に操ろうとしても全く反応がないこともよくありましたし」
「目覚めたばかりの使徒によくある現象ですね。慣れれば安定すると思います」

ヨハネスが冷静に告げる。

「でも、私はずっと不安でした。私がもし使徒だとしたらこんな場所で一人のうのうと過ごしていいのか。もし使徒だとしても、私が名乗り出ても皆さんのお役には立てないんじゃないかと……」
「何を言っているの、あなたはセラフィム!これでアジア帝國の上級クラス使徒が六人になったのよ?ユーラシア連盟を抜いたわ!」

柚は思わず興奮気味のマルタから顔を逸らした。

彼女を含め、多くの者が使徒を兵器と見なしている。
仕方のない流れとはいえ、あのような惨劇を見た後だからだろう、それが今はとても不愉快に感じた。

「信じて頂けないかもしれませんが、迷っていたんです。私達の住む田舎にまで柚殿の噂が届いてきました。女性の使徒が見付かり、ますます私はこのままでいいのか不安になりました。そして、私を置いてくれているおじさんに相談をしたんです」
「待って、村人の中にデータが見付からなかったんだけど、あなたのご両親は?」

マルタがフョードルの言葉を止める。
フョードルは俯き、シーツを握り締めた。

「私の両親は私が子供の頃に死にました。それからずっと、親戚のアンドレィ叔父さんにお世話になっていたので。アンドレィ叔父さんは、私が使徒のはずはないと笑い飛ばしてくれました。もし使徒だとしても、戦争に巻き込まれるだけだから行くことはないと……」

柚が息を呑み、ぎゅっと手を握り締める。

「アンドレィ叔父さんには本当に良くしてもらっていました。アンドレィ叔父さんだけじゃありません。村の皆が家族のようなものでした。これはきっと罰なのです。私の躊躇いや甘えが、村の人達を殺してしまいました……」

フョードルが唇を噛み締めた。
その瞳に滲む涙を、少年は必死に堪えようとしている。

「おそらく、あなたが使徒であることが何処からか漏れ、それを嗅ぎ付けた神森があなたを攫いに来た。けれど、あなたはその時ちょうど出掛けていて村にいなかった為、神森は憂さ晴らしに村に火をつけて村人を虐殺した――ってところかしらね」
「私は、そんな理由で村をあんな風にした人達が許せません!私は償いの為にも、村の人達の仇を討ちたい。そうでなければ、私は死んでも死にきれません!」

フョードルが涙を零し、シーツを掴んだ。
その手が抑えきれない怒りに震えていた。

ヨハネスは、十五歳にして復讐を誓う少年を見下し、顔を曇らせる。
静かに首を横に振り、マルタへと顔を向けた。

「マルタ支部長、これくらいにしましょう」
「もう?まだまだ聞きたい事は沢山あるのに」
「あ、あの、私は大丈夫です」
「いいえ、駄目です。今はまず体を休めてください、いいですね。さあ、皆さんも外に出てください」

ヨハネスがドクターストップを掛け、一同を追い出す。
ジャンは名残惜しそうなマルタを宥めながら、ガルーダの要請で所長室へと移動すると、肩が凝ったようにガルーダが首を鳴らした。

「さて、説明してもらおうか。一体君は、どういうつもりで柚と焔をあの場所に派遣した?」

ガルーダの問い掛けに、「何よ、そのこと?」とマルタは口を尖らせる。

柚はガルーダから不穏な空気を感じ、困ったようにガルーダとマルタを見た。
助けを求めて最年長のジャンを見やるが、彼は我関せずの面持ちで静かに首を横に振るのみだ。

「いいじゃない、こうして無事帰ってきたし、新しい使徒まで見付かったのよ。それもセラフィム!柚と歳も近いし、アスラよりも父親候補に最適じゃない。柚ってば大手柄ね!」
「ふざけるな」

ガルーダから放たれた低い声音に、マルタが驚いたように目を見開き息を呑む。
いつも無邪気に笑っているガルーダから放たれる怒気を肌で感じ、柚は首を竦めた。

「今回はあくまでも幸運が味方したかもしれない。けど、あの時来ていた神森が上位の数字持ちだったら?フョードルが、焔のように力の使い方を理解していたら?」

見下ろすガルーダと、仰け反るようにしてガルーダを見上げるマルタ。

マルタの手が当たり、机から万年筆の転がり落ちる音が鮮明に響き渡る。
ジャンは、ため息混じりに顔を背けた。

「そ、そんな事を言っていたら成功は掴めないわ。今までの過去を見てきてもそうでしょう?成功に失敗と運は付き物よ」
「新しい使徒が発見された時、保護に向う任務の危険ランクはAだと知っている?そいつの属性、クラスが分らないからだ。増してや目に見えない能力であれば、柚や焔のような経験の少ない者には危険過ぎる。現に二人は、フョードルの攻撃を受けて一時的に視力を失っているし、怪我もした」
「それは、でも!」
「この二人はまだ未熟で、だからこそ俺達が傍にいてフォローしなきゃならない段階にある。あんたは確かにこの支部の長で俺達に命令する権限がある。けど、あんたは紙面上のデータでしか、戦場を知らない。あまり戦場を舐めるなよ」

水を打ったように静まり返る室内で、ガルーダの怒気に呼応するように観葉植物の葉がざわめく。
屈辱に震えるマルタが俯くと、ガルーダは息を吐き、マルタから身を引いた。

しんと静まり返る部屋へと振り返り、柚達に休むようにと告げて退室するガルーダを、柚は慌てて追い掛けた。

「尉官、ガルーダ尉官!」
「何?」
「か、勝手に行ってごめんなさい」

おずおずと、柚は謝罪を口にする。
俯く柚に、ガルーダの溜め息が降った。

「柚、それはマルタ支部長の命令だから――」

柚はゆっくりと顔をあげる。

「でも尉官。私はマルタ支部長に行ってこいって言われて、不謹慎だけど、皆と対等に扱われている気がして嬉しかった。私は、皆に守られてるだけは嫌なんだ」
「……柚」
「別に男の人と張り合うつもりはないけど、でも私は皆の足を引っ張りたくないし、肩を並べていられるくらい強くなりたいと思ってる」

廊下から聞こえてくる柚の声に、焔は微かに睫毛を揺らす。

「女ってことに甘えたくないんだ」

アンジェが僅かに目を見開き、視線を落とした。
ライラが、そんなアンジェの横顔を見やる。

玉裁が「ふんっ」と鼻を鳴らし、部屋を出て行く。
玉裁の足音が、静かな廊下に木霊した。

ガルーダを見上げる柚の頭に、ガルーダの大きな褐色の手が乗る。
じっと逸らすことなく見上げてくる赤い瞳を見下し、ガルーダは柚の髪をぐしゃぐしゃに撫でた。

「俺は別に、柚が任務に行く事を反対してるんじゃないんだ。けど、戦場は何があるか分からない。柚も焔もまだ使徒としては雛だ。親鳥は、雛が一人で飛べるようになるまで見届ける義務がある。もう少し、俺達の目の届くところにいてよ」
「ガルーダ尉官」
「でも、柚。俺は、柚のそういうところが好き」

ガルーダの手が柚の前髪をかき上げ、額にキスを贈る。

「だから、頑張れ」

にっと無邪気に笑うガルーダに、柚は額を押さえてトマトのように赤くなった。
すぐに嬉しそうな笑みを返す柚を見やり、ガルーダは踵を返す。

そんな柚を他所に、マルタは赤い唇が色を失くすほどに噛み締め、ガルーダの背を睨み付けていた。





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