夕食の席で珍しく無口な柚を、フランツが心配していた。

大丈夫とは思えないからフランツが心配しているのだ。
頑なに大丈夫と返す柚に、焔は少し苛立ちを感じていた。

部屋に入ろうとする焔の後ろを通り過ぎていく柚を、見兼ねた焔が呼び止める。

「おい、お前……本当に顔色悪いぜ。意地張ってないで医務室にいけよ」
「え?うん……ちょっと、お腹痛いだけだし。本当に大丈夫」
「そうは見えないからフランツの奴が気にしてたんだろ。お前が倒れでもしたら、周りが大騒ぎするだろ」

つい……声に苛立ちが籠もった。

その声を聞きつけて部屋から出てきたシェリーが首を傾げる。
俯く柚を覗き込んだシェリーが、何かに気付いたように焔を止めた。

「とりあえず、お部屋に行きましょう?焔さん、柚さんは大丈夫ですから。お任せください」
「あ?あぁ……」

腑に落ちない面持ちの焔を置いて、シェリーが柚を連れて部屋の中に消えていく。

具合が悪い相手に声を荒げた自分に苛立った。
そして、素直に心配しているのだと言えない自分がもどかしい。

部屋の前に立ち尽くしている焔に気付き、ライアンズが声を掛ける。

「どーした?」
「いや、あいつが腹痛いって言ってたんだけど……大丈夫だって」
「はぁ……そうか、お前一昨日いなかったもんな」

ライアンズが、呆れた面持ちで大袈裟な溜め息を漏らした。
焔の肩に腕を乗せ、焔をからかうように耳打ちをする。

「いいか、よーく覚えとけよ。それは生理痛だ」
「せいり、つ……う!?」

少しの間を置いて、焔の顔が火を噴く。

ライアンズは焔の反応に噴出しそうになった。
だが、笑えば怒り出すことは必至だ。

焔に用のあったライアンズは、笑いを堪えて焔に顔を近付ける。

「で、お前は元帥から呼び出し」
「はァ?なんであいつが……」
「そう嫌そうな顔するなって。お前の初任務だぜ」

焔の瞳が大きく見開かれていった。
くつくつと笑みを漏らし、ライアンズは片手を上げる。

「なんなら赤飯ってヤツ、炊いてやろうか?」

からかう様に口角を吊り上げるライアンズに、焔は「言ってろ」と吐き捨て、肩の手を振り払った。

ポケットに手を突っ込み、アスラの執務室に向けて歩き出す焔
その口元には、やる気に満ちた笑みが浮んでいた。



「ごめん、シェリー」
「いいえ。お薬飲みますか?」
「うん、そうする」

ソファに座った柚はお腹を抱えて蹲る。

「今月遅れてたから忘れてた……」

柚はうんざりした面持ちで溜め息を漏らした。
心配そうに柚を覗き込みながら、シェリーは顔を曇らせる。

「辛いですよね。すぐにお薬貰ってきますね」
「うん……ありがとう、お願いします」
「いいえ」

にこりと微笑み、シェリーは部屋を出た。

こういう時、近くに女の子がいてくれると助かる。
シェリーのありがた味を噛み締めるように実感した。

シェリーが貰ってきてくれた薬を飲むと、口直しにと出された香りの良く温かい紅茶が体を奥底から温めてくれる。
ベッドに入った柚は、毛布から顔を出し、片付けをするシェリーの背に問い掛けた。

「ねえ、シェリー?」
「はい?」

おっとりとした、癒しのような微笑みと朗らかな声
ついつい甘えてしまう、常に彼女から溢れる優しさ。

柚は目を細めた。

「シェリーが居てくれてよかった」
「お役に立ててよかったです。男の方ばかりで、こんな時には心細いですものね」

柚は苦笑を浮かべる。

確かに最初はアスラとの件もあり、とても嫌だった。
もしも使徒が自分ではなくシェリーだったならば……シェリーはどうしていただろうか?

聞いてみようかと思った柚に、シェリーは歳相応に興味を滲ませた面持ちで柚に問い掛けた。

「やっぱり恋人が支えに?」

一瞬、問われた意味が分からずに、柚はきょとんとした面持ちで目を瞬かせる。
はっとなった柚は、赤くなりながら上擦った声をあげた。

「い、いないぞ!いきなりなんで恋人?」
「まあ、照れなくてもいいじゃありませんか。柚さんはデーヴァ元帥とお付き合いしてらっしゃるでしょう?」
「は、はァ?」
「名前で呼び合って、憧れます。実は私も年上の方をお慕いしていて……」

