14
津波に呑まれたように押し流される少年が、呼吸を奪われてもがいた。
主を助けるように水が沸騰を始め、白い煙が少年の周囲を包み込んでいく。
焔が上体を捻りながら左足を踏み出し、指先で撫でるように刀に炎を注ぎ込んだ。
刀を水平に構えると、柄が鳴る。
腰を落とし、刀が少年を包み込む蒸気を一文字に切り裂いた。
焔の剣圧が少年を包んでいた光の力ごと、蒸気を吹き飛ばす。
柚が、空に向けて大地を蹴った。
水で作った足場から、勢い良く飛び降りた柚の踵が少年の肩に叩き付けられる。
着地した柚は地面に手を付き、少年を見上げた。
柚の視線と、体制を崩してよろめく少年の戦意を失っていない瞳が重なる。
途端に、柚は胸の内で苦しさを覚えた。
彼は、大切な家族や知人を傷付け、殺されたのだ。
その悲しみは、どれほどのものか……。
「お前と戦いたくない、私達の話を聞いてくれ」
「うるさい!!」
柚の声に耳を塞ぐように少年は頭を振り、少年の指先が柚を指す。
指先に光が集い、柚に向けて放たれようとした瞬間、柚は舌打ちを漏らして大地を蹴った。
少年の腕と胸倉を掴み懐に飛び込む。
少年は目を見開いた。
小柄な体の何処にそれだけの力があるのか……柚を少年を背に担ぎ上げるように投げ飛ばし、少年は抵抗も出来ぬまま、背中から地面に叩きつけられる。
その衝撃で瓦礫に頭をぶつけ、少年に視界は白一色に染まった。
「ふう」
少年の抵抗がなくなった為、柚は乱れた呼吸を落ち着けながら立ち上がる。
焔が半眼で「怪力」と漏らすと、柚がむっと眉間に皺を刻んだ。
「コツだコツ。決して私が怪力な訳じゃないぞ。で、改めて話しを聞いてくれないだろうか?私達はアース・ピースで、村が火事だって知らせを受けて火を消しに来ただけなんだ。もしかしたら奥にまだ生存者がいるかもしれないし、まず生存者の確認を……って、あれ?」
少年に声を掛けた柚が、目を瞬かせた。
焔は地面に倒れ込んだままの少年をじっと見下ろし、柚を見上げる。
「……こいつ、のびてるぜ」
「え゛!」
焔がぼそりと呟いた言葉に、柚が顔を引き攣らせた。
焔は少年を心底哀れむように、口元を押さえて顔を逸らす。
「頭を冷やさせるとは言ったけど……何も気絶までさせなくても」
「ふ、不可抗力だろ、不可抗力!」
「お前、アスラの野郎よりタチ悪ぃ……」
「だから事故だってばー!」
柚の叫び声が木霊した。
「大体お前、戦闘中に気抜くなよ」
「あ、あれは!」
自分の手足の傷を見てぼやく焔に、柚は思い出したようにすっかり完治した自分の肩の傷を見やり、穴の開いた軍服を摘みながら口を尖らせる。
もごもごと言葉を濁し、自分自身の中で確認するようにぶつぶつと呟いていた柚は、言い辛そうに口を開いた。
「そりゃあ多少もろくはなってただろうけど……気なんて抜いてない、はず」
「じゃあ力負けでもしたってのか?」
からかうように焔が返す。
柚は上級クラスだ、そう簡単に押されるはずがない。
柚が反論しようとすると、キースが「もう、そっちに行ってもいいですか?」と遠くから叫んできた。
柚が返事を返すと、キースが手当てに駆けつけてくる。
こっちだと手を振った柚が、はっと息を呑んだ。
同時に焔が刀を抜きながらキースに向けて駆け出し、キースが驚いて足を止める。
キースが「うわぁあ!」と声をあげる横をすり抜け、焔の刀がキースに降り注ぐ炎を切り裂いた。
「え、え?」
頭を抱えてしゃがみ込んでいたキースが、驚いて焔の背に振り返る。
焔は刀に纏わり付く炎を振り払い、正面を睨み据えた。
瓦礫の上に、褐色の肌の上に大斧を担ぐ長身の男と、蛇の鱗のような刺青を肌に刻んだ中性的な顔立ちの男が立っている。
蛇の鱗の刺青を刻んだ男が柚を指し、顔に似合わない声でゲラゲラと笑い声をあげた。
「おい見ろよ。使徒の気配がすると思って戻ってみりゃあ、エヴァがいるぜ」
「ああ……我等が始祖となるお方だ、挨拶をしないわけにもいくまい」
大斧を担ぐ男は、慇懃ながらも敬う態度など見せず、物静かな口調で告げる。
「また神森だぜ。とんだストーカーだな」
刀を下ろした焔が男達を鼻で笑い飛ばした。
