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あまりにも目立ち過ぎる軍服を脱ぎ、与えられた簡素な服を着ているものの……
この場所で、汚れひとつない真新しい服は十分に目立っていた。

積み上げられたゴミを、薄汚れた子供達が寒さに震えながら漁っている。

今にも崩れそうな家が立ち並び、地面に寝転んでいる人影もいくつかある。
中には、寝ているのではなく死んでいるのかもしれない。

玉裁は眉間に皺を刻んだ。
歩く度に揺れるピアスの感触がないことが妙に落ち着かない。

サングラス越しに見ても不快感は拭えない――住んでいた場所は違えど、自分にとって忌まわしい環境だ。
当然のように毎日温かい食事が出て、清潔なベッドで眠る生活に慣れてしまっている自分は、二度とこんな生活には戻りたくないと感じている。

履き慣れないブーツの底が、まるで自分の心境を表すように足音を滲ませていた。

抉れたアスファルトから土が剥き出しになっている場所を見付け、玉裁は足を止める。

玉裁は周囲を窺うと、ポケットに手を突っ込み、地面にぱらぱらと小さな種を蒔いて踵を返した。
その後ろからざわざわと蠢くように根がはり芽が出て、木へと姿を変えていく。

成長していく木を尻目に、目もくれずに来た道を引き返す玉裁の行く手を、数名の男達が遮った。
玉裁は迷惑そうに舌打ちを漏らす。

「見ねぇ顔だな。いいもん着てんじゃねぇか」
「そりゃどーも」

面白みもない想像どおりの言葉に、玉裁は顔を顰めてため息を漏らした。

スラム――貧民街だ、当然治安が悪い。
盗み、恐喝、強姦は日常茶飯事だ。

だが、スラムにはスラムのルールがある。

「ちょうどいい、少し時間くっちまったし。手間が省けた」

ガシガシと、短い髪に指を通す。

男達は古びた違法の銃やナイフを手にしていた。
昔の自分ならば厄介な物をと思ったかもしれないが、今更そのような凶器に恐怖を抱く事もない。

「何ブツブツ言ってやがる」
「怪我したくなきゃ、金目のもん置いてきな」

一人が玉裁ににじり寄り、顔にナイフを突き付けてくる。
ただでさえ寒さに凍える頬を、ひやりとした金属の感触が触れた。

「生憎、金目のモノなんざ持ってねぇよ」

ナイフを手で押し退け、玉裁は溜め息を漏らす。

「身包みはぐってのもナシだ。ちょっとでも失くすと、誰かと連絡とったんじゃねぇかって大騒ぎされて面倒くせぇ」

周囲が動くなという声を無視して、玉裁は気だるげな足取りで歩き出した。
銃を手にしているリーダー格の男が、銃を玉裁に向けて引き金に指を掛ける。

「なあ、アンタこの辺でどれくらい幅を利かせてるんだ?」
「なんだ、知んねぇの?この辺一体はそこのグラースが占めてんだよ。分かったら大人しく……」

男が後ろから玉裁の肩を掴む。

「てめぇの言葉が本当なら、こいつはとことんついてんな」

玉裁は口角を吊り上げ、懐から札束を取り出した。
男達が目を見開き、玉裁の手に釘付けになる。

手を伸ばそうとする男達を軽くかわし、玉裁はグラースと呼ばれたリーダー格の男の前に立って顔を近付けた。

「金目のモノは持ってねぇけど、金はある」

「俺のじゃねぇけど」と、玉裁は肩を竦めて付け加える。
男達の目の色が変わっていた。

玉裁はグラースの肩を軽く叩き、耳元で囁く。

「俺が欲しいのは信用のおける情報を提供してくれる奴だ。どうだ、乗るか?」

グラースが嫌らしく笑った。

「いいねぇ、俺に会えるなんざ、アンタ運がいい。この一帯のことで俺より詳しい奴なんざいねぇ。で、アンタの知りたい情報ってのはなんだい?」
「最近、この辺で人身売買をやってる組織のことだ。なんでもいい、情報が欲しい」
「人身売買?んなもん、しょっちゅうだぜ。腎臓二個持ってるってのに売らねぇ奴は馬鹿だ。親も平気でガキを売る」
「あー、アレだ。最近、特にえげつなく荒らしてる連中がいんだろ」
「ああ、双頭か」

