見渡す限り、辺り一面は銀世界だった。

この地では日照時間が短く、日差しも影が出来ないほどに弱い。
その日の気温はマイナス五℃で、現地の者はそれでも温かいと談笑を交わすが、寒いを通り越し肌を刺すような痛みとなっている。

どんよりと曇る空は気を滅入らせるが、軽快に走る車の窓から身を乗り出す少女と子供は気にも掛けずにはしゃいでいた。

風が少女の髪を靡かせる。

靡く髪は銀に近いが、光を浴びて淡く桃色に輝く。
抜けるような白い肌の中、見る者を惹き付ける大きな瞳は磨かれた宝石のように曇りのない赤だ。

戦争が続いた時代、ストレスはアルビノや奇形の子供を産んだ。
その後、特殊な人外の力を持つ新人類の誕生が確認される。

"使徒"と名付けられた新人類は、次期世界大戦の主力とされ、軍に使徒とごく一部の者で構成された特殊能力部隊"アース・ピース"を創設し、政府の管轄下に置いた。
使徒は家族から引き離され、研究所を兼ね備えたアース・ピースの基地に保護という名目で監視されている。

だが、使徒には女性の出生率が圧倒的に低いという欠点があった。
アジア帝國もまた、つい数ヶ月前に宮 柚という少女が発見されたばかりである。

柚は今、任務で基地を離れ、仲間達と共にロシア地方にある研究支部を目指していた。

たった一人の女性使徒ということもあり、政府や上官であるアース・ピース元帥"アスラ・デーヴァ"は、なかなか柚を危険が伴う任務に就かせてくれない。
やっとのことで、移転が決定した研究支部の移転護衛任務のメンバーに任命されたのだ。

現在、アジア帝國には十六名の使徒が存在している。
自分を除いた十四名の使徒とは共に暮らしているが、支部にはいまだ会った事のないジャンという使徒がおり、柚はジャンという仲間に会える時が待ち遠しかった。

最寄の空港から車で走り続け、あと少しで日没を迎える。
車は公道から外れ、降り積もった雪を削って出来た一本道に差し掛かった。

雪で出来た壁の中を走る車から天使のように愛らしい顔をした双子の兄・アンジェが顔を出し、柚と一緒に外を眺めながら、弟のライラへと振り返った。

「市街地をちょっと抜けただけなのに凄い雪!ライラ見える?」

兄よりもしっかりもののライラは、アンジェに呼ばれて渋々窓際へと移動して来る。

「雪なんて毎年降るだろ。なんでそんなにはしゃぐんだよ」
「可愛くないなっ」

言葉とは裏腹に、柚はライラを力いっぱい抱き締めた。

抵抗するライラを他所に、兄のアンジェはしゅんと項垂れる。
ライラは子供にしては達観した一面があり、アンジェはおっとりとしていて気が弱い。

どちらももともと騒がしいタイプではないが、二人にとっては今回が初任務だった。
アンジェはいつもよりも空元気で、ライラはぴりぴりとした空気を放ち、口数がいつも以上に少ない。
お互い、今日は初めての任務に緊張しているのだ。

「後二十分くらいで着くそうですよ」

曇った眼鏡を吹きながら、振り返ったヨハネス・マテジウスが穏やかに告げる。
ヨハネスは治癒の力を持つ使徒だ。

刀を抱えるように抱き、瞼を閉ざしていた黒髪の少年・西並 焔は、その言葉にゆっくりと瞼を起した。
視線のみが、積み上げられた雪のトンネルへと向けられる。

柚は後部座席から身を乗り出した。

「ねぇ、ジャンって人はどんな人?」
「そうですね……会えば分ると思いますが、穏やかな人ですよ」

ヨハネスは眼鏡を掛け直しながら、同意を求めるように前へと視線を向ける。

「ジャンは歌が上手いよ」

褐色の肌に刺青が施された青年・ガルーダが振り返り、飄々と告げた。
鍛え上げられた体と獣のような琥珀の眼差し、顔や体に施された刺青が一見彼を恐ろしく見せているが、なんということはなく、無邪気さを残した青年であり、アース・ピースの尉官を努めている。