シェリーが頬を染める。
そのさまがあまりにも可愛く思えたが、驚きに柚は身を起し掛けた。

「え、シェリー好きな人いるの!」
「ゆ、柚さん声が大きいです」

シェリーが真っ赤になって慌てふためく。
柚は起き上がり、身を乗り出して目を輝かせた。

「どんな人?格好良い?」
「いえ、あの、デーヴァ元帥には及びませんが、その、格好いいです。それに……とても優しい方なんです」

思い出し、愛しそうにおっとりと微笑むシェリー
恋をする少女の横顔が、とても綺麗に映る。

こんな可憐な美少女に思われる男は幸せ者だと思う。

柚は感嘆の声をあげながら、目を輝かせた。
そして、思い出したようにすぐに顔を曇らせる。

「あ、でも、ここにいる間は会えないのか」
「もともとあまりお会い出来ないんです。とても忙しい方ですから。今回のお話もその方から頂いたんですよ」
「へぇ、じゃあその人に感謝だな。それで、いくつ年上なの?」
「六つ上の方なんです。その方を前にすると、私とても緊張してしまって上手くお話出来ないんです。柚さんのようにお話出来ればいいんですが……」
「六つ上ってことは、シェリーが十八だから二十四かぁ」
「柚さんは凄いです。デーヴァ元帥と九つも離れているのに、あんなに普通にお話されていて。お二人の絆のようなものを感じます」

柚は、思い出したように咳き込んだ。

「ちょ、ちょっと待とうよ。まず、そこが誤解だ」

柚は疲れた面持ちで項垂れた。
そんな柚を寝かせ直しながら、シェリーは驚いたように目を瞬かせる。

「あら、違ったんですか?じゃあ、柚さんはどなたをお好きなのかしら」
「え?好きって、好きは皆好きだけど……そういう、特別って、う〜ん……」
「困らせてしまいましたか?」

困ったように首を捻る柚に、シェリーは口元に手を当ててくすくすと微笑んだ。

「では、どんな方がお好きなんですか?」
「えぇ……どんなって、そうだなぁ……」

首を捻り、柚は考え込む。
そして、ぽつりと思いつく単語を呟いた。

「じゃあ、優しいとか?」
「やっぱりデーヴァ元帥ですか?」
「優しい、かな……?なんか違うんだよな」

柚がひらひらと手を振り、否定する。
シェリーは少し残念そうに溜め息を漏らした。

「とても優しそうな方に見えましたよ?今日も、柚さんのことをとても心配なさっておいででしたし。ですから、私てっきり……」
「そ、それとこれは別!……優しさで言えばイカロス将官とか、フランとハーデスも優しい。うーん、でもなぁ」
「では、お顔ですか?」
「そりゃ、顔がいいに越した事はないけど……ユリアは綺麗過ぎて嫌だな。アスラも綺麗だから時々緊張しちゃうし」

柚は両腕を伸ばし、毛布の下で腕を組む。
腕を組むと、首を捻って考え込んだ。

そうして、思いついたように手を叩いた。

「あ、そうだ。自分を理解してくれる人がいいかも」
「なら、焔さんですね」
「焔ァ?」

一瞬の間を置き、柚が驚いたように声をあげる。
そして、憤慨したように口を尖らせた。

「ありえない、あんな奴!」

風も吹かない穏やかな夜に、柚の声が響き渡る。

瞬く星の中で、月は存在を主張するでもなく、淡く色付くように輝いていた。

芸術品のように整った顔立ちをした青年の陶器の様に白い頬を、月明かりが青白く照らし出す。
それが、彼の神秘掛かった美しさをより一層引き立てる。

中性的な顔立ちをした青年"ユリア・クリステヴァ"は、東館の屋上に寝転んでいた。
屋上の淵ではいつも通りハーデスが、意味もなく変化のない風景を眺めている。

そんなハーデスを見やりながら、梯子を上ってきたのはライアンズだった。

「お前等、飯食ったのか?」

梯子の途中で止まり、淵で頬杖を付くライアンズに、ハーデスは首を横に振って返す。

「んなこったろーと思った」
「どうせライアンは、ガルーダでも見掛けたから逃げてきたんでしょ」

ユリアは口元に笑みを乗せて嘲笑を向けた。
図星を突かれ、ライアンズが「うっ」と口篭る。

溜め息と共に梯子を上りきり、ライアンズは寝転ぶユリアの隣にどかりと座り込んだ。

「俺、いつか尉官に殺されるかも」
「ガルーダは遊んでるだけだよ……」
「それが俺にとっては命懸けなんだっ!」

ハーデスがぼそりと呟く。
さめざめと漏らし、ライアンズは掌で顔を覆った。

「イカロス将官は無茶なことばっかり押し付けてくるし……絶対、俺のことストレスの捌け口にしてるって」
「気に入られてるのさ、喜びなよ。ま、僕は願い下げだけどね」
「尉官と将官のお陰で心身ともにボロボロだ!」
「僕が優しく思えてくるだろう?」
「いや、それはない」

まったりとした口調と共にふっと笑みを浮かべるユリアに、ライアンズはきっぱりと首を横に振る。

「はぁ……癒しになるはずの女がアレじゃあな」

腕を組んだライアンズが溜め息を漏らす。
応対が面倒になってきたのか、ユリアは相槌のみで返した。

思い出したように、ライアンズは「聞いてくれよ!」と身を乗り出す。

「この間もまた元帥が柚を怒らせて、フランと二人掛かりでも柚を止めるのに苦労したんだぜ」
「へぇ、それはご苦労だったね。いつもいつもタイミング悪く居合わせる君には心底同情するよ。一度お祓いでもしてもらえば?」
「やべぇ……本当に何か憑いてんのか、俺」