玉裁が素っ気なく「そうだ」と返す。

玉裁はちらりと周囲に視線を走らせ、声を顰める。
グラースが、いぶかしむ様に耳を寄せた。

「そいつの詳しい情報と、もうひとつ……女を捜してる。今は多分四十から五十代くらいで髪が紺だ。腕に牡丹の刺青がある」

すると、後ろで話を聞いていた男達が笑い声をあげる。

「女?なんだ、アンタ女にでも逃げられたか?」
「うるせぇ、知ってるなら話せ」
「それとも、生き別れの母親か?無理無理、砂漠から砂粒捜すようなもんだぜ?」
「うるせぇって言ってんだろうがァ!」

ビリビリとした怒号が響き、男の頭を鷲掴みにした玉裁が地面に叩き付けた。
男は白目を剥き、意識を手放す。

一瞬にして、男達が臨戦態勢に入った。
それをグラースが止める。

グラースは目を細め、玉裁を顔をジロジロと見た。

玉裁はサングラスで目を隠し、マフラーで口元を覆い、顔の半分以上を隠している。
スラムに立ち寄る者にろくな者はいないが、玉裁は流れ着いた難民という風貌でもなければ、逃亡中の犯罪者といった様子もない。

グラースの行動に、玉裁は不愉快そうに眉を顰めて顔を背けた。

「アンタ何者だ。サツか?それともマフィア者か?」
「こっちの詮索はナシだ」
「悪いが……マフィアの抗争に巻き込まれるのだけは御免だぜ」
「面倒くせぇな。マフィアじゃねぇから、さっさと話せよ」

いらいらとし始めた玉裁が髪を掻き毟る。
その瞬間、玉裁ははっとした面持ちで振り返り、腕をなぎ払った。

玉裁の掌から枝が伸び、弾丸を受け止める。
玉裁は舌打ちを漏らし、額を押さえて溜め息を漏らした。

「ああ、くそっ。ミスった。てめぇ等もういい、行け」

玉裁は、「こいつも邪魔だ」と、自分が気絶させた男を蹴り飛ばす。
男達は気絶している仲間を担いで逃げ出した。

青褪めながら、グラースが玉裁に叫んだ。

「おい、マフィアじゃないんじゃなかったのかよ!」
「違うって言ってんだろ!てめぇも怪我したくなきゃさっさとどっかに行け!」

黒いスーツの男達が、銃弾をところ構わずに撒き散らした。
簡素な家の中から様子を窺っていたスラムの住人達が、悲鳴を上げて逃げ惑う。

玉裁はグラースの肩を突き飛ばすように押し、種を口に含んで男達に飛ばした。

壊れた壁にぶつかった種から蔦が生え、男達の体に巻き付いて首を締め上げる。
伸びた枝は男達の銃に絡み付いて銃口を塞ぎ、引き金を引いてしまった男の手を吹き飛ばす。

玉裁が種を地面に落とし、足で地面を叩く。
枝が地表を突き破り、男達の腕や足を貫いて地面に押さえつけた。

十人ほどいたスーツ姿の男達が、すでに半数以上地面に伏している。

グラースは逃げることも忘れ、唖然とした面持ちで戦闘を見ていた。
詳しい事は知らないが、戦慄すら覚える圧倒的な力――これは、"使徒"ではないのか?