例え寒くても薄着で過ごす彼だが、さすがに軍服をしっかりと着込んでいる寒さだ。
眠っていた孫 玉裁が大きなくしゃみを漏らした。

「あァ、くそ寒みぃ……鼻水凍る。さっさと窓閉めろ」

玉裁が鼻を擦りながらシートから体を起こし、再び背凭れに体重を掛けて座り直す。
耳に所狭しと付けられたピアスが、小さな金属音を立てた。

暖房の付いた車の中は、寒さを感じないほどに温かい。
ガラスは柚達が吐く息にすっかり曇っていた。

自分達の身長よりも高い雪の間を走る車の中で、柚が待ちきれないとばかりに窓に張り付いている。

すると、ガルーダと玉裁がぴくりとシートから体を浮かせた。
運転する一般兵部隊の隊士達が驚く中、ガルーダが走る車の後部座席のドアを勢い良く開け放つ。

「止まんなよ」

状況を楽しむように言い放つと共に、ガルーダが車から飛び降りた。
足が地面に付く瞬間、風がガルーダの体を包み込み、ふわりと空に舞い上がった体が車の天井に着地する。

天井から聞こえたガルーダの着地する音と同時に、銃声と風の轟音が鳴り響く。

「な、なんだ?何事?神森?」

双子を抱き締めながら、柚は狭い車内で周囲を見渡した。
刀を手にした焔も身構える。

玉裁が開け放たれたままのドアを閉ざし、面倒臭そうに腕を回した。

「うるせぇな、エデンだろ」
「エデン?」

柚と焔が驚きに目を見開く。

使徒の力を脅威とし、使徒を保護する政府に異議を唱えるテロ組織だ。
彼等が持つ電磁波発生装置は、使徒の力を無力化する力がある。

「ガルーダ尉官、一人で大丈夫か?」
「ガルーダなら大丈夫だよ」

柚は不安そうに外へと視線を向けた。
ライラが、絶対の信頼を預けているように呟く。

道の両脇に固められた雪の上から、サングラスを掛けた黒ずくめの男達がマシンガンを放ってくる。
ガルーダは浴びせられる弾丸の雨を風で弾き飛ばし、この状況を楽しむように口元に笑みを浮かべた。

その時、雪道を曲がった車が突如急ブレーキを踏んだ。
積み上げられた雪が崩され、道を塞いでいる。

車はスピンしながら崩壊した雪の壁に衝突した。

柚は抱き締めていたアンジェとライラから手を離し、ぶつけた頭を擦る。

「っ……いたた。アンジェ、ライラ、大丈夫か?」
「ちっ……」

ドアを開け放ち、焔が外に乗り出した。
すぐさま飛んできた弾丸を焔の炎が焼き尽くす。

「あー、くそっ。退いてろ」

頭を擦りながら、玉裁は舌打ちと共に車からぬっと姿を現した。

玉裁が手を伸ばす。
その掌に乗る木の実から一瞬にして根が張り枝が生え、雪に突き刺さる。

焔のすぐ横から雪を突き破った枝が勢い良く伸び上がり、急成長する植物の動きがあまりにも不気味で、焔はぎょっとして飛びのく。

木の幹に蔦が絡まり、一瞬にして車を囲むように木々が生い茂った。
弾丸が木々に遮られ、蔦が叩き落す。

手を伸ばしたガルーダの指先から風が溢れ出し、風が銃弾の威力を相殺した。
力を失った弾丸が吸い込まれるように雪の上に落ちていく。

枝のひとつに着地したガルーダが、喜々とした面持ちで口笛を鳴らした。

「いるいる、人間がうじゃうじゃだ」

道を挟む積み上げられた雪の上で、武装した人間達が木に囲まれた車を目掛けて銃を放っている。
弾を入れ替えていた男達が、自分達を木の上から見下ろすガルーダに気付き、青褪めた。