同様に、背に気絶している少年を隠しながら、柚が眉間に皺を刻む。
アダムという男を宗主にした使徒と崇拝者で構成された組織、"神森"
使徒こそが、新たに人類を導く種だと主張するテロ集団だ。
柚は眉間に皺を刻み、怒りを露わに立ち上がった。
「何がエヴァだ。貴様等なんぞ、お呼びじゃないんだよ!この村を燃やしたのは貴様等だな!」
すると、蛇の刺青がある男は軽く口笛を鳴らす。
「おっかないね、エヴァ様は」
「エヴァ、あなたの後ろにいる少年を渡し、我々にご同行願えますかな」
「はっ、何処の誰が、"はいそれじゃあ参りましょう"なんて言うか。こっちが貴様等を捕まえて、罪を償わせてやる!」
柚は腕を振りかぶり、男達を睨み据える。
焔は刀の切っ先を男達に向け、口角を吊り上げた。
「だとよ、どーする?」
「ふーん……このまま名乗りもせずに帰れねぇしな、あいつは殺ってもいいんだろ?」
「油断するな」
大斧の男は斧を下ろし、淡々と告げる。
その眼差しが、柚と焔を見下ろした。
「私の名はサマーニャ、アダムより八の数字を賜るもの」
「俺は九のティアス、行くぜ!」
名乗ると同時、ティアスが空に向けて地面を蹴る。
ティアスは吹く風に乗って空を滑ると、その指先に炎が渦巻いた。
風が炎の威力を高めて焔に襲い掛かる。
焔の刀が炎と風を真っ二つに切り裂き、後ろに座り込んでいるキースに向け、肩越しに振り返った。
「邪魔だ!」
「ご、ごめんなさいっ!」
「キース、こっちだ」
柚がキースを呼び寄せると、キースは地面を這うように柚の元に駆け寄った。
「頑丈に結界作っておくから、終わるまでこいつを頼む」
「あ、はい!」
柚は自分の防寒着を脱ぎ、少年の体に掛ける。
キースに少年を頼んで足を踏み出すと、二人を水の結界が包み込んだ。
柚の行動を止めるでもなく見守っていたサマーニャが、振り返った柚を見下ろす。
「あなたのお相手は気は進みませんが」
「使徒なら、家族をどれだけ大切に感じるか分かるだろ。なんでこんな酷いことをした」
「我々にも、我々の都合というものがあるのですよ、エヴァ」
サマーニャはゆっくりと重量感のある斧を担ぎ上げた。
斧から煙のようにサマーニャの力が立ち込め、勢い良く振り下ろされた斧が地面に叩き割る。
斧が触れた瞬間、地面に亀裂が駆け抜け、盛り上がった土が津波のように柚に襲い掛かった。
柚は空中に足場を作って空に駆け上がると、サマーニャの頭上を飛び越えて背後に着地する。
柚の気配を察知したサマーニャの斧が空間を凪ぐと、柚は数歩後退して腕を凪いだ。
水の刃がサマーニャに襲い掛かる。
サマーニャは斧で水を切り裂き、柚の足元から土を押し上げた。
「おっ、わ、と!」
土が足に絡み付き、逆さ吊りにされた柚が慌ててスカートを手で押さえる。
柚は腕に蛇のように水を絡ませ、サマーニャに向けて右腕を翳した。
腕に絡み付く水が触手のように伸び、足を絡め取る土とサマーニャに襲い掛かる。
サマーニャは斧を軽々と振り回して水を切り裂きながら、空中の足場を蹴って飛び降りてくる柚に向けて斧を凪いだ。
柚が腕に巻きつけた水で作った刃が、サマーニャの斧とぶつかり合う。
サマーニャが力任せに斧を振り払うと、柚は空へと投げ出された。
空中で体勢を立て直しながら、柚は腕を凪ぎ払い空から水を散らす。
飛び散った水が薄い刃となってサマーニャに降り注ぎ、叩き落とす斧をすり抜けた刃がサマーニャの頬を掠めた。
ぱっくりと裂けた皮膚から、血が一筋、二筋と、頬を流れ落ちる。
ティアスはサーフィンをするように空を滑りながら、大声で笑い声をあげた。
「何やってんだよ、サマーニャ。ハムサを笑えねぇな!」
「笑っていたのはお前だ」
サマーニャは、抑揚のない面持ちで頬を伝い落ちる血を拭い去った。
親指に付いた血を舐め取り、視線を落としたままつぶやくように返す。
「何余裕かましてるんだよ!」
空を風に乗って滑るティアスに向け、焔が上体を捻り刀に力を込めた。
刀を包み込むように炎が燃え盛り、ティアスに向けて振り上げる。
炎が龍のようにうねりをあげ、空へと駆け上った炎が上空からティアスを呑み込む。