すると、背後から忍び寄った男が玉裁に銃を向ける。
思わずグラースは、玉裁に向けて「危ない」と叫んでいた。

振り返った玉裁は、すばやく背後に視線を走らせる。

逃げ遅れたスラムの住人が背後にいた。
自分がかわせば住人に当たる。

「ちィ!」

玉裁が足を踏み出した。
銃を持つ男の懐に飛び込み、掌が銃口を空に向けて押し上げる。

空に一発の銃砲が鳴り響き、男の首筋に玉裁の鋭い手刀が叩き込まれると、男は顔面から地面に沈み込んだ。

蔦に絡められた男が体に巻き付く蔦をナイフとライターの火で焼き千切り、玉裁にナイフで切り掛かった。
身を屈めて攻撃をかわした玉裁の、長い足が地面を滑り踏み込む。
肘が男の鳩尾を突き、男が胃液を吐いて地面に転がり込んだ。

取り残された最後の一人が、青褪めガタガタと震えながら立ち尽くしている。

玉裁はゆっくりと男に歩み寄ると、怯えたように向けられた銃のシリンダーを手で押さえながら、もう一方の手で男の顔面を殴り倒した。
玉裁はそのまま男の顔を地面に押さえ込みながら、種を一粒取り出し、強引に開けさせた男の口に放り込んだ。

「いいか、よーく聞け」

怯えた瞳が玉裁を見上げる。

「俺は、今の種をこうして急成長させることが出来る」

玉裁は自分の掌の上で咲かせた花を見せ付けた。
男がぎょっとした面持ちで体を震わせる。

「てめぇが今呑み込んだ種を成長させたらどうなる?」
「ひぃい!やめ、止めてくれ!」
「だったら知ってる事、洗いざらい吐いちまいな。てめぇは、何処のモンだ」
「お、俺は紅龍ファミリーでただの下っ端だ。な、何も知らない!見慣れない奴がスラムに入ったってんで、最近この島荒らしに来てる奴じゃないかって!上の連中に叩きだすように言われて来ただけなんだ!」
「……ちっ」

玉裁は舌打ちを漏らし、男から手を放した。

「確かか?」と、玉裁は腰を抜かしそうな顔で見ていたグラースに尋ねる。
グラースは引き攣った面持ちで何度も頷いた。

玉裁から開放された男は青褪めて玉裁を見上げる。

「話したんだ。さ、さっき呑ませた奴、とってくれよ!」
「あァ?放っておきゃ、明日出てくんだろ、ケツから」

他人事のように笑い飛ばす玉裁はポケットに手を突っ込み、男達を残して歩き出す。
すると、男は悲鳴を上げて玉裁とは逆の方に逃げ出し、グラースが思い出したように玉裁を追い掛ける。

「待て、待ってくれ。あんた、使徒か?」
「あァ?命が惜しけりゃ、余計なこと喋んじゃねぇよ」
「待てよ。双頭の事は知んねぇけど、あんたが捜してる女のことは見た事があるかもしんねぇ」
「……」

玉裁は足を止め、疑わしげに振り返った。










本日の天気は良好だという。
とはいえ、外の気温は相変わらずマイナスだ。

支部の遠征の同行した柚の担当看護士マリア・リードは、柚の体温をカルテに書き込みながら廊下に視線を向けた。
軍服にそでを通しながら、眠そうな柚はその視線を追い、目を瞬かせた。

「なんだか騒がしいわね、何かしら」
「うーん……」

瞼を擦りながら、柚が部屋を出る。
隣の部屋の焔も、不機嫌に部屋から顔を出す。

アンジェとライラが廊下の端に佇み、不安そうに行き交う大人達を観察していた。

「おはよ。朝っぱらから何事だ?」
「わかんない」

ライラが迷惑そうに呟き、アンジェが不安そうに廊下を駆けていく研究員を見送る。

「何だろう、ガルーダお兄ちゃん達に何かあったのかな」
「え?」

眠気が一気に吹き飛び、柚が思わずアンジェの顔を見た。
アンジェはびくりと肩を揺らし、おどおどと俯く。

「ごめんなさい、もしかしてって思っただけなの」
「あ、うん。何事もなければいいけど……」

柚は顔を曇らせて呟いた。





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