「寒ぃんだ、さっさと片付けろよ」

面倒くさそうに欠伸を漏らしながら、玉裁はガルーダに向けて吐き捨てる。

口角を吊り上げたガルーダが、背中を丸めた。
吸い寄せられるように背中に風が終結し、ガルーダは木を蹴る。

一人が手榴弾を手に取り、ピンを抜いてガルーダに投げつけた。

放物線を描いて飛んでくる手榴弾に向けて、ガルーダがふっと息を吹きかける。
髪を揺らす程度の風が唸り、一瞬にして手榴弾を両断した。

空に上がる爆音を切り裂き、ガルーダの透明な翼がはためく。

弾丸すらかわし、風を纏ったガルーダの拳が雪の壁に叩き付けられた。
固められた雪の壁は轟音をあげて崩れ始め、壁の崩壊に男達が呑み込まれる。

悲鳴を聞きながら、崩れ行く壁に着地する寸前のガルーダが体の向きを変えて地を蹴った。

風のように迫ってくるガルーダに、青褪めた男の一人が、懐からもうひとつの銃を抜いて照準を絞る。
男は怯えた声を上げながら、引き金を引いた。

銃声が風の轟音すら呑み込んで響き渡る。
その勢いに跳ねる男の肩

ガルーダがぴくりと眉を顰め、体を傾けた。
弾丸はガルーダが纏う風の翼を突き破り、玉裁の力が練り込まれた木を貫通する。

「何ィ!?」

ただの木ではない、使徒が力を込めた木を弾丸が貫通するなどありえない。
驚く玉裁の肩を弾丸が掠め、車の防弾ガラスに命中した。

中にいた一般兵部隊の隊士達が思わず首を竦める。
窓から戦闘を見守っていたヨハネスが、青褪めて震え上がった。

「玉裁!」
「大丈夫ですか?」
「なんだ、今の」

肩を押さえる玉裁にヨハネスと柚が駆け寄り、焔がいぶかしむ様に男達を見上げる。
玉裁はヨハネスに怪我を診せながら、苦々しい顔付きで眉を顰めた。

「触れた瞬間、能力が掻き消された」
「例の電磁波発生装置ってやつか?」

柚が眉を顰めて呟く。
玉裁の傷に手を翳しながら、ヨハネスが「そんな」と声をあげた。

「今までは、簡単に持ち運びが出来ないような大きさの物でした。こんな小型化された物は見たことがありません」

ヨハネスが車へと振り返る。
防弾ガラスには見逃してしまいそうな小さな傷のみで、太い幹を貫通した程威力のある弾丸が命中した痕跡はないに等しい。

すると、玉裁が嘲笑うかのように吐き捨てた。

「開発したんだろ、どっかのバカが」
「玉裁、そんな物を開発出来る人間は馬鹿ではありませんよ」
「うっせーな、てめぇは黙って傷を治せ!」

眼鏡を押し上げて丁寧に訂正をするヨハネスに、玉裁が苛立ち、怒鳴り返す。
すると、ヨハネスが治癒を止めて眉を顰めた。

「おかしいですね……普通ならもう治っている筈なのに」
「はァ?くそっ、あれにやられた怪我は治癒が効かねぇってことか。ちっ、厄介だな」

玉裁は自分で包帯を巻くと、舌打ちを漏らす。

「お前等、ボーっとすんな。また来るぞ!」

玉裁が柚と焔に注意を促した。
柚が向けた視線の先で銃口が光る。

「またさっきのか?」

そうであれば、結界を張って構えていると命取りになってしまう。

柚が車から顔を出している双子を車に押し込め、焔が刀を抜く。
玉裁がヨハネスを押し退けて前に出ようとする。

その瞬間、何処か遠くから歌声のようなものが届き、柚は目を見開いて道を塞ぐ雪山へと振り返った。

粒子が集うように車ごと柚達を囲み、透明の壁が形を為す。
まるで雪が太陽の光を反射させて銀色に輝いているときの美しい光景を見ているようだ。

弾丸が透明な壁に当たり、一瞬にして粉々に砕け散った。

「なん、だ……?」

柚は恐る恐る透明の壁に手を伸ばす。
指に触れた瞬間、透明の壁は霧になって消えた。

エデンを倒し終えたガルーダが、道を塞ぐ雪の上に着地し、声高に叫んだ。

「ジャン!」
「久しぶりだね、ガルーダ」

塞がれた道の向こう側から知らない男の声が聞こえてくる。

ガルーダの風が道を塞ぐ雪を吹き飛ばし、舞い上がった雪がはらはらと降り注ぐ。
銀色にきらめく粉雪が降り注ぐ中に、その男は車椅子に乗って微笑んでいた。

グレイッシュブラウンの長い髪が優雅に靡く。
肌の白い男はブラウンの瞳を細め、穏やかに微笑みを浮かべた。





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