はっと青褪め、ライアンズは自分の掌を見下した。
ユリアは上品に欠伸を漏らす。

すると、話を振られない限り滅多に口を挟まないハーデスが、唐突に呟きを漏らした。

「そういえば……女の子って、柔らかいんだね」
「はァ?」

ライアンズは思わず眉を顰めて声をあげる。
その声が静かな夜に響き渡り、ライアンズはばつが悪そうに口を噤んだ。

話を振ったハーデスは、いつも以上にぼんやりとした面持ちの夜空を見上げていた。

そんなハーデスに、ライアンズはますます眉を顰める。

「なんだ、ハーデス。柚に何かプロレス技でも掛けられたのか?」
「違うよ……」

ハーデスはライアンズと一緒にされることが心外とばかりに、溜め息を漏らす。
ユリアが肩を竦めた。

「ライアン、いくら柚だって自分に無害な相手にそんなことしないさ」
「なんだよ、俺は害があるって言いたいのか?」
「毎朝柚のスカート捲ってて、ついには仕返しに『変態です』って背中に張り紙貼られてたのに気付かないで任務に行こうとしてたの、誰だっけ?」
「思い出させるな!?」

ライアンズは耳まで赤く染め上げ、手で顔を覆う。
そんな二人の会話など聞いていないかのように、ハーデスは頬杖を付き、ぽつりと漏らした。

「そういえば、柚って何処にでもいるんだ」
「はァ?」

ライアンズがいぶかしむ様に眉を顰める。

「柚が歩いてたり、誰かと話してたりするのをよく見掛ける」
「バカだね、君は」

ユリアは愉快そうに声を上げてくすくすと笑った。

人を食ったような眼差しが、ハーデスを見上げる。
それは天使の顔をした悪魔のようだ。

ハーデスはユリアを見下し、目を瞬かせた。

「それはつまり、柚がいるんじゃなくて、君の目が柚を追っているんだよ」
「そんなこと……ないと思うけど?別に監視する必要もないだろうし」
「"監視"じゃないさ。"興味"だろうね」

きょとんとした面持ちのハーデスに向け、ユリアは「無意識に」と付け加える。
理解出来ずに目を瞬かせるハーデス

ユリアは寝転ぶ頭の後ろで腕を組み、瞼を閉ざして口元に笑みを乗せた。

「そういえば夕方に柚を見掛けたけど、なんだか具合が悪そうだったね」
「え?」

ハーデスが驚きに目を見開き、顔色を変える。
ライアンズは頬を掻いた。

「ああ、そういや腹が痛いって。ほら、生理痛ってヤツ」
「何、それ」
「生理は知ってるだろ?女はそん時に腹が痛くなるらしいんだわ」
「ああ、ハーデス。そういうことに男がとやかく口を出すと、ライアンのように嫌われるよ」

ライアンズの言葉を聞き、慌てたように姿を消そうとしたハーデスに、ユリアがのんびりと声を掛けた。
ハーデスが肩越しにユリアを振り返り、僅かに開きかけた唇を引き結ぶと、すっと闇の中に姿を消す。

「……お前」

ライアンズがユリアを横目で睨み付けた。
そんなライアンズに、ユリアは素知らぬ面持ちで返す。

それがライアンズを苛立たせ、ライアンズはユリアに向けて語調を荒くした。

「ハーデスは子供を作れないんだぞ」
「おかしなことを言うね、君は。まるで研究所の連中みたいだ」
「っ――俺だってこんなことはいいたくない!けどな、分るだろ?あいつは柚の相手にはなれない。まだあいつのあの様子なら、引き返せるんだ。それをお前は無責任に煽るような真似しやがって」

ユリアは目を細め、くすりと笑みを浮かべた。

「仕方ないじゃない?」

何が仕方ないと言うのか――…
形のよい唇から紡がれる声は、何処までを人を食った色を含んだものだ。

ライアンズは、ユリアに掴み掛かると共にギリリと奥歯を噛み締めた。

「お前、楽しんでないだろうな……?」

そんなライアンズの手に白い手で触れ、ユリアは冗談ともとれない口調で「さぁ、どうだろうね?」と呟く。

相手の性格を知っているからこそ、そんな言葉は怒りを煽るだけだという事は知っていた。
仕方がないとばかりに、ユリアは細い両肩をすくめて見せる。

「ライアン。僕はね、煽るつもりはないけど止めるつもりもないさ」

「だって」と、妙に子供染みた口調で、声音は何処までも達観しているかのように響く。
形の良い唇が優美に三日月を描いた。

「僕達は、いつ何処で死ぬとも知れないんだからね」

――楽しまない人生に、何の意味がある?

皮肉めいた美しい微笑みが、まるで自分を責めるように見上げてくる。

ライアンズの喉が引き攣り、ユリアの胸倉を掴む手から力が抜け落ちていく。
反論の出来ない言葉だと知っていて、あえて口にするユリアに……否、口にさせた自分に、眩暈のようなものを感じた。





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