ティアスが炎の下を掻い潜った。
地上に接触しそうな低空を飛ぶティアスの行く手に、刀を構えた焔が立ちはだかる。
ティアスは口角を吊り上げ、腕に風の刃を纏わせた。
加速を付けたティアスの刃と焔の刀がぶつかり合う。
焔の足元の土がえぐれ、体が押される。
ティアスははっと目を見開き、肩越しに振り返った。
背後から、炎がティアスを呑み込んで走り抜ける。
そのままティアスの体は壊れ掛けた家屋の壁に勢い良く叩きつけられ、地面へと転がり落ちた。
焔と柚に優勢な戦いを見守っていたキースは、思わず身を乗り出し、歓声を上げる。
「さすが、アダムの選んだエヴァとケルビム、とでも言うべきか。いくら数字持ちと言えど、我々末席では相手にならなくて当然か」
「ちっ……」
腕に傷を負ったティアスが、肩で息をしながらサマーニャに並ぶ。
「おい」
「……そうだな」
ティアスの目配せに、サマーニャは静かに頷き返した。
サマーニャの視線が、柚が張っている結界へと向けられる。
キースが結界の中でぎくりと身を強張らせた。
その時、一同ははっと空を見上げる。
風の刃がティアスとサマーニャに降り注ぎ、周囲の灰が粉塵のように舞い上がった。
その粉塵さえ切り裂くように空から降ってきた人影の背で、透明な風の翼がばさりと羽を伸ばす。
褐色の肌に施された黒い刺青が目を惹きつけ、畏怖を与える。
その男が息を吹くと、灰があっという間に吹き飛ばされた。
ガルーダが呆気にとられた面持ちで自分を見ている柚と焔を一瞥し、表情も変えずに低い声で問い掛ける。
「戻った途端、コレは一体、どういう状況なわけ?」
「ガルーダ?邪魔すんな」
突如降ってきたガルーダを驚いた面持ちで見ていた焔が、むっと眉を吊り上げた。
ガルーダは焔を腕で遮り、しなやかな動きで立ち上がりながら男達へと問い掛ける。
「お前等、神森?数字は?」
「八と九だ。こいつ等が、村に火をつけて村の人達を殺した犯人だ」
ぽかんとしていた柚が、思い出したように男達を指した。
「この村に使徒がいたんだ。多分、そいつの家族もこいつ等が……」
「じゃあ……」
ガルーダの口角が吊り上り、獰猛な獣が本質を表す。
ガルーダを取り巻くように風が巻き起こり、柚は思わず腕で顔を覆った。
「お仕置きだ」
舌なめずりと同時、ガルーダは目にも留まらぬ動きで大地を蹴り、獣のような柔軟な動きで腕を振りかぶる。
ガルーダの爪に切り裂かれた空間で風がうねり、風の刃がサマーニャの巨体を軽々と弾き飛ばした。
目を見開くティアスの顔をガルーダの手が鷲掴みにして地面に叩き付ける。
そのまま手にぎりぎりと力を込めるガルーダに、ティアスが呻き声を漏らして手足をばたつかせた。
無意味にもがくティアスの頭蓋骨から、みしみしと不気味な音が立ち始める。
ガルーダの指が食い込む皮膚から血が滲み、抵抗が弱くなり始めた。
「ティアス!」
吹き飛ばされたサマーニャが、振りかぶった斧を大地に振り下ろす。
「おっ、イカロスと同じ力」
ガルーダは飄々とした口調で呟き、口元に笑みを浮かべた。
大地に亀裂が走り、地鳴りが轟く。
一帯の足場が砕けるようにぼろぼろと崩れ始め、ガルーダはティアスをサマーニャに投げ飛ばして空へと飛び立った。
柚は焔を掴んで水の足場に跳び移る。
「うわぁあ……」
柚は崩壊した大地を見下ろし、感慨の声を漏らした。
元々小さな集落ではあったが、村一帯を呑み込み、建物は跡形もなく崩壊している。
人類が自然の前にいかに無力であるかを見せつけられた気分だ。
「それより神森だろ、何処行った。くそっ、せっかく勝ってたのに邪魔しやがって」
「そうだった!もういない、また逃げられた!」
周囲を見渡す焔に、柚が憤慨した面持ちで返す。
そんな柚に振り返り、焔は半眼を向けた。
「ところでお前……キースとさっきの奴は?」
柚が「あ……」と呟きを漏らす。
慌てて土を掘り起こす一同を他所に、カラスが一羽、空に向けて飛び立った。
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